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プロローグ 5
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「早く荷馬車にでも放り込んで、国境まで連れていけ! 抵抗するようなら殴っても拘束しても構わん!」
皇太子の命令に、小夜が悲鳴じみた声で何事か言っている。だが、アルマニアの耳にはそんなどうでも良い情報は入ってこなかった。
衛兵たちがやってきて、躊躇いがちにアルマニアへと手を伸ばしてくる。自分に触れようとするそれを、アルマニアは思いっきり叩き払った。
「無礼者!」
叫んだアルマニアが、衛兵を突き飛ばして皇太子に向かって駆け出す。
こうなった以上、どう足掻いてもアルマニアの身分はく奪と国外追放は免れないだろう。それならば、一発殴ることで皇太子が目を覚ますかもしれないという一縷の望みに賭けるしかない。
(というよりも、殴りでもしないと私の気が収まらない……!)
絵に描いたように美しく優雅な令嬢の中の令嬢、とまで讃えられたアルマニアは、貴族の令嬢としての立ち居振る舞いを常に完璧にこなしているだけで、その実かなり苛烈な女だった。
右の拳を握り、アルマニアは真っ直ぐに皇太子に向かう。だが、いかに性格が勇ましかろうと、彼女は武術や剣術の心得などない令嬢だ。
皇太子を守るべく立ち塞がった衛兵に行く手を阻まれ、そして背後からも、アルマニアを捕らえようとする別の衛兵の腕が伸びてくる。
「っ、」
先程とは違い遠慮の見られない乱暴さで近づいてきた手に、アルマニアが思わず顔を顰めた、そのとき――
「俺の未来の嫁に、気安く触らないで貰おうか」
そんな声が耳に届くと同時に、アルマニアを捕らえようとしていた腕が別の誰かの手によって捻りあげられた。
驚いたアルマニアが、衛兵を捕らえる手の持ち主へと顔を向け、その目に一人の男を映す。
これまでに会った覚えはおろか、見たことすらない、二十代半ばほどの見た目の長身の男だ。さらりと流れる長髪は深い藍を湛え、驚くほど整った精悍な顔に嵌まる瞳は、澄み渡った空の色をしている。身に纏っている衣装から推測するに、どこかの貴族か何かだろうか。
「な、なんだ貴様は!? どうやってここへ来た!?」
突然現れた謎の男に向かって皇太子が叫び、同時に衛兵たちが一斉に男へと剣を向ける。
「どうやってって、説明したところでどうせお前らには理解できないだろうしなぁ。まあ取り敢えず、そういうの向けられるのは好きじゃねぇから、大人しくしててくれ」
鬱陶しそうに言った男が、捕らえていた衛兵を解放すると同時に、人差し指をついっと下に向けた。するとその瞬間、衛兵たちが押しつぶされるようにしてどしゃりと地面に倒れ込んだ。そのまま身動きが取れずにいる兵たちを一瞥してから、男が身体ごと振り返って、アルマニアを見る。そして彼は、驚きのまま声も出せずにいる彼女に向かって手を伸ばし、その身体を抱き上げた。
「きゃあ!?」
「悪いな公爵令嬢。礼を失してるのは百も承知だが、このまま俺と一緒に来てくれ」
「ま、待ちなさい! 一緒にと言われても困るわ! 大体、貴方は一体何者で、何故こんなことを、」
腕の中で叫ぶアルマニアの唇に男の人差し指が押し当てられ、そしてその端正な顔がぐいっと近づいてきて、至近距離でアルマニアを見つめた。
「俺が一方的にあんたに惚れてるから、一緒に来て嫁になって欲しい」
真剣そのものの声の中には、むず痒くなるような甘ったるさが含まれているようで。鼓膜を擽ったその声に、アルマニアは僅かに目を開きつつ、
「は、はぁ!?」
公爵令嬢にあるまじき、素っ頓狂な声を上げた。
思わず上がってしまった己の声に反射的に恥じ入ったアルマニアだったが、初対面の侵入者にいきなり求婚されたのだから、無理もない反応だろう。
一方の男は、そんな彼女を見て楽しそうに笑いつつ、話を続けていく。
「そこの馬鹿皇太子との婚約は破棄になって、その上身分もなくなってこの国の人間でもなくなるってんなら、俺が娶ったって良いわけだろ? だから攫いに来た」
にこやかにそう言う男に対し、半ば呆けていた皇太子が我に返って叫ぶ。
「ア、アルマニア! お前、僕の婚約者でありながら、この男と関係を持っていたのだな!」
その叫びに、誰がそんな馬鹿な真似をするものかと思ったアルマニアが、皇太子の言葉を否定しようと口を開く。だが、その唇から声が発される前に、男が皇太子を睨みつけた。
「馬鹿の分際で公爵令嬢を侮辱するような発言は慎め。俺と彼女は初対面だ」
「な、ぶ、無礼者! 王城への侵入のみならず、皇太子たるこの僕を侮辱するのか!?」
「黙れっつってんのが判んねーのかスカポンタン」
呆れと苛立ちが混ざったような声で言った男が、鬱陶しそうにひらりと手を振る。すると、尚も言い募ろうとしていた皇太子の口が、まるで接着剤で張り合わせられたかのようにぴたりと閉じてしまった。
「そこのお嬢さんも、聖獣を呼び出すような面倒な真似はするなよ。まあ呼び出されたところで困ることもねぇんだが、あんま余計なことするのも好ましくはねぇからな」
小夜を見てそう釘を刺した男は、怯え切った表情の小夜がこくこくと頷くのを確認してから、再びアルマニアへと視線を戻した。
「さて、ここじゃあどうも邪魔が多いな。さっさと行こうか」
「ちょ、ちょっと! 私は承諾なんてしていな、」
「その可愛らしい囀りを続けてくれるのは結構なんだが、舌噛む前にいったんお口閉じとこうな」
言うや否や、アルマニアを抱く男の足元から黒い風が巻き起こって、男とアルマニアを完全に覆った。そして次の瞬間、黒い風が部屋いっぱいに大きく広がって弾けたかと思うと、その中から巨大な何かが姿を現した。王城の最上階に位置する玉座の間の天井を突き破り、部屋の壁をも破壊した巨躯が、空に向かって長い首をもたげる。
歴史ある古城の一部を瓦礫となしつつ顕現したのは、漆黒の鱗に翠の目を持つ巨大な竜だった。
その巨大な手の中にアルマニアをそっと包み込んで、竜がばさりと翼を広げる。そしてそのまま空へと浮上した黒竜は、立ち尽くす皇太子と小夜を一瞥することすらなく、遥か上空へと飛び去って消えたのだった。
皇太子の命令に、小夜が悲鳴じみた声で何事か言っている。だが、アルマニアの耳にはそんなどうでも良い情報は入ってこなかった。
衛兵たちがやってきて、躊躇いがちにアルマニアへと手を伸ばしてくる。自分に触れようとするそれを、アルマニアは思いっきり叩き払った。
「無礼者!」
叫んだアルマニアが、衛兵を突き飛ばして皇太子に向かって駆け出す。
こうなった以上、どう足掻いてもアルマニアの身分はく奪と国外追放は免れないだろう。それならば、一発殴ることで皇太子が目を覚ますかもしれないという一縷の望みに賭けるしかない。
(というよりも、殴りでもしないと私の気が収まらない……!)
絵に描いたように美しく優雅な令嬢の中の令嬢、とまで讃えられたアルマニアは、貴族の令嬢としての立ち居振る舞いを常に完璧にこなしているだけで、その実かなり苛烈な女だった。
右の拳を握り、アルマニアは真っ直ぐに皇太子に向かう。だが、いかに性格が勇ましかろうと、彼女は武術や剣術の心得などない令嬢だ。
皇太子を守るべく立ち塞がった衛兵に行く手を阻まれ、そして背後からも、アルマニアを捕らえようとする別の衛兵の腕が伸びてくる。
「っ、」
先程とは違い遠慮の見られない乱暴さで近づいてきた手に、アルマニアが思わず顔を顰めた、そのとき――
「俺の未来の嫁に、気安く触らないで貰おうか」
そんな声が耳に届くと同時に、アルマニアを捕らえようとしていた腕が別の誰かの手によって捻りあげられた。
驚いたアルマニアが、衛兵を捕らえる手の持ち主へと顔を向け、その目に一人の男を映す。
これまでに会った覚えはおろか、見たことすらない、二十代半ばほどの見た目の長身の男だ。さらりと流れる長髪は深い藍を湛え、驚くほど整った精悍な顔に嵌まる瞳は、澄み渡った空の色をしている。身に纏っている衣装から推測するに、どこかの貴族か何かだろうか。
「な、なんだ貴様は!? どうやってここへ来た!?」
突然現れた謎の男に向かって皇太子が叫び、同時に衛兵たちが一斉に男へと剣を向ける。
「どうやってって、説明したところでどうせお前らには理解できないだろうしなぁ。まあ取り敢えず、そういうの向けられるのは好きじゃねぇから、大人しくしててくれ」
鬱陶しそうに言った男が、捕らえていた衛兵を解放すると同時に、人差し指をついっと下に向けた。するとその瞬間、衛兵たちが押しつぶされるようにしてどしゃりと地面に倒れ込んだ。そのまま身動きが取れずにいる兵たちを一瞥してから、男が身体ごと振り返って、アルマニアを見る。そして彼は、驚きのまま声も出せずにいる彼女に向かって手を伸ばし、その身体を抱き上げた。
「きゃあ!?」
「悪いな公爵令嬢。礼を失してるのは百も承知だが、このまま俺と一緒に来てくれ」
「ま、待ちなさい! 一緒にと言われても困るわ! 大体、貴方は一体何者で、何故こんなことを、」
腕の中で叫ぶアルマニアの唇に男の人差し指が押し当てられ、そしてその端正な顔がぐいっと近づいてきて、至近距離でアルマニアを見つめた。
「俺が一方的にあんたに惚れてるから、一緒に来て嫁になって欲しい」
真剣そのものの声の中には、むず痒くなるような甘ったるさが含まれているようで。鼓膜を擽ったその声に、アルマニアは僅かに目を開きつつ、
「は、はぁ!?」
公爵令嬢にあるまじき、素っ頓狂な声を上げた。
思わず上がってしまった己の声に反射的に恥じ入ったアルマニアだったが、初対面の侵入者にいきなり求婚されたのだから、無理もない反応だろう。
一方の男は、そんな彼女を見て楽しそうに笑いつつ、話を続けていく。
「そこの馬鹿皇太子との婚約は破棄になって、その上身分もなくなってこの国の人間でもなくなるってんなら、俺が娶ったって良いわけだろ? だから攫いに来た」
にこやかにそう言う男に対し、半ば呆けていた皇太子が我に返って叫ぶ。
「ア、アルマニア! お前、僕の婚約者でありながら、この男と関係を持っていたのだな!」
その叫びに、誰がそんな馬鹿な真似をするものかと思ったアルマニアが、皇太子の言葉を否定しようと口を開く。だが、その唇から声が発される前に、男が皇太子を睨みつけた。
「馬鹿の分際で公爵令嬢を侮辱するような発言は慎め。俺と彼女は初対面だ」
「な、ぶ、無礼者! 王城への侵入のみならず、皇太子たるこの僕を侮辱するのか!?」
「黙れっつってんのが判んねーのかスカポンタン」
呆れと苛立ちが混ざったような声で言った男が、鬱陶しそうにひらりと手を振る。すると、尚も言い募ろうとしていた皇太子の口が、まるで接着剤で張り合わせられたかのようにぴたりと閉じてしまった。
「そこのお嬢さんも、聖獣を呼び出すような面倒な真似はするなよ。まあ呼び出されたところで困ることもねぇんだが、あんま余計なことするのも好ましくはねぇからな」
小夜を見てそう釘を刺した男は、怯え切った表情の小夜がこくこくと頷くのを確認してから、再びアルマニアへと視線を戻した。
「さて、ここじゃあどうも邪魔が多いな。さっさと行こうか」
「ちょ、ちょっと! 私は承諾なんてしていな、」
「その可愛らしい囀りを続けてくれるのは結構なんだが、舌噛む前にいったんお口閉じとこうな」
言うや否や、アルマニアを抱く男の足元から黒い風が巻き起こって、男とアルマニアを完全に覆った。そして次の瞬間、黒い風が部屋いっぱいに大きく広がって弾けたかと思うと、その中から巨大な何かが姿を現した。王城の最上階に位置する玉座の間の天井を突き破り、部屋の壁をも破壊した巨躯が、空に向かって長い首をもたげる。
歴史ある古城の一部を瓦礫となしつつ顕現したのは、漆黒の鱗に翠の目を持つ巨大な竜だった。
その巨大な手の中にアルマニアをそっと包み込んで、竜がばさりと翼を広げる。そしてそのまま空へと浮上した黒竜は、立ち尽くす皇太子と小夜を一瞥することすらなく、遥か上空へと飛び去って消えたのだった。
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