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◇一章【狐愁の巫、惜夜の泪】
一章……(零) 【老媼の一振】
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◇◇◇
――夜も随分と更けた頃。床に就いていた皺だらけの老媼の許に、何者かの気配が近付く。
こんな老いぼれの所に誰が来たのやらと、彼女は弱々しくも穏やかな表情で虚空へ囁いた。
「誰だい?」
「…………」
返事は無い……。
つまりは『何者でもない』存在か。
「そうかい――」
嗄れ声で呟かれる、寂しげな一言。
今宵、訪れた存在は人智の及ばぬ存在だ。
室内に淡い明かりが灯る。ゆらゆらとした白炎が。
茫々とした白い燐火が揺らめき、その者の容貌が露になり。老媼は薄目を開け、改めて声を発する。
「――遅かったじゃないか」
枯木のようになり死を待つだけの老体に。
わざわざ何者が訪れ、何を目的としているか?
もう既に、老媼は全てを承知しているつもりだ。
来訪者は言葉を返さずに小息を吐き。豊かな太い尻尾をくねらせ、毛皮に覆われ鋭い爪のある獣の四肢を床に着けると、老媼の前に行儀良く伏せた。
暗がりに光る二つの金眼。漂う燐火。
来訪者は老媼の様子を伺っているようだ。
「いいよ。あたしを喰らいに来たんだろう?
『 』あんたはそういう存在だからね」
老媼は緩徐な動作で布団から半身を起こし、側に置いていた小刀を震える指で持ち。居直してから、目前の存在にそれを献上でもするかのように掲げた。
「疾うの昔に、覚悟はできてるさね」
それは定め。宿命。愚かな巫の末路。
ずっと密かに行われてきた、此土への欺瞞。
「古き母、掉尾の虚よ。迷惑をかけるね。
あたしゃもう十分さ、後は頼んだよ」
旧知の相手への親しげなようでいて、
それ以上に寂しげな視線を送り、顔を伏せる。
目を閉じて最期の時を受け入れる老媼。
しかし彼女がいくら待てども、何もされない。
ただ掲げた腕にそっと触れられているだけ。
あくまでも役責に情を持たぬ存在が、何をと。怪訝な表情を隠しもせずに、老媼は声を挙げていた。
「どうしたんだい? あたしを喰うんだろ。
あんたらしくもないね。早くおし――」
急かす言葉を中断し、老媼は口をつぐむ。
何重にも皺が刻まれた顔に更に皺を増し「いいや待ちな。まさかあんた」と。目を開き、加齢によりぼやけた視界でもってよく確かめれてみれば。
老媼は、思い違いをしていたらしい。
白銀色の狐のような半人半獣の少女。そのどこか遠い彼方を見ているような優しげな金瞳が光る。
特徴はまるっきり同じだが。彼ノ者ではない。短い間柄であったが、娘として可愛がった少女だ。
「あんた。リンちゃん、だったのかい!?
なんだよぉ、紛らわしいねぇもぅ……」
その髪を梳かすように撫でてやる。
彼女は俯いて、されるがまま身を委ねてきた。
「あたしゃてっきり……ぬぅ?」
また、老媼は口をつむぐこととなった。
どうにも先程から少女の様子がおかしいから。
彼女は老媼の腕に頬ずりをし、目を細め。
尻尾を振って、甘えるよう喉を鳴らしていて。
縁ができて、昼間に会っていた彼女の姿。
凛としていて儚げで、どこか陰のあった少女。
少なくとも少女は、こんな風に素直に甘えてくれるような性格ではなかった。
すぐ強がってもっともらしい建前を言って、他人に弱みを見せるのを嫌い、本音を笑って誤魔化してしまう不器用かつ繊細であり賢しく優しい娘であった。
ならば、彼女のこの有り様は何だ?
寝惚けていたり、別れを明朝に控えて冷静さを欠いている、等では済まぬ異常な振る舞いである。
「……もぅなんだい? その姿にその振る舞いは。そんなになって、どうして来ちまったのさ」
首を傾げる彼女は純粋無垢。人の言葉はおろか自分自身の一切合切を忘れてしまったような様子。
「もう来ないよう言ったってのにねぇ」
老媼は一緒に首を傾げて、小刀を構える。
そしてぎゅっと片腕で少女と抱擁を交わした。
老媼、ニウラヌは小刀の鞘を指で弾き、
「或いは、あたしの存在がそうさせたのかね。
あんたは、やはり彼ノ者の縁者かい。本来は、出会うべきではなかったのやも。ならぁ済まないねぇ」
本当に最期の力を込めて、
「いいよ。今、楽にしてやるさね……!」
そんな悲しげな言葉を送った後に――。
少女、リンリの胸にその一振を突き刺していた。
◇ 一章 ◇
――夜も随分と更けた頃。床に就いていた皺だらけの老媼の許に、何者かの気配が近付く。
こんな老いぼれの所に誰が来たのやらと、彼女は弱々しくも穏やかな表情で虚空へ囁いた。
「誰だい?」
「…………」
返事は無い……。
つまりは『何者でもない』存在か。
「そうかい――」
嗄れ声で呟かれる、寂しげな一言。
今宵、訪れた存在は人智の及ばぬ存在だ。
室内に淡い明かりが灯る。ゆらゆらとした白炎が。
茫々とした白い燐火が揺らめき、その者の容貌が露になり。老媼は薄目を開け、改めて声を発する。
「――遅かったじゃないか」
枯木のようになり死を待つだけの老体に。
わざわざ何者が訪れ、何を目的としているか?
もう既に、老媼は全てを承知しているつもりだ。
来訪者は言葉を返さずに小息を吐き。豊かな太い尻尾をくねらせ、毛皮に覆われ鋭い爪のある獣の四肢を床に着けると、老媼の前に行儀良く伏せた。
暗がりに光る二つの金眼。漂う燐火。
来訪者は老媼の様子を伺っているようだ。
「いいよ。あたしを喰らいに来たんだろう?
『 』あんたはそういう存在だからね」
老媼は緩徐な動作で布団から半身を起こし、側に置いていた小刀を震える指で持ち。居直してから、目前の存在にそれを献上でもするかのように掲げた。
「疾うの昔に、覚悟はできてるさね」
それは定め。宿命。愚かな巫の末路。
ずっと密かに行われてきた、此土への欺瞞。
「古き母、掉尾の虚よ。迷惑をかけるね。
あたしゃもう十分さ、後は頼んだよ」
旧知の相手への親しげなようでいて、
それ以上に寂しげな視線を送り、顔を伏せる。
目を閉じて最期の時を受け入れる老媼。
しかし彼女がいくら待てども、何もされない。
ただ掲げた腕にそっと触れられているだけ。
あくまでも役責に情を持たぬ存在が、何をと。怪訝な表情を隠しもせずに、老媼は声を挙げていた。
「どうしたんだい? あたしを喰うんだろ。
あんたらしくもないね。早くおし――」
急かす言葉を中断し、老媼は口をつぐむ。
何重にも皺が刻まれた顔に更に皺を増し「いいや待ちな。まさかあんた」と。目を開き、加齢によりぼやけた視界でもってよく確かめれてみれば。
老媼は、思い違いをしていたらしい。
白銀色の狐のような半人半獣の少女。そのどこか遠い彼方を見ているような優しげな金瞳が光る。
特徴はまるっきり同じだが。彼ノ者ではない。短い間柄であったが、娘として可愛がった少女だ。
「あんた。リンちゃん、だったのかい!?
なんだよぉ、紛らわしいねぇもぅ……」
その髪を梳かすように撫でてやる。
彼女は俯いて、されるがまま身を委ねてきた。
「あたしゃてっきり……ぬぅ?」
また、老媼は口をつむぐこととなった。
どうにも先程から少女の様子がおかしいから。
彼女は老媼の腕に頬ずりをし、目を細め。
尻尾を振って、甘えるよう喉を鳴らしていて。
縁ができて、昼間に会っていた彼女の姿。
凛としていて儚げで、どこか陰のあった少女。
少なくとも少女は、こんな風に素直に甘えてくれるような性格ではなかった。
すぐ強がってもっともらしい建前を言って、他人に弱みを見せるのを嫌い、本音を笑って誤魔化してしまう不器用かつ繊細であり賢しく優しい娘であった。
ならば、彼女のこの有り様は何だ?
寝惚けていたり、別れを明朝に控えて冷静さを欠いている、等では済まぬ異常な振る舞いである。
「……もぅなんだい? その姿にその振る舞いは。そんなになって、どうして来ちまったのさ」
首を傾げる彼女は純粋無垢。人の言葉はおろか自分自身の一切合切を忘れてしまったような様子。
「もう来ないよう言ったってのにねぇ」
老媼は一緒に首を傾げて、小刀を構える。
そしてぎゅっと片腕で少女と抱擁を交わした。
老媼、ニウラヌは小刀の鞘を指で弾き、
「或いは、あたしの存在がそうさせたのかね。
あんたは、やはり彼ノ者の縁者かい。本来は、出会うべきではなかったのやも。ならぁ済まないねぇ」
本当に最期の力を込めて、
「いいよ。今、楽にしてやるさね……!」
そんな悲しげな言葉を送った後に――。
少女、リンリの胸にその一振を突き刺していた。
◇ 一章 ◇
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