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◇追憶の三幕【禍群襲来】
不穏の兆……(一)
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◇◇◇
――其処は、人の世の営みから離れた地。
広範囲に渡って深く樹木が繁茂しており、天高くまでその枝葉が折り重なっている。
日輪の陽光が地上までは射し込まぬ為に周囲は薄暗く陰りに包まれ。また土地柄か風が通り抜け辛いのか空気に湿り気が多い。
そして深い闇と、薄っすらとした靄の中に浮かぶ木々の影。仮に高所遠方より覗えば、其処は樹の海の如く。文字どおりの樹海といえる……。
――鳥獣の声や姿も無く。
ただ坦々とした刻が流れて行き。
ただ深々とした静寂が場を支配す。
繁る木々や苔類の翠色、それを包む闇。生命の陽気と深い陰気の和。人の世の意図では成し得ない、相反しながらも調和する自然界の理の形。
その風景を瞳にうつす者が現れたとしたら、ある種の浮き世離れした清浄さと共に本能からの畏れの情念さえ抱かせたであろう。彼の樹海はそのように独特な領域であった。
――然れど、騙される事なかれ。
この領域は、既に本来の在り方からは逸し歪められているのだから。
此処にもしも誰彼かが踏み込めば、おのずと気付くことになるであろう。そのまま畏れ知らずに足を踏み入れてしまえば、辺りに満ちる青臭さや黴臭さの中に混じる……酷い“腐臭”に。そして、それ以上に濃厚な“獣臭”さに気付く筈だ。鼻に付くばかりの不快不浄な悪臭。悪臭とは何故如何にか……?
ここが樹海という環境ならば当然に、そこらに死した鳥獣の亡骸が転がり。それらが土へと還る過程で生じる腐臭も漂うことだろう。
また亡骸を貪り糧とする獣達の臭いも存在する事だろう。当然に黴や苔や草木からの独特な臭気や香も立っている事だろう。
けれども、それは自然の摂理の一環。
人が『悪臭』と簡単に言い捨ててしまうには、些か烏滸ましき趣に違いない。だけれども、この樹海の様子は斯様な“常”を大きく逸している――。
――言うなれば、『禍境』か。
両の眼を開き、誠なる樹海の姿を看破せよ。
視覚でだめならば、聴くがよい。それが適わぬとするならば、嗅ぎ分けるがよい。己が五感の全てを以てしてその本質を見極めるのだ。
然らば捉えられん。憐憫にも認識できなければ、その命は無きものと知れ。
――知れ。樹木や苔や黴以外の獣や虫が姿を消し、命という命が身勝手に蹂躙され、貪られ、打ち捨てられしこの惨状を。
――知れ。もはや自然の法則を歪め天律を逸し、此土常世を蝕む禍境と成り果てた樹海を。
この有り様は外面、見て呉れこそ未だ美しき果実だが。その実、内部は既に入り込んだ蟲に蝕ばまれ果てて、膿み淀み腐り、遂には悪臭を放つようにまでなった虚の果実。そうだ。樹海という領域そのものが深く腐りて侵され、穢が淀んで濁って『澱』と成り果て。濃厚な忌むモノと転じ、呪詛や障気といった良くないモノを放っている。
――命の進化ではなく、系統の蝕みの権化。
秩序に添った繁栄ではなく、何かしらの要因により此土に降って湧いた大きな流れの癌。
穢を纏いて変質せし、人智を超越せし、摂理の環で営む全ての生命の枠より逸脱せし哀しきマガモノ。おぞましきケガラワしき、忌むべき存在である“禍淵”が潜むその根城と果てた忌む地なり。
――そのような領域に、
「――はぁい。やぁーと追い詰めましてよ?」
風切り音を響かせて、
外套を被った何者かが降り立つ。
「――ということで。はいはい。此度は、この“あたくし”も宮居から直接に出向いてきまして“あなた達”のお相手をする運びとなりましたの~。お付き合い、よろしくお願いいたしますわねぇ?」
場違いな高くふわふわとした声色と、のんびり間延びした口調。比較的に細身だが外套の上からでも主張している豊かな胸の膨らみ。女性のようだ。全く以て普通の女性ではないようだが……。
「さてさて。皆さんのぉ首尾は?」
外套の女性は懐から小刀を取り出し、
「枝刃は芽吹きて、災渦を払う祭具とならん。
其は形を得た神業たる証にして、此土と彼ノ者との約定の印、縁を繋ぐ鍵。枝刃――芽吹なり」
何やら呟いた。すると、小刀は柄と刃身の二つに分かれて輝く。そのまま刃の方は、装飾のなされた大きな銅鏡のような形へと変化。柄の方は掌におさまったままで勾玉の形に転じた。
して、銅鏡を覗き込む彼女。
「……あらあら、んもう。まだ、他の皆さん定位置にいらっしゃらないようですわね。何をやってるのかしら。事前の待ち合わせに遅れるなんて」
彼女は銅鏡から何かを読み取り。けれど、それが自身の満足の行く進行結果ではなかったようで拗ねるように頬を膨らませた。
「少しだけ、待機ねぇ」
自身は兎も角、他の場所の備えがまだ間に合ってはおらず、不意に暫しの空き時間か。
…………物憂げに、須臾の沈黙。
彼女はそのまま佇んで待機をし。
「あたくしの翼に白い粉がいっぱいね。胞子? 嫌ですわ、自慢の翼から茸でも生えてきたら大変!」
外套に収まりきらずに外に出ている、自身の左肩に生えた黒い片翼。その翼が胞子のような粉で汚れてしまっている事に気が付くと、袖口から出した羽衣を雑巾のようにして、鉤爪と鱗のある片腕を背中に伸ばして羽繕いを始めた。
――肩の羽衣と枝刃を携えた、人ならざる身を持つ女性。彼女は何者なのか? そんな事は知れている。神の如き存在、統巫の一柱だ。
「あらあら。いけない、いけない……」
それから結局、四半刻ほどが経ち。
「あら。いつの間にやら、全員が定位置にいらっしゃいますわぁ。これはいけないわね。これではまるで、あたくしが皆さんより遅れて来たみたいです……。それでは初めましょうか?」
どうやら、事の備えは完了したらしい。
「――おっほん。ならば、可哀想な子達よ。
あなた達との戦始まりの喊声の代わり、あたくしはこのようなモノを贈りますわ。受け取って下さいまし。これは、此れから消え行くあなた達へ与えるせめてもの弔いの印。鎮魂の光――」
彼女は銅鏡を縦に構えると、
「――訥喊ですわッ!!」
掛け声と共に、銅鏡が激しく光輝いた。
万人の認知及ばぬ、禍淵との戦の火蓋が切って落とされた瞬間である。
◇◇◇
樹海に生い茂る樹木と枝葉といった障害物をものともせず、闇を切り開いて行く閃光。
「――おぅ! あの光が合図だったね。
つぅこったァ、アタイの出番だねぃ!」
所変わり。付近で一層に高い大樹に登って、その太枝に腰を降ろしていた外套の女性。
彼女は閃光に目を覆いながら、不安定な場にのっそりと立ち上がって一言の声をあげた。その口ぶりからすると、最初の彼女が示し合わせていた『皆さん』の一人だろうか。
「……探査は数日だった。だが、仕込みに半月。調整に一月。安定にもう一月。くぅーっ、腕が鳴るねぇ本当に。アタイが掛けて来たこの数多くの時間と苦労の集大成。今日この場で、いざ咲かせて! 割かせて! 裂かせてぇもらいやす! アタイは、かの統制十六奉位の一柱。統巫、脈統導巫の――」
【◇脈統導巫◇】
何かの位の顕示と、脈統導巫という名乗り。彼女は外套を脱ぎ捨て。その羽衣以外になにも身に付けてはいない一部が被毛に覆われた美しい裸体と、臀部から生え、しなる蛇尾を晒すと、
「――ウッ、眩しッ、おっとっと……あッ!」
光で目が眩んでしまってか。とてもかっこ悪く片足を樹皮で滑らせ転倒してしまい、尻餅を付く。その勢いで、更に樹皮の上を尻が滑り、大樹の太枝から身を投げてしまう形となった彼女。
……彼女の出番はここで終わった。
「――シャァァァッう!
不注意で落下ってぇこりゃねえよっ!? というかよ、アタイこのままじゃ無様におっちん死にかねないってのよぅッ……ああ、仕方ないねェ! いいさ、元々ひと暴れする寸法だったかんな。これがアタイの十八番ッ! 統巫としての身を捨てる蛮行を篤とご覧なさいやァ! 畏れ多き愚行、彼ノ者よ、お許し賜ふ。我が神をこの身の衣と成せ……」
――否。女性は落下しながら、胸元から取り出した小刀を自身の腹に“突き刺”したのだった。
◇◇◇
―――ォォォンッ!
また別の場。閃光が過ぎ去ったかと思えば、続いて甚だしく空気を震わせるかような轟音が樹海に響き渡る。その正体は、何処からか突如として領域内に現れ、樹木を薙ぎ倒し、大地を重圧で陥没させながら落下してきた土色の“毛に包まれた巨大で奇怪な肉塊”である。正体は言わずもがな、今しがた落下していった脈統導巫の女性。彼女の転じた姿。
「ふぁぁ。……ん、脈の、か――」
別の場で、少女が傍観しながら口を開く。
肉塊の正体である統巫の事や、そこで何が起きているのかを正確に把握しているもよう。この少女もまた、事前に示し合わせをしていた『皆さん』の内の一人だろうか。
「脈の、早々……派手に、やる」
――少女の目前に広がる景色。
それは信じられない場面。“脈統導巫が転じた肉塊”を中心として樹海の領域全体の地盤が揺れ動くのだ。衝撃で続けて“二度”“三度”と続いて大地が崩落し、徐々にだが下へ沈んで行くのが見て取れる。まるで“地の脈”そのものが生きて、身悶えて暴れ回っているが如く。
其は『地の脈』を統べる権能。
その御遣い。その化身。その統巫。
その原身。そんなものが顕現したのなら、
その光景は、そうあるべき様でしかない。
「…………こふっ」
少女は唾を飲み、喉を鳴らした。その首筋に魚のエラのような筋が浮かぶ。
――続く崩落。連鎖的により広い範囲の大地がひび割れ、崩れ、沈む。その過程で、地中深くに有った大きな水脈に当たったのだろう。追い討ちとばかりに、樹海の至るところから間欠泉のように水が吹き出す。非現実的な光景の数々が荒れ狂う。
「……脈の、褒めて遣わす。よくやった。
……こちらの手は地脈だけ、じゃない。
頼んだ……水脈も用意できた。もう憂いなし。
なら、そろそろ――」
傍観していた少女は、背伸びをする。
上半身だけを隠す小さめの外套と、そこから露出する腰から下の半身が“魚の鰭”のようなものに置き換わっている美しい異形の少女。
「――頃合いか。……ふっみ、こふっ。
…………潤統導巫いくよっ!」
【◇潤統導巫◇】
潤統導巫。意思表示だろう声と共に彼女が小刀を取り出すと、周りから非常に細かな飛沫状に水が集まってくる。ある程度まで来ると飛沫は水珠に、水珠は飛沫に。合わさり、四散し、舞い散ちながら再び集まり。彼女を包み込んで巨大な水球となって、更に更に多くの水が樹海という領域全体から集まってくる。
「ふはぁ……。ふみゅ……。……ごぼ、こぽ」
彼女が完全に水球の中に取り込まれると、外套の中より羽衣が現れて輝く。
「ん、ごぽ…………」
そのまま、サッと両の手で小刀を構え、
「じゃ――――マガモノよ。去ね……!!」
彼女は静かに殺気を放った。
――潜んでいた“何か達”は遂に身の危険を感じたのか。そこで一斉に飛び出してくる。
――いざいざ、開戦の刻。
――統巫達と禍淵の対峙。不穏なる兆。
――何れ、此土を脅かしうる。
大いなる厄災、禍津にして厄梵の所以。
――其処は、人の世の営みから離れた地。
広範囲に渡って深く樹木が繁茂しており、天高くまでその枝葉が折り重なっている。
日輪の陽光が地上までは射し込まぬ為に周囲は薄暗く陰りに包まれ。また土地柄か風が通り抜け辛いのか空気に湿り気が多い。
そして深い闇と、薄っすらとした靄の中に浮かぶ木々の影。仮に高所遠方より覗えば、其処は樹の海の如く。文字どおりの樹海といえる……。
――鳥獣の声や姿も無く。
ただ坦々とした刻が流れて行き。
ただ深々とした静寂が場を支配す。
繁る木々や苔類の翠色、それを包む闇。生命の陽気と深い陰気の和。人の世の意図では成し得ない、相反しながらも調和する自然界の理の形。
その風景を瞳にうつす者が現れたとしたら、ある種の浮き世離れした清浄さと共に本能からの畏れの情念さえ抱かせたであろう。彼の樹海はそのように独特な領域であった。
――然れど、騙される事なかれ。
この領域は、既に本来の在り方からは逸し歪められているのだから。
此処にもしも誰彼かが踏み込めば、おのずと気付くことになるであろう。そのまま畏れ知らずに足を踏み入れてしまえば、辺りに満ちる青臭さや黴臭さの中に混じる……酷い“腐臭”に。そして、それ以上に濃厚な“獣臭”さに気付く筈だ。鼻に付くばかりの不快不浄な悪臭。悪臭とは何故如何にか……?
ここが樹海という環境ならば当然に、そこらに死した鳥獣の亡骸が転がり。それらが土へと還る過程で生じる腐臭も漂うことだろう。
また亡骸を貪り糧とする獣達の臭いも存在する事だろう。当然に黴や苔や草木からの独特な臭気や香も立っている事だろう。
けれども、それは自然の摂理の一環。
人が『悪臭』と簡単に言い捨ててしまうには、些か烏滸ましき趣に違いない。だけれども、この樹海の様子は斯様な“常”を大きく逸している――。
――言うなれば、『禍境』か。
両の眼を開き、誠なる樹海の姿を看破せよ。
視覚でだめならば、聴くがよい。それが適わぬとするならば、嗅ぎ分けるがよい。己が五感の全てを以てしてその本質を見極めるのだ。
然らば捉えられん。憐憫にも認識できなければ、その命は無きものと知れ。
――知れ。樹木や苔や黴以外の獣や虫が姿を消し、命という命が身勝手に蹂躙され、貪られ、打ち捨てられしこの惨状を。
――知れ。もはや自然の法則を歪め天律を逸し、此土常世を蝕む禍境と成り果てた樹海を。
この有り様は外面、見て呉れこそ未だ美しき果実だが。その実、内部は既に入り込んだ蟲に蝕ばまれ果てて、膿み淀み腐り、遂には悪臭を放つようにまでなった虚の果実。そうだ。樹海という領域そのものが深く腐りて侵され、穢が淀んで濁って『澱』と成り果て。濃厚な忌むモノと転じ、呪詛や障気といった良くないモノを放っている。
――命の進化ではなく、系統の蝕みの権化。
秩序に添った繁栄ではなく、何かしらの要因により此土に降って湧いた大きな流れの癌。
穢を纏いて変質せし、人智を超越せし、摂理の環で営む全ての生命の枠より逸脱せし哀しきマガモノ。おぞましきケガラワしき、忌むべき存在である“禍淵”が潜むその根城と果てた忌む地なり。
――そのような領域に、
「――はぁい。やぁーと追い詰めましてよ?」
風切り音を響かせて、
外套を被った何者かが降り立つ。
「――ということで。はいはい。此度は、この“あたくし”も宮居から直接に出向いてきまして“あなた達”のお相手をする運びとなりましたの~。お付き合い、よろしくお願いいたしますわねぇ?」
場違いな高くふわふわとした声色と、のんびり間延びした口調。比較的に細身だが外套の上からでも主張している豊かな胸の膨らみ。女性のようだ。全く以て普通の女性ではないようだが……。
「さてさて。皆さんのぉ首尾は?」
外套の女性は懐から小刀を取り出し、
「枝刃は芽吹きて、災渦を払う祭具とならん。
其は形を得た神業たる証にして、此土と彼ノ者との約定の印、縁を繋ぐ鍵。枝刃――芽吹なり」
何やら呟いた。すると、小刀は柄と刃身の二つに分かれて輝く。そのまま刃の方は、装飾のなされた大きな銅鏡のような形へと変化。柄の方は掌におさまったままで勾玉の形に転じた。
して、銅鏡を覗き込む彼女。
「……あらあら、んもう。まだ、他の皆さん定位置にいらっしゃらないようですわね。何をやってるのかしら。事前の待ち合わせに遅れるなんて」
彼女は銅鏡から何かを読み取り。けれど、それが自身の満足の行く進行結果ではなかったようで拗ねるように頬を膨らませた。
「少しだけ、待機ねぇ」
自身は兎も角、他の場所の備えがまだ間に合ってはおらず、不意に暫しの空き時間か。
…………物憂げに、須臾の沈黙。
彼女はそのまま佇んで待機をし。
「あたくしの翼に白い粉がいっぱいね。胞子? 嫌ですわ、自慢の翼から茸でも生えてきたら大変!」
外套に収まりきらずに外に出ている、自身の左肩に生えた黒い片翼。その翼が胞子のような粉で汚れてしまっている事に気が付くと、袖口から出した羽衣を雑巾のようにして、鉤爪と鱗のある片腕を背中に伸ばして羽繕いを始めた。
――肩の羽衣と枝刃を携えた、人ならざる身を持つ女性。彼女は何者なのか? そんな事は知れている。神の如き存在、統巫の一柱だ。
「あらあら。いけない、いけない……」
それから結局、四半刻ほどが経ち。
「あら。いつの間にやら、全員が定位置にいらっしゃいますわぁ。これはいけないわね。これではまるで、あたくしが皆さんより遅れて来たみたいです……。それでは初めましょうか?」
どうやら、事の備えは完了したらしい。
「――おっほん。ならば、可哀想な子達よ。
あなた達との戦始まりの喊声の代わり、あたくしはこのようなモノを贈りますわ。受け取って下さいまし。これは、此れから消え行くあなた達へ与えるせめてもの弔いの印。鎮魂の光――」
彼女は銅鏡を縦に構えると、
「――訥喊ですわッ!!」
掛け声と共に、銅鏡が激しく光輝いた。
万人の認知及ばぬ、禍淵との戦の火蓋が切って落とされた瞬間である。
◇◇◇
樹海に生い茂る樹木と枝葉といった障害物をものともせず、闇を切り開いて行く閃光。
「――おぅ! あの光が合図だったね。
つぅこったァ、アタイの出番だねぃ!」
所変わり。付近で一層に高い大樹に登って、その太枝に腰を降ろしていた外套の女性。
彼女は閃光に目を覆いながら、不安定な場にのっそりと立ち上がって一言の声をあげた。その口ぶりからすると、最初の彼女が示し合わせていた『皆さん』の一人だろうか。
「……探査は数日だった。だが、仕込みに半月。調整に一月。安定にもう一月。くぅーっ、腕が鳴るねぇ本当に。アタイが掛けて来たこの数多くの時間と苦労の集大成。今日この場で、いざ咲かせて! 割かせて! 裂かせてぇもらいやす! アタイは、かの統制十六奉位の一柱。統巫、脈統導巫の――」
【◇脈統導巫◇】
何かの位の顕示と、脈統導巫という名乗り。彼女は外套を脱ぎ捨て。その羽衣以外になにも身に付けてはいない一部が被毛に覆われた美しい裸体と、臀部から生え、しなる蛇尾を晒すと、
「――ウッ、眩しッ、おっとっと……あッ!」
光で目が眩んでしまってか。とてもかっこ悪く片足を樹皮で滑らせ転倒してしまい、尻餅を付く。その勢いで、更に樹皮の上を尻が滑り、大樹の太枝から身を投げてしまう形となった彼女。
……彼女の出番はここで終わった。
「――シャァァァッう!
不注意で落下ってぇこりゃねえよっ!? というかよ、アタイこのままじゃ無様におっちん死にかねないってのよぅッ……ああ、仕方ないねェ! いいさ、元々ひと暴れする寸法だったかんな。これがアタイの十八番ッ! 統巫としての身を捨てる蛮行を篤とご覧なさいやァ! 畏れ多き愚行、彼ノ者よ、お許し賜ふ。我が神をこの身の衣と成せ……」
――否。女性は落下しながら、胸元から取り出した小刀を自身の腹に“突き刺”したのだった。
◇◇◇
―――ォォォンッ!
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「ふぁぁ。……ん、脈の、か――」
別の場で、少女が傍観しながら口を開く。
肉塊の正体である統巫の事や、そこで何が起きているのかを正確に把握しているもよう。この少女もまた、事前に示し合わせをしていた『皆さん』の内の一人だろうか。
「脈の、早々……派手に、やる」
――少女の目前に広がる景色。
それは信じられない場面。“脈統導巫が転じた肉塊”を中心として樹海の領域全体の地盤が揺れ動くのだ。衝撃で続けて“二度”“三度”と続いて大地が崩落し、徐々にだが下へ沈んで行くのが見て取れる。まるで“地の脈”そのものが生きて、身悶えて暴れ回っているが如く。
其は『地の脈』を統べる権能。
その御遣い。その化身。その統巫。
その原身。そんなものが顕現したのなら、
その光景は、そうあるべき様でしかない。
「…………こふっ」
少女は唾を飲み、喉を鳴らした。その首筋に魚のエラのような筋が浮かぶ。
――続く崩落。連鎖的により広い範囲の大地がひび割れ、崩れ、沈む。その過程で、地中深くに有った大きな水脈に当たったのだろう。追い討ちとばかりに、樹海の至るところから間欠泉のように水が吹き出す。非現実的な光景の数々が荒れ狂う。
「……脈の、褒めて遣わす。よくやった。
……こちらの手は地脈だけ、じゃない。
頼んだ……水脈も用意できた。もう憂いなし。
なら、そろそろ――」
傍観していた少女は、背伸びをする。
上半身だけを隠す小さめの外套と、そこから露出する腰から下の半身が“魚の鰭”のようなものに置き換わっている美しい異形の少女。
「――頃合いか。……ふっみ、こふっ。
…………潤統導巫いくよっ!」
【◇潤統導巫◇】
潤統導巫。意思表示だろう声と共に彼女が小刀を取り出すと、周りから非常に細かな飛沫状に水が集まってくる。ある程度まで来ると飛沫は水珠に、水珠は飛沫に。合わさり、四散し、舞い散ちながら再び集まり。彼女を包み込んで巨大な水球となって、更に更に多くの水が樹海という領域全体から集まってくる。
「ふはぁ……。ふみゅ……。……ごぼ、こぽ」
彼女が完全に水球の中に取り込まれると、外套の中より羽衣が現れて輝く。
「ん、ごぽ…………」
そのまま、サッと両の手で小刀を構え、
「じゃ――――マガモノよ。去ね……!!」
彼女は静かに殺気を放った。
――潜んでいた“何か達”は遂に身の危険を感じたのか。そこで一斉に飛び出してくる。
――いざいざ、開戦の刻。
――統巫達と禍淵の対峙。不穏なる兆。
――何れ、此土を脅かしうる。
大いなる厄災、禍津にして厄梵の所以。
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