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◇追憶の二幕【遁世日和】

追憶……(二十三)【子守】

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 ◇◇◇



 ――甘い香りが立ち上る。午后ごご一時ひととき

 玉杓子たまじゃくしを火に掛け、熱し加減を見極める。
 しだいに沸騰して、細かな泡。

 ここで重曹じゅうそうを……使用したかったところだが。残念なことに用意できなかったので、重曹の代用として溶いておいた卵白を目分量めぶんりょう入れてかき混ぜる。

「うーむ、さてどうなるか。
卵白を使ったこと無いからなぁ……」

「リンリお兄ちゃん。それは、せいこうする?
むー。しっぱいは、二度は許されないよ~」

 そこでココミが、調理台に身を乗り出し。
リンリに疑いの声を飛ばしてくるのだ。

「ほら『失敗は成功のもと』って言うだろ?
もしも、俺がまた失敗しても許してくれよ。絶対に成功するとか言って、変なフラグは立てないから」

 童女の頭を軽く押し返し。
まぜまぜ、まぜまぜ。無心でかき混ぜる。

「ふふーん。今度またしっぱいするとね。
ココミは小腹が空きすぎて、りせいを捨ててお兄ちゃんにかじりついちゃうかもよ~。命かけてね」

「命がけっ!?」

 どうやら次に失敗すると、
この童女に噛り殺されてしまうらしい。

「……ココミちゃん怖っ! 脅さないでくれ。
でも、どうだろう。骨と皮だけだった俺の身体は、なんということでしょう、このとおりビフォーアフター。日課でさせられたケンタイさん式トレーニングでちょっとは筋肉ムキムキしてきてない? 変な事言うけど、美味しそうになったんじゃないかな?」

 片手で泡をかき混ぜ続けて。
もう片方の腕で力こぶを作ってみる。ケンタイに洗脳されたままで、徐々に思考が筋肉野郎と化してきてしまったリンリであった。
 自分の“ちょっぴり少しだけ”鍛えられた筋肉を『美味しそう』と言ってもらえるのなら、どんな形であれ自分の肉体を他人が誉めてくれるというのならば。それはとても喜ばしく思ってしまう。

「…………え、気持ち悪い。
うぇー。お兄ちゃん。自分のからだが『おいしそうか?』ってのは正気のさたじゃないよ。もう、こんな小さい子の口から何を言わせようとしてるの?
やーらしい。はしたない。へんたいっ!」

「心に深刻なダメージを負ったぞ……」

「お兄ちゃん、かわいそうだね。あはは。
筋肉のげんかくまでみてるんだ。そんな、ほとんど女の子みたいなうでのどこに筋肉があるの? ちょっと前までは、まぁまぁ利発な感じのお兄ちゃんだったのにげんめつ。きっとケンタイに心の弱さにつけこまれて~。あたまの中だけ筋肉にされちゃったんだね。かわいそうに。ぜったいに頭おかしくされてるよ」

「心に深刻なダメージを負った……」

 予期せぬ毒を吐かれてしまった。
直球で酷い言葉。リンリは苦笑いするしかない。

「ココミから言うとしたら。本当にケンタイみたいな筋肉だるまになると、すじばってきて肉がかたくなるんだよ。くさみも出てくるよ。次回はしっかり、ねんいりに肥え太っておいてねっ!」

 ついでに、肉が美味しくなる言葉添え。

「うぅ、うぐぐ。頭が……。なんで俺は、ココミちゃんにあんな事を言ったんだ……? 何故、筋肉を誉めてもらおうと考えた? そもそも最近、俺は妙に筋肉に固執していたような……」

 ここで奇跡が起きて。リンリにかかっていたケンタイからの狡猾な洗脳が解けたらしい。

 ……そんなくだらない会話をしている間に。かき混ぜていた泡は、ある程度は形に成ってきた。

「……うん。良さそうだ。
さっきは貰った甜菜糖てんさいとうでチャレンジしてみて普通に失敗したけど。今回は用途を伝えて三温糖を貰ってきたから大丈夫だろう!」

 リンリは手元のお玉の中。
頑張ってかき混ぜた、茶色の泡の塊を見てみる。

「よしっ、こんなもんじゃないか?」

 ――熱し加減に、色と泡立ち具合。良さそう。
今回は良い感じになったので、いけそうか……?

 素人でも、お菓子職人の意地はある。
最後まで失敗し続けて、相手にお菓子を振る舞えないというのは気咎めるというもの。
 まぁ『職人』は見栄で称しているだけだが。昔はよく趣味で作っていたのだし、短い間だったがお菓子を調理する職にも経験があるリンリ。

 異世界的なところで、調理設備が借りられず。現代のようには豊富な材料を集められない。だが、この現状を『お菓子が作れない』理由にはしたくないから。だからリンリは、ココミに噛られる危険を冒して命を賭して“お菓子作り”に挑戦している。
 自分から命を賭した覚えはないけれど……。

「お兄ちゃんは命をかけてるんだからね。
もしせいこうしたら、ココミが何でも一つ。
お兄ちゃんのおねがいを聞いてしんぜよーう!」

「だから、命は賭けてないって……。
でもその言葉、忘れないでくれよ?」

 ――さぁ、どうなるか勝負の時っ!
かき混ぜるのを止め、お玉を空中で揺らす。

「いけっ、どうだっ!」

 リンリは息を飲んで見つめる。
 後ろからは好奇の視線を感じる。

「ほら、どうだ……?」

 空中で冷やしてみて数秒、その結果。
無事にソレは、お玉の中から“もにゅもにゅ”と膨らんできてくれた。よし成功っ、完成だっ!

 ――材料は、水と砂糖と卵白のみ。
調理といっても、熱してかき混ぜるだけ。
簡単そうで、なかなかどうして奥の深い甘味。

「――ベタな感じだけど。完成。
じゃーん、カルメ焼きだ!」

 ココミ達に向けて、それを掲げてやった。

「おー。さすがココミの見込んだお兄ちゃん。
ぜったいに、うまく作れると信じてたよ。お兄ちゃんをかじるのは、別のきかいだね~」

 本当に見込んでくれていたのか……?
なかなかに、彼女より疑いの声を貰った気がするリンリなのだけど。調子の良い童女ちゃんだ。

 ――膨らんだものを、また軽く炙り。
崩れないよう、しっかり成形してから器に移す。

「ほら、お待ちどうさま。旨そうにできただろ?
リンリさん特製のカルメ焼き! よし『メイドイン・トウフヤ・カルメ焼き』と命名しよう」

 世界観を無視した、たいそうな命名。
しかし、リンリの作る普通のカルメ焼きとの違いは、重曹の代わりに卵白を使用しただけである。

「お兄ちゃん。その名前は、ないと思う……。
かっこわるいし、ごろが良くないよ。思わずココミの空腹がふき飛んじゃうほどに。やっぱりお兄ちゃん、頭おかしくされてるって……」

「また、心にダメージを負った……。
ネーミングセンスが無いのは元々だから……」

 合いの手のように、毒を吐かないで欲しい。
“小さなお客達”に良い格好をみせようと、頑張ってはしゃいでいるリンリが虚しくなってくるので。

「むー、ということで。それを食べる気のなくなっちゃったココミは帰ろうかな……。それココミはいらないから、みんなで仲良く食べてねー?」

「……え、ココミちゃん、食べないのか?」

 リンリは「せっかく作ったのに」と。
ココミを引き留めようとするも、

「それじゃ、リンリお兄ちゃん。またねっ!」

 もう興味は移ってしまったとばかり。
彼女は小さなお客達の方を一瞥だけして、この部屋から去って行ってしまった……。

 ココミは気分屋で、猫みたいな童女だ。
飄々としていて捉え所が無く。齢相応なようで、大人びていると感じてしまう時もある。普段の振る舞いも子供そのものの筈なのに、何処か他人から引いた冷淡なところがある。かと思えば、時折、他人を試すような挑発的な言動で絡んできたりと。一月経っても彼女については色々と解らずじまい……。
 確かな事は、ココミはただの童女ではないという事だけ。彼女に絡まれ毒を吐かれるのは、リンリにとって漫才の掛け合いのようで実は楽しんでいる面もあるし。彼女の事は嫌いではないが、かといって容易に付き合える存在だとも思えない……。

 そんな不思議な毒吐き童女、ココミちゃん。
そのココミが去った事で、遠巻きにリンリを見ていた数人の“小さなお客達”が集まってきた。

【一人目の子】

「兄ちゃん、すっげっ! すっげえなぁ!」

 ――よわい十程度の、坊主頭をした元気な男の子だ。

【二人目の子】

「すごいねっ。膨らんだよ! すごーい!」

 ――男の子と同年代。女の子っぽい、男の子?
そのまま女の子……? どっちだろうか。肩口まで伸びた髪を頭の後ろで結っている、優しそうな子。

【三人目の子】

「うわぁ、もこもこ、です」

 ――ココミと同じくらいの齢七か八程度の、
何かぽけーとした感じの長髪の女の子である。

 以上、三人。本日に出逢った彼ら。
集落の“子供達”三人から声が上がった。

「えーと、一人一人をどう呼ぼうか……」

 子供達の名前は、まだ決まっておらず。
 子供達はこの辺りの風習から、大人の仲間入りとされる一定の年齢を越えるか、一人前と周囲から認められるか、将来何者に成るのか定まるまで。或いは、命を落としてしまったり、土地を離れる選択をするまで、彼らに一個人としての明確な“名付け”はされていないらしい……。
 よって、そのまま三人を【男の子】【中性的な子】【女の子】と呼称するしかない。

 ――リンリは、彼らにお菓子を作っていた。

 あぁそれと。部屋にはもう一人。

「お主よ、儂の部屋は台所ではないのじゃが……。
うぬぅ。いつまで騒がしく、厚かましく大人数で使用している気なのかのぅ……?」

 部屋の隅で、迷惑そうにしているシルシ。
リンリだけなら何も言わないが。人見知りする彼女はどうも“子供達”も例外でなく苦手なご様子で。被衣こそ被ってはいないが、床に項垂れ、不機嫌そうに尻尾で床板をビシバシ叩いている。

「ごめん、悪いシルシ。
でも、もうちょっと我慢して欲しい。せめて人数分焼き上げるまでは待ってくれ……。統巫屋の調理場が使用できない分、理科室的な設備と器具が揃ってるこの部屋がちょうど良くてさ」

 シルシに甘えて、彼女の部屋でお菓子作りだ。

 ――統巫屋にある台所。調理場は、主に系統導巫のハクシに捧げる神饌しょくじを作る場所。よって、すごく厳重な管理が為されている。当然にリンリには使用の許可が下りなかった。
 万が一にでも、部屋と料理への毒物等の混入や汚染があってはならない。統巫屋でも、調理場は最も信用された調理人のみが使用を許されている、ある種の聖域のようなものだそうだ。
 という事で、シルシの部屋にお邪魔している。

「そうだなぁ、じゃあ――」

 子供達にはもう少し待ってもらうとする。

 リンリは完成したカルメ焼きを二つに割り、

「――シルシ。部屋を貸してくれてありがとな。
だから味見も兼ねて、先ずどうぞ。カルメ焼き、統巫屋バージョンをご賞味あれ。ほら、あーん!」

 項垂れているシルシの口に、そっと押し込む。
彼女は顔を赤くしつつも、拒否しなかった。

「どうだろう?」

 項垂れたまま“もきゅもきゅ”と食べてくれる。

「……食える程度には、旨いのぅ」

 そして、のみ込んで。ぼそっと一言。

「食べられる程度かぁ。俺の修行不足だな。
美味しくなかったら、無理して食べなくてもいいんだぞ。子供達の分を作ったら撤収するから!」

 リンリはあえて意地悪な言葉で挑発。

「うぬぅぅ」

 シルシは床に突っ伏して震えた。

「うっ『旨くない』なんて、言っておらんわ。
お主は、ちゃんと儂の分も作って行くに決まっておるじゃろう? それがこの部屋を貸してやった対価じゃ。忘れて帰ったら、儂は許さんぞ!」

 シルシの尻尾が“しゅるり”と伸びて。
リンリの持つ、カルメ焼きの残りを指す。
彼女は、どうにも素直になれないお年頃か。

「ははっ、やっぱツンデレかい」

 思わず笑ってしまうリンリ。

 シルシも甘味を好んでいるとは聴いていた。
眼鏡をずらし、ジトっとした目を向けてきて『自分の分も用意しろ』とは、実に微笑ましい。リンリにもしも齢の離れた妹が居た……としたら、彼女としているようなやり取りが叶ったのだろうか?
 いや、仮定もしもの妹を引き合いに出してしまうのは失礼な事か。リンリにとってシルシは今や、あぁ決して彼女だけではなく。統巫屋の皆は今やリンリの大切な家族も同じだ……。

 ――リンリとシルシのやり取りを見て。
使従の位を持つ者に対しては勿論、リンリに対してさえ少々遠慮がちだった子供達がつられて自然と笑っているではないか。
 まだ子供のうちは“そういう方面”の余裕や視点も必要だろう。なんとなく伝えたかった感情にリンリは自分で得心がいった。

 子供達は将来、統巫屋に奉仕するだろう存在であると説明を受けた。今回は教育を受ける為に統巫屋に連れてこられたとも伺った。ならばこの場に居る以上は必要な礼節や心得が有るのだろう。きっと厳しく躾られ、学んでいるのだろう。遠慮は、子供達なりに己の身分を弁えた振る舞いなのだろう。自分リンリとは違って。
 よって、ここで子供達に「遠慮するな」とは立場的にとても言えないものの。統巫屋が実際どのようなところであるかは、せっかくのこの機会に体験して行ってもらいたい。子供のうちの感性で、純粋な視点で、統巫屋が彼らに将来なにを求めているのかを見定めて欲しくもある。

 とりあえず難しい事は置いておいて……。
これは将来、統巫屋に勤める事が子供達にとって一つの目標になってくれるように。リンリが暇な時間で行ってみた行動、子供達にお菓子を振る舞う“催し物”であった。そんな一日の記憶だ。



 ◇◇◇



 ……日が傾き、夕方。

「それじゃ、またね、です!」

「お兄さんっ、ありがとうねっ!
今日はごちそうさまでした! さようなら!」

「おぅ、気をつけて帰るんだぞー!」

 お見送り。お別れの刻だ。
“白く四角い”特徴的な統巫屋の外壁の前で、リンリは帰郷する子供達に手を振ってやる。三人皆、手のかからない良い子だった。
 リンリは久しぶりにココミ以外の小さな子供の相手をしたのだが、やはり子供と付き合うのは疲れるものだ。疲れたが、けれど嫌いではない……。
 疲れた分だけ彼らから元気を貰えるし。彼らの将来の手本に成りたいと、大人は襟を正せるというものだ。それはとても得難い貴重な体験であり、子供にとっても大人にとっても人生を有意義なものにしてくれる一要素ではないだろうか。これは自分リンリの父親からの受け売りではあるものの、大切な価値観だと頷きたい。

 ――リンリは子供達から、
「また甘味を振る舞って欲しい」と頼まれた。
 ならばご期待に応え、今度までに統巫屋ここで作れる菓子の種類を増やしておこうと思う。失敗しないように、より質を上げる為に、調理の練習もしなくてはならないか。
 そう思うと、つい微笑んでしまう。次に彼らに会える機会が楽しみでならない……。

「……ん、どうしたんだ?」

 と、そこで。
男の子だけが一人、何か言いたげに残った。

「おい、兄ちゃん。オイラっ聞きたいんだ!
兄ちゃんは、何処から来たんだ?」

 彼から、そうたずねられてしまう。

「へぇ……そんな事に興味があるのか?」

「興味無かったら聞かねぇよ!」

「まぁ、そうか。そうだな」

 どういった経緯で統巫屋に辿り着いたか。
リンリの事情は、大人達は触れようとせず。ここでは簡単に『訳ありで統巫屋で過ごす事になった新人』とだけ皆に紹介されていた筈。子供達へも同様に。
 無理に事情を聞き出したりしないと、大人達には暗黙の了解があったとしても。子供にとっては無関係なもので、興味を抱いたのなら純粋に相手に訊ねてしまうものだろう。
 リンリは彼の興味に対して、“異世界的”なややこしくなる事情を伏せて答えるとした。

「――遠い田舎町から来たんだ。
統巫屋ここから、とっても遠い遠い場所だな。もう帰れないくらい、遠い場所だ。俺はずっと平凡に、あの故郷の町で過ごしてたんだけど……」

「なら、ならよ。どうして兄ちゃんは故郷の地から離れたんだよ? 平凡だったんならよ、そこから離れる理由は無えだろ?」

「俺は意図して離れたんじゃないなぁ。
事の成り行きというか、気が付いたら流されていたと言えばいいか……。そんで、ほぼ裸みたいな格好で流れ付いて、ハクシ様に出逢って。俺には故郷に帰る手立てが無くて。そんなこんなで温情に甘えて、住み込みで働かせてもらってる次第だな……」

 皮肉げに、渇いた笑いを浮かべるリンリ。
少年の期待に添えない、何ともつまらない経緯だろうに――。

 でも予想に反して、

「――かっけぇな!」

「かっこいい? 俺が?」

「だろ。兄ちゃんは事情があって、故郷を離れざるをえなくなって。故郷に帰る為のしるべも捨て去って。肌着一枚、風来坊。当ての無い放浪の末に、このシンタニタイにたどり着いたってことだろっ!」

 男の子はそんな声をあげて。純粋な、きらきらと澄んだ瞳を向けてくるのだ。
 それは何とも、リンリに向けられるには不相応も甚だしい視線。リンリは立派な人間などではないのに。これまでの人生という名前の『道のり』で、誰かに誇れる要素は未だに皆無だというのに。
 恥ずかしいから止めて欲しい。穴が有ったら逃げ込みたい。むしろ視線に耐えきれなくなって、身体に穴でも開いてしまうというもの。

「風来坊って」

 何故だろう。男の子の中で、妙にリンリの設定がかっこよくなっている……。というか、経緯に原形が無く改変がなされてる。ここまで旅をしてきた覚えは無いのだし。行く当ての無い風来坊とか、リンリとは関係ない別人の物語が始まりそうだ。

「オイラは、兄ちゃんに憧れていいか?」

 それは、言い過ぎだろう。

「俺はどこも、格好よくなんて無いさ……。
家族を亡くしただけで、精神も肉体もボロボロにして壊れかけたんだから。俺なりにどうにか、現実を乗り越えようとしたんだけど……ダメだったよ。流れてきたってのは、そのままの意味でさ……」

 彼の勘違いを正す為に、もっと過去を暴露してやるリンリ。彼を落胆させてしまうと思うも、中身の無い憧れのような虚しいものを抱いて欲しくはなかったから。これは自分自身を貶めているのではなくて、自分の分を弁えた発言であって。……リンリは本当に“ありのまま”で斯様な人間だから。
 きっとこれで男の子は、リンリの事を分相応な人間として見てくれると予想して。

 ――けど、そうはいかなかった。

「――兄ちゃんは、かっけぇんだよ!
兄ちゃんが、自分で思ってるよりもなっ!」

 男の子は両の手を広げて、その身体全身を精一杯に使うことで、自身の主張を誇負するのだ。

「オイラの言葉は、世辞じゃねぇからなっ!」

「うぐ、そうか……」

 男の子に、言い切られてしまう。

「そうか……ありがとな。でも統巫屋にはもっと格好いい憧れたくなる人達がいっぱい居るだろ。サシギさんや、ケンタイさんや、ソラさんや。あんな立派な人達を差し置いて、モブキャラ同然の俺に憧れるんじゃありませんっ!」

「――兄ちゃんは良い奴だ。
兄ちゃんは今日、オイラ達の為に甘味を拵えてくれただろ。その後で一緒に遊んでくれただろ。シンタニタイでは聞いた事のない、彼土の話を語ってくれただろ。そうやって最後までオイラ達に付き合って、楽しそうにしててくれただろ!」

 そんなこと、誰だってできる。
誰だってできる『子守り』に違いない。
男の子は、リンリに何を伝えたいというのか?

「……あぁ。俺は今日、楽しかったよ。
本当に。心から、楽しかったよ」

 でも、彼らとの触れ合いは「楽しかった」と。そこはちゃんと言葉にしておく。

「――自分の経緯なんておくびにも出さないで。
自分を誇張しないで、自然体でガキに付き合って笑える優しいところとか。一緒に遊んでると面白いところとか。甘味作るのに一回失敗して、たかが甘味作りなのに、無駄に真剣な顔で頑張って作り直して、ちゃんと完成させて。……そんなふうに馬鹿正直な誠実さとかよ。そんだけで良いんだよ。誰かをかっけーって思うことに深い理由なんていらねぇだろ。そんだけで兄ちゃんは、かっけぇってことでいいだろっ!」

 男の子の言には、力があった。
心からそうであると、確固とした信が。

「だから……俺は、キミ達から見て格好いいと」

 男の子からのリンリの評は、中身の無い憧れではなかったのだ。彼には失礼な事をした。
 リンリが父親に憧れていたように、人が人を憧れることに理由はいらない。その相手がどのような人間だとしても。憧れを抱いて、それを自分の原動力にできるのは素晴らしいことだ。リンリは、純粋に父親を憧れていた時代を想起する。
 だったら自分は、相手に憧れられるべき人間になりたい。憧れてくれる人を裏切らないように。

「兄ちゃん、もっと自信を持てよ!」

 まさか、年下の男の子に発奮されるとは。
これは、貰った言葉に応えたくなる。

「ははっ、ありがとう……!」

 リンリの目頭が熱くなった。
それを誤魔化して「生意気な奴め」と、男の子の坊主頭を強めに“わしゃわしゃ”と撫でてやる。
 夕焼けが辺りを染めていなかったら、赤くなった顔を男の子に指摘されていたかも知れない。

「オイラ、一人っ子だからよ。兄貴ってのがよくわかんねぇんだ。だから。これから、歳の近い妹分のあいつらに恥ずかしくねぇように。兄ちゃんはオイラの兄貴の見本になってくんねぇか……?」

「……そんな大役。俺で、良いのか」

「だから、兄ちゃんだからいいんだよっ!
兄ちゃんもっと、自信を持てって!」

 …………。

「わかった。この俺で良ければ、なってやる!」

「――約束だぞ。またな、兄ちゃん!」

 男の子は、それだけ言い置いて。
リンリに深いお辞儀をしてから、外壁の門の先へと歩み出す。三人の子供達は合流し、此方が見えなくなる前に振り返ると、もう一度のお辞儀をして統巫屋より去って行った。本当に良い子達だった。

「一気に寂しくなったなぁ……」

 リンリも門を背にして、帰宅としようか。

「さーて、俺も帰るか……」

 今日も、統巫屋ここで得たものが有った。

 自分を見詰め直せば、世界はまだまだ素晴らしいもので満ち満ちていて。
 自分を一度省みれば、どれだけ狭い世界で殻に籠っていたのかを知った。

「…………」

 そこで、背後から気配がしたと思えば、

「……あー。やっと帰ったんだね~。
むー。つかれた、つかれた。まったく半日も小さい子の相手をしてあげるなんてさ。リンリお兄ちゃんも物好きさんだよね?」

 何処かよりココミが現れ、声を発してきた。

「――うぉっ! ココミちゃん、どこから?!」

 位置関係から、彼女は外壁の門の高いところより落ちてきたもよう。ずっと見ていたのだろうか?

「あはは、おもしろいね。ちゅうこくしたのに。
安うけ合いは、身と心をけずるよ~?」

 安請け合い。それはもしや、男の子の“兄の手本”になってやるという約束のことか。

「リンリお兄ちゃん、ココミからのちゅうこく。
ちゃんと、おぼえてる? それとも、もうとっくに忘れちゃったのかな……?」

 リンリは振り返って、ココミの顔を見る。
そもそも彼女に忠告なぞ、受けた覚えは無いが。

「――何か得たか? 何も得ず?
『前に進む』と宣うならば、得ることなかれ。
得るというのは、留めること。留まること」

 ……いつか、耳打ちされた言葉。

「――然れども、進みながらも得たのなら。
絆、意、思、愛、友。煩わしき物得たのなら。
対価は重し、選るは束縛。選るは破綻。
心得よ。心刺せ。心構えろ、稀人よ。
背負える荷には、程度あり。重荷は重責。
重責は苦。苦痛、苦難、苦労は積み重ねられ。
一度、背負えば、けして降ろせぬ呪いなり」

「――いや、やっぱ意味が解らない」

 リンリが得たものは、煩わしくなんてない。
束縛や重責ではない。呪いなどではない。
 ここで得たのは、全て大切なものだ。

「リンリお兄ちゃん、だから……むぅッ!」

 リンリはココミの口に、懐から出したカルメ焼きを詰め込んでみた。途中で居なくなった彼女の為に余分に焼きあげて、取っておいたものだ。

「意味が解らない……。
けど、その詩だか唄だかを俺なりに解釈するなら、『あんまり色々なものを背負うな』って事を言いたいんじゃないか? でも……それは嫌だな。人は、生きてる限り何かを背負うもので。背負ったものを支える為に、また背負ってしまうもので。一人ならそれで潰れて、破綻してしまうだけだろうけど。人は人と“支え合えるもの”だって、知ったからさ」

 口に物を詰め込まれたココミは不機嫌そう。
しかし、吐き出さずに咀嚼してくれている。

「背負った分だけ、その人は生きたんだ……。
背負うのを諦めたら、後悔が残る。後悔するくらいなら全部背負ってやる。俺は、だから。躊躇わないで背負って行くよ。それでも耐えられない困難に当たって、積み荷のバランスを崩しそうになったら。どうしようもなくなる前に、誰かに『助けてくれ』って叫んで、支えてもらうから。それを学べたから、何も怖くないさ。俺はもう何も怖くない」

 ココミは口の中の物を飲み込んで、

「――それが、お兄ちゃんの答えなんだ。
お兄ちゃん、すこしは“おもしろい”ほうの人だって思ったけど。だったらね、ココミもうすこしだけ考えをあらためようかな~?」

 着物の袖を振りつつ、平淡な声。
 
「――おもしろくて、ばかげてるよ」

 感情の乗らない声で、そう続けた。

「俺は……」

 空虚な顔の彼女と、視線が交差する。

「……そんな人間だから、さ」

「リンリお兄ちゃん。すこやかなる日々は、いつまでもは続かないよ。そんなままの人間は、ぜったいに破綻する。たえきれなくなって、すりきれて、つぶれておわる。だから、かわる気はないの……?」

 リンリは、意図もよく解らぬ理解不能なココミの言葉に、すぐに「無い」とだけ返事をし首を横に振って見せた。
 自分の在り方に嘘をついて、彼女が望んでいそうな“返事”を口に出すべきではないと思って。それにリンリは、簡単に変われるほど器用な人間ではない。

「人は簡単に変われない。変わる努力もしてみたけど、そもそもの話、まず自分自身が何者なのかを見付けられていない若輩者だ。だから、俺は俺のままで……せめて前を向いてるところ。前を向いて踏み出したところ――」

 ココミに伝えるのは、それに加え一言。

「――カルメ焼きを完成させたんだ。
約束の“お願い”聞いてもらうぞ。俺は強くは無いからさ、強く変わることもできないからさ。俺がもしピンチに陥ったら、躓いて転びそうになった、その時が来たとしたら。ココミちゃん、キミも俺を助けてくれ。今はそうやってお願いしておくよ……」

「――――」

 微妙に会話が噛み合っていない。そんな気もしたが、ココミからはそれ以上一言も無かった。

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