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◇追憶の二幕【遁世日和】

追憶……(十八) 【夜分】

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 ◇◇◇




 草木も眠る時間帯に差し掛かる頃――。
そんな夜分やぶん、リンリはあわく光る提灯ちょうちんを持って月明かりさえ届かない深い大自然の中を進んでいた。

「(――ほら、こっち)」

 前方右側の林あたりで鈴の音のような声。
林の先から、彼女の持っていた提灯のものであろう微かな光が漏れ出していて。

「そっち……?」

 呼び声と、その灯りを頼りに暗闇を進む。

 彼女とはつい今まで、歩調を合わせて一緒に進んでいたつもりだったというのに。
 置いていかれたわけではない。ただ足元の落ち葉の山より現れた、“トゲトゲの付いた鞠玉まりだま”の如き物体のせいだ。そんな見慣れないの動物? のコロコロと転がって行く数玉の列に興味を向けている一瞬の間で、彼女と距離が離れてしまっただけ。

 口より溜め息が漏れた。
 先ほどから若干に灯りの弱くなってきた提灯を指の先で小突き、自分の鈍臭さに肩を落とす。

「ハクシ、なんだか進むのが早くないか?
悪いけど、ちょっと待ってくれないかな。リンリさんはもう二十代前半。もういい歳だから……足腰が弱くなってきて敵わないからのぅ」

 冗談混じりの言葉を添え、軽く訴える。
足腰が弱いのは、ただの運動不足だ。

「おーい、今そっち向かってるから!」

 耳を澄ませてみたが、返事は無い。
木の根につんのめって転びかけた。

 でも彼女から返事は無いが、立ち止まって待ってはくれているんだろうという安堵。
 彼女が落ち葉を踏みしめて移動する音は聞こえてこないから。だから、すぐそこで待ってくれているのだろうと判断して進む。

「…………あれ?」

 そのまま歩を進めて、先ほど声のした林を提灯とともに覗き込むリンリ。けれど、照らされたその空間には誰もおらず。いつの間にか自分を待つように揺れていた彼女の提灯の灯りも消えていた。

「あれっ、ハクシ? 消えた!?
いやまさか。ハクシ様ー? どこに?」

 途端に焦ってしまうも無理はない。

 そんなはずが、無い。有り得ない。
忽然と存在が消えてしまったようではないか。

「(ほら、こっち、こっちよ)」

 また少しだけ遠くで声。
 先の茂みから再度の声が発せられた。
 その声と共に、草木の隙間より風に吹かれたようユラユラと輝く提灯の灯りが見え隠れする。

 彼女は足音を立てずに、そっと移動しながら呼び掛けてきているという事だろうか?
 自分からは正確な位置が掴めないが、彼女からはリンリの位置が把握できているのか?

 ならば、これは彼女の悪戯のようなもの?

「『こっち』ってのは……どっちだ?」

 はて。彼女は、『こんな風』に人が困りそうな悪戯をするような性格の娘だったろうか? まぁ出逢って間もないので、そういう悪戯好きな一面もあるかも知れないけれど。でも、違和感だ。

 リンリは、手に持った提灯を“右へ左へ”と振って辺りの様子を照らし出す。
 今はその灯りだけが頼りであり。深い木々の枝葉に隠されて、月と星の明かりはこの場まで届いていない。暗闇に沈んだ世界の中で寂しく一人で、周囲の把握は叶わない。遭難しそう。

 これは良くない気がしてくる。

 正確な方向が解らなくなってきた。

「ハクシ、このままだとはぐれかねない。
森の中で迷子はごめんだ。いったん俺の居る方まで引き返してもらって構わないかな?」

 仕方なく、提灯を掲げてハクシを呼ぶ。
 仮に彼女の悪戯だとしても。本当に困惑している様子の声を上げれば、すぐ悪戯を止めてその辺りから出てきてくれるだろうと予想して。

 するとそこで、

「(こっち、だって……)」

 返される声。

 リンリは声の方を見上げる。

 そう。リンリが“見上げる”高さだ。

 木々の枝葉の隙間から“ゆらゆら、ゆらり”と。
ぼんやりとした提灯のものに近い灯りが見えた。しかしそれも、視認してから数秒のうちに空中に溶けるように消えてしまったのだけど……。

 声の主を探せども、頭上に人影は無い。
 木々の枝葉は細く頼りなく、人は乗れない。
とうてい隠れられる筈もないというのに。それはまるで、今し方消えてしまった“灯りだけ”が空中に漂っていたようである。

「……いや――」

 言葉を失うリンリ。

 明らかにおかしな場所から聞こえてきた三度みたび目の声といい。とっくに違和感を抱いてはいたが、彼女の持つ“提灯の灯り”というにはもはや無理がある謎の光。空中に浮かび、人魂のように不規則に揺れていた朧気で温かさの感じない、白く無機質で不気味な妖光……鬼火……隣火。

「いやいや、おかしいだろ!」

 反射的に振り向く。が、勿論、何も居ない。
 リンリが振り向いた直ぐ背後には、太い木の幹が立っていた。近くに茂みこそ有っても、音も立てず人が瞬時に隠れられるような空間ではない。

 周囲の様子を目を凝らして見ていると、木の枝からムササビに似た小動物が跳んで行く。

「……――ッ」

 ――声にならない悲鳴とはこんなものか。不意の驚きによって、あんぐりと開いた口から喉の振動のみが漏れてしまった。あぁ時間が時間なので、普段は幽霊のような存在を“信じてはいない”から大丈夫だと言い張っているリンリも動揺を隠せない。

「うほっ!?」

 動揺から足をもつれさせて転ぶ。
 落ち葉で滑って、木の幹に開いていたお盆大のうろに頭を向ける形で横になってしまった。

「……ッ痛い。うぐ。シルシにやられた脛のダメージがこんなところでやってくるなんて……。別に何も無いところで転んだわけじゃなくて、脛にダメージがあったから転んでしまっただけで」

 転んだことの言い訳を呟き。
リンリは恐怖を紛らわそうとしたのに。

「(……やっ……………たね……)」

 恐怖。耳元で何かが囁いた気がした。

「おっ、お前は……誰だ?」

 落とした提灯が、辺りの闇を照らす。

 闇が照らされ、人影が見えてしまった。

「…………あ」

 ずるずる。ずずず。効果音はそんなものか。

 幹の虚より、人の指先の如き影が出てきた。

「あががが…………」

 頭の中が真っ白になる。

 リンリは足を振り子に、反動で立ち上がり。
両手を地面につけて屈むと、

「問題ない。俺は高校時代に五十メートルを、
なんと“八秒”で走っていた男だっ!!」

 あまり自慢にならない発破を飛ばし。
提灯を拾い上げ、サッと駆け出した。
 
「ハクシー!! ヘルプミー!
お助け下さいませぃこれヤバいってっ!!」

 口から悲鳴。足の筋肉からも悲鳴。
それでも構わない。本気の全力疾走。今だけは風を越えてどこまでも走って行けそうだ。

 …………。

 すると、すぐ近くの茂みが揺れて、

「――りんりぃ? どうしたの?
森の中でその様に騒ぐと危ないよ?」

 暗がりから“ひょこっと”ハクシが現れる。
 勢い余って、ずっこけるリンリ。

「夜の森で駆け回るとは。獣合イディオヌの民なの?
其方の正体は、夜行性の獣か何かなの?」

「……は、は、はく、はくし。ほ、本物で?」

 起き上がり、確認。
彼女はぴくぴくと獣耳を動かし、首を傾げる。

「りんりぃ?」

「ほ、本物……。本物のハクシ様でしょうか?」

「是だ。其方は、この世に“偽物の我”が居るとでも申すのか? ……変なこと言うね、りんり」

 そんなこと言って。安心させて、落とす。
 ハクシだと思ったら、誤りで『正体は身の毛もよだつ怪物でした』とか。その後『ぱっくり”美味しくいただかれてしまいました』とか。お約束の状況を想像せずにはいられないリンリ。

「……失礼だけど。そのケモ耳に触れても?」

 何故『ケモ耳』に。リンリは自分でも、なんでそんな事を言ったのか理解に困る。統巫屋ここの主に対して、とんでもなく不敬で、頭のおかしい要求をしてしまったものだ。

「けもみみ……。えぇ耳か? 別に減るものではない故に良いけど。もし耳を強く『びよーん』とされると其方の身の安全を保証できぬが……?」

「いや、良いのか?!」

 ハクシから、お許しが出てしまった。
 こうなったら。要求した手前で、許された主の好意を受け取らないというのも不敬にあたるというもの。リンリには、触らないという選択は無い。

「――じゃ、じゃあ、失礼して」

「あぅ……」

 精神の安定のために、おさわり。
 もうちゃんとした歳の男が、夜中に未成熟の少女の敏感なところを「はぁはぁ」と荒い呼吸で撫でまわす。彼女との同意の上としても如何なものか。

 そして素晴らしい毛並み。根元までの手触りは髪の毛のサラサラしたものなのに。外耳というか耳介の部分に手を持っていくと、その質感は“ふさふさ”としたものに変わる。耳毛は綿毛のように柔らかで“もふもふ”とした感触。敏感な部分故に強くは触れないが、いつまでも撫でていたい。
 それだけでも大した破壊力だというのに。それが心根の優しい可憐な少女の頭に付いているというのだから相乗効果は計り知れない。
 リンリは、ここに究極の癒しを見出だした。

 ふにふに、ふさふさ、もふもふ。

 ふにふに、ふさふさ、もふもふ。

「……ぁっ、ぅっ、んっー!」

 ハクシは目を細めて、尻尾を膨らませる。
 その小さな口からは、やけに官能的に聞こえてしまう鳴き声を漏らしているではないか。
 お顔には赤みが差し、恥じらいを浮かべる。

「あぅぅ……こそばゆい! そこまでだ!」

「うぐっ! 腹にぃいぃ一撃がぁ……」

 少々やり過ぎたのか。ハクシの可愛い手で払われてしまう。リンリの鳩尾みぞおちに可愛い手刀がうまく当たり、思わぬ衝撃に冷静になった。

「ははっ本物か……。本物だな……!」

 彼女の体毛、白銀の髪と尻尾が。肩に掛かる羽衣状の物が。白を基調とした金の刺繍がなされた可憐な装束が。そのどれもが提灯の明かりによって反射して美しく輝いていた。きっと本物だ。

「其方、蒼い顔だったが。……大丈夫?
身を削って駆け回るとは、どんな苦行?」

「修行じゃないから」

「なら、もう精神が磨耗して……」

「どちらかといえば、大丈夫だ。精神疲労率と損傷率は共に七割程度で済んでる……」

 半壊状態で済んでいる。

 まぁ冗談を言える程度には大丈夫だ。

「それは、大丈夫なの?」

 ……彼女のその声は、可愛らしく澄んだ安心する声色だ。改めて聞くと、さっきまでの声とは似て非なる物である。そもそもの話、リンリ自身どうして聞こえていた声が彼女の物だと“思い込んでいた”のかを理解不能で。気味が悪い。

「……心臓に悪い……体験をした」

「――りんり。我と其方は普通の歩調で、森林の開いた一本道を進んでいた筈。だが何故に其方は一人で茂みの先のこんな場所に迷い込むのだ? これはもしや……方向のぼんやり屋さん?」

 ハクシは言う。『方向のぼんやり屋』とは可愛い例え。ともかく。リンリは人生の道順には常に迷っている身だが、それ程に深刻な方向音痴野郎ではなかったはず。一本道から外れたなど認知すらしていないのだから……。

「迷い込んだ、のか?」

「急にりんりの姿が消えたから焦った。
我は……あのね。虚ろな表情だったし。てっきり急に用でも足したくなって、それで茂みに入ったのかと思って……。すぐに戻ってくるだろうと、その場で少しだけ待機をしてたんだけど」

「え、なんだって?」

「いきなり、ただ事じゃない様子で我の名を叫んだからびっくりした。まったくもう」

「……それは、そんなバカな」

 つまるところ、ハクシを置いて自分でフラフラと勝手に迷い込んだというのか。そんな事実に嫌な汗を流すリンリ。それはけして幽霊などへの恐怖心ではなくもっと現実的な恐怖で。

 聴いていた病の症状に、似たものが有った。

「――じゃあ俺は、ハクシじゃなくて一体、何を追ってたんだ? 後……あの声は?」

 ――幻聴や幻覚か。

「りんり、そんな声してなかった……けど」

 ハクシは頭を傾ける。

「俺達以外の灯りも見なかったか?」

「うん」

「……そうか」

 ならば、

「これは……あの、沙汰の場で伺ったやつ。
イムモノミテキってやつの症状だったりして」

 リンリは思い当たる可能性を口にする。

「『いむ』でない。穢不慣イヌモノミテキだ」

 それにハクシはハッとした表情をするが、首を横に振って否定する。続けて、獣の耳を伏せてリンリを安心させるよう告げる。

「否だ。存在しない……声、灯り。穢不慣イヌモノミシリには幻聴や幻覚も症状としてあるが。まだ、早すぎる。それに現在の其方は明確な受け答えができ、意識は確りとしている故に……穢不慣イヌモノミシリではない筈……安心して?」

「そっか」と。軽い返事を返して、胸を撫で下ろすリンリ。じゃあ自分は、いったい何を追っていたという話になるのだが……。

「考え得るに――」

 彼女は急に、
耳と尻尾をわざとらしく立てた。

「――某之怪シトマクゥかな?」

「しとま? なんだ? 妖怪的な……?」

某之怪シトマクゥとは、人智の及ばぬ怪の通称だ。
この辺りの土地シンタニタイに伝わる語りにだが。イシネレップという名の『篝火かがりびを持ち、見知った者を思わせる声で人を誘う不思議な存在が居る』という伝承が有った筈。……危なかったね。りんりは誘われて、食べられたり彼らの仲間にされちゃうところだったかも?」

「ひゃ!」

 やはり、説明のつかない怪異等の表象か。

 ハクシは瞳を輝かせてそんな事を言う。
それから彼女は、リンリに何かを期待するような視線を向けてくる。怖がって欲しいのだろうか?

「どの様な声をしていた? 我の真似をしていたのか? 声の他に、灯りはどんな? せっかくなら我も是非、呼ばれてみたい! 詳しく申せ!」

「――怖いので、やめて下さい。ハクシ様っ!」

 期待に応えて、態とらしい叫びとともにその場から後退るリンリ。やや大げさに。
 リンリは幽霊のようなものは信じていないので本当に怖がったりしているわけではない。汗びっしょりで、両の足が震えているが、これはきっと未知の怪異への武者震い的なヤツだ。

「なーんてね。えへへ……ケンタイの真似。
案ずる事は無い、ほぼ我の冗談だ。統巫屋の領域で怪異なぞ出てたら、我の威厳が無いではないか」

 リンリの反応がお気に召したのか、ハクシは尻尾を振って可愛らしく跳ねた。思ったよりも冗談くらいは言う娘らしい。

「――ハクシ、悪い。あまり俺を怖がらせないでくれないか……。綿毛レベルのハートな俺は、容易に失神する自信有るからさ」

「えっ! しんぞうが綿毛みたいっ?! それでどうやって全身に血流を運ぶというのだ! りんり、其方はどんな生物なのっ?」

「ごめん、あの、綿毛レベルは比喩だから。俺はビックリ生物じゃないから。そっちの方が大きなリアクションで驚かれても反応に困るぞ……。それと念の為に確認だけどさ。本当にあの声と灯り、ハクシの悪戯か何かじゃないよな?」

「否、我はそんな事しない!」

「それはそうか」

 ならば、何に呼ばれたというのか?
真相は深い闇の中である。

 身震いするリンリの姿を後目に、ハクシは耳を二度揺らす。彼女はそれから、夜闇の先、何処か遠いところを観るように目を細めた。

「きっと、この辺りは命の霊峰、系統樹ウゾティケクパの影のふもと。彼の大樹の御許おんもとだから。生きるもの、逝ったもの。精神と無意識の境、うつつ夢想ゆめきざはし、それらの境界が曖昧となる場合も有る……かも知れない」

「その、かも知れないってのは」

「そういう話も有るという事だ。
統巫屋で存在しない筈の北の回廊が夜霧に紛れ現れたり。厠の中から筋肉質な腕が伸びてきたり。使従に成れなくて命を断った筈の人物がぼんやりと回廊に立っていたとか……。そのくらいの説明のしようが無い話は色々とあるよ?」

「聞こえない、聞こえない!」

「リンリと出逢った滝では、夜には“くねくね・うにょうにょ”する何かが出ると噂だし。トゲトゲの付いた鞠みたいな未確認生物が転がって行くのを見たとの噂もある。夜の畑で案山子がすごい勢いで上下運動をするのを目撃したとかも……」

「あー聞こえない、聞こえない!」

「……あとねぇ、それから――」

 統巫屋で怪異、あるのでは? いっぱい。
 ハクシの威厳とか関係なく、怪異でるのか?

「ハクシ様。もうやめてくれ。これからしばらくトイレに一人で行けなくなるだろ。……あ、でも違うから。別に俺はホラー、幽霊的なものが別段苦手というわけじゃないけどなっ!」

 リンリの情けない様子に、ハクシはくすりと笑みを浮べる。二人の夜の散歩、始まって早々に妙な体験をしてしまったものだ。



 ◇◇◇



 ――統巫屋の皆が、自分の為に催してくれた歓迎の宴。それはリンリにとって、この上なく充実した時間であったと言える。

 最初こそ、気恥ずかしさとそこに居る全員と昨日出会ったばかりという気負いを捨てきれず。どこかリンリは距離を取り、ハクシと使従達に遠慮がちに混ざっていたものの。
 遅れて宴にやって来た、集落からの男衆。宴には特に呼ばれて居ないが、催物好きで、タダ酒の匂いを嗅ぎ付けてやって来たという三十数人の男達が“饅頭の一件より復活した”ケンタイに率いられて現れた事が良い皮切りになった。
 リンリは男衆らに、ケンタイから「宴の主賓の、訳ありで統巫屋で過ごす事になった新人」だと簡単に紹介され。その流れで、賑やかな酒呑み達の無理矢理な和に問答無用で混ぜられてしまったのだから……。

 ――まったく。ケンタイもそうだが、賑やかで騒々しくむさ苦しい男達であった。彼らは巻き込まれる人の迷惑や境遇も気にしないで、リンリに対して歓迎や激昂の言葉を掛けると。それ以降はただ酒を呑んで無茶苦茶に騒いでいた。本当に彼らには感謝してもし切れない。

 遠慮をする間も与えられず、彼らにもみくちゃにされ。酔っ払い達の馬鹿馬鹿しい話の相手になってやり。無茶な振りで一発芸を求められたり。ケンタイに絡まれたりと。結果的に、まるで歳の離れた友人達と騒いでいるかのように楽しんでしまった。

 ――騒がしくなった部屋からさっさと退散しようとしたシルシがケンタイに挑発されて、男衆に煽り立てられ、酒を一口だけ飲んだ結果として面倒臭い泣き上戸になり暴走開始。

 ――そのシルシに絡まれながら、男衆も面白がって悪乗りし。度数の強いらしい酒をガボガボと飲まされたケンタイが酔い潰れ。

 ――ケンタイが潰れたと同時に、絡む対象が居なくなったシルシが暴れ出し。煽っていた男衆が彼女に相撲のようなものを挑まれ、一人ずつ尻尾で脛をやられて投げ飛ばされ始末される地獄。

 ――ケンタイとシルシや男衆のやり取りを笑いながら見ていたココミは、最後に動かなくなったシルシの尻尾を掴み、彼女をずるずると引きずりながら共に寝に行った。

 ――末に、宴の場にぐちゃぐちゃと無秩序に転がる食器と酔っ払い達。周囲が静かになったところでサシギは溜め息をつき、心労を払う為にか残っていた酒を飲もうとして……「サシギはダメ!」と何故かハクシに強く止められた彼女が、ちょっと沈んだ顔で片付けを始めた辺りで宴は自然とお開きになってしまった。
 
 酒をあまり呑まないリンリは、時間をかけて残っていた料理を堪能し。その後にサシギの片付けを手伝っていたのだが……。ある程度手伝ってから、「もう遅いから」という理由でサシギに追い出され、自室に帰されてしまう。

 ――宴も終わり、実に有意義な一日だった。
そう締めようとしたのだけれど。昼間に睡眠を取り過ぎたのと。そもそも、これまでの日頃の不摂生……日によって夜と昼を往き来する生活のせいか寝るに寝付けなかったのだ。

『りんり、ならば我の散歩に付き合う?』

 ――そして何となく。貰った地図に情報を書き込みつつ、夜の回廊をふらふらしていたところハクシに出会い。彼女のそんな申し出に頷いて、今に至ったのだったか…………。

「……そういえば、乾杯って。思い出した。あの宴で少しだけ酒を飲まされたな。俺はあれで酔ってるんだと“さっきの怪現象”の理由付けができる。やった。よし、そういう事にしよう!」

 横目でハクシを見る。
 何故だが、彼女は遠い目をしていた。

「ぁ……。うーんと。其方が夜闇に紛れた何かに誘われたのだとしても。ここは統巫屋の領域。系統導巫の我の手が届かない場所は無い。故にそれだけなら身の危険はほぼ無いだろう。……でも、りんりぃ気を付けて?」

 向けられた視線に気が付き。
誤魔化すよう、ハクシは口を尖らせる。

「……統巫屋の有るこの領域は、深く迷い込む程には広くないのだ。同じ方向に進めば速足で、ものの半刻もかからない程度で端から端に移動できる。それ故に、誤って“外に”出てしまう危惧がある」

「俺が……もしも外に出たら、件の病が。
身体に環境が合わなくて、すぐに例のイヌモノミテキが発症する。するとデットエンド。それは十分理解してるさ大丈夫だ」

「一応だが。領域と外の境界には、視認できるように目立つ縄を張ってある。だから……絶対にその先に出ちゃだめだからね? 死んじゃうから」

「あぁ。理由も無しには出たりしない」

「否だ……」

 ハクシは提灯を持つのと反対の腕で、リンリの着物の袖を強く握ってきた。

「其方は統巫屋ここに居ると約束した。
故に理由が有っても、否だ。居なくなるなら、その前に申せ。我とお別れをしてから去れ。お願い。絶対に……勝手には居なくならないでね……」

「……ハクシ、様?」

 彼女は不安げに瞳と身体を震わせていた。

「……わかった。ハクシ、大丈夫だ。俺は無責任に勝手に居なくならないし、絶対にそんな無謀な自殺行為なんてしないから。約束する――」

 出来もしない約束、というわけではない。
 それに、せっかく与えられた居場所と役割を無責任に捨てて出ていくわけが無いだろうに。
 仮に統巫屋ここでは反故とされ追い立てられるなら仕方の無い事だが、そうでなければ終身雇用してもらうつもりだ。外の環境が命に関わるというなら、うっかり安全圏から出てしまう事も有り得ないだろう。

 リンリはハクシの掴む自分の腕を上げ、彼女に向かって小指を立てる。

「ハクシ、指切り。って解るかな?
約束事を、お互いの指どうしを結んで、目に見える形で結び付ける。そんなおまじないだ!」

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