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◇追憶の二幕【遁世日和】

追憶……(十六) 【知支】

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 ◇◇◇



 挨拶周りに訪ねて、目的の人物シルシの裸を目撃。
 いやはや、何という陳腐な展開か。加えて異性の裸を目撃してしまうくだりは既に経験済みだろう。故意ではないのに、どうしてそう何度も同じ状況に陥るのだろうかとリンリは頭を抱えたくなる。

 ――内心の動揺を表すかのように、
リンリのてのひらより汚饅頭が床へと転がった。

 ころころころと。

「おっとと――」

 ――ハッとして。リンリは現実逃避がちの思考から我に返り、廊下の壁に視線をズラす。

「――ほんとに申し訳ないです。
でもこれ故意悪意があって覗いたんじゃないってことだけは最初に伝えておく。あーでも、だからといって覗いたことは事実だから。女性の部屋を覗き込むのはデリカシーとかに欠ける行動だった。重ねて申し訳ありません。猛省します!」

「…………」

 シルシから返事の代わりに、布が擦れる音。
 その音から。彼女は立ち上がり、近くに放ってあった自身の着物を手繰り寄せて、その慎ましめな身体の要所要所を覆い隠したようであった。

「どうかこの謝罪を受け入れて欲しい。
そいで俺は何も見てないし、シルシさんは何も見られてはない。俺の勝手な都合だが、そういう事にしてくれたら色々と助かるんだけども……」

 饅頭を拾いつつ、
視線をシルシに戻して言い放つ。

「…………」

 それでもやはり、彼女からの返事は無く。

「……それじゃずるいよな。見た事はみたさ。それは動かしようのない事実だ。俺の事が許せないなら言ってくれ。罪には相応の罰を受けるから。ケンタイさんから拳骨だって受けてやる! どうだろう?」

 本当に鉄拳制裁くらいなら構わない。
そう勇気を出した一言も、

「…………」

 あぁ残念なことに効果無し。

 シルシは無言。ずっと無言のまま。
 リンリは何を言われても構わないので、まず会話をして欲しいところ。「ごめんなさい」の一言に、どんな言葉だろうが返事をもらえないと困惑するばかりでどうしようもないから。事態は何時まで経っても進展をしないのだから!

「…………」

 シルシは泣き出しそうだった先程よりは多少なりとも落ち着いてくれたようであるが……。
 無言の重圧に加えて、眼鏡の中よりジトっとした暗い目が向けられていて。リンリはなんだか精神的に堪えてきてしまう。現状は芳しくない。

「大丈夫だ、デリケートな部分は見てない。
やましい感情も持ってない。えーと、それじゃあこうしようか。俺はキミと『目と目が合った』以外は単なる“壁”しか見えなかったと。自分の記憶を改ざんしておくから、なっ!」

 自分の非に、言い訳はしない。この場で嘘も付きたくない。シルシをこれ以上刺激もしたくない。そこで捻り出した、この悲しき“変な言い回し”である……。
 しっかりと彼女の裸を見たというのに『自分の記憶を改竄』したから一体どうなるというのだろう。発言が二転三転しているし。リンリは我ながら、悲しい程の口下手というか、語彙力の乏しさに苦しむばかり。

 これではきっと焼け石に水だ。
 さてどうするべきか。仮に何時間でも根気よくシルシの反応を伺うべきか? むしろこれ以上は黙って立ち去るべきか。それか『助っ人』を呼んでみるのはどうだろうか? サシギ……は忙しそうなので、もう捨て身覚悟でケンタイを呼んで来て仲裁でもお願いしてみようか。
 本当にケンタイから、お叱りの拳骨くらいは貰いそうなものの。彼のその人格や沙汰の席の記憶から、彼女の扱いは手慣れているだろうと信頼できる。
 彼ならこの場を上手く納めてくれる事だろう。そう頷ける。まぁ彼を助けに呼ぶにしては「覗きをして泣かれた」なんてのは情けなさすぎる理由だが。

「うーむ、どうしたもんか」

 ――さて、本当にどうしようと。リンリの十八番、場を混迷させる『変な言い回し』を聞いた彼女の反応は、何も変わらず無言のままで……。

 と思いきや、

「……おい。お主は――」

「え?」

 ――ずっと無言のまま、ではなく。
ここでようやっとシルシが反応を返してきた。

「お主、今――」

「はいっ」

 聞き逃すまいと、リンリは姿勢を正す。

 彼女は言葉を溜めてから、身を震わせ大声で、

「――誰の胸が『“壁”』じゃとっ?!」

 “とんちんかん”な声をあげるではないか。

「あれー?」

 正していた姿勢で、リンリは予想外の反応にずっこけてしまう。この娘は、なんでそこに反応したんだ、そこに。それに『壁』とは発したが、『胸』とか不躾なことは一言さえ発していないだろうに。

「……いてっ」

 彼女の手から、リンリの頭に木製のブラシのようなものが飛んで来て。コツンと当たった。

「――いやいや、待て。待ってくれ!
さっきの『壁』って、俺そういう意味で言ってないからな!? 別に誰かの胸が小さいとか、平たいって話はまるで一切してないからなっ?!」

 確かに、失礼ながら見えてしまった裸体。
一部が鱗に覆われていた膨らみかけの“乳房”は小振りではあり、鱗のせいでいっそう存在感が希少だったような気がするが……。「別に気にするほどでもない」そう、リンリは心の中で頷いてやる。

「――儂の胸が『小さい』……だとぅ?
加えて『平たい』とまでほざくか、たわけ。お主は今はっきり言ったぞ! 儂の方見て、はっきり言ったぞ! 失礼な奴じゃのぅ! ぬぅ頭にきたぞ!」

「ぇえ、えー。えぇ……。
覗きの罪に、なんか侮辱罪も追加された!?」

 困惑が深まる。予期せぬ彼女の豹変。
それまでとは別の意味で困ってしまったリンリ。

 これは彼女なりのボケなのか? いや、真面目に解釈を間違えただけなのか。それともリンリの軽率な発言というか、口下手が悪いというのか。
 暗かった表情を一変させ、地団駄を踏んで不機嫌そうな感情をあらわにするシルシさん。おまけに蜥蜴とかげに似た尻尾を鞭のようにしならせており、それで床板をビシバシとしごいている。近付くのはとても危険そうだ。
 そんな動きをしているものだから。彼女、羽織った着物がはだけ、尻尾の撓りも合わさり、思いっきり胸やら股やら見えてはいけない部分が見えてしまっているのは言わずもがな。

 今一度、沙汰の場でやっていたケンタイとのやり取りを思い返すと、彼女は普段は暗く内向的なものの。その実は意外と天然物か、感情的になりやすい子供っぽい性格なのかも知れない。まったくもってトウフヤの面々恐ろしや、本当に曲者ばかりではないか。
 でもお陰でシルシと対話するにあたって、ケンタイと彼女が“親子のようなやり取り”をしていたのを見習えば良いのではと発想を得た。

「――して、お主は何故に饅頭をあの状況で取り出したのじゃ?! 何ぁにが『お近付きの印に』じゃ! 状況を考えろ! お主は、失礼な上に阿呆な奴なのか? 思わず呆けたぞ!」

「えーと、どうどう」

 リンリは汚饅頭おまんじゅうの入っている紙包みを握ったまま、シルシを宥めるように掌を左右に振った。

「あ……。てっ、この饅頭!」

 ――ふとリンリは、汚饅頭に意識が向く。

 ――いや、というか待て。
一度は「食うか?」と言っておいてなんだが。我が身を守る為に、彼女に“男の股間から現れた危険物”を食べさせようとしている件について……。

 リンリは、シルシをちらりと見遣る。
しかたなく、饅頭の包み紙を解き。

「とりあえず、これは俺が……むぐ!」

 無駄な罪を重ねぬよう、リンリは汚饅頭を自分の口で処理する事とした。もぐもぐ。

「――いや何故、今自分で食うんじゃ?!」

 シルシからツッコまれる。それゃそうだ。

 もぐもぐ、ごっくんと。

「……そういえば、思い返すとな。
この饅頭は危険物だから、俺の口の中で速やかに処理させてもらった的な。大丈夫もう安心だ!」

「――まるで意味わからんが。……要するにお主は儂に喧嘩売ってんのかのっ? ここに喧嘩を売りに来たって事かのっ? よいぞ、そっちがその気なら言い値で買ってやるわいっ!」

 ぱく、もぐもぐ、もぐもぐ。

「……そんな、滅相もない!」

「いつまで食っておる! ……そのド阿呆さ加減。儂を小馬鹿にしたような苛つく言動に。それに加えて、突拍子の無いうつけな行動といい……。お主、よもやケンタイの同類か回し者ではあるまいな? 合点がいったぞ、ケンタイに唆されたか!」

 ケンタイと同類。

「……え? あのケンタイさんと、同類……。
それはちょっと、傷付いたな……」

「――すまぬ。今のは儂が言い過ぎたわ」

 ケンタイから汚饅頭を受け取り、「シルシに宜しく」みたいな言葉を告げられた。よって実際にケンタイの回し者みたいな部分はある。リンリは冗談でそう返したのだが、彼女からは真面目な声色でしっかりと謝罪される。ケンタイの扱いとは。

「まぁ、でも実際。ケンタイさんから『シルシを宜しく』みたいな事は言われたけどな」

「くぅやはり、あの筋肉達磨か! ついに他人をけしかけるまでに外道に堕ちたのかっ!」

 ケンタイの扱いとは……いったい?

「はははっ」

 リンリは堪らずに笑ってしまう。
 何となく、彼女との距離感が解ってきた。試したが。親子のようなやり取りは無理でも、年の離れた兄妹のような距離感で接するするなら可能だろう。

「いや、騙されんぞっ! ケンタイとの繋がりは兎も角じゃ。やはりお主、ふざけとるじゃろ? お主もそれなりの性悪じゃな。早々にその正体を表したか。饅頭を食いながらニヤつくでないわ、行儀悪い!」

 ふざけてると誤解させてしまったか。
 シルシはご立腹の様子。けれど問題ない。素のリンリの阿呆っぽい行動が功を奏したのか、彼女はそこそこ態度を軟化してきてくれている。

 さて。ここいらでシルシへ改めての弁明と、それに加え土下座でもして場を治めるとしよう。
 リンリは、あんまり味あう事なく咀嚼した饅頭を飲み込み、行動に移そうとして。

 ――そんなところで、

「――うっ。ゴホッ、ゲホッ!!」

「は? なんじゃ!?」

「ゲホッ、ガァッ、ぅ喉がっ……ッ!!
いやなんか喉に汚饅頭がッ!?」

 ――不測の事態に発展した。

「いや、何故そんなに決意した顔で饅頭を呑み込んでから盛大に咽返るのじゃっ?!」

 シルシが、まるで信じられないモノを見たかのような声を上げる。
 そんな事を言われても困る。詰まったモノは詰まった。苦しい。すごく苦しい。

「――あっ、これ、ゴホッ、死ぬ。ゥヴ、本気で、死ぬヤツだ。喉に……すっぽり……ゴホッ、汚饅頭がはまってッ!! グフッゲホッ、グフッ!!」

 勿論、狙ってやった訳では無い。狙ってやってたとしたら、自分で自分にドン引きする。
 絞り出した声で、ちょっと洒落にならない事態であるとシルシに伝えるリンリ。

「お主、正真正銘の阿呆か!
あぁぁ、喋るな。喋るでない!!
人の部屋の前で窒息死か。死ぬ気かのっ?!」

 シルシは直ぐにリンリに駆け寄って来て、その背中を強く殴りつけた。
 殴られた拍子にリンリの口から汚饅頭だったものが吐き出され、事なきを得る。そうして彼女は小言を呟きつつも、激しい咳が止まるまでリンリの背中を擦ってくれた。何だかんだで良い娘である。



 ◇◇◇



「……汚饅頭で死にかけた。
不注意から覗きして、謝りながら饅頭詰まって死ぬところだった……。危うく、モブキャラ以下な死因で退場するところだった……。馬鹿過ぎる」

 危うく、リンリの主観的物語じんせいが終わるところだった。本編関係なく完結する手前だった。

 床に転がる饅頭の残骸の傍ら。
リンリは肩で息をし、四つん這いで自分の馬鹿さ加減を嘆いてしまう。踏んだり蹴ったりだ。シルシ曰く正真正銘の阿保である、その評にぐぅの音もでない

「――本当に阿呆じゃな! 何処の世界にあの状況で饅頭食って死にかける阿呆がおる!! あのケンタイとためを張れるほどの逸材じゃぞ!! これは無論、褒め言葉ではないがのぉ!!」

「返す言葉も無いです、はぁ……」

「溜め息をつきたいのは儂の方じゃ」

「面目ありません、本当に……」

「はぁ……まったく。
昨日の夕と今朝、沙汰の席でのお主は、貧弱だが誠実そうな若人に見えたが。ああ騙されたわ。これほど阿呆でうつけ者とは。これでは、素っ裸な姿を見られ、無駄に身構えた儂の方も阿呆のようじゃ」

 シルシは疲れたように溜め息を吐く。
 その姿にリンリが目のやり場に困っていたところ、彼女は複雑な心境を表すような“じとっ”とした視線を向けてから尻尾で床を叩き、乱れた着物を正した。

如何いかがわしい勘違いはするでないぞ。儂はただ、体の鱗に保湿の為の油を塗っておったのじゃ……」

「なるほど」

 如何わしい勘違いとは。

「うぬぅ、そうさな。
部屋の錠を掛け忘れた儂にも、落ち度はある。
ココミが開けたのだし、別に、覗きも態とでは無かったと理解しておる。お主には“醜《みに》い姿”も見せた。謝るべきは儂も同じじゃ。お主の言ったよう、互いに不問にするとしよう」

 結局、不問にしてくれるそうだ。

「いま『醜い姿』って言ったのか?」

「ほれ、もう帰った帰った!」

「あぁ、おっとと……!」

 リンリは肩を掴まれ起立させられると、部屋の出口の方へ追いやられてしまう。
 待って欲しい。このままだと完全に徒労。何をしに来たのか解らなくなってしまう。リンリは足を踏ん張ってシルシからの“お引き取り願い”に少しの抵抗をする。せめて、せめて挨拶を……。

 あぁ、その前に。それ以上に。

「おい。おい、待て。あー、待てって。
キミのどこが醜いんだよ。そんな風に自分自身を言うもんじゃないぞ……?」

 言ってやった。

 リンリは思ったまま、さらっと言ってやった。
 彼女は、自身のことを『醜い』と表した。
 大切な意識。ケンタイに教えられたばかりだ。『自分の価値』を貶めるべきではないと。世話焼きだろうケンタイなら、シルシにも伝えている筈だ。

「うぬぅぅ」

 硬直。シルシは数秒ほど、リンリにどう言葉を返すか考え倦ねているようだったけれど、

「……儂のこの鱗に覆われた身体を。
角と尾を見て、お主はどう感じた……?」

 そう小さく一言を溢す。
 統巫屋ここでの本日何度めかの問答もんどうだ。やたら、リンリは選択を求められる。
 これは割りと、重要な問答だろうか。リンリが答えを間違えれば、彼女との関係は“それまで”となってしまう重要な問答……。

 けれど。リンリには、異形の存在が抱くであろう苦悩や苦痛や苦難は共感できる。これまで触れ合ってきた物語そうさくの中で、そういった存在への接し方も、向き合い方も、寄り添い方にも、考えを回す視点がある。対話のやり方を「知っている」とおこがましい事は思わない。彼女は、現実に居る人間。それならば、

「ドラゴン娘みたいな、そういうタイプのオプションもこの世界にはあるのかと……。あと眼鏡とか、エルフ耳とか、蒼い髪とか、のじゃ口調とかと合わせて、この娘やけに属性を詰め込み過ぎじゃないかなーと……。それと昔飼ってた蛇を思い出した」

 飾らない。感情のまま思った事を口にした。
そうした方が良いと思った。口下手だが。

「――なに言ってんのじゃ、お主?」

 正直に言ったら、怪訝な顔をされるとは。
でもリンリの言葉は間違えてはいない筈だ。

「お主の言葉も感性も意味わからんが。
しかし、この身体に対し抱く印象は必ずしも良いものだけではないじゃろうて。この身体を儂自身が醜いと思っておる故にな……」

「なに言ってるんだ。俺はキミと、可能なら友好的な関係に成れればと思ってここに挨拶に来たんだ。俺はすでに沙汰でその鱗の生えた尻尾を見てるからな。でも、その上で挨拶に来てるんだよ。今更全身を見たからって“醜い”とは思わないぞ!」

「良いかの。……人は、万人は本能的に。
自らや大衆と違う思考を、文化を、姿を持つ者を……恐れ、忌み、可能ならば排他しようとするものじゃ。或いは、統巫が世間で畏敬されているように、厄介な存在と極力関わらないよう線引きをして安全圏に逃れようとする。それが人の本質じゃ」

「…………」

 ……否定し「違う」と言ったらいけないか。
 その言葉が、シルシの世界なのだ。他人が否定して傷付けてしまうのではなく、本人がその認識を改めていかなければならないもの。

「『それは違う』……とは無責任に言えないな」

「儂は、儂とお爺は、前者。他の大多数と違ってしまったから、追いやられた……。正しいと信じた理念は塗り潰され、なに一つも非がないのにも関わらず村八分。集団より淘汰されたも同じ」

「…………」

 そこに共感するべきか。慰めて良いものか。
憐れんでやる事は正しいのか。どれも単純な正解とは思えずに、また押し黙るリンリ。

「……お爺は掲げた理念で排他され。儂はこの変わった醜い姿で畏怖され。二度も、愚かな者共に“居場所”を追いやられたのじゃ……!」

「追いやられた、か」

 リンリはそこまで聴いて、シルシのだいたいの事情を想像する。悲しい過去的な。よくあるヤツだ。もっとも当事者にとって『お約束』と簡単な表現で片付けられないものであろうが。

 仮に物語の主人公ならば。
 主人公ならば或いは。かっこ良くてちょぴりクサい台詞、いかなる相手とも理解し合える深い懐や、自信と責任を持った行動で。彼女を救う事や、この先に連れ出す事ができるというのだろうか――?

「確かに人は、“違い”に恐れて“他”と隔たりを作り易い生き物かもな。なまじ知性を持ってる分。でもそれは絶対の本質じゃない。……全員が必ずそんな訳無いだろ? 狭い社会だけを観て、全体を決め付けるのは駄目な事だ」

 ――しかし、とても難しい問題。リンリは主人公ではない。これは現実だから。
 彼女も舞台装置、物語に起伏を作るために都合の良い過去を持たされた登場人物ではない。
 偉そうに説教なんてとてもできない。それに友好も深くなく、詳しい過去も知らない。今のリンリにシルシを諭す事は難しい。

「そう、じゃろうか? ……お主も、儂の姿を醜いと……恐らくは思っておる筈じゃ。或いは人としての懐が他より、ちと深いだけかの……」

「――いんや、普通に可愛いと思うぞ?
少なくとも、俺は“醜い”とは思わない!
それは誓ってやる!」

 今のリンリにできる事といえば、何だろう。
 
「お前の今の居場所はトウフヤで。
ここなら、お前を迫害みたいな扱いはしないんだろ? ただ、新参者の俺はそうとも限らないから。さっきのアレは、自分の姿をいざ見られて動揺してしまったのもある。違うか?」

 統巫屋の構成をよく知らぬ身。
使従がハクシの従者と言っても、実際にどういった存在かを理解していない身の程で、シルシの事情には踏み込めない。

 ただし。感じた限りでは、統巫のハクシと使従の彼等はしっかりと家族の一員のような印象を受けていた。そこんところを意識さえすれば、何れは彼女の「心の助け」になれるのではないか、と。「救ってやる」なんて傲慢は、物語の主人公の特権だ。
 よって、リンリは自分らしく行動する。

「決め付けて、可能性を閉ざしちゃダメだ。
『自分の価値』を貶める世界だけを見るのは悲しいことだと思うぞ……」

「――お主は、なんじゃ?
儂に、説教でもしに来たのかの?」

 おっと。説教になってはいけないのだ。
互いに場を改め、頭を冷やした方が賢明だろう。

「――説教なんて、とんでもない。
俺は倫理リンリだ。リンリさんでも、呼び捨てでも良い。だから、ここに挨拶しに来たって言ってるだろ! 『これから宜しくお願いします』今日のところはそれだけだからな!」

 リンリの懐から、残った汚饅頭が転がる。

「――じゃ、改めてまた!」

 リンリは本当に挨拶だけして、シルシの自室からそそくさと逃げるように立ち去った。当初の【挨拶周り】という目的だけで判断するなら達成なのか。
 しかし、やはり前途多難であった……。
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