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◆序章【路地裏喫茶】

一人目……(九)【水置の午前二時】

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 ――辿たどる。己が片割れとの繋がりを。
互いが依存し、複雑な思いを抱く半身を。
り糸のごとき関係。鏡面を覗けばそこに居る。
けれど対面は無い。永久に別たれた半身を。
 手繰たぐり引き寄せ、巻き取って進む。
縁という不確かなものを。絡まった黒帯を。

 ――獣の息遣いをし、慣れぬ四足で駆ける。
視界に入る鼻口部マズル、黒い毛皮の強靭な前足。
 咆哮を轟かせ、夜道にうごめ霞影かすみかげを払う。
 宵闇を纏わせ、カゲカゲで塗り潰す。

 ――辿る辿る。夜の道に浮かぶ黒帯みちしるべ
 黒帯は半身の罪のわだち。咎のかせ。罰のくびき
 黒帯は半身の慟哭どうこく怨嗟えんさ憤慨ふんがい呪詛じゅそ
 おぞましき土地のごう惨憺さんたんたる人々のさが
 理不尽に不条理に負わされた黒百合わざわいむくろ

 ……辿るにつれて半身の断片が流れ込む。
 意識が霞む。精神が荒む。心魂が軋む。自身の全てが流れ込む断片を拒む。それは毒だと。己が己である許容を誤れば、身体のみならず心魂まで染められてしまう猛毒。存在を侵す劇毒。しかしそんな危うさはとっくの昔に承知の上であり、己をりっいましめて強く強く制し。なおも夜を駆けた――。



 ◆◆◆



 廃墟街、路地裏迷路、古民家の細道。酷く寂れた深夜の町の一画を抜けて、蜘蛛の巣のように町中へと張り巡らされた用水路の一本にぶつかる。
 背景には田畑たはたが広がっていた。突き当たったのは田畑に水を引く為の水路だ。見渡せば、手頃に辿れる道があり。苔むした石橋を渡り、案山子に見送られて、水路に沿った畦道あぜみちで上流へと向かう。

 田畑が過ぎて、畦道も途切れると。水路に沿う道はアスファルトの道路へと移り、ゆるのぼ勾配こうばいによって高地へと続く。そうして現れた隧道ずいどうを抜ければ【伊野巳いのみがわ取水堰しゅすいぜき】周囲の様子が青々と茂った森林に変化してそのような案内板。取水堰しゅすいぜきと言うからに、水路の源流は黒百愛このとち河川かせんのうち【伊野巳いのみがわ】という小河にまでさかのぼれるということだ。

 ――そこまで来てしまえば、もはや辿り着く場所は一つしかない。土地の北西の水源。元より辿って来たのが水に沿った道。となれば、件の『水源地の水神信仰』との関連は確定的。過去に聞き齧っていた知識とも符号する。後は足を運ぶのみ、何処かに着いてからの流れ次第。しかしながら、進むにつれ『懸念けねん』もつのるばかりであり……。

「…………ッ」

 四本の足を止める。

 懸念、懸念か。あぁなるほどと。
己が抱いていたのは、懸念だったのか――。
そう獣の身で唸り、一度立ち止まった。

「…………」

 ――祈追溢姫キツイイツキ。御客様の彼女。
彼女が『水神信仰』と『欠如蛟カケミズチ伝説でんせつ』に結び付いた厄介な状況に陥っているのは明白。明白だというのに最も必要な情報に穴がある。点と点の間に穴だ。真相を解き明かす手懸てがかりはある。手段もある。けれどもそれらをもってしても僅かに掛け違い、どうにも繋がらない部分。懸念とはまさにそれ。
 物事には、時として『繋がらないということにも意味がある』故に。真相が作為的に断たれているからこそ繋がらないのだとしたら、至る結末はきっとこくなものなのだろう。自分達が手助けをして、多少はその筋道に差違があったとしても……。

 そうでない事を祈るも、懸念は募るだけ。
 口先より溜め吐息を漏らした。

 それと同時に、

「…………?」

 ピピピッと場所に似合わない音が鳴った。
 思考をさえぎり、暗闇に電子音アラームが響いたのだ。

「ん。二時をお知らせ」

 背中から時報の言葉が伝えられた。

「あと三回……。
日の出まで、すぬーず、設定中」

 その言葉は猶予。

 そうだ。悠長に止まってられない。
 懸念はともあれ先に進むしかない。事の猶予は、今宵の縁が続く暗闇のうちまでなのだから。そうだ。可能な限りで手を尽くし『助けになる』と、御客様となった彼女と約束をしたのだから……せめて。どんな結末にだろうと、彼女がこの町の暗闇で迷子にならぬように送り届ける。絶対に。

 よって、改めて駆け出す。

 再び駆け出してから、ものの十数分。
その頃には、周囲の様子は山間に変化した。
 繁った森林の枝葉によって成された天然のトンネルが道路と小河の上を何重にも覆い、進めばその分だけ夜空を覆い隠してしまう。

 一定間隔で道端に立つ街灯は、管理が疎かになっているのか明かりが灯っておらず。手持ちの照明を使うか、獣のように夜目が利かなければ足を進めるのさえ困難だろう。加えて足元の状態も悪い。苔の翠色に塗られた凸凹アスファルトは、老朽化でひび割れ無秩序に剥がれており、そこに剪定されなくなった木の根が侵食してきている。
 たまに木々の幹の隙間から、かつては家屋だったと思わしき木組みの残骸が、朽ちて森に還るまでの暇を悠然と佇み過ごしていた。

 更に十数分ほど進めば、道路も途切れて。
途切れた先に、城の石垣いしがきのような石積みの崖。
土崩れを防ぐ擁壁ようへきの崖だ。高さにして15メートルはあろうかという崖の一部分には、崖上に登るための長い階段と蔓が巻き付く手すりが伸びている。

 そこで足を止めておく獣――ヌイナ。
 四足の獣でいうところの伏せの姿勢をし、腹部を冷たい地面につけた。そして「ケーン」と高く吠えての合図。そんな風に合図を送ると、ヌイナの背中の上から「ん?」っと顔をあげ、黒いワンピースの幼い少女が飛び降りてくる。

 着地した少女は服の裾を揺らし呟いて、

「到着。目的地?」

 彼女が灰色の髪をなびかせ振り向けば、その背後には一糸もまとわないヌイナの姿。
 それまでとっていた黒い獣の姿でなく、人間の姿に戻った彼女が苦しげな顔をし、もともと白い肌を死人と見紛うほどに蒼白にし、四つん這いの姿勢で弱々しく身体を震わせているところであった。

 ヌイナの姿を目に納めた少女は、

「ん。母様かあさま……」

 そう呼んで。
 荷物を背負い直し、トテトテと走り寄る。

 ヌイナは肩を上下し、酷く荒い息遣い。
でも安心させる為にか少女へ微笑みかけ。そのまま二本の足で立ち上がろうとして体勢を崩し、同時に人の形までもを崩してしまう。牙を鳴らしてうめき、その身体から闇靄がこぼれる。すると頭頂部に黒い獣の耳が生え、指の先から肘までを毛皮が覆い、臀部でんぶには秘所を隠すように黒い狐のものに似た尻尾が垂らされた。

 周囲に古和紙が舞い散り、暗闇に消えて。ヌイナは人でも獣でもない異形いぎょうの姿で倒れ込む。

「母様っ!」

「大丈夫さ。僕は……大丈夫だよ」

「母様それしか言わないから……疑わしい。
母様は倒れるまで『大丈夫』としか言わない」

「それは、はは……そうかな?
うん。そうかもしれない。……ははは」

 ヌイナは起き上がり、乾いた笑いで誤魔化す。

「母様ムリしてるの簡単にわかる。
終わったら、副店長とかにお説教してもらう!」

 少女は荷物から取り出した衣類の塊を、力強めにヌイナに被せての意思表現。ふてくされた声と態度で言ってからプイッと顔を背けてしまった。

「ハァ……。そっか、お説教か。
また色々とこってり絞られそうだ。いつも反省はしているんだけどね。でも僕はそういう人間だった。僕の昔からの悪い癖だから、なかなか変えられなくて」

 ヌイナは首を振り、

「きっと今更、もう変えられないんだよ……」

 衣類から出た尻尾を申し訳なさそうに揺らす。

「……母様。そんなことは」

「それに今回に限っては仕方がないからさ。
でも【ナズナ】心配してくれてありがとう。それから、いつも心配させてごめんね。変な事を言った。今後はもっと自分のことも注意できるよう努力する」

「……いい。ナズナはただ母様が居れば」

「……ごめんね」

「ごめんと言いつつ毎回心配させる母様である」

 ヌイナは揺らした尻尾を、
不意に少女によって掴まれてしまう。

「んぅ。こうして掴んでおけば、母様はこれ以上のムリをできないかも。ナズナの名案」

「ちょっ。尻尾そこは止めてね?」

 衣類から顔を出したヌイナは【ナズナ】と呼んだ少女の頭を後ろから優しく撫でて。それで掴まれた尻尾を解放してもらい。彼女が恍惚とした表情で止まっているそのうちに着付けを手早く済ませた。

「うん、これは際どい。この姿、普通の人に見られたらどう扱われるか考えたくないな。祈追さんにも驚かれちゃうだろうし。恥ずかしいな」

 獣耳は帽子を被り誤魔化せる。腕の毛皮は防寒具に見えなくもない。が、問題は下。消耗から暫く隠せなくなった大きな尻尾のせいで下着をちゃんと穿けておらず、ロングスカートも不自然に膨らんでいる。これでは激しく尻尾を動かすとスカートが捲れてしまう。まぁ『夜間だし誰かに出会うことも無い』とヌイナは諦めるしかない。

「……母様。母様の、あいでんてぃてぃ。
母様が眼鏡これしてないと落ち着かない」

「僕も、眼鏡それしてないと落ち着かないんだ」

「母様の本体と言っても過言でない?」

「本体……。今の僕から眼鏡それを取ると何も残らないというのは、的を得てるけど酷いよ」

 ヌイナはナズナから眼鏡を受け取り。現在の自分の身体を見下ろして、胸の谷間を視界に入れ、とても複雑な表情を浮かべると溜め息。密かに「母様か」言葉を洩らすも。頬を叩き、気を引き締めた。

「じゃあ行こうかナズナ」

「はい。母様」

 そうして長い階段を登り始めた。
階段の一段一段を進む度に、ここまで辿って来た黒帯えんが一層に濃くなり。同時に生臭さ、腐臭、肌に張り付く不気味な水気。鳥肌、悪寒が強まる。

「あ。ここ嫌だ」

「信仰は途絶えて久しい……か」

 階段の先は、山を切り拓いたのだろう40メートル四方はある空間。荒れてはいるが広い空間。
 苔むした石畳で奥へと続き、朽ち果て倒れた木製鳥居の残骸。残骸に掲出されたままの扁額へんがくには【水置神社】と。この場所の名だ。
 石畳を外れた場所に立つ、背の高い草に隠されそうになっている石塔には『御祭神・淤加美神おかみのかみ』と文字が刻まれていた。とても有名な神の名だ。信仰の成り立ちが『伝説にある蛟の供養』というのもあり、神社ここでは水に関連する古事記に名のある神様を祀っていたらしい。
 立ち枯れた神木。崩れた灯籠。それら最奥の拝殿と本殿を兼ねたやしろは、屋根や壁の状態からしてやはり荒れてはいるが、まだ健在の様子。

「母様。ナズナ、安全確認する」

「わかった。気をつけて」

 ナズナが社の附近を調べに行く。

「問題は、奥の奥か。
神社ここ自体は何も無いようだし」

 やってきた階段のある方向以外は、神社の周囲にはしっかりとした作りの屋根のある竹垣フェンスが囲い。社を挟む双方向の竹垣の向こう側は傾斜と深い森林。そして社の後方には、同様の竹垣の他に金属製の高い柵が立つ箇所が見えた。

 警戒の感情から、スカートの中で尻尾を小さく振りながら近付くとヌイナは柵に手をかける。

「うん。施錠されてるけど、この先だな。
この先から水気や臭いが流れて来てる。よじ登ったりすれば向こう側には行ける……けれど」

 柵から覗ける先の光景は、細い小道。
しかし、その道はすぐ近くで終わっていて。

「これは、土砂崩れでもあったんだ」

 終わり、違う。小道が途中で埋まっていた。
 埋まってからそれなりに月日が経過したのか、もはや土砂ではなく固い土壁となっている。神社の空間と同じように山を削って、おそらく信仰上の目的のために作ったと推測できる細道。本来繋がっていたのは、水源地の源泉といった所か。積もったその土壁の規模からして、小道の続いていた地点へは易々と迂回もできそうにない……。

「……とすると、どうしたものか」

「母様。こっち!」

 顎に指を当て、柵の前で思考を巡らせようとしたところ。ヌイナは引っ張られて、連れられる。

「この中。見て、見て!」

「拝殿の中をかい? 何かあ……――?!」

 社の中には、

「――祈追さんっ!?」

 身一つで死んだように眠る、
別れたばかりの御客様。あの少女の姿。
 
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