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その王子、憂鬱

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カチャン、と小さな音を立てわたくしはカップを置いた。新調させた美しい繊細な装飾が施されたティーセットだが……




「……はぁ」




カップに触れることもせず、すっかり品のいい香りの紅茶を冷ませてしまった目の前の男は憂鬱気にため息を吐いた。しかもわたくしに向かい合うこともせず余所見をしたまま。


「……はぁ」


ため息は無意識に溢れているのか、何度も立て続けに息を吐かれ流石に浮かべていた笑みが引き攣った。



声を掛けるべきか、放っておくべきか。



声を掛けた時の反応を想像したら断然後者だと思ったので、わたくしは黙ることを選んだ。



そう何を隠そうこの男はわたくしの婚約者。そして婚約者の目の前でこれ程無礼な態度を取る男は____この国の第二王子、アンリ王子であらせられる。



窓から緩やかに吹く風に遊ばれた蜂蜜色の髪は、外の光を受けて柔らかな輝きを放つ。悩まし気に伏せられた目蓋は哀しみを誘い、深い蒼い瞳は硝子のように綺麗で、僅かに開けられた唇からは色気が覗く。透き通った白い肌に傷など一つもなくて、睫毛により作られた影と美しいコントラストをなしていた。



一言で纏めましょうか。この男、かなり美系だ。



もう少し付け足しましょうか。この男、顔と地位だけの男である。



何故なら____




「……やはり俺は王族なんて御免だ!」



非常に馬鹿……いえ、少し考えの足りないお方でいらっしゃるから。



わたくしは今のセリフを一体何度聞いてきたことだろうか。



「兄上がいらっしゃるなら俺は無意味だろう。俺が学を学んで何になる?俺が武を得て何になる?二番目は二番目らしく俺は自由な時間を……!」



「あら、雑音が」



ため息を吐くだけならともかく、騒ぎ出した男をこれ以上放って置くわけにはいかない。



頬に手を添えて小さく言葉を落とすと、男の力強い視線がわたくしを射抜いた。



「……シェリー、君も分かるだろう?この退屈な人生が!」


「分かりませんわね」


「抜け抜けと…!全く!俺は望んで王子に産まれたわけではない」



あまりにも贅沢な悩みを抱える所謂思春期の男は只今王城からわたくしの家へ逃亡中だ。わたくしを目にした一言目が「今日の家庭教師は面倒だ」なのだから一体わたくしの家を何だと勘違いなさっているのか。




「えぇ、もう何度もお聞きしたので分かっておりますわ」



わたくしは一度もこの不真面目な王子に肯定をしたことがない。だってあまりにも無責任な方なんですもの。無知で我儘で単純で偏った思考しか出来ない方。



わたくしは時には辛抱な言葉を吐くこともある。甘えたな王子に我慢が出来ず、一度言ってしまったら案外お咎めがなかったもので、心の中で10回文句を言ったら1回口に出すぐらいの頻度で王子を咎めている。全く効果は見られませんけれど。



それなのに自分に対して否定ばかりする女の元に逃げる程、この男は王子である自分が嫌なのだ。




「……俺は旅がしたい。狭い王宮で雁字搦めに生きるなど息がつまりそうだ。俺が知らない世界を見て、多くの人に触れ、感情豊かに生きたい」



……何と答えればよいのやら。



はぁ、とまた吐き出された憂鬱にわたくしまでため息を吐いてしまいそうになった。



「ご公務をなさるようになったのなら」



一つ、わたくしが落とした言葉に王子はわたくしの顔を見る。



「外交として国を飛び回ることは出来ますわ。貴方様が出来ることは旅人のように自由に無責任に何処へでも行くことではなく、ただそれだけです」


「……だから王子なんて嫌なんだ」



男は悲痛に染まった声を絞り出す。


でしょうね、と考えを改めるつもりは微塵もない男に苦笑を浮かべた。



幼い頃は思わず歓喜に湧いた憧れの王子様との婚約が。まさかこれほど辛気臭いものなんて、あの頃の幸せに染まったわたくしは知るべきではないわね。



陛下に甘やかされ、こうやって逃亡しても陛下から叱られることはない王子を諌めることが出来るのは殿下か婚約者であるわたくしのみ。



……全く。



テーブルの上で固く握り締められた手にそっとわたくしの手を重ねる。王子の手は大きくて、わたくしの手で包み込めはしなかった。




王子はそんなわたくしの手を見て、わたくしの顔を見た。綺麗なアーモンド型の目は細められ、くっきりとした二重が更に深くなる。そんな王子視線はわたくしに縋るような視線であった。




「アンリ様」



そう名前を呼ぶと、わたくしが添えていた大きな角ばった手はわたくしの手を握った。


包み込まれた温もりに鼓動が大きく打たれる。


そしてわたくしは次の言葉を続けようと口を開いて……




「いいですか、アンリ様。貴方様は第二王子です。そう第二。二番目。第一王子の殿下は非常に優れたお方ですので貴方様に王位は巡って参りませんわ。だからこそ!いいです?だからこそ、貴方様は努力なさいませ。週に三日もわたくしの元へ来てため息を吐かれても何も変わりませんわ!旅人になりたい?ご冗談を。産まれを恨んで何かいいことは御座いましたか?御座いませんよね。寧ろわたくしの王子様への憧れを木っ端微塵になさって。何故わたくしが王子に進言申し上げる羽目になるのです?貴方様が真面目に欠けているせいですわ!全くいい加減になさって下さいませ!わたくしは駄目で無知で愚かな婚約者など御免です」



ふぅ、と噛むことなく言い切ったわたくしは満足気に息を吐いた。


すると王子はドン、と音を立てて机に頭をぶつけた。衝撃でカップからは紅茶が溢れ、白いテーブルクロスに染みを作った。



つむじを見せられたわたくしは今日は言いすぎたかしら…とこっそり笑みを落とす。




「……はぁ」



くぐもった声と共に、握られていた手に力が込められた。



「………シェリー」



「……はい」



「……ありがとう。俺は本当に駄目な男だな」



「えぇ、本当に」




こんなわたくしに叱られないとやる気が出ない婚約者なんて、本当に駄目な人。そんなことを思うとクスクスと笑ってしまって、ピクリと王子の指が動いた。



勢い良く顔を上げた王子はそのまま立ち上がり、わたくしの手を強く引く。


予想しなかった出来事に悲鳴を上げる隙もなく、わたくしは王子に抱き締められた。しなやかで、それでも鍛えられている体と爽やかな甘い香りに包み込まれ思わず呼吸を止めてしまう。肩から背にかけて王子の腕が回って、王子とわたくしとの距離はゼロになった。



ポッっと自分の頬に熱が集まるのが分かる。胸が苦しくて息を吐いたら、耳元に王子の笑い声が掠めた。



「……君に相応しい男にならなくてはな」



優しさと甘さを含んだ声でそう王子はわたくしに囁いた。そんな決意もきっとあと2日もすれば崩れてしまうものだけれど、それでも構わないと思ってしまうわたくしはこの馬鹿で駄目な王子に随分と毒されている。


甘やかされて育った王子と、叱られて育ったわたくしは考え方も価値観も正反対だ。けれど夢物語と分かっているのに現実との葛藤を捨てきれない真っ直ぐな王子を、夢物語なんて笑ってしまうわたくしはきっとどこかで眩しいと思っている。だからこそわたくしはこの婚約を破棄することは出来ない。




「……えぇ、まずはお城に戻ることから始めましょうね」




相変わらず手厳しい、とそういった王子はわたくしをただ抱き締めたまま暫くそうしていた。




わたくしも、抵抗することなくそうされていた。




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