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しおりを挟む「お久しぶりです、イシュアさん」
グレーの髪を揺らして、変わらない甘い顔をしているアデレードは、遅れてやってきたイシュアを見て緩く笑った。どぐ、と動いた心臓が言葉を喉の奥に絡めとってしまい、無理矢理笑い返すことしかできなかった。
入口まで迎えに来てくれたオリバーが、さあさあ、とイシュアをリースの隣に座らせる。
流石貴族ご用達というだけあって、内装は上品な高級感があって、ソファーの座り心地も、テーブルに並んでいる料理も見事なものだった。
「お疲れイシュア」
本日も誰よりも美しいリースは、なんとイシュアのコートを受け取り給仕に渡してくれる。面倒なことは絶対にしないと豪語していただらしないリースにこんな気遣いができるなんて、と少し驚いた。恋人のおかげだろうか。見目がいいだけあって酷く様になっている。リースにコートを受け取ってもらうだけで、男も女も心を奪われてしまうだろう。いや、隣に座ってその顔を近くで見るだけで駄目かもしれない。
「ごめん、ありがとう」
「いいよ。イシュア何飲む?ここ、俺の領地のワイン置いてあるけど」
「ほんと?」
リースが領地の田舎に引きこもっていた頃、リースを恋しがるジェイドに付き合ってその領地のワインを散々飲んだ時期があった。あまり酒を飲んだことがなかったのに、そのおかげで今やすっかりワイン好きになってしまった。それを知ったリースからもらったワインも家に沢山あるが、外でも同じものが飲みたくなるほどイシュアの好みに合っている。
じゃあそれで、とボトルを頼み、ようやくイシュアは一息ついた。目の前にアデレードが座っているせいで、だらしなく背中を沈み込ませる真似なんてできないのだけれど。
「イシュア様、何かあったんですか?」
一時はイシュアの残業の原因になっていたオリバーが、首を傾げる。
「いや、レーヴェに捕まっちゃって」
ああ、とリースが頷いた。レーヴェとはジェイドの側近の一人であり、ずる賢くて真っすぐ生きられない狡猾で戦略高い男のくせに、ヘタレで、支えたがる貴婦人がとても多い。あと話も長い。リースとは違った意味で生き辛そうな男だなと思ったことが何度かある。
別の学園に通っていたためリースが王都に戻ってくるまでレーヴェとは面識がなかったようだが、今ではたまに遊ぶ仲らしい。けれど仲がいいのかと聞いたら、いや、とお互い応えていた。よく分からないが、まあ、イシュアの知り合い同士が繋がりを持つのはいいことだ。
特に関りはないオリバーは、存在くらいは知っているらしい。アデレードは、とちらりと正面を向くと、髪と同じ色の瞳とかち合う。
「レーヴェ様とイシュアさん、仲いいんだ?」
「まあ、」
「俺のがイシュアと長いけどね」
「そりゃあ学生時代、僕がリースの面倒を散々見たから」
「リース様とアデレード様が同級生で、イシュア様と陛下が同級生なんでしたっけ?」
「そう」
ちなみにオリバーも同じ学園を卒業している。しかしリースとジェイドがいたころとは違い、特に何事もなく平和に過ごしたそうだ。イシュアも本来であれば、真面目に勉強して仲のいい友人を作っていたはずなのに。悲しきかな、勉強はしたものの、ジェイドとリースに巻き込まれていたイシュアには、ジェイドとリース以外関わる人はいなかった。
だから今でも友人の作り方が分からないのかもしれない。
けれど友人がいなくても、こうやって一緒に楽しい時間を過ごしてくれる相手がいるならいいか、なんてことが頭に過る。
全員同じ学園出身とあらば、学園時代の話で盛り上がるのは必然で、リース直々に注がれたワインを煽りながら昔話に花を咲かせる。
「アデレードとは学園時代はそんなに話したことなかったな」
「ですねえ。イシュアさんはリースの揉め事に奔走してましたし」
懐かしくて、ははは、とようやく自然に笑みが零れた。酒のおかげか、緊張が抜けていく。それが分かって、いつもより飲むペースを速めていた。
「僕の頃でも伝説扱いされてましたよ、リース様と陛下のこと」
今ではリースに恋人ができたからいいものの、学園時代も、そしてリースが王都に戻ってきてからも、ジェイドは結婚して嫁がいるにも関わらず周りは二人が恋人だと噂されて止まなかった。
まあ、その気持ちはとても分かるのだが。なにせ、ジェイドはリースのことを一番可愛がって、リースもジェイドのことが大好きなのだから。ただ恋愛とは違うと言うだけで。しかし周りから見れば、そんな些細な違いが分かるはずなく、お互いを大切にする二人を見て恋人扱いしてしまうのは仕方ないのだろう。
この前も自分がジェイドと飲みたかったのに、ジェイドは仲のいい騎士と飲んでた、とリースはいじけていた。ジェイドが可愛がりすぎたせいで、リースは長男なのに末っ子のごとく我儘なのかもしれない。お互い恋人と嫁がいる今でもそうなのだから、昔はもっと二人はべったりしていた。
一国の王(学園時代は皇太子だった)と、絶世の美を持った男がそんな仲であれば、周りがどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。当時からジェイドに気に入られて友人の座にいたイシュアは、その火の粉を全身に浴びざるをえなかった。
まだあの頃のリースはか弱く見えて、実際子供だった。線も細く、ドレスを着れば国で一番美しい令嬢になれただろう。リースを狙う者、ジェイドに付け入りたい者、二人の仲を応援する者、二人を妬み憎む者。そんなカオスの中に入るしかなかったイシュア。
「いやあ、大変だったなあ……」
「一番の被害者は俺だけど?」
「まぁ、それは確かに」
イシュアみたいに揉みくちゃにされることなくうまく立ち回っていたアデレードだが、リースの友人として学園時代はそれなりに色んなものを目にしたのだろう。うんざりした顔をしている。
学園時代から、もっとアデレードと話しておけばよかったな、とイシュアは思った。お互いよき理解者になれただろうし、歳は離れているが友人になれたかもしれない。そして、この燻った想いがどうにかなっていたかもしれない。けれどアデレードの女好きは学園時代から有名だったから、今よりもっと苦しんでいたかもしれない。
そんな男が好きだなんて。
学園にいた頃はそうじゃなかった。アデレードに仕事を教えていた頃、今よりも自分の孤独さに悩んでいて、うっかり、人好きのする笑みを浮かべるアデレードにハマってしまった。女に大人気なだけあって魅力的で、惹きつけられた。
リースとジェイドには動かなかった心なのに。なんで、と悩んだものの、自分でもよく分からなかった。心臓が高鳴る。胸が締め付けられる。
いつ女と結婚するか分からない相手に不毛な恋をするなんて、正直未だに困っている。それは今、目の前にアデレードがいることも同じで。
飲まないとやってられない。
「もう一本飲む?」
空になったボトルをあれ?とリースは振って、中身のないグラスとイシュアの顔を見比べる。うん、とイシュアは頷いた。
「飲むねえ」
酒に弱いリースも既に酔っているのか、楽しそうにボトルをもう一本追加した。落ち着いて飲んでいるアデレードは顔色ひとつ変えておらず、酒に強いオリバーもぴんぴんしている。
「僕、リース様の恋人の話聞きたいです」
「俺の?」
「そう!王子様の!」
ほぼ酔っていない癖に、どうしてリースにそんなことを聞く勇気があるのか、イシュアにはさっぱり分からない。リースが隣国の第三王子であるランス様と付き合うまで、ジェイドと王宮と隣国を巻き込む騒動があったが、ようやく全て落ち着いてリースは幸せを手に入れた。その騒動を知り、相手の身分を知っている者なら、迂闊に尋ねることはできない。そもそもリースに緊張も委縮もせず平然と話しかけられる者が少ない。
貴重な鋼のメンタルを持っているオリバーはずっとリースに聞いてみたかったらしいが、機会がなかったらしい。
「もうすぐ俺と結婚して王子じゃなくなるけどね」
嬉しそうに笑うリースに、オリバーは両手を叩いて喜ぶ。
ランス王子は非常に訳ありだったらしく、この国に逃げてくる形で留学していた。王子という身分ながら元の国で居場所を失い、この国でも居場所がなかったところに王都に戻ってきたリースと出会った。
この国では男性同士でも結婚できる。相手が違う国の人間でも。けれどランスは王子で、隣国は結婚を認める代わりに、ランスの王位継承権を剥奪することを条件とした。王族という立場からいきなり平民にはなれないので、リースの家に養子に入って貴族身分になる。
何もかも丸く収まったのはジェイドの尽力のおかげでもある。
愛しい乳母兄弟のために、ジェイドは喜んで隣国に掛け合った。そしてジェイドが自分のためにそこまでしてくれてリースも喜んでいた。
「今はリースの実家に住んでるんだっけ?」
「そう」
いいねえ、と呟いてリースを見つめていると、ふと、視線を感じて前を向く。
「?」
じ、とアデレードはイシュアを見ていた。ぼんやりとする頭で首を傾げる。
「イシュアさんは……リースの結婚をどう思います?」
「一生結婚しないと思ってたから、びっくりしてる」
「俺もびっくりしてる」
ぐらぐらしている身体をイシュアに預けて、リースは横から口を挟んできた。昔は背も低かったのに、今ではかなりでかくなったリースの身体は普通に重い。あと人の体温に馴染みがないので居心地が悪い。
アデレードは何か言いかけるように口を開いて閉じる。そして、ようやく「おれもです」と薄く笑って頷いた。
「アディはさあ、結婚しないわけ?」
リースの言葉に息が詰まった。
「最近あんま女の子と遊んでないでしょ?」
「……俺もそろそろ結婚しなきゃって思ったんだよ」
「へえ!相手は?」
聞きたくないと思った。けれど聞きたかった。手汗の滲む手のひらをこっそり拭って、酒を煽る。
「ひみつ」
アデレードはリースではなくイシュアを見て、目を細めた。心臓がありえないほどばぐばぐ鳴っている。それはときめきではなく、嫌な意味で、だ。
もしかして、イシュアの気持ちに気づいてる?いやまさかそんなはずはない。アデレードのことは避けていたし、仕事以外で関りなんてなかったのだ。たまたま、向かいの席に座っているのがイシュアだったからにすぎないだろう。
ぐらぐら酔いが回っている頭はろくなことを考えない。ただでさえ、ずっと覚悟していた筈の結婚を突き付けられて、冷静ではいられないのに。
「じゃあ次はイシュアの番じゃん」
なあイシュア、とリースはべたべた絡んでくる。昔もこうしてジェイドに絡んで周りの勘違いを加速させていた。他人と距離を取る分、親しい相手とは距離が近い。
「僕は、仕事がすきだし」
「だめだって。イシュアも結婚しなきゃ」
結婚、結婚と煩い。どうやら自分の結婚がかなり嬉しくて舞い上がっているらしい。分かりやすい男である。
けれどリースだけかと思えば、オリバーまでリースに加勢してしまう。
「イシュア様とお近づきになりたいって噂かなり聞きますよ!家柄もよくて、陛下のご友人で、仕事もできて、優しくて、穏やか!結婚相手として一番だって」
そんなことは初めて聞いた。怪訝そうな顔をしてしまったのか、オリバーはイシュア様を紹介してって言ってきた御令嬢もいますし、と信じがたいことを口にする。
「じゃあ結婚できるね」
「いやいや、僕には誰も何も言ってこないし」
「レーヴェはイシュアが口説かれてるのを見たって言ってたけど」
え、そんなことあった?と首を傾げる。至近距離にある酒に溶けた美貌が、ゆるりと笑って、そしてアデレードを見た。
「イシュアも結婚できそうだし、また三人で恋人連れて飲もう」
「僕だけできなさそうですね……」
アデレードはそうだね、と頷いて、またイシュアを見た。
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