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十六
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宴も半ばを過ぎ、あらかたの者に酔いが回った頃を見計らい、盛隆はある『策』に及ぶことに決めた。
それは和議が上手く運ばなかった時のために、と金上が宿で密かに盛隆に授けたものだった。が思いのほか、和議がすんなりと進んだために不要になったかと思われたのだが、
ー裏があるやもしれませんー
という金上の言葉に試してみようと思い立ったのだ。
「少し飲み過ぎたようにございます。どこぞで休ませてはいただけぬか?」
と上目遣いで流し目で義重の目を見つめる。
「それはいかんな......」
ごくり、と義重の喉が動いたのがわかった。つまりは、金上の『策』というのは、義重を床へ誘い込め、というものだった。
『不本意とは存じますが、蘆名のお家のため...』
元服した後までも盛氏が執着を見せ、岩崎の城まで呼び立てるくらいだ。生来の美貌に加え、その色香も尋常ではなくいや増していた。衆道の色事に長けた盛氏に仕込まれ、なおかつその盛氏を虜にした妖艶さは、ひとかたならぬものだった。
ーだが......ー
盛隆には、それを利用するという発想が無いのだ。盛氏との閨事においてさえ、ただ耐え忍び、快楽の奈落に堕ちる自らを責めることはあっても、その魅力を利用して、自らを優位たらしめようという企みは微塵も見受けられなかった。逆に、だからこそ盛氏が長く執着し、しぶしぶながらも当主に据えたのだ。
少しも悪知恵を働かせて、家臣の某かを誘惑して謀叛を唆す素振りのひとつでも見せたなら、盛氏は情け容赦なく盛隆を排除しただろう。結局のところ、その愚直さゆえに今日まで生き延びてきたのではあるが、それは盛隆自身を生きづらくしているひとつの要因だった。それゆえ、今回の和睦の使いに当たっても、人払いをした宿の部屋で膝を詰めて、こんこんと諭さねばならなかった。
ー良いですか、盛隆さま。此度は盛隆さまの今後のお立場を守るために、使えるものは使わねばならぬのですー
そして、金上は男を誘惑する手管を盛隆に教えたのだ。
『そのような恥ずかしいことが出来るか、私は国主だぞ』
憤る盛隆を極めて慇懃に丁寧に言いくるめた。
『国主であればこそ、なにがあっても国を守らねばなりません』
その嘘を見破る知恵は、盛隆には無かった。幼少で会津に来てより、世話役としてずっと傍らにいてくれたのは、金上だった。
心を支える拠り所である義兄はとうにみまかってしまった。
盛隆には、黒川の城には金上以外頼るものがいなかったのだ。
ーあなた様は傾国の質なのですー
濡れた眼で義重を見上げる盛隆の横顔を目の端で見ながら、金上はひそと胸の中で呟いた。
ー義重公を瓏落せしめれば良いのですー
後はこちら側の思いのまま......のはずだった。
だが、盛隆の誘惑に遭ったはずの義重の対応は意外なものだった。
「では、外に出て風に当たるが良かろう。幸いこの館の南側には儂が手を掛けて作らせた庭がある。案内してつかわそう」
かなりの酒量を過ごしたというのに、義重はスッと立ち上がり、盛隆に手を差し出した。
「辛ければ、我が手を執られよ。平四郎どの」
「いや、そこまでは.....。歩くに支障は御座りませぬゆえ、ではお庭を拝見させていただけますか?」
流石に他家で人の手にすがるなどという醜態は晒せない。盛隆は上機嫌な義重の後をついて広間を出た。
そして、その後を追おうとした金上を佐竹義久の手が制した。
「無粋はなさいますな。警護の者はしかとついておりますゆえ、心配は無用にござる」
金上は宵闇の中に吸い込まれていく二つの背中を黙って見送るより他はなかった。
それは和議が上手く運ばなかった時のために、と金上が宿で密かに盛隆に授けたものだった。が思いのほか、和議がすんなりと進んだために不要になったかと思われたのだが、
ー裏があるやもしれませんー
という金上の言葉に試してみようと思い立ったのだ。
「少し飲み過ぎたようにございます。どこぞで休ませてはいただけぬか?」
と上目遣いで流し目で義重の目を見つめる。
「それはいかんな......」
ごくり、と義重の喉が動いたのがわかった。つまりは、金上の『策』というのは、義重を床へ誘い込め、というものだった。
『不本意とは存じますが、蘆名のお家のため...』
元服した後までも盛氏が執着を見せ、岩崎の城まで呼び立てるくらいだ。生来の美貌に加え、その色香も尋常ではなくいや増していた。衆道の色事に長けた盛氏に仕込まれ、なおかつその盛氏を虜にした妖艶さは、ひとかたならぬものだった。
ーだが......ー
盛隆には、それを利用するという発想が無いのだ。盛氏との閨事においてさえ、ただ耐え忍び、快楽の奈落に堕ちる自らを責めることはあっても、その魅力を利用して、自らを優位たらしめようという企みは微塵も見受けられなかった。逆に、だからこそ盛氏が長く執着し、しぶしぶながらも当主に据えたのだ。
少しも悪知恵を働かせて、家臣の某かを誘惑して謀叛を唆す素振りのひとつでも見せたなら、盛氏は情け容赦なく盛隆を排除しただろう。結局のところ、その愚直さゆえに今日まで生き延びてきたのではあるが、それは盛隆自身を生きづらくしているひとつの要因だった。それゆえ、今回の和睦の使いに当たっても、人払いをした宿の部屋で膝を詰めて、こんこんと諭さねばならなかった。
ー良いですか、盛隆さま。此度は盛隆さまの今後のお立場を守るために、使えるものは使わねばならぬのですー
そして、金上は男を誘惑する手管を盛隆に教えたのだ。
『そのような恥ずかしいことが出来るか、私は国主だぞ』
憤る盛隆を極めて慇懃に丁寧に言いくるめた。
『国主であればこそ、なにがあっても国を守らねばなりません』
その嘘を見破る知恵は、盛隆には無かった。幼少で会津に来てより、世話役としてずっと傍らにいてくれたのは、金上だった。
心を支える拠り所である義兄はとうにみまかってしまった。
盛隆には、黒川の城には金上以外頼るものがいなかったのだ。
ーあなた様は傾国の質なのですー
濡れた眼で義重を見上げる盛隆の横顔を目の端で見ながら、金上はひそと胸の中で呟いた。
ー義重公を瓏落せしめれば良いのですー
後はこちら側の思いのまま......のはずだった。
だが、盛隆の誘惑に遭ったはずの義重の対応は意外なものだった。
「では、外に出て風に当たるが良かろう。幸いこの館の南側には儂が手を掛けて作らせた庭がある。案内してつかわそう」
かなりの酒量を過ごしたというのに、義重はスッと立ち上がり、盛隆に手を差し出した。
「辛ければ、我が手を執られよ。平四郎どの」
「いや、そこまでは.....。歩くに支障は御座りませぬゆえ、ではお庭を拝見させていただけますか?」
流石に他家で人の手にすがるなどという醜態は晒せない。盛隆は上機嫌な義重の後をついて広間を出た。
そして、その後を追おうとした金上を佐竹義久の手が制した。
「無粋はなさいますな。警護の者はしかとついておりますゆえ、心配は無用にござる」
金上は宵闇の中に吸い込まれていく二つの背中を黙って見送るより他はなかった。
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