十六夜国遊行録

葛城 惶

文字の大きさ
上 下
8 / 21

七 空飛ぶ鯨とテンタクル 3

しおりを挟む
「本気ですか?公子ぼっちゃん……」

 パチパチと焚き火の火が爆ぜる中、高雪ガオシェイが何やら言いたげな眼差しで琉論ルーロンを見た。

「ん?だってほら……困ってる人は助けてあげなきゃだろ?それに大家の嫡子として、民の信頼を得るには実績を作らなきゃ。ゴウちゃん、もうちょい薪足して。寒いんだけど」

 琉論ルーロンは、呉明須に作らせた雑炊のお替りを啜りながら、しれっと言った。

「こんな吹きっ晒しの所にいたら、寒いのは当たり前です。得体の知れないもんが出てくるまで野宿だなんて……俺、屋敷に帰りますよ!」

「そう言うなって……。敵を知り己れを知れば……って言うじゃないか」

「敵を知る前に己れを知ってくださいよ……あなたは大家に大事に育てられて野宿なんてしたこと無いんだから……」

 呆れ顔で呉明須が鍋の雑炊を東雲トンウン高雪ガオシェイに取り分けて渡した。

「だいたい、この夕餉だって高雪ガオシェイと私がとりあえず近所の家から鍋を借り、野菜を分けてもらいに行って、東雲トンウンが焚き木を集めて、魚を釣って……あなたは何もしてないじゃないですか」

「え?私はほら、あの精霊から聞いた話を整理して、策を考えてたんだよ……。八本足でヌルッとした奴……」



 呉明須が眉根を寄せながら、残った魚の切り身をウェイインとランジャンの前に置いた。

 黒猫のウェイインは子猫に風が当たらぬよう懐に抱え込みながら、器用に前足で身をほぐして子猫のランジャンに先に食べろ……と鼻づらで示す。

「ウェイインは過保護だな、本当に……」

 話を逸らそうとする琉論ルーロンにふんっ……と黒猫が鼻を鳴らした。

「お前の家族ほどではないわ……」

「と、に、か、く」

 キリリと少し下がり気味の目尻を気合いで目一杯上げて、呉明須がまっすぐに琉論ルーロンを見詰める。

「夜具はありませんからね。凍死しても知りませんよ!」

「お前に睨まれても怖くなんかないよ。それにふわふわの生きた懐炉が……て、あれ?」

 琉論ルーロンはキョロキョロと辺りを見回す、が先ほどまで活きの良い魚を堪能していたはずの猫たちの姿が無い。

「ウェイインとランジャンは……?」

「ここですよ」

 首を巡らせると東雲トンウンが少しだけ長衣をはだけ、腋下にすっぽりと収まった二つの丸い頭を見せた。

「ズルいぞ、東雲トンウン。ウェイイン、こっちおいで」

 琉論ルーロンが差し出した手をパシッと丸っこい手が叩いた。

「断る。るーは寝相が悪いからいやじゃ」

 以前に屋敷の庭で昼寝をしていた時に添い寝のはずが潰されかけた過去を黒猫は忘れてはいなかった。

「そう言うなよ……じゃあランジャンおいで」



 子猫に伸ばした琉論ルーロンの手に黒猫が更に強烈な猫パンチを放った。

「ランジャンに手を出すにゃ!」

 なおも子猫に触れようとする琉論ルーロンに毛を逆立てて黒猫が思い切り牙を剥いた。

「そんなに怒らなくても……少しくらい抱かせてくれてもいいじゃん!」

「ダメにゃ!」

「ケチ……」

 仏頂面でむくれてはみるものの、ウェイインもランジャンもソッポを向いて、東雲トンウンの長衣の中に丸まってしまった。その猫たちを抱えながら、東雲トンウンが真顔で琉論ルーロンに問うた。

「本当にどうするんですか……」

 野宿など全く想定していなかった一行は夜具などもちろん持っていない。驢馬の世話で厩泊まりになる場合に備えて高雪ゴウシェンが持ってきた古い毛布が一枚あるだけだ。
 三人の成人男子がたった一枚きりの毛布にくるまって眠れるわけもない。

「そう言ってもなぁ……クシュッ」

 ブルリと身体を震わせて琉論ルーロンは小さくクシャミをした。
 夜更けの海を渡ってくる風は、思うより冷たい。取ってきた焚き木も残り少ない。
 はあぁ……と重い息を漏らした時、モゾりと黒猫が長衣の懐から顔を出し、耳をピクリと震わせた。





「誰か来る……にゃ」

「え?」

 陸のほうに顔を向けると、ポツリと小さな灯りが目に入った。
 一行が目を凝らす先でそれは少しずつ大きくなり、白綸子の手灯籠の中、微かに揺れる灯火になった。
 そして、一行を不思議そうに見る青年の柔和な面差しを映し出した。

「こんなところで如何がされましたか?」

「いや、その……」

 口ごもる琉論ルーロンに穏やかに語りかける青年の様子をよくよくと見れば、身なりも質素ながら整い、品のある面差しは農夫には見えない。ましてや賊の類には到底思えなかった。東雲トンウンは思いきって口を開いた。

「私どもはある物を探して旅をしているのですが……この浜に何やら異形の者が出ると聞き及びまして……」

「悪しきものを討伐するために、ここで待ち受けているのだ」

 琉論ルーロン東雲トンウンの言葉を遮り、ふんすと胸を張って見せた。が、残念なことに寒さで身体は小刻みに震え、凍えた口は容易に開かない。

「討伐……ですか?」

「そうだ。悪しきものが現れたら、私が一刀両断にしてやるのだ」

 勢いづく琉論ルーロンの言葉に青年が小さく首を触った。

「今日は出てきませんよ」

「え?」

 青年は少しばかり考えを巡らせるように黙っていたが、何やら心を決めたように口を開いた。

「ひとまず家に来ませんか?……こんなところにいたら風邪を引いてしまう」

「家?」

「少し遠いですが、……叔父上、いや主には私からお願いしますから」

 容貌風貌を見るに危険な匂いは無い。野盗の罠とは思えなかった。東雲トンウンは丁寧に礼をして問うた。

「失礼ですが、どちらのお家の方ですか?」

「諸葛家でございます。私は当主の甥で夏侯覇と申します」

 同じく丁寧な礼を返す青年、夏侯覇に、なぜか微妙に琉論ルーロンが顔を引き攣らせた。

「華孔明……」

「さようでございます」

 にっこりと青年は心なし誇らしげに微笑んだ。

「それは良かった。ぜひお世話になりましょう!」

「ぜひお願いします!」

 安堵し、身を乗り出す二人に反して琉論ルーロンはシブい表情で逡巡している。

「どうしたんです?公子ぼっちゃん

 訝る高雪ガオシェイの耳元でこっそり呟く琉論ルーロン

「だってあそこの家、お堅いんだもの……」


「そんなことを言ってる場合ですか!……夏侯覇どのよろしくお願い致します」

 呉明須に耳を引っ張られ、東雲トンウンに押さえつけられるように頭を下げさせられ、琉論ルーロンはしぶしぶ諸葛家に厄介になることを承知した。
 とは言え、屋根のあるところで夜露を凌げるのはありがたい。表情とは裏腹に俄然軽い足取りで琉論ルーロン一行は青年の後に従ったのだった。


しおりを挟む
感想 61

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

処理中です...