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第十七話 二十三夜

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 ―わからん男だ。---―
 政宗は、彼方にはためく上杉の軍旗を見下ろして呟いた。

 ―私は、あの男は嫌いです。―
 小十郎も以前、珍しく眉根をひそめて、キッパリと言いきっていた。
 
―直江兼続---。―

 まぁ、小十郎からすれば、「愛宕権現」の加護を掲げるあの兜の前立てからして気に食わないのだろう。小十郎の兜には、八日月の前に、『愛宕権現御旅所』の神符が掲げられている。神職の出の小十郎らしい兜であるが、直江のそれは奇をてらい過ぎている。
―家臣はあくまでも主君の影―を主軸としている小十郎としては、主君である上杉景勝より何かと出しゃばる兼続を蛇蝎のごとく嫌っている。
―景勝殿は、直江を甘やかし過ぎている---。―
 苦虫を噛み潰すが如くに吐き捨てた小十郎に、成実がすかさず、
―小十郎も梵(政宗)を甘やかし過ぎだと思うけどな~。―
と突っ込んだ際には、
―政宗さまは、ご主君です。それに、政宗さまは、すぐに無茶をなさるし、政務もサボりたがる。君主として、しっかりなさるまで、小十郎めがお助けするのは、傅役の務めですっ。―と、鼻息荒く言いきられた。
 成実は言葉を失った。過保護な母親みたいだ---とは思ったが、さすがにそれは口に出来なかった。幼少期に厳しすぎる実母に代わって政宗に愛情を注いできたのは、他ならぬ小十郎だ。
―政宗様は、小十郎の全てです。―と言いきって憚らない男だ。
 その小十郎の目からすると、直江の『献身』は、好いた男に入れあげる小娘のそれのようにしか見えないのだろう。

―それにしても---―
 家紋の『竹に雀』といい、軍師の兜といい、
―被り過ぎだろ---。―
としか言いようがない。

 それが、今---東西に別れてまさに激突していた。

 徳川家康の会津征伐に従軍の途上、石田三成が、軍を起こした---という報が飛び込んできた。
―済まぬが、後は任せる―と言いおいて、家康は一路、南に踵を返した。
 雀の相手は雀にさせておけば良い---と思ったかどうかは定かでないが、奥羽の伊達-最上対上杉の合戦が、ここに展開していた。

 しかし---
―さすがに手強い。―
 福島城の攻防では、かなりの痛手を負った。
 にも関わらず、上杉は、本戦の関ヶ原の戦で石田三成が負けると、早々に撤退を始めた。

--------

―いったい誰のために戦をしているんだ。---―

 対家康を打ち出すには、石田三成には人望がない。まぁ、秀吉の側近だった連中はもともとバラバラだったから、誰が大将になっても空中分解必須だろう。
―だったらいっそ---―
 景勝自身が総大将になって、軍を起こせば、たったの一日で、決着の付くような無様な戦にはならなかっただろう。
―義によって---、友情のために---。―とでも言うなら、三成を命懸けででも止めて、まず、旧豊臣の側近の紐帯を強化させることを進言すべきだった。

―豊臣恩顧の大名---―なんぞと言っても、心底から恩を感じているのは、三成や子飼の者達だけ。実際、西国の大名が参戦したのは、今後の徳川の脅威を察知していたに他ならない。
 ましてや、子飼いとは言え、小姓あがりの三成に心服している筈もない。

―秀吉は信長に成りそびれ、三成は秀吉に成りそびれた---。―

 憧れから発した夢は儚い。秀吉は天下を取ったが『天下人』の有り様を知らず、老醜を晒した。三成は秀吉になろうとしたが、『人たらし』の手腕を持たない三成には、所詮、真似事すらできなかった。

―視野が狭い---。―

 と、政宗は思った。眼前から失意のまま去っていく上杉の軍は、いわば上杉謙信という『軍神』に憧れ続け、かくならんとしながら、結局のところ、「義」の言葉の意味を履き違えている。
 天下に「義」を唱えるなら、三成という一個人ではなく、豊臣家にとって---上杉にとって相応しい「義」というものがあろうに---と政宗は不思議でならなかった。
―負っているものが、違いまする。―
 小十郎は、さも当然と言わんばかりに言い捨てた。
 政宗は、国を代々の家を背負っている。我が儘なようで、当たり前に、家中と民とを優先して選択する意識が出来ている。
 それが、戦での態勢の決定の違いを生む。
―だから、景勝殿は直江を甘やかし過ぎた、と申すのです。―
 己のが矜持のために、主家を不利な状況に追い込むなど、家臣としてあってはならないこと---と小十郎は、思っている。

 誰に倣うわけでなく、自らの内から焔のごとく沸き上がる『夢』なれば、試行錯誤を重ねつも、掴み取れる。だから、小十郎は政宗自身の『夢』を描けるよう、育ててきた。

 結果として---、上杉は自らの掲げた「義」によって、戦に勝って勝負に負けた。百万石以上あった所領は没収、米沢とその周辺三十八万石のみの所領となった。

--------

―しかし、政宗さまは、国造りには長けておいでですな。国盗りには向きませんが---―

 関ヶ原の戦いの後、政宗は、新しく居城と決めた仙台の普請と城下町の建設に乗り出していた。その進捗を確かめに岩出山から来ていた
 忙しく指示を飛ばしつつ、政宗達は海を見下ろす山の頂上で、休息を取っていた。

―なんじゃと?!―

 政宗は、小十郎に差し出された握り飯をむず---と掴んで、不機嫌そうに、口の端を歪めた。

―あの合戦の時も、上杉と最上が疲弊するのを待たれよ---と申しましたのに。―
という小十郎に、政宗はムスッとして答えた。
―母がおるんじゃ。形だけでも、援軍を出さねばなるまい。―
―まっこと、殿はお優しい。---―
 小十郎は仕方ない---という顔で微笑んだ。
 このお方は、やはり根が純粋なのだ---とつくづく思う。策を弄しても失敗するし、それが露見しても、ちょっとした罰で赦されてしまう。内なる龍の力---だけではない。
 結局、秀吉から見ても、家康から見ても、この方は、「可愛い」のだ。悪ガキの可愛さ---とでもいったものだろうか。
 残念ながら、秀吉や家康のような非情さ、狡猾さは政宗には、無い。
―憎めない奴―で済んでしまうのは、政宗本来の持つ純粋さが、どこからか滲み出てしまうのだろう。
 だから---
―良うございますよ。謀(はかりごと)も非道も某が致します。政宗さまは、ただただ邁進されよ。
どのような手を講じようとも、某が政宗さまを御守り致しますゆえ。―
―小十郎---。―
 もう子供じゃねぇ---と言いたげな政宗の横顔を遮って、ぬっ---と太い腕が差し出され、小十郎の膝の上の握り飯を奪い取った。
―俺も、いるぜ。―
 政宗と小十郎は肩越しに、背後を振り返った。
―おぉ、成実どの。―
―成実、戻ったのか。―
 今しがたな---と、言って、成実は、旅姿のまま、小十郎とは反対側の政宗の脇に腰を降ろした。
―無事に、済んだぜ。―
―すまんな。―

―本っ当に梵は戦が下手だからなぁ---。―
 成実は、政宗の命令で秀吉の死後、出奔と見せかけて、諸公の動向を探っていた。が、関ヶ原の直前、奥州に戻り、小十郎とともに白石の城を陥とした。
―やっぱり梵には、俺がついててやんないとなぁ---。―
 ニヤニヤする成実に、政宗はぶっきらぼうに言った。

―それで、どうなった。―
―無事に、住職に就任した。後は安泰だ。―

 彼らが話ているのは、政宗の弟、小次郎のことだった。武蔵に逃したあと、旅の僧侶に見せかけて、武蔵の情勢を探らせていた。北条責めの参陣も東軍への参加も、小次郎のもたらした情報に依るところが大きかった。
 だが、「死んだ」ことになっているため、奥州に呼び返すわけにもいかない。

 家康の内々の斡旋で、日野の古刹、大覚寺の住職に収まる手筈になった。名も伊達秀雄と成人の名を与えてからの再度の出家だった。その内密の段取りを成実が任されていた。

―兄上とともに戦場で戦えないのは残念ですが---―
 小次郎改め秀雄は、穏やかに笑っていたという。
―徳川殿は、江戸に幕府を開かれるそうですから---こちらに見えた時にはお会いすることも出来ましょう。―

―本っ当に、梵は優しいよなぁ---甘いとも言うけどな。―
―悪いか---。―
―いいやぁ~―
 成実は、ごくごくと水筒の水を飲み干して言った。

―梵は、そのまんまでいいんだよ。俺達は、そのまんまの梵を護る。その為にいるんだからさ。---―

 成実はちらっと小十郎を見やった。互いに、にっ---と目配せするふたりに、政宗は、少々むくれて立ち上がった。

―仕事に戻るぞ。小十郎、成実。早くせい。―
 
 心地良い風が新緑の青葉を揺らしていた。
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