4 / 22
第四話 上弦(一)
しおりを挟む
鬼庭綱元の所用がようやっと終わり、凝った肩をほぐしながら、梵天丸に退出の挨拶をせねば---とそちらに向かっていた矢先だった。
ガシャン!
物が割れるけたたましい音が響いた。
と同時に女がひとり、袖で顔を庇うようにして、部屋の中から走り出てきた。
小十郎は、足を早めて、梵天丸の部屋に向かった。
「如何なされた?」
女は梵天丸付きの侍女で、真っ青になった唇を震わせながら、縋るように小十郎を見た。
「梵天丸さまが---母さまからのお菓子と湯をお持ちしたら--急にお怒りになって---」
「出ていけ!みんな出ていけ!」
梵天丸は、部屋の中から尚も獣のごとく悲鳴に近い叫びを上げていた。
小十郎は、部屋の中に足を踏み入れた。
文机の上も床も乱雑に書物かわ散らばり、床の上には投げ出された菓子と器とがあっちとこっちに無惨な様相で転がっていた。
梵天丸さまは---、と見ると部屋の奥の隅で、じっと膝を抱えて踞っていた。
小十郎は、静かに、梵天丸の傍らに正座して、声を掛けた。
「梵天丸さま、小十郎めにございます。如何がなさいましたか---?」
小さな獣のように怯えた目が、一瞬、こちらを見た。---が、すぐに壁の方に顔を背けた。
「なんでもない。呼んでおらぬぞ、こじゅうろう。我れにかまうな。---出ていけ!」
やっと---の思いで喋っているのか、---少年は言葉を切ると、肩で荒く息をしながら、一層、壁に向かって縮こまった。
「承知つかまつりました。」
小十郎は、手短かに応え、様子を覗き見する侍女達に見えぬよう、気を配りながら、手早に『印』を結び、口の中で祓詞を呟いた。
少年の肩が僅かに緩んだのを確かめて、つぃ---と立ち上がった。
「それでは、これにて失礼つかまつります」
くるり---と踵を返し、袖の中に隠した手刀で、あたりを清めながら、部屋を出た。
「大事ございませぬ。ご案じ召されますな。」
真っ青になって駆けつけてきた喜多に一言告げて、小十郎は廊下に出た。
日が、西に傾きかけていた。
―逢魔が刻か---―
型通りに城を下がり、塀越しに少年の居室のあるあたりを伺いながら、帰途についた。
少年は、小十郎が思っていたより繊細だった。頭もいい、やっと習い始めた剣の稽古にも熱心だ。---だが、まだ、揺れ動く自分の心を抑えられぬ---。実際には、まだそんな年齢でもない。
―問題は---―
龍に飛び込まれたことで開いてしまった異界との境、だ。不用意にふいに開いてしまったために、雑多なものが絶え間なく覗く。
明確な姿は見えていなくても、不快な気配は、ふいに襲ってくる。その度に少年は怒り、叫ぶのだ。
事情を知らない周囲の者達は、病のために性格が変わった。内気になり、気難しくなった---と噂した。
―そんな簡単なもんじゃねぇ。---―
鬼庭左月の配下として、梵天丸の側近くに控えるようになって、はや2年。
龍の暴走を警戒しながら、朧気ながらも放たれるその光に寄ってくる異界の者達を人知れず、祓い除ける日々だった。
―だが、キリがねぇ---―
そのような雑多なものが寄り付かぬようにするには、徹底的に心身を鍛え、自らの「芯」をしっかり立てねばならない。
神域にいるなら、比較的容易いが、少年の住む城には、それでなくても雑多な想念が渦巻いている。そればかりか、いずれ少年は初陣を飾り、武士として戦場で生き死にのギリギリの瀬戸際を渡らねばならない。
―どうしたものか---―
小十郎は、頭を抱えていた。方法は、ひとつある。
ただ、それには、小十郎自身にも、相当な覚悟が求められる。
―参ったな---。―
逡巡に逡巡を重ねた末に、小十郎が梵天丸と二人きりで生活をさせてくれ---と輝宗に願い出たのは、その年の秋だった。
「一命を賭して、お護り致しますゆえ、何卒、某にお任せください。」
若輩者が---と謗る声もあったが、事情を知らぬ城の者は、事態をもて余しているのも確かだった。
許可は、思うより容易く降りた。
一番の難関は、母親の義姫だった---。
人払いをし、輝宗が、ひたすらに平身低頭する小十郎の傍らで、事情をなんとか説明する。
彼女は、最後には、しぶしぶと折れた。
「私は、人の母にはなれても龍の母にはなれませぬゆえ---」
そう言い放ち、部屋から出ていった。
―――これより後、梵天丸--伊達政宗と片倉小十郎との十数年に渡る苦闘の日々が始まる。
ガシャン!
物が割れるけたたましい音が響いた。
と同時に女がひとり、袖で顔を庇うようにして、部屋の中から走り出てきた。
小十郎は、足を早めて、梵天丸の部屋に向かった。
「如何なされた?」
女は梵天丸付きの侍女で、真っ青になった唇を震わせながら、縋るように小十郎を見た。
「梵天丸さまが---母さまからのお菓子と湯をお持ちしたら--急にお怒りになって---」
「出ていけ!みんな出ていけ!」
梵天丸は、部屋の中から尚も獣のごとく悲鳴に近い叫びを上げていた。
小十郎は、部屋の中に足を踏み入れた。
文机の上も床も乱雑に書物かわ散らばり、床の上には投げ出された菓子と器とがあっちとこっちに無惨な様相で転がっていた。
梵天丸さまは---、と見ると部屋の奥の隅で、じっと膝を抱えて踞っていた。
小十郎は、静かに、梵天丸の傍らに正座して、声を掛けた。
「梵天丸さま、小十郎めにございます。如何がなさいましたか---?」
小さな獣のように怯えた目が、一瞬、こちらを見た。---が、すぐに壁の方に顔を背けた。
「なんでもない。呼んでおらぬぞ、こじゅうろう。我れにかまうな。---出ていけ!」
やっと---の思いで喋っているのか、---少年は言葉を切ると、肩で荒く息をしながら、一層、壁に向かって縮こまった。
「承知つかまつりました。」
小十郎は、手短かに応え、様子を覗き見する侍女達に見えぬよう、気を配りながら、手早に『印』を結び、口の中で祓詞を呟いた。
少年の肩が僅かに緩んだのを確かめて、つぃ---と立ち上がった。
「それでは、これにて失礼つかまつります」
くるり---と踵を返し、袖の中に隠した手刀で、あたりを清めながら、部屋を出た。
「大事ございませぬ。ご案じ召されますな。」
真っ青になって駆けつけてきた喜多に一言告げて、小十郎は廊下に出た。
日が、西に傾きかけていた。
―逢魔が刻か---―
型通りに城を下がり、塀越しに少年の居室のあるあたりを伺いながら、帰途についた。
少年は、小十郎が思っていたより繊細だった。頭もいい、やっと習い始めた剣の稽古にも熱心だ。---だが、まだ、揺れ動く自分の心を抑えられぬ---。実際には、まだそんな年齢でもない。
―問題は---―
龍に飛び込まれたことで開いてしまった異界との境、だ。不用意にふいに開いてしまったために、雑多なものが絶え間なく覗く。
明確な姿は見えていなくても、不快な気配は、ふいに襲ってくる。その度に少年は怒り、叫ぶのだ。
事情を知らない周囲の者達は、病のために性格が変わった。内気になり、気難しくなった---と噂した。
―そんな簡単なもんじゃねぇ。---―
鬼庭左月の配下として、梵天丸の側近くに控えるようになって、はや2年。
龍の暴走を警戒しながら、朧気ながらも放たれるその光に寄ってくる異界の者達を人知れず、祓い除ける日々だった。
―だが、キリがねぇ---―
そのような雑多なものが寄り付かぬようにするには、徹底的に心身を鍛え、自らの「芯」をしっかり立てねばならない。
神域にいるなら、比較的容易いが、少年の住む城には、それでなくても雑多な想念が渦巻いている。そればかりか、いずれ少年は初陣を飾り、武士として戦場で生き死にのギリギリの瀬戸際を渡らねばならない。
―どうしたものか---―
小十郎は、頭を抱えていた。方法は、ひとつある。
ただ、それには、小十郎自身にも、相当な覚悟が求められる。
―参ったな---。―
逡巡に逡巡を重ねた末に、小十郎が梵天丸と二人きりで生活をさせてくれ---と輝宗に願い出たのは、その年の秋だった。
「一命を賭して、お護り致しますゆえ、何卒、某にお任せください。」
若輩者が---と謗る声もあったが、事情を知らぬ城の者は、事態をもて余しているのも確かだった。
許可は、思うより容易く降りた。
一番の難関は、母親の義姫だった---。
人払いをし、輝宗が、ひたすらに平身低頭する小十郎の傍らで、事情をなんとか説明する。
彼女は、最後には、しぶしぶと折れた。
「私は、人の母にはなれても龍の母にはなれませぬゆえ---」
そう言い放ち、部屋から出ていった。
―――これより後、梵天丸--伊達政宗と片倉小十郎との十数年に渡る苦闘の日々が始まる。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
歴史改変大作戦
高木一優
SF
※この作品は『歴史改変戦記「信長、中国を攻めるってよ」』第一部を増補・改稿したものです。
タイムマシンによる時間航行が実現した近未来、歴史の謎は次々に解明されていく。歴史の「もしも」を探求する比較歴史学会は百家争鳴となり、大国の首脳陣は自国に都合の良い歴史を作り出す歴史改変実験に熱中し始めた。歴史学者である「私」はひとつの論文を書き上げ、中国政府は私の論文を歴史改変実験に採用した。織田信長による中華帝国の統一という歴史改変を目的とした「碧海作戦」が発動されたのだ。これは近代において、中華文明を西欧文明に対抗させるための戦略であった。神の位置から歴史改変の指揮を執る私たちは、歴史の創造者なのか。それとも非力な天使なのか。もうひとつの歴史を作り出すという思考実験を通じて、日本、中国、朝鮮の歴史を、おちょくりつつ検証する、ちょっと危ないポリティカル歴史改変コメディー。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
架空戦記 隻眼龍将伝
常陸之介寛浩☆第4回歴史時代小説読者賞
歴史・時代
第四回歴史・時代劇小説大賞エントリー
♦♦♦
あと20年早く生まれてきたら、天下を制する戦いをしていただろうとする奥州覇者、伊達政宗。
そんな伊達政宗に時代と言う風が大きく見方をする時間軸の世界。
この物語は語り継がれし歴史とは大きく変わった物語。
伊達家御抱え忍者・黒脛巾組の暗躍により私たちの知る歴史とは大きくかけ離れた物語が繰り広げられていた。
異時間軸戦国物語、if戦記が今ここに始まる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この物語は、作者が連載中の「天寿を全うしたら美少女閻魔大王に異世界に転生を薦められました~戦国時代から宇宙へ~」のように、異能力・オーバーテクノロジーなどは登場しません。
異世界転生者、異次元転生者・閻魔ちゃん・神・宇宙人も登場しません。
作者は時代劇が好き、歴史が好き、伊達政宗が好き、そんなレベルでしかなく忠実に歴史にあった物語を書けるほどの知識を持ってはおりません。
戦国時代を舞台にした物語としてお楽しみください。
ご希望の登場人物がいれば感想に書いていただければ登場を考えたいと思います。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
命の番人
小夜時雨
歴史・時代
時は春秋戦国時代。かつて名を馳せた刀工のもとを一人の怪しい男が訪ねてくる。男は刀工に刀を作るよう依頼するが、彼は首を縦には振らない。男は意地になり、刀を作ると言わぬなら、ここを動かぬといい、腰を下ろして--。
二人の男の奇妙な物語が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる