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二 通小町
百夜通い(一)
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雪が、絶え間なく降っている。風も強い。
小町の身体に入った俺は、外の様子に眉をひそめる。
俺は閻魔さまは時を逆さまに、つまりは深草少将や水本とは逆に過去の小野小町の身体に俺の魂を入れてもらった。『選択』し直すために。
「雪が止みませぬな」
傍らにいた乳母の命婦がため息混じりに言う。
「あの方は、今宵もお見えになるのかしら......」
あの言葉は戯れだった。
あまりにも真剣な眼差しに否と言うことが出来ず、百夜通いなどと口にしてしまった。
もう恋などするつもりは無かったのに。男の真心など信じてはいない。
あの方も他の公達と同じ。幾夜もしないうちに諦めてくださるはず、そう思っていたのに。
「あの方に、少将様にお文を。今夜は雪もひどくなりますから、おいでくださいますな、と」
外はまだ夕暮れ。今ならまだ間に合う。けれど頑なあの方は受け入れぬやもしれない。
私ー俺は命婦に雑色を使いに出すように言う。
「もしそれでもおいでくださいますなら、赤い袍をお召しになって来てください、と必ず伝えよ」
万一の時の非常手段だ。遭難者を速やかに発見するには、派手な色のほうがいい。いや、駄洒落じゃないよ。
乳母はものすごく訝しげな顔をする。
「姫さまが、あの御方に情けをかけられるなど......」
深草少将にどんだけ塩対応してたのよ、俺。
いや、人命第一だから。
それに小町の俺は、あの方ー深草少将が嫌いなわけじゃない。一途で真面目で、小町にどんなに突っけんどんにされても怒らない。
けれど、小町はその男の真心が怖いのだ。
様々な公達と浮き名を流してはいたけれど、みんな真剣じゃない。軽い言葉に気紛れな駆け引き。つまりは恋はゲームでしかない。真剣になれば傷つくだけだと、周りの女御達の姿が教えてくれた。
煩らわしいから、男達が次々目移りしていく様も見苦しくて見たくないから、そうそうに出仕も止めた。
それでも文をよこしたり、通ってくる公達はいたけれど、みんな二度三度、冷たくあしらうと来なくなった。
ー恋など、嫌い。恋など、したくないー
それゆえの苦肉の策の百夜通いだった。これまで持ち掛けた公達は、その場で怒るか、せいぜい十日が良いところだった。
ーなのに.....ー
あの方は真に受けて、本当に毎夜通って、はや九十九夜目になる。
ーあの方が、本当に百夜通してしまったら......ー
自分はどうするのだろう、どうなるのだろう......。
戸惑いと混乱が胸に渦巻く、あり得ないと思っていたことが起きようとしていることはやっぱり怖い。
ーだから、小町は何も出来なかったー
でも、俺は以前の小野小町じゃない。出来るかぎり最善を尽くす。
「少将様からお返事でございます。お心遣いはありがたいが、お約束ゆえ、必ず参る......と。仰せのとおり、赤の袍を着ていく、と」
「あんの頑固者!」
思わず漏れた言葉に、乳母がドン引いた。ゴメン、つい。
ー待つしかないか......ー
雪は激しくなる。
時計が無いから、時間がわからない。
出された夕餉は、はっきり言ってヒドイ。カラカラの干物ばかり。そりゃたんぱく質もビタミンも不足するわ。脚気で下膨れて、挙げ句に死ぬの、わかるわ。
仕方なくモソモソ食って、また外を見る。
まだ雪は止まない。風も一層強くなっている。
「姫さま、お寒うございましょう。奥にお入りくださいませ」
そりゃ寒いけど、スダレもとい御簾の中だから大丈夫。やたら厚着で動くの億劫だし。でも思ったより十二単って軽いのね。
いや十分重いには重いんだけど、色部達の体験コースで片袖突っ込んだ感じよりはかなり軽い。布の造りが違うんだな、きっと。
「外の様子が気になります。火鉢を出来るだけ焚いて。灯りも出来るだけ灯して、蔀戸は閉めないで」
深草少将だけでなく、通る人の目印、燈台がわりだよ。
またまた変な顔をする乳母。
お父さんの小野篁は、野狂、変人って呼ばれてるでしょ、遺伝だよ遺伝。そういうことにしといて。
それにしても夜が長い。確かに眠くなってくるし、イラってくる。時折り遠くから寺の鐘の音がしてくる。
「今は何時......いや、何の刻?」
「亥の刻でございます」
小町の問いに乳母が畏まって答える。亥の刻って言うと九時か、微妙だな。
「遅い......」
わざとらしい俺の呟きに乳母はもっともらしく頷く。
ーやっぱり迷っている可能性大だなー
乳母の反応からするといつもならとっくに付いていそうなふうだ。
「雪は?」
乳母に目配せされた侍女が簾を掲げた。清少納言が主上に誉められてから流行っているらしい。トレンド一位だぞ、清原。すげえな。
「まだ、止みませぬ」
「風は?」
「少し弱まりましたが、あまり.....」
ヤバい。これは絶対的にヤバい。今、探しに行かせたら二次災害になる。
俺はジリジリしながら風が止むのを待った。どれくらい時が過ぎたか......寺の鐘がもう一度鳴ってしばらくした頃に、侍女が声を上げた。
「風が止みました。雪もほぼ...」
嬉しそう。止まなかったら徹夜なの察してたね。でも続き、あるから。
俺は頷いて、乳母に命令する。
「少将様を探して。雑色も奴卑も総出で、都の辻という辻、大路という大路を巡って、赤い袍の公達を探し出しなさい」
乳母が目を真ん丸くする。仕方ないじゃん。非常事態なんだから。見つけたら、当然、連れてくるんだよ。
小町の身体に入った俺は、外の様子に眉をひそめる。
俺は閻魔さまは時を逆さまに、つまりは深草少将や水本とは逆に過去の小野小町の身体に俺の魂を入れてもらった。『選択』し直すために。
「雪が止みませぬな」
傍らにいた乳母の命婦がため息混じりに言う。
「あの方は、今宵もお見えになるのかしら......」
あの言葉は戯れだった。
あまりにも真剣な眼差しに否と言うことが出来ず、百夜通いなどと口にしてしまった。
もう恋などするつもりは無かったのに。男の真心など信じてはいない。
あの方も他の公達と同じ。幾夜もしないうちに諦めてくださるはず、そう思っていたのに。
「あの方に、少将様にお文を。今夜は雪もひどくなりますから、おいでくださいますな、と」
外はまだ夕暮れ。今ならまだ間に合う。けれど頑なあの方は受け入れぬやもしれない。
私ー俺は命婦に雑色を使いに出すように言う。
「もしそれでもおいでくださいますなら、赤い袍をお召しになって来てください、と必ず伝えよ」
万一の時の非常手段だ。遭難者を速やかに発見するには、派手な色のほうがいい。いや、駄洒落じゃないよ。
乳母はものすごく訝しげな顔をする。
「姫さまが、あの御方に情けをかけられるなど......」
深草少将にどんだけ塩対応してたのよ、俺。
いや、人命第一だから。
それに小町の俺は、あの方ー深草少将が嫌いなわけじゃない。一途で真面目で、小町にどんなに突っけんどんにされても怒らない。
けれど、小町はその男の真心が怖いのだ。
様々な公達と浮き名を流してはいたけれど、みんな真剣じゃない。軽い言葉に気紛れな駆け引き。つまりは恋はゲームでしかない。真剣になれば傷つくだけだと、周りの女御達の姿が教えてくれた。
煩らわしいから、男達が次々目移りしていく様も見苦しくて見たくないから、そうそうに出仕も止めた。
それでも文をよこしたり、通ってくる公達はいたけれど、みんな二度三度、冷たくあしらうと来なくなった。
ー恋など、嫌い。恋など、したくないー
それゆえの苦肉の策の百夜通いだった。これまで持ち掛けた公達は、その場で怒るか、せいぜい十日が良いところだった。
ーなのに.....ー
あの方は真に受けて、本当に毎夜通って、はや九十九夜目になる。
ーあの方が、本当に百夜通してしまったら......ー
自分はどうするのだろう、どうなるのだろう......。
戸惑いと混乱が胸に渦巻く、あり得ないと思っていたことが起きようとしていることはやっぱり怖い。
ーだから、小町は何も出来なかったー
でも、俺は以前の小野小町じゃない。出来るかぎり最善を尽くす。
「少将様からお返事でございます。お心遣いはありがたいが、お約束ゆえ、必ず参る......と。仰せのとおり、赤の袍を着ていく、と」
「あんの頑固者!」
思わず漏れた言葉に、乳母がドン引いた。ゴメン、つい。
ー待つしかないか......ー
雪は激しくなる。
時計が無いから、時間がわからない。
出された夕餉は、はっきり言ってヒドイ。カラカラの干物ばかり。そりゃたんぱく質もビタミンも不足するわ。脚気で下膨れて、挙げ句に死ぬの、わかるわ。
仕方なくモソモソ食って、また外を見る。
まだ雪は止まない。風も一層強くなっている。
「姫さま、お寒うございましょう。奥にお入りくださいませ」
そりゃ寒いけど、スダレもとい御簾の中だから大丈夫。やたら厚着で動くの億劫だし。でも思ったより十二単って軽いのね。
いや十分重いには重いんだけど、色部達の体験コースで片袖突っ込んだ感じよりはかなり軽い。布の造りが違うんだな、きっと。
「外の様子が気になります。火鉢を出来るだけ焚いて。灯りも出来るだけ灯して、蔀戸は閉めないで」
深草少将だけでなく、通る人の目印、燈台がわりだよ。
またまた変な顔をする乳母。
お父さんの小野篁は、野狂、変人って呼ばれてるでしょ、遺伝だよ遺伝。そういうことにしといて。
それにしても夜が長い。確かに眠くなってくるし、イラってくる。時折り遠くから寺の鐘の音がしてくる。
「今は何時......いや、何の刻?」
「亥の刻でございます」
小町の問いに乳母が畏まって答える。亥の刻って言うと九時か、微妙だな。
「遅い......」
わざとらしい俺の呟きに乳母はもっともらしく頷く。
ーやっぱり迷っている可能性大だなー
乳母の反応からするといつもならとっくに付いていそうなふうだ。
「雪は?」
乳母に目配せされた侍女が簾を掲げた。清少納言が主上に誉められてから流行っているらしい。トレンド一位だぞ、清原。すげえな。
「まだ、止みませぬ」
「風は?」
「少し弱まりましたが、あまり.....」
ヤバい。これは絶対的にヤバい。今、探しに行かせたら二次災害になる。
俺はジリジリしながら風が止むのを待った。どれくらい時が過ぎたか......寺の鐘がもう一度鳴ってしばらくした頃に、侍女が声を上げた。
「風が止みました。雪もほぼ...」
嬉しそう。止まなかったら徹夜なの察してたね。でも続き、あるから。
俺は頷いて、乳母に命令する。
「少将様を探して。雑色も奴卑も総出で、都の辻という辻、大路という大路を巡って、赤い袍の公達を探し出しなさい」
乳母が目を真ん丸くする。仕方ないじゃん。非常事態なんだから。見つけたら、当然、連れてくるんだよ。
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