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一 奥の細道
天の原......
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「あちぃ......」
夏休みも後半。課題の山もようやっと片付いてきた頃、家のインターフォンがけたたましく鳴った。あの人だ。
俺は重い腰を上げて、玄関に迎えに出る。
「お帰り、お袋」
「ただいま~。暑いわねぇ。なんか飲むもの無いの?」
お袋は、よっこらせと言わんばかりにデカいキャリーを玄関に放り出して、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを一気飲み。相変わらず豪快ですな、母上。
「あんた、お父さんに会いにいったんだって?」
いや、別に会いにいった訳じゃなくて、所用の帰りに立ち寄っただけなんだけど。
「あの人、元気だった?」
「元気だったよ。......正月には帰ってくるって」
「そう」
素っ気ないようで顔が嬉しそう。結構仲いいんだよね、いまだに。滅多に顔を合わせないからかもしれない。亭主元気で留守がいい、の典型なのかな。もっともしょっちゅう留守してますけどね、この女房も。
この豪快な夫婦から、よく俺みたいな繊細な子どもが出来たもんだ、って時々つくづく思う。
「あれ?加菜恵は?」
一緒に帰ってくると思った妹の姿が無い。
「あぁ、カナちゃんはまだ安倍のおじいちゃんのとこ。週末にテーマパークに行くんだって。清明さんも帰ってきているから」
清明さんは俺の従兄弟で京都の大学に行ってる。これまたビジュアル偏差値の高いイケメンで妹の加菜恵はゾッコンなんだ。
『お父さんみたいにゴツくなくて、お兄ちゃんみたいにナヨっちくないから、いいの』
って、ナヨっちくて悪かったな。これでも一応、剣道初段なんだぞ。中学でやめたけど。
「そう言えば、松尾のじいちゃんにも会ったよ。相変わらずだったけど」
俺の言葉にお袋があら?という顔をした。
「珍しいわね。松尾の叔父さんが顔を見せるなんて......あ、でもコマちゃんのことはお気に入りだからかな」
「わからんけど.......お袋、いい加減、その呼び方止めろよ」
「あら、いいじゃない」
イヤだ。呼ばれるたびにアザラシになった気分になるから、いい加減止めてくれ。
「なぁお袋、松尾のじいちゃんて若い頃、何やってたの?」
と尋ねる俺にお袋がカラカラと笑う。
「今のまんまよ。おばあちゃんの実家、松尾の家は、老舗の和菓子屋さんなんだけど、貴彰叔父さんは修行とかあんまり好きじゃなくて、旅してばっかりいたの」
言いながら、冷凍庫のドアに手を掛けるお袋。今度はアイスですか。腹壊すぞ。
「で、松尾のおじいちゃん、あんたのひいおじいちゃんが亡くなると、一番弟子だった礎良さんにお店を譲って、自分は安いアパートに住んで好きな写真に没頭してたわ」
まぁ売れたから良かったけどね、とお袋。
「そのうち東京のアパートも引き払って、東北行っちゃて、安倍のお母さんは随分心配してたわ。何をしてても可愛い弟だから」
最近は東京に帰ってくると、姉さんー安倍の家の離れに寝泊まりしてるんだって。
ー草の戸も住み替わるよぞひなの家ーとか言って、東北の住まいも転々としているらしい。
まあ、松尾芭蕉だからね。旅に病んでも夢は荒野を駆け巡る人だから、一つ処に落ち着くなんてないんだろうな。
「あ、そう言えば!」
カップアイスの二個目に手を掛けたお袋が、ふいにすっ頓狂な声をあげた。
「安倍のお義兄さん、ようやく日本に帰ってくるみたい。お父さんに知らせてあげなきゃ」
そそくさとスマホを引き寄せて親父にメールを打ち始める。
「安倍の叔父さんて、ずっと中国に行ってた人?」
「そうよ。央理さん、中国支社長になってもぅ十年以上だったけど、やっと後任が決まったの。吉備さんて、央理さんよりはちょっと劣るけど出来る人よ」
「良かったね......」
安倍の叔父さんは大きな貿易会社に勤めてて、中国の取引先に凄く気に入られてなかなか後任が見つからなかったんだって。
実はお袋が仕事関係で先に出逢ったのはお兄さんの央理さんなんだけど、お袋は紹介された弟の親父の方が気に入って、婿養子もオッケーだったんで結婚したんだそうだ。
まぁ一人娘だもんな、お袋。良かったじゃん。
「真那さんも喜ぶわね。きっと」
だろうね。央理さんの奥さん、真那さんの家は確かお寺だったよな。なんとなく俺分かっちゃった、大陸繋がり。今世は無事に帰国出来て何よりです。
きっと叔父さんが帰ってきたら、安倍家でお月見会するんだろうな。
三笠山、食いたくなったな......。
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも
(安倍仲万呂 百人一首 第7番 『古今集』羇旅・406番)
夏休みも後半。課題の山もようやっと片付いてきた頃、家のインターフォンがけたたましく鳴った。あの人だ。
俺は重い腰を上げて、玄関に迎えに出る。
「お帰り、お袋」
「ただいま~。暑いわねぇ。なんか飲むもの無いの?」
お袋は、よっこらせと言わんばかりにデカいキャリーを玄関に放り出して、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを一気飲み。相変わらず豪快ですな、母上。
「あんた、お父さんに会いにいったんだって?」
いや、別に会いにいった訳じゃなくて、所用の帰りに立ち寄っただけなんだけど。
「あの人、元気だった?」
「元気だったよ。......正月には帰ってくるって」
「そう」
素っ気ないようで顔が嬉しそう。結構仲いいんだよね、いまだに。滅多に顔を合わせないからかもしれない。亭主元気で留守がいい、の典型なのかな。もっともしょっちゅう留守してますけどね、この女房も。
この豪快な夫婦から、よく俺みたいな繊細な子どもが出来たもんだ、って時々つくづく思う。
「あれ?加菜恵は?」
一緒に帰ってくると思った妹の姿が無い。
「あぁ、カナちゃんはまだ安倍のおじいちゃんのとこ。週末にテーマパークに行くんだって。清明さんも帰ってきているから」
清明さんは俺の従兄弟で京都の大学に行ってる。これまたビジュアル偏差値の高いイケメンで妹の加菜恵はゾッコンなんだ。
『お父さんみたいにゴツくなくて、お兄ちゃんみたいにナヨっちくないから、いいの』
って、ナヨっちくて悪かったな。これでも一応、剣道初段なんだぞ。中学でやめたけど。
「そう言えば、松尾のじいちゃんにも会ったよ。相変わらずだったけど」
俺の言葉にお袋があら?という顔をした。
「珍しいわね。松尾の叔父さんが顔を見せるなんて......あ、でもコマちゃんのことはお気に入りだからかな」
「わからんけど.......お袋、いい加減、その呼び方止めろよ」
「あら、いいじゃない」
イヤだ。呼ばれるたびにアザラシになった気分になるから、いい加減止めてくれ。
「なぁお袋、松尾のじいちゃんて若い頃、何やってたの?」
と尋ねる俺にお袋がカラカラと笑う。
「今のまんまよ。おばあちゃんの実家、松尾の家は、老舗の和菓子屋さんなんだけど、貴彰叔父さんは修行とかあんまり好きじゃなくて、旅してばっかりいたの」
言いながら、冷凍庫のドアに手を掛けるお袋。今度はアイスですか。腹壊すぞ。
「で、松尾のおじいちゃん、あんたのひいおじいちゃんが亡くなると、一番弟子だった礎良さんにお店を譲って、自分は安いアパートに住んで好きな写真に没頭してたわ」
まぁ売れたから良かったけどね、とお袋。
「そのうち東京のアパートも引き払って、東北行っちゃて、安倍のお母さんは随分心配してたわ。何をしてても可愛い弟だから」
最近は東京に帰ってくると、姉さんー安倍の家の離れに寝泊まりしてるんだって。
ー草の戸も住み替わるよぞひなの家ーとか言って、東北の住まいも転々としているらしい。
まあ、松尾芭蕉だからね。旅に病んでも夢は荒野を駆け巡る人だから、一つ処に落ち着くなんてないんだろうな。
「あ、そう言えば!」
カップアイスの二個目に手を掛けたお袋が、ふいにすっ頓狂な声をあげた。
「安倍のお義兄さん、ようやく日本に帰ってくるみたい。お父さんに知らせてあげなきゃ」
そそくさとスマホを引き寄せて親父にメールを打ち始める。
「安倍の叔父さんて、ずっと中国に行ってた人?」
「そうよ。央理さん、中国支社長になってもぅ十年以上だったけど、やっと後任が決まったの。吉備さんて、央理さんよりはちょっと劣るけど出来る人よ」
「良かったね......」
安倍の叔父さんは大きな貿易会社に勤めてて、中国の取引先に凄く気に入られてなかなか後任が見つからなかったんだって。
実はお袋が仕事関係で先に出逢ったのはお兄さんの央理さんなんだけど、お袋は紹介された弟の親父の方が気に入って、婿養子もオッケーだったんで結婚したんだそうだ。
まぁ一人娘だもんな、お袋。良かったじゃん。
「真那さんも喜ぶわね。きっと」
だろうね。央理さんの奥さん、真那さんの家は確かお寺だったよな。なんとなく俺分かっちゃった、大陸繋がり。今世は無事に帰国出来て何よりです。
きっと叔父さんが帰ってきたら、安倍家でお月見会するんだろうな。
三笠山、食いたくなったな......。
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも
(安倍仲万呂 百人一首 第7番 『古今集』羇旅・406番)
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