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そうだ、海に行こう

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──こんな町、早く抜け出して二人でどこか遠いところに行こう。

 俺と茅知かやちはいつもそんな話をしていた。
 正確に言えば、茅知だけの言葉だった。独り言なのだろう。会話ではなく、漠然と口から零れた言葉。
 でも今思えば、あれは意志を固めるために口に出していたのかもしれない。
 茅知は会話として口に出していた訳では無かったのに「どこへ行こうか?」なんて返答して、俺が勝手に会話にしたのが始まりだ。
 独り言にちゃちゃを入れるのは初めてじゃなかった。ちゃちゃをいれると、大抵独り言を言っている自覚がない茅知が、驚いてから恥ずかしそうに唇を尖らせて拗ねて怒る。それを見るのが面白くて好きだった。
 だから、あの時もそうなるんだろうなと思っていたけれど違った。
 茅知は確かに驚いたようだったが、いつもの独り言を自覚した驚きではないみたいで、なんだか嬉しそうだったのを覚えている。
 それを見て、もっと早く会話にしていれば良かったなと思った。
 茅知は繊細だ。
 俺より身長がスマホ1個分くらい高くて、ちゃんとした運動部で、足が早い。
 なので、こんな意見に同意してくれるのはこの世界で茅知のおばあちゃん以外に誰もいないんだろうけど、俺は茅知は繊細で触れれば壊れるとすら思っている。だから、つい茅知に触れるのを躊躇ってしまうけれど……それでは駄目なのだと思ったのもこの時だった。

 二人の会話になったことで、どこに住もうかという会話に発展して、遂には肩を寄せ合って、俺のタブレットからストリートビューアーを眺める時間になった。
 茅知は真剣な顔をして、コンビニが意外と遠いなんて言うから俺も本気。
 旅行じゃないから観光地みたいに綺麗じゃなくていい。ごはんが美味しいところがいい。カップラーメンならどこでも食える。水道水が飲めなくてもいい。二人で住むんだから、二人で住めるところ。
 俺たちが許される何処か遠く。
 ……ああ、あと、茅知は海があるところを好んだ。
 なんでだろうと思って聞いたことがある。
旗瀬はたせは海が見えた方がいいだろ?」
「俺は別に海好きじゃないけど」
「そんな名前しといて?」
「それを言うなら、俺の両親が海好きだったんじゃないの?」
 旗と瀬がくっついた名前。
 言われてみれば、海のイメージがあるけれど……それぞれ別とするなら海じゃないような気もする。微妙なラインだ。
「旗瀬のご両親が海好き? こんな海の無いクソ田舎に住んどいて?」
 それは知らんとしか言えないから黙った。
 名前の由来なんか覚えてない。名前の由来を両親に聞く授業がある度に聞いてたけどサッパリ覚えてない。
「やっぱり、海の見える所がいいよな。旗瀬はこんなとこより海が似合う」
 茅知はとにかくこの町が嫌いだったけど、俺はそんなに嫌いでもなかった。
「茅知がそう言うんなら、きっとそうなんだな」
 俺はただ、茅知が好きなだけ。

 ……別に、付き合っているわけじゃない。茅知も俺のことが好きなんだろうけど関係性は友達だ。
 付き合ったら、終わり。
 この町で男同士で付き合うなんて言ったらどうなるか。
 だから俺らは何処か遠くに行くしかない。
 もし、この町が俺たちのことを受け入れるまではしなくても……二人の好き合う者同士としてそっとしておいてくれるなら、俺は別にこの町に居てもいい。
 茅知と二人、結局この町が一番だなんて言いながら生きていく未来があるんじゃないかと思う。
 そもそも、茅知は魅力的だ。この俺を惚れさせるほど魅力溢れるんだからこの町から出たら俺以外に行かないとも限らない。
 ああ、海なんか見えなくても、構わない。恋人の称号だって我慢出来る。
 茅知とずっと二人でいられますように。

 そう思っていたのは、俺だけだったらしい。
 茅知は、俺と二人で何処か遠くへ行きたかった訳じゃなかったらしい。
 茅知は、とにかくどこか遠くへ行きたかっただけだった。らしい。

 茅知は一人でも良かったらしい。
 テスト週間中、お昼を俺とストリートビューアーを見ながら食べた日の午後。
 茅知は家出した。

 茅知の母親は泣いて喚いてヒステリックになって、俺に掴みかかって罵った言葉に、茅知が俺と仲良くしていた理由が隠されていた気がしてならない。
 いやそんな、茅知はそんなやつじゃない。茅知なら「そんなわけなくね?」って言う。
 俺が知ってる茅知ならそうだ。でも、俺を置いてどこかへ行ってしまった茅知は知らない。
 茅知は、そんなやつだったのかもしれない。

『余所者の分際で、うちのカヤちゃんに何吹き込んだのよ!!』

 俺は知らなかったけど、うちの家族は俺が産まれる前にこの町に引っ越して来たらしい。
 だから、俺も余所者だそうで。
 ……いや、知らないなんて嘘だ。
 気付いていた。
 茅知の母親みたく面と向かって堂々とそんなことを言ってくる人がほとんど居ないだけで、なんとなく分かっていた。
 なんとも言えない、あの空気感。
 敵意とはまた違う、誰も俺たちを信用していない感覚。刺さるような目線。
 茅知はそうじゃなかったから気にしてなかっただけ。茅知の隣なら何も気にせずに居れた。
 ……ああ、でも茅知は俺が余所者だから話しかけてくれたのかもしれないってことか。
 親戚とかがこの町に居ない俺が、どこか遠くへ連れ出してくれるのを期待していたのかもしれない。
 茅知の目には俺がさぞ、使えない男に映っただろうな。
 ……利用するために近付いたんなら、ちゃんと利用してくれ。ハッキリ、そう言ってくれ。
 俺のことは別に愛している訳じゃないって。
 俺と一緒に生きたいわけじゃないって。
 言ってくれよ。俺は察しの悪い使えない男だから切り捨てたんだから、そう言ってくれないと……困る。
 困るよ茅知……。
 ああ、茅知。どうか海へは行くな。
 口付けて、沈めてやりたくなる。
 これが俺の愛か。
 茅知、お前はどうだ?
 俺はこんなんなら、愛なんて一生知らなくてよかったよ。


ーーーーーーー


旗瀬はいい匂いがする。
 家のヤツらよりも、他の誰かよりも。

 地主の息子で、怒りっぽくて横暴でワガママなのが俺。
 すぐカッとなるのを自分で抑えられなかった。だから旗瀬との絡みもそうだった。
 ただ、旗瀬は他と違った。
「茅知ってひとりで面白いな」
 そう言った、同じクラスなだけの余所者にカッとして胸ぐらを掴んだら……凄くいい匂いがして。
 初めて、何かを殴りつける前に怒りが収まった。
「その勢いで殴らねぇの、やっぱ茅知って面白いな」
 俺からすれば、旗瀬がなんかしたのかとしか思えなかったのに。
 旗瀬はただ笑っていた。
 それが綺麗だった。
 俺がテレビで見た中で自然界で綺麗だと思うものは、青い空と太陽の光で反射してキラキラ光る海。それと、音が鳴る砂浜。
 そこに旗瀬を並べても遜色ないとすら思った。
 俺はおかしくなってしまったのか。
 いい匂いがする綺麗なだけの男にそんな印象を抱くなんて。
「……お前俺になんかしたか?」
「俺、お前って呼ばれるの嫌」
 胸ぐらを掴まれたまま、イーッと歯を見せて威嚇する旗瀬になんでかどっと汗が出てすぐ謝った。
 ……自分から謝るなんてことも無いのに。
 初めて、人が嫌がることをしない理由が分かった気がする。旗瀬の嫌がることをしたと思うと、汗が出て心臓がギュッとなった。
 普段の俺はこんなんじゃない。
 でも、自分はどうしてしまったのかなんて分かるわけもない。
 分かることといえば、そういえば旗瀬は『余所者』で。だからいい匂いがするし、こんなにも綺麗なんだろうなってことくらい。
 『余所者』はみんなそうなのか、それとも旗瀬だけ特別なのか。……このクソみたいな町にいる『余所者』は旗瀬だけだから、どっちでも変わらないか。
 俺は旗瀬の胸ぐらを解放して、更に普段は言わないようなことを重ねた。
「俺、旗瀬と友達になりたいんだけど。どうすればいい?」
「知らん」
 旗瀬は首を傾げて言い放った。

 それから、俺と旗瀬は仲良くなった。
 旗瀬はそれなりに交友関係が広いが、どれも浅い。
 それが時間をかければ親密度が上がるのかと言えば……実はそうでも無いことに気付いたのか。それとも無意識に感じて息が詰まったのか。
 最初は俺ばっかり旗瀬に声をかけていたのにいつの間にか旗瀬から声をかけられるようになった。
 旗瀬と俺はずっと一緒に居た。
 旗瀬本人が気付いてないクセに俺が知っていて、逆に俺の知らない俺のクセを旗瀬が知っていたりする。
 旗瀬の隣は楽だ。
 旗瀬のおかげで外でイライラすることも減った。クソ家ではイライラしたけど、口を聞かなければイライラせずに済むことに気づいた。
 それは旗瀬の隣は呼吸がしやすいからとか、いい匂いがするからとかじゃなく。
 短気ですぐ手が出ることを実は気にしているとぼやいたとき。
「茅知が殴ったり壊した分、俺が茅知を殴る」
 そう言った旗瀬に冗談だろうと思っていた五分後には有言実行されたからだ。旗瀬は何の躊躇いもなく俺の鳩尾に切り込むような手刀を食らわせた。
 旗瀬は本気の目をしていた。
 そういう、ところだ。
 茶化すときはとことん茶化すくせに、そういうところが……。

 俺は、あんなに心地のいい旗瀬の隣がしんどくなっていた。
 あの白い頬に触りたい。
 薄くて存在感を消している唇を舐めて紅く染めたい。
 小ぶりな喉仏に噛み付きたい。
 襟元に顔を突っ込んで匂いを嗅ぎたい。
 そんなことをして、怒ったり照れたりドン引きしたりする旗瀬に……許されたい。
 それをするには、どこか遠くへ行くしかない。
 俺と旗瀬が許される、この世のどこか。こんなクソの町じゃだめだ。
 地主の一人息子の俺は結婚して子孫を残さなければならない。
 親戚一同、いや旗瀬以外の町全体が子供の頃から俺に優しくて強く出れないのも、俺の精子のためだ。
 そんな人々から愛される精子を、俺は旗瀬のことを考えながらティッシュに吐き出している。
 やりたくてやってる訳じゃない。なんなら要らないから勝手に持って行って欲しい。寝落ちした旗瀬の涎に興奮してしまう下半身、本当に要らない。
 そうやって、俺はいつも周囲に申し訳ない気持ちと、人として扱われていない嫌悪感がついてまわっていた。
 旗瀬で精通し、最近の旗瀬とよくする遠くに行く話のせいで駆け落ち妄想が捗る俺は……。
 本当は、その妄想通り旗瀬と一緒に何処までも行きたい。
 駆け落ち? 愛の逃避行?
 悲しいことに俺と旗瀬はそんな仲じゃない。
 俺は旗瀬さえいればどうでもいいけど、旗瀬はそうじゃない。旗瀬にとって隣にいて居心地のいい相手が俺だ。
 それなのに俺は、いい匂いがする旗瀬を俺の臭い精液で穢したい。穢して、犯して。泣き顔なんか見たことない旗瀬が甘く痺れて鳴くようなことを沢山して……そして「茅知なら仕方ないか」なんて許されたいと思っている。

 綺麗な旗瀬を汚すことしか考えられないなんて。

 ……俺は旗瀬と一緒にいない方がいい。
 そんな当たり前のことにやっと気付いた時、俺は家出した。
 どこでもいい。
 クソみたいな町から出て、俺の手が旗瀬に届かないような遠くへ。

 ああ、でも旗瀬みたいに綺麗な海が見えるところにしよう。旗瀬のことを忘れたいわけじゃない。
 穢らわしいほどに愛しているのだから。
 ……もし、このさざ波の音が俺の邪な感情を浄化してくれる時が来たら。
 友達として、旗瀬をあの町から連れ出そう。
 愛しているのだから。
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