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第二章:

マイ・フェアリー・レディ①

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 初夏と呼ばれる季節だが、夏至にはまだひと月もある。日中は暑いくらい麗らかだというのに、夕暮れ時となるとそのぬくもりが消えて、すうっと大気が冷えてくる。王都の市街地でも、慌てて上着やストールを被る人々の姿が散見された。

 (こりゃ、いろいろ準備してきて正解だったな。うっかり風邪でも引いたらいい笑いモンだ)

 そんなことを胸中でつぶやきつつ足を進める。家路を急ぐ人と酒場に繰り出す人でごった返す表通りだが、まるで誰もいないかのようにすいすい歩いていく。

 もっとも、周りがそれを気に留めることはない。ごく自然に気配を断って、極力人目に触れないようにしているからだ。拠点と決めた地以外で活動する際、常に心掛けていることだった。

 (……ちょっと気を抜いてたばっかりにやらかしたしな、こないだは)

 相手に怪我がなくて本当に良かった。あれはよくよく見なくても、日々大切に手入れをしている髪だ。本人は千切っていいと言ったが、そうなったら自分の方が気が咎めて仕方なかったろう。

 一旦、通りに面した中でもひときわ大きい店舗の脇で立ち止まる。人の流れを阻害しないよう、横手の路地に半分入り込んで、耳に神経を集中させる。

 『――術を弾かれた反動で、杖の軸にひびが入ってしまって。修理をお願いしたいのですが』
 『――この魔石、鑑定してもらえんかね? 今のパーティには鑑識スキル持ちがいなくてなぁ』
 『――薬草がちょっと合わないみたいで……もう少し効き目の穏やかなものってあるかい?』
 『――ねえねえ、聞いた? 公爵様の娘さんの話』

 よし、かかった。客たちの注文の合間に、探していた情報を拾って目を細める。そのままそちらに注意を傾けて聞き取るに、どうやら手の空いた店員たちの会話のようだ。

 『聞いた聞いた。いまお城にいらしてるんでしょ?』
 『そうなの! お昼くらいにお店の用事で寄らせてもらったんだけど、もうその話で持ち切り』
 『お身体が弱くて、お母様の実家で養生してたんだっけ? もういいのかしら』
 『うん、一応そうみたい。……実はねぇ、運よく馬車から降りてくるのを見れたんだよね~』
 『えっマジで!? どんなひとだった?』
 『もうね、ほんっとに綺麗だった……! お城の人が言うには、今夜は歓迎も兼ねて舞踏会らしいよ……!!』
 『わあぁ、いいなぁ……! そんなお姫様がいたらさ、ロマンスの一つや二つ生まれるよね絶対……!!』

 実に和やかで平和なうわさ話に、聞いている方は思わず苦笑した。声の感じからすると十代半ばから後半、己の主と同年代といったところか。この年頃のお嬢さん方というのは、本当にこの手の話題が好きだ。

 (意外と身の回りにはないもんなのかねぇ。……いや、違うか)

 自分の手が届かないものや、決して交わることのない違う世界に、人は無邪気に憧れを抱くものだ。……その高嶺の花に、どんな恐ろしい毒が隠されているか、知らないがゆえに。

 深いところに沈みかけた思考を、軽く頭を振って引き戻す。しばらくその場に佇んで、人の波が途切れたところを狙って通りに戻ると、ちょうど向かい側からやって来る集団があった。

 全員が砂除けの頭布と外套をまとっていて、その上には布地の色がわからなくなるほど砂が付着している。それぞれが背中に、一抱え以上ある背嚢と得物を背負いこんでいた。

 国際色の豊かなリンデンブルクでは、毎年このくらいの時期に見かける出で立ちだ。南の砂漠地帯を渡る商隊と、彼らを目的地まで送り届ける護衛団のメンバーである……が、とにかく砂と埃だらけになって帰って来るので、拠点に帰り着くまでは非常に肩身の狭い思いをすることになる。特に街中では。

 「旦那方、お先にどうぞ。急ぎじゃないんで」
 「おお、ありがとう! すまんな、もし良かったら今度寄ってってくれ~」
 「そりゃあどうも……って、おや」

 見かねて道を譲ったところ、何ともおおらかで気持ちの良い言葉が返ってきた。思わず見送った砂まみれの一団が入っていったのは、つい先ほどまで聞き耳を立てていた大店だ。中から『ただいまー!!』というさっきの御仁の声と、店員たちの嬉しそうな歓声が聞こえてくる。ああ、あそこの関係者だったのか。

 「商いが手広いと大変だな……さて、俺も仕事にかかるとするかね」

 いいもん見たな、とこっそり微笑んで、レヴィンはさくさくその場を後にする。……もう少しだけ視線を上げれば看板が見えて、少なからず驚いたはずだ。すぐそこまで来ている黄昏の、薄青い帳の中でもはっきり刻まれているのだから。

 『グラディオーレ商会 王都本店』と。


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