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第五章:

仄暗い夜の底から②

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 不意に闇の帳が落ちかかったとき、リュシーは離宮の中庭にいた。

 だいぶ体調が回復してきたので、日当たりのいいときには積極的に散歩するようにしている。先日の騒ぎで多くが立ち枯れてしまった庭園だが、公爵邸から応援でやって来た庭師たちのおかげでだいぶ緑を取り戻してきた。

 この様子ならば、薔薇月の別名がある来月にはたくさんの花が咲くことだろう――そんなことを思いつつ、歩いていたときだった。

 『あいえ? ねーねー、おそらがヘンなんさ~』

 「え、お空? イオンちゃん、何か見えるの?」

 羽織ったショールの結び目にちょこん、と収まっている、海竜の子どもが首を傾げた。

 こちらも先の一件で誘拐されていたという母親が元気になるまで、この離宮で暮らしている子だ。小さいがとても賢くて、大らかな南海の訛りで一生けんめいおしゃべりしてくれるのが微笑ましい。

 そんなイオンにつられて、良く晴れている空を見上げる。今日も高く澄んでいて、雲一つない快晴のはずだが……

 『うんとねえ、よくわかんないけど、なんか黒いのが落ちてくるんさー』

 ――ざあっ。

 そう口にしたまさにその瞬間、澄んだ青に黒い帳が広がった。時ならぬ宵闇のようなそれは、どんどん空を侵食していき、瞬く間に離宮の高台を覆いつくした。なんだ、これは!

 「これは……!」

 「――あっ、いたー! リュシーちゃん、イオン、早く中に入ってー!!」

 「カナンさん!?」

 『かかさまー!』

 突然の事態に硬直したリュシーの耳に、イオンそっくりの訛りを持った穏やかな声が届いた。とっさに振り返った先に、庭に隣り合った回廊を走ってくる女性の姿がある。

 人の姿を取っているが、イオンの実の母親であるカナンだ。年中温暖で荒れることは滅多にないという、南海そのもののような優し気な顔立ちが、今は緊張で強張っていた。

 「この黒いのに触っちゃダメさ、嫌な予感がする! だぁイオン、こっちおいで!」

 『あいー!』

 「リュシーちゃん走れる? 何なら私、おんぶするよ?」

 「い、いえ、大丈夫です。カナンさんはイオンちゃんに気を付けてあげてください。……でも、何が起こってるんでしょうか」

 カナンの方に子どもを渡してやりつつ口にする。リュシーとて魔族との戦いを終結に導き、祖国では『聖女』と呼ばれる光魔法の使い手だ。尋常でない事態であることは肌で分かるが、少しでも情報がほしいところだった。

 同じ離宮にいるはずのレオナールはどうしているだろうか。彼のそばには幼馴染で旅の仲間だったリックが控えているから、大抵のことは大丈夫だと思うが……

 しかし、問いかけに相手が応えるより早く。向かう先、執務室のある方向から、何かが砕ける凄まじい音が響き渡った。

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