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第四章:

独白②

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 今宵は何やら、星が近い。

 海を渡って吹きゆく風が、徐々に日中の熱を失ってくる。そんな折、人気のない港の突端で、静かに楽の音を響かせるものがいた。

 (先程は夕陽も素晴らしかった。海風が人里の塵芥を吹き払うせいだろうか)

 空も海も見事に染めて、水平線の彼方へ去っていった太陽が目に浮かんだ。楽譜にこそ記していないが、いくつか即興で作った曲を弾いてみる。日輪の煌めきを映し取った旋律に、手風琴コンサーティナーの音色が茜色に輝くのが見えるようだ。

 こうして別の国にやって来た時には、土地の人の営みや会話に触れるのも大切なことだ。そうしたものを得たいのなら、王侯貴族のお招きにあずかるよりは、市井の人が集まる酒場などに行くのが一番――というのが、吟遊詩人としての師匠に教わった基本である。

 けれど今日は、なんとなくそんな気分にはならなくて外で弾いている。夜半になれば海風はもっと冷えるだろう。今夜は新月だ、月の明かりは望めないし、身体を冷やす前には宿へ引き上げようか――

 そんなことを思ったところで、ふっと音が沈んだ。あまりにもわかりやすい自分に、思わず苦笑がこぼれてしまう。

 「……贅沢者だな、私は」

 あれほどの絶景に恵まれていながら、今いちばん見たいと望んだのは全く別のものだった。

 清らかな満月の光、それをそのまま糸に紡ぎ上げたような、ひやりとした輝きを湛える白銀の髪。昨日のことのように鮮やかに思い浮かぶというのに、もう二度と逢瀬は叶わない、凛とした面影。

 (国を離れている間に、こんなことになろうとは)

 いや、違う。彼女の立場が危ういことは、仲間の皆が分かっていたのに。おそらく本人もそれに気付いていたのに、自分は大丈夫だから役目を果たしてきてほしい、と気丈に送り出してくれたのだ。

 あれが最期と知っていたなら、かけるべき言葉も、してあげたいこともたくさんあったのに。事の次第を確かめるため、急いで引き返していった同朋はどうしているだろうか……

 「貴女は、弦楽器よりこちらの音色が好きでしたね。アンリエット」

 あの気高い人が地獄に堕ちるわけがない。どうかいと高き第七天まで、この詩と音が届きますように。

 想いを込めて筐体に指を走らせる。重なって響く音色が夜空に溶けていくのを感じていたとき、わあっと背後から歓声が聞こえた。

 「おや、何かあった……、えっ」

 なんとはなしに振り返って、思わず手が止まってしまった。

 海辺の街のはるか後ろ。堂々とそびえる星降峰の方から、優雅に弧を描いて降りてくるものがある。濃い藍色の闇を柔らかく払う、真珠色に輝く毛並みを持った、長大なドラゴンだ。そして気のせいでなければ、その背に数名分の人影が見えていた。

 「あれは……」
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