38 / 372
第四章:
独白②
しおりを挟む今宵は何やら、星が近い。
海を渡って吹きゆく風が、徐々に日中の熱を失ってくる。そんな折、人気のない港の突端で、静かに楽の音を響かせるものがいた。
(先程は夕陽も素晴らしかった。海風が人里の塵芥を吹き払うせいだろうか)
空も海も見事に染めて、水平線の彼方へ去っていった太陽が目に浮かんだ。楽譜にこそ記していないが、いくつか即興で作った曲を弾いてみる。日輪の煌めきを映し取った旋律に、手風琴の音色が茜色に輝くのが見えるようだ。
こうして別の国にやって来た時には、土地の人の営みや会話に触れるのも大切なことだ。そうしたものを得たいのなら、王侯貴族のお招きにあずかるよりは、市井の人が集まる酒場などに行くのが一番――というのが、吟遊詩人としての師匠に教わった基本である。
けれど今日は、なんとなくそんな気分にはならなくて外で弾いている。夜半になれば海風はもっと冷えるだろう。今夜は新月だ、月の明かりは望めないし、身体を冷やす前には宿へ引き上げようか――
そんなことを思ったところで、ふっと音が沈んだ。あまりにもわかりやすい自分に、思わず苦笑がこぼれてしまう。
「……贅沢者だな、私は」
あれほどの絶景に恵まれていながら、今いちばん見たいと望んだのは全く別のものだった。
清らかな満月の光、それをそのまま糸に紡ぎ上げたような、ひやりとした輝きを湛える白銀の髪。昨日のことのように鮮やかに思い浮かぶというのに、もう二度と逢瀬は叶わない、凛とした面影。
(国を離れている間に、こんなことになろうとは)
いや、違う。彼女の立場が危ういことは、仲間の皆が分かっていたのに。おそらく本人もそれに気付いていたのに、自分は大丈夫だから役目を果たしてきてほしい、と気丈に送り出してくれたのだ。
あれが最期と知っていたなら、かけるべき言葉も、してあげたいこともたくさんあったのに。事の次第を確かめるため、急いで引き返していった同朋はどうしているだろうか……
「貴女は、弦楽器よりこちらの音色が好きでしたね。アンリエット」
あの気高い人が地獄に堕ちるわけがない。どうかいと高き第七天まで、この詩と音が届きますように。
想いを込めて筐体に指を走らせる。重なって響く音色が夜空に溶けていくのを感じていたとき、わあっと背後から歓声が聞こえた。
「おや、何かあった……、えっ」
なんとはなしに振り返って、思わず手が止まってしまった。
海辺の街のはるか後ろ。堂々とそびえる星降峰の方から、優雅に弧を描いて降りてくるものがある。濃い藍色の闇を柔らかく払う、真珠色に輝く毛並みを持った、長大なドラゴンだ。そして気のせいでなければ、その背に数名分の人影が見えていた。
「あれは……」
0
お気に入りに追加
230
あなたにおすすめの小説
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。
彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。
だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。
「お義姉さま!」 . .
「姉などと呼ばないでください、メリルさん」
しかし、今はまだ辛抱のとき。
セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。
──これは、20年前の断罪劇の続き。
喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。
※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
別に構いませんよ、離縁するので。
杉本凪咲
恋愛
父親から告げられたのは「出ていけ」という冷たい言葉。
他の家族もそれに賛同しているようで、どうやら私は捨てられてしまうらしい。
まあいいですけどね。私はこっそりと笑顔を浮かべた。
妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています
今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。
それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。
そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。
当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。
一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる