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『カフェ・セーチ』へようこそ。
しおりを挟む生まれつき両足がなく、義足とともに生活してきた。
体育の授業は基本あまり役に立てず、クラスメイトたちに気を遣われるのが日常。
それでも足がない以外は健常者なので、勉強したり、友達と会話したり寄り道したり……それなりに『普通』で幸福な人生だったと思う。
大学に入ってから、近所のカフェでバイトを始めた。
店長さんはとても優しい人で、義足の事を告げてもまるで動じない人。
いい店長に巡り会えた。
最近はないが、義足が今よりイマイチ分かりやすかった頃は道を歩いているだけで突然怒鳴られたりど突かれたりしたから。
男の人は苦手だ。
でも、この店長はいつも柔らかく微笑んでいて、天使のような人だな、と思う。
不思議な人だ、とも。
歩いていたら怒鳴られた、という話も「そういう人はキミと同じだけど別なところがないんだよ」と言う。
なるほど。
どこが、とは言わないがなんとなく察して理解出来る。
優しい物言いだがなかなかに辛辣。
少しスッキリした。
そして、この人は少なくとも自分にとっては良い人。
もちろん、自分の受け取り方が捻くれていただけかもしれないが。
「グァテマラはね、香りが甘め。でも、酸味が少し強め。苦味もやや強めかな。ブルーマウンテンは王道の一つだよね。香り、酸味、苦味、風味、コクのバランスがとてもいい。ブラジルは安いしバランスが良いからブレンドのベースに使いやすい……」
ふんふん。
メモメモ。
コーヒーというのは、実はとても奥が深い。
コーヒーを飲むのはせいぜいファストフード店ぐらいだったので、とてつもなく勉強になる。
店長が淹れてくれたコーヒーを飲み比べた時の衝撃は、言葉に言い表せない。
だって!
豆の種類や、焙煎具合、お湯の温度、淹れ方で味が桁違いに変わるんだ!
衝撃的すぎて気付けば週六でシフトに入り、店長のコーヒーを飲み……いや、勉強させてもらっていた。
いやはや、世界中で長く、広く愛されているわけだ。
自分の好みの味に近付ける為に、これはハマってしまうのも無理はない。
「ハマっちゃうと焙煎まで自分でやる人がいるらしいけど……美袋くん、そこまで行きそうで怖いなぁ」
「あははは」
「……あれ、否定しないの?」
「……自分でも最近、焙煎やってみたいって思ってしまってまして」
「やゔぁーい。言っておくけど、うち焙煎までやってないからね?」
「だ、大丈夫ですよ、まだ!」
とは言ったものの、本当に焙煎をやってみたい。
ネットで体験出来るところがないか調べてみようかな。
と、思いながら、本日のバイトは終了。
この後、このお店はバーになる。
再来月には二十歳になるので深夜帯も入れるようになるのだが、店長的には「夜はお酒中心でコーヒー出ないよ」との事なのであまり興味が持てない。
酒よりコーヒー。
完全ハマっていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様~。最近物騒だから気を付けて帰るんだよ。男の子でも襲われる時代だからね? ふう、怖い怖い」
「ちょ、そーゆー脅し方やめてくださいよ~」
店長は時々このように人が悪い。
だが、こちらを心配しての事なので素直に「はーい」と返事をして店を出た。
バス停までは徒歩で五分ほど。
(あ、そうだ。牛乳買って帰らないと)
コンビニでいいや、と足をバス停から少し離れたコンビニへと向ける。
週末だからか、今日は酔いどれのおじさんが多い。
ガハハハ、と大声で笑うサラリーマン風のおっさんたちに、いつぶりかの恐怖心を覚えた。
普通にしていれば大丈夫。
そう思うが、立ち止まってスマホを取り出す。
道の脇に逸れてやり過ごそう。
『邪魔だ! 変な歩き方しやがって! 目障りなんだよ死ね!』
……昔、ただ歩いていただけでそんな心ない言葉を浴びせられ、突き飛ばされた事がある。
一度や二度ではない。
あそこまでひどいのはさすがに滅多にないが、歩き方が変というだけでそこまで言われる。
突き飛ばされて、睨み付けられ、貶されるのだ。
虫の居所が悪かったんだかなんだか知らないが、なぜただ歩いているだけの自分が見ず知らずの通行人にそこまで言われなければならない?
そしてそういう事をしてくるのは昼だろうが夜だろうが、大体が男性だった。
時にはいきった若い青年の時もあるけれど……。
「…………」
五メートル、三メートル……一メートル。
早く通りすぎろと願っていると、小太りな男が突然「おい!」と声をかけてきた。
反射的に顔を上げ、慌ててバス停の方に踵を返す。
自分が声を掛けられたわけではないかもしれない。
しかし少なくともその行動が小太りな男の目に付いたのだろう。
酔っ払って気の大きくなった男は、突然「おい! お前! そこの変な歩き方!」と大声で呼び止めてきた。
違う、俺ではない。
きっと俺ではないと無視していたら服の背中を引っ張られた。
すごい勢いで、義足では上手く踏ん張れない角度に倒れ込む。
酔った男たちを避けようと、道の端にいたのも災いした。
そのまま車道に、転げ倒れたのだ。
キキー……!
なんで。
勢いよく近付いてきたライトの光を見上げながら、思ったのは疑問の言葉だった。
なんで、生きているだけでーーー。
***
「!」
目を覚ますと薄汚れたシルバーのシーリングファンがカタン、カタンと音を立てながら回っていた。
茶色い天井。
左側からは光が差し込む。
見れば窓が真横にあった。
レースカーテンで最低限の光しか入らないようになっているが、ひどく眩しく感じる。
手で遮るが、病院にしては少しカビ臭く、埃っぽい。
それに、天井が白ではないのも違和感があった。
掛けられていたシーツを握り締め、上半身を起こす。
はみ出た足に……見慣れないものがある。
「! ……? ……なんだ、これは……」
足だ。
だが義足ではない。
膝上十センチの辺りに、肉に食い込むように鉄製の足が生えていた。
触れてみるとひんやりと冷たい。
太ももの下がない為、膝関節部分もある。
丸い膝蓋骨代わりの部分を撫で、恐る恐る曲げてみた。
「⁉︎」
自分が今まで着けていた義足ではあり得ない事が起きる。
自分の思うままに曲げられたのだ。
神経が通うように、内側にも曲げる事が出来た。
脹脛にも触れる。
やはり金属ではあるが非常に軽い。
更に指で下へなぞっていく。
足首、踵、土踏まず、中足、指先……。
「…………」
すごい、と純粋に思った。
自分に装着されているものだというのに感動さえした。
下に行くにつれ金属は絶妙な弾力性を帯び、中足付近になると指で押してややへこみ、指先は一本一本がクッションのように自由に折れ曲がる。
関節も自在に動く。
それも自分の意思で!
信じられなかった。
完全に自分の思い通りに、手のように! 動く。
以前の義足もそれなりに最先端の技術を使われていたのに、まるでそれが玩具のように思える。
そうなると疼き始めるものがあるのは仕方がない。
ベッドから、足を……床に下ろす。
腰を浮かせたらきっと世界が変わる。
そんな予感に胸を膨らませ、生唾を飲み込んだ。
状況は一切分からないのに。
まずは自分の置かれた状況を確認しなければいけないはずなのに。
その欲求には逆らえない。
だって仕方がないだろう。
生まれた時からなかった足だ。
この金属の足は触れた感覚まで脳に伝えてくれた。
冷たい、体温も血も通わぬ足なのに確かに触れた感触があったのだ。
ぐっ、と足に力を込める。
初めての感覚だった。
足の指先に力が加わる感覚というのは。
踵が床についている感触をじっくり味わってから、腰をベッドから……浮かす。
「……………………」
指先に力が入る。
踵と中足にも床の感触があった。
太ももから上半身へ血が巡るような感覚に、頭が一瞬くらりとする。
目がパチパチ、瞬く。
部屋は殺風景だが、手前にテーブルと椅子、自分の着ていた上着とジーンズが椅子の背もたれに掛けられていた。
水の入った桶。
その中にはタオル。
右側には扉。
それ以外のものは特にない。
「…………」
だが、それらの風景がぼんやりと歪んでいく。
目頭に熱が集まり、鼻がツンとした。
瞬きすると涙が零れ落ち、床に水滴が落ちて小さく丸い痕が残る。
ポロポロと勝手に溢れるこれはなぜなのか。
不思議だった。
自分で立っているという感覚が、ある。
義足を得て、歩く事も出来ていたというのにーー。
「あれ」
がちゃ、と扉が開く。
淡い緑色の髪に花飾りを付けた女性が入ってきた。
切り揃えられた前髪の上には三つ編みがのっかっている。
あまり愛らしいとは言えない、リボンがワンポイントの茶色いワンピース。
しかし、笑顔は最高に愛らしい。
「良かった、目が覚めたのね。足の具合はどう?」
「あ、あなたは?」
「私はミルキ。この近くで雑貨屋をやってるの。ここは私の実家。父がやっているオーダーボディ店の一室よ。あなた、町の側で倒れていたんですって。キャラバンの人が見つけてウチまで運んでくれたの」
「…………オ……、キャラバン……? ……え、えーと……」
「とりあえず名前は?」
「み、美袋、美袋誠一……です」
ミルキ?
外人?
頭にハテナマークが浮かぶ。
日本人には到底見えない容姿と名前。
オーダーボディというのも初めて聞く。
その上キャラバン?
日本では馴染みのない言葉だ。
「みゅなぎゅ、せーち?」
「せ、せいいちです」
「? ちょっとよく分からないわ……セーチでいい?」
「……は、はぁ」
ものすごい略され方をしてしまった。
だが、あだ名を付けられたと思えばいい。
幸いこれまで付けられたあだ名の中ではトップクラスにまともだ。
ミルキはパンとカップが載ったトレイをテーブルに置く。
それから、誠一に向き直った。
「それで、セーチはどうしてあんなところで倒れていたの? モンスターに襲われた感じではなかったけど……」
「モ、モンスター?」
「ええ、モンスター……え? モンスター……モンスターに襲われたんじゃないのなら盗賊?」
「と、盗賊⁉︎」
日本にはモンスターなどいない。
盗賊も多分いない。
どうにも噛み合わない会話。
頭を抱えて、困り果てる。
するとミルキが溜め息を吐いて「んー、じゃあこれからどうするの?」と聞いてきた。
「え、あ」
「父さんは慈善事業なんかしないわよ。その足のオーダーボディ代はきっちり支払ってもらうって言ってたもの。あなた戦場から逃げてきた兵士……って感じでもないし……お金あるの?」
「⁉︎」
「その顔は…………ないのね?」
「……そ、そもそも、ここがどこだかも……。こ、ここは日本、なんですよね? 俺、まさか車に轢かれて海外の病院に輸送されたとか……そんな事はない、と思うし……」
「ニホン? なにそれ? そんな国聞いた事ないわよ」
「…………え?」
血の気が引く。
先程までの高揚感は一気に消え失せた。
ミルキも噛み合わない会話に不審そうな様子を強めていく。
(お、落ち着け……)
こんな時こそ落ち着け、と金属のように冷めた手で頭を抱える。
少し頭痛がしてきた。
クラクラと、目眩までする。
「! 座って。足を着ける時の手術で輸血してるの。……事情はよく分からないけど、今は無理しちゃダメよ」
「あ……」
ミルキはベッドのフットボードに掛かっていたブランケットを手にして、それを誠一の肩に掛けてくれる。
じんわりと温もりが広がって、ほんの少し頭痛は治まった。
彼女はテーブルに置いておいたパンとカップの載ったトレイを持ってくると、誠一の足の上に載せる。
「食欲があってもなくても少し食べて。物資不足でこんなのしかないけど、何も食べないよりはマシだからね」
「……あ、ありがとう……」
「いいって事。……若い男の人なんてみんな戦争に駆り出されて、もうこの辺りにはいないからね……セーチがもし、足の代金を支払うあてがないんだったら父さんの仕事を手伝ってよ。足の整備の仕方も覚えられるし、一石二鳥だと思うよ」
「……! …………。あの、せ、戦争って?」
戦争。
間違いなく日本ではない。
恐る恐るミルキを見上げて聞いてみる。
するとまた変な顔をされた。
聞けばこの辺りは大陸の端の方。
この大陸の上の方は瘴気とモンスターを生み出す邪渦と呼ばれる謎の存在により汚染され、人は住めなくなってしまった。
大陸下方に追いやられた人間は、住む土地を奪い合う戦争をしている。
風に乗ってくる僅かな瘴気と、手入れをする働き手が駆り出された事で土地は荒廃。
食糧も物資不足も、減る一方。
「……本当は戦争なんかせず、土地を耕せばいいのにね……」
「…………」
彼女の嘲笑に、口を噤んだ。
「そ、その、モンスター? は、倒せたりとか……」
「出来るっちゃー出来るけど、邪渦に近付くと瘴気の毒で死んじゃうんだ。邪渦に近付くほどモンスターは強くなるし……邪渦を消す方法なんて誰も知らない。そもそも邪渦自体、なんなのかが分からない」
「ガスマスクみたいなやつはないのか?」
「がすますく?」
「!」
なんだそれは、と言わんばかり。
ますます、日本ではない。
いや、それどころか……モンスター、邪渦、瘴気……。
(い、異世界……?)
漫画やゲームでは、よく題材にされているが。
そんな事が本当にあると?
だがそれしか考えられない。
意を決してミルキに聞いてみる。
「その、この世界というか、た、大陸の名前は」
「は? コルバーレンだよ? セーチ、あんたまさか邪渦に呑まれたヴォルダーレンから来たとか言わないよね?」
「……い、いや、言わない」
聞き覚えがない。
やはり、だ。
そんな事があるなんてーー。
「……ミ、ミルキ……実は……し、信じてもらえないかもしれないが……」
変に疑われ続けるのは困る。
信じてもらえなくても構わない。
ここまで違う文化文明、事情なのでは。
「はあ? 異世界? なんだ、それ」
案の定説明してもこの対応。
概ね予想通りだが、彼女は少し考え込んで「じゃあそのがすますくっていうのは?」と聞いてきた。
興味はあるらしい。
「防毒マスク、って感じかな? 口にこう、フィルターが付いていて、毒が散布された場所でもしばらくの間は活動出来るらしい」
「らしいって……。……でも、確かにそんなのがあれば布だけよりはマシかもね」
「この足の……オーダーボディ? これだけの技術力があって、それがない方が信じられないよ!」
「そ、そういうもんなの? ……でもそんな事言われてもね……私は父さんの仕事、手伝いは出来るけど専門じゃないし……」
そう言われれば誠一としても専門外。
というより、知識としてしか知らない。
パンを齧り、その硬さに別な衝撃を受ける。
コップの中身はやや濁った水。
これにも衝撃を受けた。
だからと言って文句など言えるはずもない。
先程の話を聞いた後では、この硬いパンも多少濁った水もきっと貴重なのだ。
無一文どころか足の値段を思えば借金持ち。
そんな自分に施しを与えてくれた彼女に、パンが硬いだの水が濁っているだのと文句がどうして言えよう。
その時、扉がコンコンとノックされる。
ミルキが扉に近付いて「はーい」と開けると、そこにはヒゲと眉毛で覆われたガタイのいい老人が立っていた。
ベッドの上の誠一を一瞥すると、親指で後ろを指差す。
「客」
「ああ、分かった。今いくよ。そうだ、父さん、彼起きたから。セーチって言うんだって。なんか異世界から来たとか言ってて……ちょっと頭の方もぶつけてるんじゃないかと思うんだけど……」
「ん」
ええぇ……。
聞こえてますけど~……。
と、肩を落とす。
しかし、そのお父さんが怖くて押し黙る。
あれがミルキのお父さん。
ミルキのーーー。
「! あ、ありがとうございました!」
トレイを脇に置き、ベッドから立ち上がって九十度、腰を曲げた。
ミルキは急な大声に驚いたようだが、まずは礼だと思う。
「り、立派な……こんなに素晴らしい義足を着けて頂き、本当にありがとうございます! 代金は何年かかっても必ずお支払いします!」
「……セ、セーチ……」
「…………」
ギ、と音を立ててミルキの父親は去っていく。
てっきり金額の請求の話が来ると思ったが、声すらかけてこなかった。
驚いて顔を上げるとミルキが仕方なさそうに笑う。
「ああいう人なのよ。仕事場見たいなら来るかって言ってるけど、どうする?」
「え?」
そんな事一言も言っていなかったように思うが……。
しかし先程ミルキには『父の仕事を手伝えば、足の整備も自分で出来るようになるだろう』と言われた。
そうだな、と立ち上がる。
しかし、自分がトランクス一枚な事に気が付いて慌ててズボンを履いた。
「わ、わあ」
「ここが父さんの店の仕事場だよ。私は向かいの雑貨屋にいるから、どうしても辛くなったら声を掛けて」
「ありがとう」
手を振って自分の店に戻っていくミルキ。
彼女の店だという建物の前には、地味なワンピースのご婦人が立っていた。
誠一の存在に気が付くと、目をキラキラさせて店に戻るミルキに話しかけている。
なんというか、どこのおばちゃも性質はおんなじのようだ。
「……あの、足の代金……」
「…………」
「…………あ、あの」
話しかけるが無視。
黙々と、ミルキの父は金属の加工を始めてしまう。
カンカン、と金槌で金属を叩き、なだらかなラインを生み出していく。
その様子があまりにも美しくて目が離せない。
人間の体というのは全てが均衡のとれた、立って歩く為に進化した形。
無駄な部分は退化して消え、必要な部分が進化して特化したのだ。
その造形美。
それを人の手で生み出すという、背徳感と高い技術……いや、もはや芸術だった。
のめり込むようにジッと眺めていると「セーチ」と後ろから声がしてハッと我に帰る。
「あ……ミルキ」
「思ったより上手くやってるみたいね。よければうちの店にも来ない? ……マーザおばさんがあんたに会いたいってさ」
「えぇ……」
それは先程店先にいたご婦人だろう。
捕まったら根掘り葉掘り聞かれるのが目に見えている。
嫌だなぁと感じつつ、ミルキの店というのにも興味が湧いた。
というより、そちらへの好奇心に負けた。
ミルキの父親に頭を下げ、雑貨屋に移動する。
「……この匂い」
店に入るやいなや、コーヒー豆に似た香りがして驚いた。
見ると、玄関先に並べられた樽の中に焙煎前のコーヒー豆がぎっしり詰まっている。
驚いて樽に近付いて、一粒持ち上げてみた。
間違いなく、コーヒー豆だ。
「ミルキ! これ!」
「あらやだあんたがキャラバンに助けられた人~?」
「はうっ」
忘れていた。
「なかなかいい男じゃな~いのぉ~! ミルキは恋人もいないんだし! いいんじゃないの? ねえねえ!」
「もう、マーザおばさん。セーチはここに来たばかりなのよ。手術後の経過も見なきゃいけないし……」
「ああ、そうだったね。オーダーは体に負担が掛かるしねぇ……。でもセーチっていったっけ? ミルキはどう? 美人だし器量もいいし、この町では一番若いんだよ!」
「おばさん」
ミルキが嗜めるがやはり聞いてない。
しかし、親戚筋にはほぼ見捨てられているような感じだった。
母も父も足もなく生まれてきた誠一を精一杯愛して育ててくれたが、親戚はーーー。
だからこんな風にしつこいぐらい馴れ馴れしいのは初めてで、うざったいと思いつつも新鮮で嬉しさも感じた。
こんなに気さくに自分に話しかけてくれる人は、初めてだ。
「はい、お待たせしました。小麦粉一袋と、岩塩一欠片」
「ありがとう。……キャラバンの人たちは次の入荷について何か言っていたかい?」
「いえ。……でも、一応サルドが優勢だとは言っていたわね。こんな事せずに畑でも作った方がよほど建設的だと思うけど」
「本当だね。でも、土地が瘴気でやられて、水は濁るし作物は育たない。将軍閣下の仰る事も分からんでもない」
「それは私も同じだけど……。でも、こうして奪った食糧を売るって、わたし……」
「ミルキ、店を閉めるなんて言わないでくれよ。……食糧品はあんたの店でしか買えないんだから」
「そうは言うけど、おばさん……見て」
カウンターで俯いていたミルキが店内を見渡す。
誠一もそれにつられるようにして、豆から目を離して店の中を見た。
棚はガラガラ。
商品棚も物はほとんど置いていない。
掃除は行き届いているものの、だからこそ空っぽの容器や箱が目立つ。
「……母さんが残してくれた店なのに……」
「ミルキ……」
「…………」
肩を落とす彼女をおばさんが慰める。
木製の温かみのある壁と床。
棚もテーブルも全てが木製のもので統一されているのは、恐らく意図的なものだろう。
それなりに広い店内。
空きの多い壁の商品棚。
長いテーブルが中央に二つ。
「…………」
少しだけ、バイト先の店に似ている。
そこで、指に摘んでいたコーヒー豆を思い出した。
これは焙煎前のもの。
これを焙煎して、挽いて、コーヒーにする事は出来ないだろうか?
しかし、あの濁った水を思い出すとあれで美味いコーヒーが入れられるとは思えない。
それにコーヒーを彼らに淹れて、何が変わる?
この行き詰まった、悲しい世界の何が……。
(いや、変わるかもしれない……)
コーヒーを淹れるにも紙のフィルターが必要になる。
フィルターがあれば、水の濾過にも使えるはず。
例のマスクに通じるものがある。
顔を上げた。
もしかしたら、もしかしたら全てが逆転するかもしれない。
「ミルキ! あのーーー」
これは埃っぽく鉄臭い町に淹れられた、優しいコーヒーの香りが世界を包む物語。
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