騎士団寮のシングルマザー

古森きり

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ピクニック

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 そうして翌日。
 大きなバスケットにマットや食器、そしてお弁当とゴム跳び用のゴム、一応大きめのボールなども入れて、用意された馬車に乗り込んだ。
 王様が来るという事もあり、馬車は豪華。
 そして、真美は王様と聖殿長が来るよ、というととても嫌そうな顔をした。
 なんとなくそんな気がしていたが、あまり好かれていない国王様と聖殿長。
 舗装の甘い道をガタガタ揺られて進み、馬車の周りを騎乗した騎士たちががっちり固めている。
 分かりきっていた事だが、ピクニックというよりは遠征のようだ。

「…………」

 案の定、真美の表情は固い。
 思っていたピクニックと、ある意味想定していた通りのピクニックの温度差によるものだろう。
 メイリアが「無粋ねぇ」と笑顔で言っているが、国王様が来るのでは仕方がない。

 …………と、諦めていた。

「リュカ」
「なんだ、メイリア」

 馬車が停まり、目的の場所と言われて降りた直後、メイリアがリュカを呼び付ける。
 歩美と真美には、いつもの優しいメイリアに見えた。
 しかし、リュカの表情は強張っている。

「部下は下がらせなさい。陛下の護衛には貴方とハーレンだけで十分です。聖霊王様と聖殿長もいるのですから。ねぇ? 陛下?」
「ひ!」

 同じく前の馬車から降りてきた陛下が顔を青くして肩を跳ねた。
 後ろの馬車から降りてきた聖殿長も、フードから見えた口元が半開きになっている。
 リュカが目許を引きつらせ、やや青ざめながらも国王に確認の眼差しを送ると、それに気付いた国王は引きつった笑顔を浮かべて「そ、そうだな」と返す。

(…………今更だけどメイリアさんって何者? リュカのお母さんというだけでは、なんかもう済まない気がしてきてるんだけど)

 それとも突っ込んではいけないのだろうか。
 深く考えてはいかない領域なのだろうか。
 なんとなくそんな気持ちを抱きつつ、ハーレンを見ると……優しく微笑まれた後、そっと目を背けられた。
 誰にもその答えは分からないのだ、と言わんばかりに。
 ……深く考えてはいけない領域なのだろう。
 無理やり納得する事にした。

「さあ、行きましょう! るんるんるーん♪」
「い、行こうか、真美」
「う、うん。……ねぇ、お母さんメイリアさんって何者? 王様より偉いの?」
「それは深く考えちゃいけない問題なのよ」
「なにそれヤバくない?」
「ヤバくないヤバくない」

 手を繋いでメイリアの後を追う。
 そこは——……花弁の舞う美しい波打つ草原だった。
 甘い香りや、色取り取りの花々が咲き乱れ、天気の良さも相まってとても空気が心地いい。
 聖殿の中とは違う、温かな清廉さ。
 そして、馬車のある位置から少し進むと整備された道が見えた。
 メイリアはそこを進んでいく。
 馬車や護衛の騎士達を離れたところに配置する、とハーレンが残り、歩美と真美、国王様と聖殿長、リュカでメイリアを追う。

(少女みたいな人だな)

 自由というか、なんというか。
 無邪気。
 そう、そんな言葉がしっくりくる。

「!」

 メイリアがたどり着いたのは、十メートルはありそうな石碑の広場。
 大きく片手を振って「アユミちゃーん! 早く早くぅ、こっちでご飯食べましょーう!」と叫んでいる。
 もちろん、笑顔で。

「行ってみようか」
「うん」

 真美を見下ろして聞いてみる。
 少し戸惑った表情だが、頷いて歩美と小走りでメイリアのところへ急ぐ。
 手を繋いだまま走る、というのがなぜかとてもウキウキと楽しく、気付くと二人でクスクス笑い合っていた。

「聖霊がいっぱいいる!」
「そうなの?」
『はい! たくさんいますよー!』

 暖かい風が舞い上がる。
 コールが歩美の肩から飛び上がり、恐らく仲間のいる方へくるくる回るダンスを始めた。
 真美が、笑っている。

(……この子のこんな笑顔、そういえば久しぶりに見たかもしれない)

 召喚されてから、聖女とその母として緊張し続けてきた。
 その事実は否めない。
 気を抜ける状況がなかった。
 歩美は魔物に襲われ、リュカが助けてくれた時にぷっつりとそれが切れた気がする。

 彼が守ってくれる。
 だから大丈夫。
 気を抜いても、大丈夫——。

 青い空を見上げ、花びらを巻き上がる風を感じ、眩い日差しを浴びて思う。


(好きだ)


 心にストンと落ちてくる名前の付いた想い。
 目を細める。
 頭の上に広がる空のように、心がすっきりした。


(私はリュカが好きなんだ)


 だから真美にもはっきり言える。
 戸惑わせてしまうかもしれないが、娘と近く、恋話をしよう。
 静かに心に決めて前を向く。
 石碑の前まで来ると、メイリアがバスケットからマットを取り出して地面に敷いた。
 その上に座り、まずはお弁当。
 まさかとは思ったが、一応「メイリアさん、まさか王様や聖殿長にもここへ座……」と、最後まで言えなかったが確認をしてみる。

「もちろん! それがピクニックよ!」
「あ、あはは……ですかー……」

 この世界の常識は知らないが、国で一番偉い人を硬い地面に布一枚敷いただけで座らせるのはどうかと思う。
 案の定、リュカが恐ろしい表情で馬車に駆け戻り、クッションを両手に抱えて戻ってきた。
 その速さには驚いたが、それよりも先に「リュカ、ナイス!」という賞賛が先立つ。

「お、お使いください……メ、メイリア、貴女も!」
「まあ、嬉しいわ! ありがとうリュカ!」
「…………」

 恐らく全員の心の中で「ありがとう、お疲れ様です」という言葉がリュカに送られたと思われる。
 リュカの配慮で、歩美も真美もクッションをお尻の下に敷く事が出来た。
 バスケットの中からサンドイッチを取り出して、立ったままのリュカを除き、全員に配る。
 メイリアは不満げにリュカにも座るよう言ったが、彼は頑なに「俺は騎士だから」と断った。
 それを言うとメイリアも強く出られないからだろう。
 彼女は息子に、夫のような立派な騎士団長になって欲しいようなので。

「仕方ないわねー。それじゃあいただきましょう~。いっただっきまーす」
「「「「いただきます……」」」」

 朝早くに起きて作ったサンドイッチ。
 野菜はまだみずみずしい。
 歩美のお願いで、サンドイッチは野菜の他にハムも挟んだ。
 この世界では野菜は野菜、肉は肉、というようになぜか分けられる。
 サンドイッチも、実はこの世界ではサンドロックという名前の料理。
 野菜は野菜だけで挟まれ、肉は肉だけで挟まれる。
 しかし、歩美たちの世界はそうじゃない。
 メイリアには驚かれたが、今の歩美がようやくたどり着いた『元の世界の料理』といえる。

「……サンドイッチだ」
「うん、そう! どう?」
「美味しい!」

 真美が笑顔でそう言った。
 その言葉がどれほど欲しかったか。
 どれほど嬉しいか。
 人に食べてもらい、「美味しい」と言われる事はこんなに嬉しいのかと……いや、それが愛娘からの言葉だからこそ、堪らなく嬉しかった。

「まあ、やっぱりお父さんのサンドイッチの方が美味しいけどねー」
「も、もう~! 一言多い~!」
「うふふ、聖女様はお父様が大好きなのね。けれど、今はお母さんも同じくらい大好きなんじゃない?」
「え、あ、う、うーん? ま、まぁねー……」
「……真美……」

 恐らくメイリアのフォローだとは思う。
 けれど、真美は少し恥ずかしそうにだが否定はしなかった。
 ぶわり、と涙が出る。
 それに真美がギョッとした。

「な、なんで泣くの~!」
「だって嬉しくてえええぇ!」
「もおぉ! お母さんの泣き虫ぃ!」

 泣きながらサンドイッチを食べたあと、歩美は真美と、そしてメイリアの助言という名の命令で聖殿長を交えゴム跳びに興じる事になった。
 仕方がない、ゴム跳びは最低三人いなければ出来ない遊びだったので。
 とはいえ、足の隠れるローブをまとっていられては、ゴム跳びは出来ない。
 仕方なく、ローブを脱いでもらうと——。

「あ、貴方はあの時の……」
「?」

 濃紺の切り揃えられた髪、紫紺の瞳。
 召喚された日に、国王と共に歩美と真美に状況の説明をしてくれた仕官だ。

「え、あ、貴方が聖殿長様だったんですか!」
「……あ……ああ、そういえば貴女に直々に自己紹介をした事はなかったな。すまない」
「えぇ~、聖殿長、まだお母さんに挨拶してなかったの~? ダメじゃ~ん」
「うっ! ……も、申し訳ない。聖女の事もあり、その……わ、私に会うのはきっと嫌がられるかと思って……」
「聖殿長知ってる? わたしの世界ではそれ『逃げてる』っていうんだよ」
「うっ!」

 真美、本日も容赦がない。
 しかし、騎士たち相手に比べてその辛辣な言葉には、どこか親しみがこもっている気がした。
 首を傾げて見守る。
 聖殿長は、歩美よりも歳下だろう。
 ただ、初めて会った頃の印象に比べてフード付きのローブを脱ぐと細っそりしていてかなり……。

(え? 若……ちょぉ待て、若くない? 幾つよ、この子)

 そしてその割には妙に色気のある顔立ちだ。
 真美も懐いている様子だし、コールが歩美の肩に戻って来て『とっても心地いい霊気の方ですね!』と耳打ちしてくる。
 聖霊にとってのモテポイントは霊気の質らしい。

「リツシィ・ハウだ。改めて、宜しく頼む、聖女の母君」
「あ、えーと、歩美と言います。宜しくお願いします……ちなみにお歳は……?」
「……に、二十だ。いや、不安に思うのは分かる。私のような若造がこの国の聖殿全ての長とは片腹痛いと、そう仰りたいのだろうが……」
「え? いや、別にそんな事は!?」
「だが一応これでも聖霊王にご支持を頂いた身。霊力も聖女には劣るが、それなりの強さをも持っている。不安に思われるかもしれないが、この国の為、聖女の為、そしてなにより聖殿や聖霊たちの為に尽力してゆく所存ゆえに、どうか温かく見守って頂ければと思う!」
「…………はい」

 苦労してるんだろうなぁ……と今ので察した。
 記憶にある、召喚時に見た聖殿の人間は歳を食ったおじさんばかりだ。
 そんなおじさんたちからすれば、若く才能に溢れ、聖霊に好まれるこの聖殿長は忌々しい嫉妬の対象なのだろう。

「もー、聖殿長は自信なさすぎなんだよ! 聖霊たちもエウレイラも聖殿長は聖殿長だけって言ってたし!」
「うっ……こ、光栄に思う……」
「むう……通じてない」
「? な、なにがだ?」
「………………」

 ああ、と……勝手に納得した。
 真美の好きな相手だ。
 ローブを取った聖殿長の腕にしがみつき、頰を膨らませて彼を叱る。
 その光景はどこか、真美が父親に甘える時のものと重なった。
 容姿からいえば聖殿長の方が遥かに整っているのだが、どこか自信が足りないところや謙虚すぎるところは歩美の元夫……悠来に似ている。

(えー……どっちー?)

 彼に父親を重ねて懐いているのか、それとも……。
 判断がつきかねるが、その光景は微笑ましい。
 そして、そんな三人を眺めながら国王エルランディルは嘲笑を零す。

「本当に……普通の子どもだな」
「まあ、今頃気が付いたの? ……やっぱり今日連れてきて正解ね」
「…………」
「焦るのは分かるわ。けれど、聖女様はまだ幼い子どもなの。聖殿長もね……。殿下にも、あまり無理強いしてはダメよ。過度な期待と責任の押し付けは、その子を潰してしまう」
「……さすが、騎士団長を育てた君の言う事は違うな。私はどうも、子育てが分からない」

 リュカは二人を静かに見下ろした。
 母が国王と聖殿長も「ピクニックに誘いましょう~」と言い出した時はついにボケたか、と心配したものだが……。

「そんなの誰だってそうよ。最初から親だった人間なんてこの世にはいないわ。子どもを授かって、初めて人は親になる。本当なら貴方自身が結婚して子どもを作れば良かったのに」
「…………」

 平然とそんな事を国王に告げる己の母親に、頭痛を感じた。
 これはわざとだろうか?
 誰でも知っている事だ、国王エルランディルが公爵夫人となったメイリア・ジェーロンに片想いをし続けているのを。
 息子のリュカさえ知っている。
 遠回しの『お断り』に、エルランディルの顔がくしゃ、と歪む。
 そして、そこまでメイリアに入れ込むエルランディルはリュカの弟の息子……甥にあたるエリオンを養子として引き取った。
 彼は今、第一王子……そして、王太子として教育を受けている。
 本当の両親が魔物に食われたなどと、知る由もないだろう。
 リュカも自分が伯父だと名乗り出る事はない。
 不意に小鳥がメイリアの側に近付いてきた。
 メイリアがそれに手を伸ばして指先にとまらせる。
 小さく小首を傾げ、指先を動き回るが飛び立とうとしない。

「子どもの成長はあっという間よ。本当ならもっと、楽しい事をたくさん経験させて差し上げたいわ。だから、革新派の者たちの力も借りなければダメ。彼らの持つ資産は一概に悪とは言えないのだから。この国の為に、貴方が御さねばならないものよ」
「…………努めよう……」
「ええ、期待しているわ」

 飛び立つ小鳥に微笑むメイリアを、リュカは見ていられなかった。
 自分はそんな風に、見送ってやれなかったから。


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