騎士団寮のシングルマザー

古森きり

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母娘【前編】

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 こうして、翌日から歩美は午前の勉強を終えると騎士団寮へ料理を教わりに行く事が日課になった。
 娘の真美に、少しでも故郷の料理を食べさせたいと、アレンジも加えるようになってきたが、やはり野菜料理は難敵だ。
 歩美が考えていた以上に、奴らは暴れ回る。
 野菜が暴れ回るという、この世界の常識。
 処理の仕方を間違えれば怪我をするだろう、間違いなく。
 逆に肉料理やパーンを焼く時は穏やかだ。
 とはいえ、だから肉料理やパーンばかりには出来ない。
 栄養が偏ってしまう。

 そして——……
 そんな生活を一ヶ月も続けていると、生活も変化が現れ始める。
 真美はこれまで、午後も読み書きの勉強などをしていた。
 しかし、そろそろ『聖女』として聖霊と眷属契約をして欲しいと頼まれ、聖殿の人たちと外へ出るようになったのだ。
 他にも『聖女』として、聖殿で祈りを捧げて欲しい。
 厄気の濃いところの浄化にも行って欲しいと、『聖女』としての職務が本格化してきた。
 対する歩美は文字の勉強ぐらいしか、やる事がない。
 これまでのように昼食を一緒に食べる機会も減った。
 しかし、それでも真美の為に元の世界の料理への探求は続ける。
 それは、自分の為でもあるからだ。

 そして————。

「メイリアさん、お洗濯物終わりましたよ」
「あらあらまあまあ、さすが若い人は違うわねぇ。ありがとう~」
「い、いえ」

 騎士団寮で、メイリアに料理を教わり、そのあと家事を手伝う。
 最近の歩美の日課となりつつあった。
 他にする事もないし、慣れない家事は大変だがメイリアが丁寧に教えてくれる。
 なにより、帰ってきた騎士たちが疲れ果てたような顔を、歩美が「お帰りなさい」と声を掛けるだけで満面の笑みにするところが、なんだか可愛らしくて好ましい。
 あとは護衛のリュカが騎士団寮で家事をしていれば、その間に執務室で書類仕事を進められるのだ。
 彼の仕事も捗るし、歩美もこの世界での仕事を覚えられるし一石二鳥、三鳥?

「アユミちゃん、リュカにお茶を持って行ってくれる?」
「はい、分かりました」

 リュカは最近出掛けるようになった真美の為に、護衛の騎士を増やしてくれた。
 中でも厄気の浄化となると、魔物に襲われる可能性も高い。
 その場合は十人以上の騎士が護衛する。
 城や王の警護を担当する者と合わせて調節する事が必要で、そういう配置を考えるのもリュカの仕事。
 本来なら歩美の護衛をしている場合ではないはずだ。

(私がここにいる間はそういう書類仕事が出来るみたいだもん。突っ立たせておくより、きっとこの方が良い)

 メイリアに料理を習い、騎士団寮の中を掃除したり、騎士たちが使うベッドのシーツや服を洗ったり、夕飯の仕込みの準備をしたり。
 やってみて分かった事だが、とんでもない重労働だ。
 こんな事をメイリア一人が毎日やっていたなんて、と心底感心した。
 もちろん、彼女も一人では行き届かない所が多かったのだろう。
 歩美が手伝うようになってから「寮が綺麗になったわ~。ありがとう、アユミちゃんが手伝ってくれるおかげよ」と本当に嬉しそうにお礼を言われる。
 その事が、心から嬉しい。
 コールセンターで働いていた時は、人に感謝される事なんてなかった。
 自分の行いで人に感謝されるのが、こんなに心を潤すなんて、初めての経験かもしれない。
 幼少期から甘やかされ、親がなんでもやってくれた。
 やりたいと思った事は否定される。
 それが歩美の為だと、両親は思っていたのかもしれない。
 けれど、こうして体を動かして働くのは——とても、楽しかった。

 コンコン。

 食堂から玄関ホール、渡り廊下を通り別館の方へ行き、右側の扉を叩く。
 こちらの別館は騎士団長と副団長、そして二階は小隊長たちの部屋がある。
 騎士団長と副団長の部屋は一階で、右が団長、左が副団長の部屋。
 執務室と、その隣、真実が壁一枚隔てて繋がっている。
 その、執務室側の扉をノックした。

「リュカさん、お茶を持ってきたよ。一休みしたら?」
『え、な、そんな時間か!?』

 ドアの向こうでバタバタと書類が片付けられる音と、焦った声。
 それがなんだか可愛らしくてクスクスと笑ってしまう。
 少し待つと、ドカドカ足音が近付いてきたので、壁側へと体をずらす。

「ありがとう、アユミ」
「どういたしまして」

 そして、この寮の中でだけ……リュカに様付けと敬語をやめてもらう事にも成功した。
 やはり様付けには抵抗がある。
 しかし、リュカ曰く少なくとも城ではきちんと『聖女の母』としてある程度地位をはっきりさせねば舐められかねないらしい。
 貴族の中には『聖女』……真美を私的利用しようと考えている節のある者もおり、当然、その母親である歩美は利用価値がある。
 歩美には権力争いや貴族の足の引っ張り合いなどは文字通り、別の世界の出来事。
 いまいちピンとこないのだ。
 だが、メイリアにも「そうねぇ、お城ではちゃんと偉そうにしないとダメねぇ」と言われてしまった。
 メイリアもリュカも『貴族』なので、これから色々教えてくれると言ってくれたが……。

(その辺面倒くさいんだよな……。よく分かんないし)

 なのでやはり、せめてこの寮の中だけでも様付けをやめてもらったのだ。
 極々普通の……ただの有坂歩美でいたい。
 貴族でも『聖女の母』でもない、ただの有坂歩美で。

「お仕事とうですか?」
「おかげさまでとても捗っている。騎士たちも最近、部屋は綺麗だし、シーツは洗いたてだし、心地良く生活出来ていると喜んでいた」
「本当? 良かった~」

 お茶とお菓子の載ったトレイを手渡し、世間話をしてからメイリアと夕飯の仕込みの準備をしようと思っていた歩美。
 それじゃあ、とドアから離れようとした時、リュカに「アユミ」と呼び止められた。

「なに?」
「聖女様は、大丈夫そうだろうか?」
「真美? いつもと変わらなかったと思うけど……」

 リュカの心配そうな表情。
 質問の意味がよく分からない。
 だから首を傾げた。
 ……そもそも、歩美には『いつもの真美』がよく分からない。
 この世界に来る前から、父親と引き離された事をとても悲しんでいたのは感じている。
 だからと思い、食事以外でもお風呂や寝る時も側にいるようにはしていた。
 それでも、どこかクールで遠くを見ている事はある。
 そして、真美は『そういう子ども』なのだと思い始めていた。

「そうか……。なんとなく、聖女様は普通の、同じ年頃の子どもと比べて随分おとなしいから……なんというか、異世界の子どもはみんなああなのだろうか?」
「まさか~……? 真美がちょっとおとなしすぎるだけだと思うけど……」

 ちゃんと構ってあげている。
 あの子はおとなしい子。
 そう、そういう子ども。
 そういう性格。

「そうか……それなら良いのだが……。俺にはなんだか、聖女様がなにかを耐えておられるように見えて……」
「なにか?」
「それは……そこまでは分からないのだが……」
「…………。分かったわ、今夜話してみる」
「ああ、頼む。なにか不満があるのなら、出来る限りの事をする」
「……ありがとう」

 リュカの真摯な眼差し。
 そして、優しい笑顔。
 彼と、彼の母には本当に助けられている。
 真美の事も、こうして気遣ってくれて——。

「だ、団長ー! 団長ー!」
「「!?」」

 バタバタと一人の騎士が別館に入ってきた。
 すぐに扉の前でお茶を手にしたリュカと、トレイを持った歩美に気が付いて顔を青くする。
 彼は第二小隊の騎士、ルイス。
 平民出身で、副隊長に最も近いと言われている。
 切り揃えられた茶色いおかっぱ頭をぱさぱさと揺らしながら焦って駆けてくる彼は、一瞬口をパクパクさせて、それから意を決したように叫ぶ。

「せ、聖女様が! 聖女様がいなくなりましたぁ!」
「な、なんだとぉ!?」
「ま、ま、真美がいなくなった!? ど、どういう事ですか!?」
「そ、それが、聖霊との眷属契約の為に聖霊探しをしていたら、いつの間にか……!」
「っ! 全騎士を招集しろ! すぐに捜索隊を組む! 聖殿にも人を集めさせろ!」
「は、はい!」
「アユミ、貴女は——」
「私も行きます!」

 もちろんだ、と大きく宣言した。
 トレイとカップを玄関ホールのカウンターに置いて、リュカがメイリアに大声で「緊急任務が入った! あとは頼む!」と叫び、返事も聞かずに外へと飛び出す。
 ルイスと歩美もそれに続いた。

(真美、真美! 真美!)

 生きた心地がしない。
 なぜ?
 どうして?
 突然いなくなるなんて——。

(真美……まさか、まさか!)

 この世界には厄気と呼ばれる悪い気配のようなものが満ち溢れつつある。
 それは濃度が濃くなると魔物になり、人を襲う。
 厄気だけでも、人の体に悪影響を及ぼすのだそうだ。
 うっかり厄気を吸い込むと、疫病に罹ったりする。
 そんな物が溢れている隣国は……果たして『人』が生きているものなのか……。

「真美! 真美ーー! どこなの、真美ーー!」
「アユミ様、一人で先走らないでください! ルイス、場所はどの辺りなんだ?」
「鳥の森の方です。あちらは副団長がすでに探し始めています」
「そうか、分かった。俺は捜索隊を編成する。お前は、アユミ様をハーレンのところへご案内しろ。言っておくが……」
「わ、分かっています! 聖女のお母様は必ずお守り致します」
「分かっているなら良い。頼むぞ」
「は、はい!」

 そうしてリュカと別れ、ルイスとともに真美が消えた『鳥の森』へと急ぐ。
 日々訓練している騎士のルイスに気遣われながら、なんとか十分ほどで森まで来る。
 すでに何人もの騎士が、大声で真美を探していた。

「聖女様ー!」
「どちらですかー、聖女様ー!」
「ご無事でしたらお声をお聞かせくださいませー!」

 真美、と歩美が声を漏らす。
 森は木々の合間が比較的広く、見通しが良い。
 騎士がどこをどう探しているのかも、一目瞭然だ。
 恐らく、これほど見通しが良いからこそなにかあれば他の騎士も駆け付けられる。
 戦闘になれば、存分に戦う事も出来るだろうと『安全地帯』の一つとしてここに連れて来られたはずだ。
 それなのに、いなくなった。

「真美、真美……」
「アユミ様!」
「ハーレン副団長さん!」

 騎士の間をすり抜け、森の中へ進む。
 黒い髪、最近は聖女の正装の一つだという白いワンピースを着ていた。
 そんな愛娘の姿を、必死になって探す。
 そこへ、ハーレンが声を掛けた。
 慌てた様子に、歩美の心はひどく騒つく。

「真美は!」
「申し訳ない、我々が付いていながら……。しかし、聖女様は聖霊王様と契約しています。魔物に襲われたとは考えづらい。事故、だとしても聖霊王様が必ず聖女様をお守りくださるはずなのです。むしろ、聖女様のご意思で……いなくなられたように思います」
「つ、つまり、真美は無事という事ですか?」
「お、恐らくは……」

 そこははっきりと言い切れない。
 そして、聖霊王が一緒だから真美は魔物に襲われても、事故に遭っても聖霊王が守ってくれる。
 彼らからすれば、聖霊王が一緒、というのはとにかく絶対的な信頼の根拠、らしい。
 その上で、真美は「自分の意思でいなくなった」かもしれないと言う。
 そんな事がありえるのか?

「……真美」
「と、とにかく、最後に聖女様を見た場所にご案内します」
「は、はい! よろしくお願いします」

 不安で胸が痛む。
 あの子が——真美がいなくなったら……。

(真美がいなくなったら、私はどうしたらいいの? 私一人で、こんな世界で生きていけるの? ああ、この世界の人たちは新しい聖女を召喚出来るようになるんだっけ? でも、私には、私には真美しかいない! あの子しか!)

『それはなぜ?』

 頭の中に子どもの声が聴こえたような気がする。
 鈴が鳴るように、とても自然に心の中に染み込む声。
 森の中をハーレンのあとに続いて進む。

(なぜって、私が真美のお母さんだから)

 問い掛けに答えた。
 すると声はまだ不思議そうな声で歩美に問う。

『でも、今あなたは言った。一人でどう生きたらいいか、分からないって。あなたはマミよりも自分の事を心配してたんじゃないの?』

 ざわ、ざわ、と、森の木々が風で揺れる。
 その不穏な空気に、歩美はまだ気が付かない。
 太陽が翳り、森全体が暗くなる。
 娘を探す。
 その気持ちはまだぶれる事はない。

(そんな事考えてない。私には真美しかいない。どこ? どこにいるの? お願いだから返事をして!)

『嘘だ。マミの事、なんにも分かってないくせに』
『そうだ。マミの気持ちなんて考えてもないじゃないか』
『結局自分の事が一番可愛いんだろう? マミの事よりも』
『マミが苦しんでても、気付かないじゃないか』

(…………っ)

 ざわ、ざわ。
 森が囁く。
 足を止める。
 ここでようやく、歩美は自分の心の中に自分以外の声が聴こえる事に気が付いた。
 複数の、子どものような声だ。
 皆一様に歩美を責める。
 その言葉たちに、心がどんどん嫌な予感に支配された。
 森はますます暗くなる。
 明らかに、異様だ。

「……まさか……聖霊?」

 しかし、歩美には聖霊を見たり声を聞いたりする力はないはず。
 珍しいらしいが、そういう体質の人間は平民に普通にいると聞いた。
 辺りを見回すと暗い森の中に一人、佇む状況。
 声は急に聴こえなくなる。

「……ね、ねえ! 真美がどこにいるのか知ってるの!? 教えて! あの子はどこ!?」
『黙れ!』
「っ!」

 大きな声が、歩美を叱咤した。
 思わず目を瞑る。
 それから森がまたもや騒めき始めた。
 不穏な空気に、周囲を見渡す。
 誰もおらず、気が付けばたった一人。
 前を走っていたハーレンも見当たらない。
 その状況を理解して、じわじわと自分が今、かなり危険な状況なのではないかと自覚し始めた。


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