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前部
魔女【前編】
しおりを挟む「君」
声を掛けられたのは外が真っ暗になってから。
顔を上げるとオディプスが笑顔でこちらを覗き込んでいた。
服装がどこぞの町の金持ちの令嬢のようになっている。
いや、別段ドレス姿、というわけではない。
初めて会った時の服に似ていたが、それよりも袖が長く床についてしまいそう。
後ろの裾も長く、踏んで転ばないのか心配になる。
白く美しい生地で、彼の神聖さが増して見えた。
「あ……あ……あの……」
「部屋の準備が整ったよ。今日は寝たまえ」
「……っ」
ぐう、とお腹が鳴る。
その音を聞いて、オディプスは「ああ」と思い出したような顔をした。
「そういえば生身は空腹になってしまうんだったな。しかも食事や睡眠を取らないと倒れるし集中力は欠乏するし……良い事が一つもない。食堂は用意してあるから食事しておいで。ああ、それから部屋にはお風呂やトイレもあるから、清潔は保つんだよ。不衛生だと病にもなるし、体の汚れなどで本が汚れる」
「は、はい」
本かよ。
と、頭の片隅で少し思ったが中には貴重な本もありそうだ。
元の場所へ帰そうと持ち上げたら「読みかけならそのままで構わないよ」とオディプスに制止される。
驚いたがすでに彼は大きな扉の前にいた。
少し戸惑ったが本をそのままにして、彼を追う。
「食糧はないから魔力で出す」
「え?」
「食堂……まあ、工房だな。そこで好きな食材を作って自分で調理すると良い。調理も任せたい場合は覚えたまえ」
「え?」
かつ、かつ。
先行くオディプスのとんでもない無茶振りセリフ。
たどり着いたのは三つ先の大扉。
オディプスが手をかざすと自然に扉は開いた。
「魔力を込めれば開く」
「ま、魔力……」
「そう、魔力。この観測所の扉は全てそうなるように調節した。扉に魔力を『収集』し、『凝縮』『固定』する。その量が一定値になれば開く仕組みだ。全て自然魔力でなければならない」
「……!」
「分かるな、少年。この観測所は全て君の魔法の訓練施設でもある。頑張って生き延びたまえよ、少年」
「………………っ」
美しく微笑んだオディプス。
だが言葉はあまりにも恐ろしい。
「では、食事の仕方を教えよう」
中へ案内されると、真っ暗だった。
オディプスが指を振るうとシャンデリアが点灯する。
これも魔力……自然魔力を一定量込めなければ点かない。
しかも集め、溜め込むのは天井のシャンデリア。
テーブルが一つ。
椅子が一つ。
テーブルには無数の線が描かれている。
オディプスが指先でなぞると全ての線が青白く輝き、ワイングラスとワイングラスの中には赤い液体。
それを持ち上げたオディプスが一口飲む。
「…………」
血のように真っ赤な液体。
しかし香りは酒のそれだ。
ワイン、と呟くと妖艶な笑みが返ってくる。
「この観測所を作った時に作った魔法陣を組み込んである。自分で素材の情報を魔法陣に書き込んで生成し、終わったら分解する事。排泄物も同じだ。トイレは用意してあるが、溜め込んだ汚物は分解して魔力に返還するように」
「っ!?」
「もちろん、風呂も自分でお湯を作って入るようにしたまえ。使い終わった湯は自然魔力に分解して返還するんだ」
「そ、そんな、こ、こと!」
「出来る。ここはそういう風に造ったのだから」
「…………っ!」
飲み終わったワイングラスが光の粒になり霧散して消えた。
同じ事を、ミクルにもやれというのだ。
口を開けたまま、はくはくと言葉にならない息を吐いたり吸ったり……。
なんとも規格外な事を要求してくる。
そんな事が出来るのか。
そう出来るように造った。
「…………、……お、教え、教えて、くださ、い」
「ふふふ」
ならば覚えるしかない。
ワイズたちの足手まといには、なりたくなかった。
そしてこの人のところならば強くなれる。
神の如き魔法の使い手。
賢者や大賢者などのレベルではない。
最早、この人は魔導の神だ。
そんな人に魔法を教わる事が出来るという奇跡。
体力も力もない、こんな軟弱で貧弱な自分が出来る事などもう——。
「では改めて食事の仕方から」
「は、はいっ」
それが地獄の生活だとしても。
***
三日と待たず死に掛けている。
朝と昼は食事を『生成』するのに費やされ、ようやく作れたパンを齧りながら魔導書で魔法を学ぶ。
オディプスの配慮なのか、最初は食事に関するものが多かった。
「君は詠唱を噛むけど、その他は実に飲み込みが早い。詠唱は噛むけど」
そうなのだ、とにかくミクルは詠唱を噛む。
元々スムーズに喋れる方ではなかったので、詠唱を唱えるのは本当に大変だった。
だがオディプスの開発した魔法陣は、使えば使うほど脳に『魔法が覚え込む』仕組みが施されているそうで、一度覚えてしまえば指先を使うだけで使いたい魔法を発動出来るようになる。
そこまでになれば詠唱は不要。
使いたい魔法の『名前』を言葉にする事で、脳が自動で魔法を使ってくれるのだ。
いわば『人間の脳に魔法を蓄積していく魔法』。
全くもって発想がぶっ飛んでいる。
「今日は攻撃型の魔法をもう二、三覚えておくれ。それが終わったら実践してみよう」
「じ、実践……?」
「調べに行くのさ。まずは君の故郷の塔。そのあと、物語で勇者が鍵を見付けたというところに行ってみよう」
「…………」
なんだと?
目を点にした。
故郷の村にある塔。
魔女の伝説が残る場所。
そして、勇者が魔女の封印を解く鍵を探しに行ったところ。
そこへ、行く?
聞き返そうとしたが、オディプスに笑顔で「ではこれから」と本のページを指さされ、慌てて呪文と魔法陣を暗記し始めた。
指でなぞり、形を覚え、呪文を繰り返し呟き魔力の量を想像しする。
ほんの二日程度で魔力の集め方は自分でも驚く程上手くなったと思う。
ただ、やはり慌てていると『凝縮』と『固定』の手順を間違えてしまう事がまだあった。
落ち着けば難しくはないのだが、主にトイレに焦っている時は本当にこの扉のシステムが鬼のように感じる。
「覚え、ました……」
「では行くとしよう」
空飛んで行くのかと思ったら、オディプスはミクルに手を伸ばす。
ぽん、と頭の上に手を置かれた。
ミクルは、意外とこの瞬間が嫌いではない。
親のいないミクルにとって、頭を撫でてくれるのはユエンズや村長たちと限られた人だけ。
能力的に褒めてもらう事自体少なかった。
この行為がオディプスにとってどんな意味なのかは分からない。
ミクルには好きな瞬間。
ただそれだけ。
「!」
だが空気が変わった。
ハッと目を開くとそこは森の最奥地……それも、ミクルの村の側の森だ。
「え、ぇ、えええぇえっ」
「なるほど、ここが例の『魔女の塔』か」
辺りを見回す。
見間違いようもない。
どうして、という目でオディプスを見上げる。
すると事もなさげに「どうしたんだい」と首を傾げられた。
この人の規格外ぶりには、慣れてきたはずだったのに。
「な、ど、し、て……! ここ、おれの、こ、故郷……!」
「ん? 転移魔法だけど? 君を解剖した時に位置は把握したからね。来る事は問題なく出来る」
「!?」
にこやかにとんでもない事を言い放っている、この人。
「さあ」
そんなオディプスが、海の見える断崖絶壁の上にあるその崩れた塔を見上げた。
塔は崖の下、海の中から生えていて、ここは中程。
残骸は海に落ち、残っている上部は少ない。
崖の周りを囲うような建物の残骸もあり、まるでそれらの塔の一部が崖から人が落ちないよう守っているようにも見える。
後ろは森。
この森のすぐ側に、ミクルたちの故郷の村があった。
振り返り、どうしたらいいものかと悩む。
しかし、ミクルだけ帰ったところで村のみんなは──。
「行くよ」
「え、あ……」
オディプスが塔の残骸を浮かんで避けながら進んで行く。
ミクルもそれに続いた。
浮遊魔法なら流石に使えるようになっている。
岩となった塔の瓦礫を避けて、海沿いになっている側面から党の内部に入り込む。
中は埃まみれ。
それでも、わずかに壺や皿が残っていた。
「…………」
人の、生活痕。
それがどこか不可思議な感覚を与える。
ミクルが生まれる前からあった塔は、かつて魔女が住んでいた。
村長の話では、近くに住む村の祖先たちはここの魔女に病や怪我を治療してもらっていたのだ。
噂が噂を呼び、一人の魔女に押し寄せる人々。
彼女はこの塔に……引きこもって、人を近付けさせない為にモンスターを放つ程。
「地下に行ってみよう。上は崩れているからね。……まあ、復元してもいいんだが……」
「ふ、復元……」
「後はこの塔に宿った情報を読み取る、とかね。だがどの程度昔の事なのか分からないと、どれだけ遡れば良いか分からない。とりあえず内部を調べてみるとしよう。行くよ」
「は、はい」
とは言いつつ、オディプスの足下は魔法陣が無数に展開されている。
ミクルは目を凝らしてその魔法陣の効果を読み取った。
(維持固定……多分おれたちが歩き回っても塔が崩れないようにしてる。探索……大雑把な室内の把握。鑑定……遺されたものを自動で鑑定してる……すごい、これはおれにはむり……。時代測定……こんな魔法もあるのか……)
分かるだけでもそれだけの魔法を同時に使用している。
それも、歩きながら。
改めて化け物じみていると思った。
「埃くさいなぁ。む……?」
「!」
遺された塔は三階しかない。
階段から降りて、最下層らしき場所にたどり着くが何もかもが壊れて残っていなかった。
それでも、その一番下は違っていた。
ここを一階とするのならば、そこは海水が入り込み、ゆらゆらと青い水面が揺れている。
そして、その床には魔法陣がぼんやりと光り輝いていた。
魔法陣の意味は……。
「解読してごらん」
「はい」
オディプスに言われるまでもなく、ミクルは魔法陣の意味合いを探り始めていた。
移動、封印、不可侵……そんな意味の言葉が並んでいる。
破損箇所も見当たらないので、この魔法は現在進行形で起動していると思われた。
「結界……、……この、下……入れない、ように……なって、ます」
「正解だ。とはいえ生体反応は相変わらず感じない」
「!」
オディプスの足下の魔法陣。
それにそんな効果のものも含まれていたのだろう。
生体反応はない。
生存しているもの……モンスターでも、なんでも……ここに命あるものはないという事。
魔女は、いない。
いや、そもそも本当にこの塔に魔女が住んでいたのか。
「生命は感じないが、思念は感じる」
「し、思念?」
「ここに封じられたものは恐らくメッセージ……一度開封するとそれまで……なのだが、さて、今回の件と関係あるかどうか。もしも関係のない事なら、開ける手間が面倒だな」
「…………」
開けられるのだろうとは思ったが、なんとも身も蓋もない。
「……、……あの」
「ん?」
「ちょっとだけ、あれ、ど、どかしても……」
「ああ、あの石が落ちている部分か。そうだな、なにか組み込まれているかもしれない。やってみなさい」
「は、はい」
まだ全体像を把握したわけではない。
だから、ミクルは魔法陣の上に落ちていた大きめの石を魔法で羽化してどかしてみる。
そこには別な呪文が組み込まれていた。
「……鍵……」
「試してみようか」
「は、はい」
首から下げた『魔陣の鍵』。
魔法陣の真上まで浮遊して、それをかざした。
もしもこの鍵に関わるのなら、反応があるはず。
魔法陣が光り出し、渦巻くように魔力が収束していく。
当たりだ。
元々この『魔陣の鍵』はここで拾ったもの。
無関係では、なかったのだろう。
「!」
光が交わり、黒衣の女性が現れる。
フードを深くかぶっているが、体のラインが分かるドレス。
マントをたなびかせ、光が映像のように天井近くまで浮かび上がる。
ミクルはオディプスのいる位置まで下がり、それを見上げた。
思念。
というより、魔力で構成された映像。
火を灯す魔法だけでも覚える者の少ないこの世界で、これほどの魔法が使える人間がいたとは驚いた。
それも女性。
「魔女……?」
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