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春日芸能事務所(2)

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「子ども……?」
「社長、音無さんとそのご家族の方をお連れしました」
「ありがとうございます、舟崎さん。これでお茶を四つお願いしてもいいですか? おつりはお駄賃にしていいので」
「も~、そういう年じゃないんですからやめてくださいってば。私はイケメンを見ているだけでいいんです。少々お待ちください」
 
 と、お金を断って応接室から出て行く事務員さん。
 父が驚きの声を漏らしたが、少年が春日社長で間違いないらしい。
 にこやかに「お座りください」と席を進められ、四人で対面席に腰かける。
 
「初めまして、春日彗かすがすいと申します」
「あ、初めまして。音無と申します。この度は息子を認めていただきありがとうございます。研修生についてなのですが――」
「はい、なんでも質問してください」
「実は……」
 
 父が淳の声変りで三週間喋ることができなかったこと。
 しばらく喋れなかったことで、発声練習が必要。
 しかも、これまでの発声に違和感がある。
 そこでプロにつき添ってもらいながらレッスンができる研修生になりたい――と思った。
 現状と今後、淳に必要だと思うもの。
 医者と親、本人も話し合いながら進んできたが、声や歌やダンスのプロにも話を聞きながらさらに邁進していきたい。
 
「親としても、一人でも多くのプロと触れ合える機会があった方がこの子の成長と健康にいい影響なのではないかと」
「なるほど。ちょっと診せてもらってもいいですか?」
「え?」
 
 わけもわからないまま「おいで」と手招きされて、社長の前に移動する。
 隣の席に座らせられて、口を開けるよう指示されるので言われた通り口を開けて社長に見せた。
 謎に恥ずかしい。
 
「ふむ、声変り自体は落ち着いているようですね。喉仏も完成していますし、炎症もない。ですが、声帯がかなり硬くなっているようですね。使っていなかったせいでしょう。まあ医者にもかかっているようなので問題はないでしょうね。歌は歌ってみましたか?」
「あ、す、少し。でもやっぱり以前のようには歌えなくて。あと、歌ったり大きな声を出すのがまだ少し怖いというか……」
「なるほど。体はほぼ万全のようですが、長期間不調だったことで精神的に不安が残っているのですね。確かにそれならプロの指導が多い方が安心ですね。わかりました、こちらでも配慮しておきましょう」
「あ、ありがとうございます」
「ところで咽喉科はどちらの病院に?」
「月科総合病院です」
「ああ、あそこなら大丈夫ですね。僕もあそこにお世話になっています」
 
 にこ、と微笑み淳には「もういいですよ」と元の席に戻される。
 そばに置いてあった書類になにか書き足してから、その下にあった契約書を差し出す。
 
「では、こちらの契約書に目を通してサインをしてください。改めて説明しますが、当社の研修生は無料でレッスンを受けられます。レッスンは主に土日の午前中、このフロアにあるレッスンスタジオで行われます。講師は日替わりで内容は講師によります。でも一応、講師の品質は問題ないと思いますよ。僕も面談はしていますし。それでもなにか要望や不満がある場合は気軽に言ってくださいね。また、当事務所研修生の立場になったら将来的に当事務所所属になっていただくことになります。時々マナー研修やコンプライアンスの研修も実施しますので、必ず参加してください。まあ、東雲学院芸能科の授業でも似たようなことをやると思いますが、そういう時代なのでそこは意識していただければと思います。で、案内にも書いてありますが他の事務所から声がかかっても、春日芸能事務所に仮所属の状態なのでお断りしてください。重複契約になれば訴訟問題に発展することもあるので、誰も幸せになれません」
「は、はい」
「ただ、前回相談していただいた時にも話しましたがうちの事務所は弱小ですし方向性が定まっているわけではないので、淳くんがやりたいことを全部叶えてあげられるわけではありません。難しいことの方が多いと思います。もちろん配慮しますし、ミュージカル関係する案件は率先して回しますし、営業も行いますが確実にお約束できるものではありません。そこは予めご了承ください。また、淳くん自身でミュージカル関係の仕事に営業をかけることは相談や報告などで情報共有してくれればまったく構いません。マネジメント能力不足は自覚しているので、そういう負担をかけてしまうこともあるでしょう。それは申し訳なく思いますが、そういう負担によるストレスは共有して少しでもタレント自身の不安解消に繋がるお手伝いはしたいと考えていますので」
「は、はい」
「それと、研修生契約がした時点で当社所属のタレント俳優という扱いになります。あくまで仮所属ですが。当社でマネジメントも開始となりますので、仕事が発生した場合は対応してください。報酬は二ヶ月に一度、手数料と税を差し引いて合算した金額をお支払いします。振り込みは奇数月の二十日。手数料に関してですが、まあつまるところ要するに仕事の紹介料などその他諸費用ですね。収入に応じて増えますが、収入が少なければ手数料も少ないです。そのあたりはこちらの資料をご覧ください」
 
 サクサクと手続きが進んでいく。
 同い年くらいの少年が、事務的に話を進めていく違和感がすごい。
 父も母もすっかり対応が大人に対するものになり、はいはい、と書類を処理していく。
 口座は淳の名義のもの。
 社長に「なにか質問は? 疑問があったらなんでもどうぞ」と微笑む。
 
「あのう」
「はい、なんでしょうか」
「社長さんは、何歳ですか?」
 
 智子が全員気にしていたことをついに突っ込んで聞いた。
 笑みを深めた社長が「十六歳ですよ」答える。
 やはり淳と同い年!
 
「え、智子と一つしか違わないのに社長になれるんですか!?」
「こ、こら、智子!」
「日本の法律では十五歳で会社を設立できるんですよ。まあ、最初はお父さんに名前や口座を借りたりしましたけれど」
「どこ校に通ってるんですか?」
「十歳の時に海外で大学を卒業しているので、日本の義務教育は中途半端にしか受けていませんね」
「高校通わないんですか?」
「ええ? ううん……今さら高校で学ぶこともないですし……仕事をしている方が楽しいですしね? 高校と大学の卒業証明は持っているし……」
「えー! もったいない! 十代の青春は今しか送れないんですよ~!」
「……なるほど?」
「もう、智子。いい加減にしなさい」
 
 謎に納得した社長が「青春、今更送れますかねぇ?」と首を傾げている。
 すでに社会人として地位を確立して働いている人に、そんなことを言っていいのだろうか。
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