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救う人

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「赤ちゃんのお尻は蒸れやすいので、排泄をしたらこまめに替えましょうかぁ……赤ちゃんのお世話って想像以上に大変なんだなぁ」
『ううむ、赤子がこれほど手のかかるものであったとは……。世の中まだまだ知らぬことが多いな』
「本当だよねぇ。世の中のお母さんはこれプラス掃除とか料理とかしてるんでしょ? 魔獣と戦うより大変かもしれないよね」
 
 すごいなぁ、と次のページを捲る。
 次はお風呂の入れ方。
 沐浴といって、かなり首が据わっていない間は三キロから五キロの赤ん坊を両手で浮かすようにしてぬるま湯に入れ、洗うらしい。
 恐怖ではないか。
 
「えぇー、赤ちゃんを産んだあとのお母さんの体は馬車に轢かれて全治一ヶ月ぐらいの怪我。大切に、優しくしてあげましょう。だって。ヤバい。世のお母さんはもっと守られるべきだったんだ……」
「勉強が進んでいるようでなによりだ。新しい本が届いたが、読んでみるか?」
「いいの? ありがとう、リグさん」
 
 と、新しい子育て本を五冊追加でもらう。
 リークスに迫られて以来、図書室には絶対一人で来なくなった。
 けれど、図書室には入り浸りになっている。
 勉強のため、というのもあるのだが、考えたいことがあって最近は本を読みながら思考にも耽ることが多い。
 自分のシドへの気持ちが、よくわからないのだ。
 
(シドがボクより強いから……シドの子どもを産みたい――うーん……なんか違うような……?)
 
 尊敬している?
 尊敬はしていると思う。
 負けて悔しい。
 時々、鉄剣での剣技だけの勝負なら勝てることもある。
 けれどそれはシドが身体強化魔法まで使わない時に限るので、本当に剣技だけの時。
 身体強化魔法も魔剣も召喚魔法も使わないのに、剣技であれほどの強さなのだ。
 ――尊敬している。
 弱い相手には剣を使わずに、拳で相手をすることがある。
 自分の剣の腕に、絶対の自信があるからだそうだ。
 かつて剣聖たちに認められたその剣技を、安売りしない、ということらしい。
 確かにノインもガラティーンにはサポートに回ってもらうことが多く、普段の戦闘は鉄剣を使う。
 違法召喚魔法師などにしかガラティーンは使わない。
 
「そういえば……シドに解体用ロボの召喚を頼まれたのだが――あの施設に再び行く任務に、ノインも行くのか?」
「え!? なにそれ、ボク聞いてない」
「そうか。では留守番か。確かに淫紋と第二異次元エクテカをつけられたのはその施設だと言っていたし、その方がいいかもしれないな」
「っ」
 
 本から顔を上げて眉を寄せ、拳を握る。
 あの施設には、完全解体のためにもう一度行くとは言っていた。
 けれど、まさか――
 
(任務から外されるなんて……。確かに今の体の状態じゃ長距離はキツイけど……でも!)
 
 いや、そもそもシドが長距離任務で留守になったら自分の体の面倒は誰が見てくれるというのだろう?
 リグか? 確かにあのスライムは気持ちがよかったが。
 
「ノイン・キルト」
「え? はい? え? なに?」
 
 突然フルネームを呼ばれて肩を跳ねさせる。
 考えていることがバレたのか?
 冷や汗を背中に流して返事をすると、目の前に黒くて立派な形のディルドが置かれた。
 口の中から唾液が一気に溢れて口の端から漏れる。
 
「あ、あ、あ、そ、そ、それ、しょ、しょれぇ……っ、も、も、もしかして……シ――」
「あの施設で、君に第二異次元エクテカを植えたのはロラ・エルセイドなのではないか?」
「はひぇ……?」
 
 目の前に置かれていたディルドが、ふわ~と浮かび上がって逃げていく。
 リグがなにかを言っていたけれど、意味がよく理解できない。
 目の前にある、シドの一物を模したディルド。
 
(欲しい、欲しい、欲しい、欲しい……)
 
 右に浮遊するのを追い、左に浮遊するのを追う。
 ガラティーンが震える声で『ノイン……』と名前を呼んでくるけれど、お尻の奥がきゅんきゅん疼いてそれどころではない。
 
「答えてほしい、ノイン。あの施設にいたのはロラ・エルセイドではないのか?」
「え? あ、うん。なんか、そんな名前だった気がするぅ」
「……そうか、やはり……。シドは僕に言わないつもりだったのだな……」
 
 リグの声は落ち込んでいたように思うが、そのフォローすらできないほどにディルドにしか意識が向いていない。
 しかし、素直に答えたのが功を奏したのか飛んでいたディルドが手の中に落ちてきた。
 
「リグさんごめん、ボク今から部屋に戻らなきゃいけないの」
「うん……そうなる気はしていた」
『待て待て待て! ノイン、それは……せめて愛し子殿を部屋に送り届けてからでなければ! そなた騎士であろう!』
「ああ……! そ、そうだった! ごめんね、リグさん。部屋まで送ってもいいかな!?」
「ああ、では頼む。僕も今日は早めに切り上げて戻るつもりだったから――」
 
 なにか用があるの? と聞くと、リグの目元が優しくなる。
 その目が細められたところが、やはり双子。
 シドによくにている。
 いや、顔の作りは同じなのだが、やはり雰囲気がまったく違う。
 
「でもリグさんに蔑んだ目で見下されたら気持ち良さそうだなぁ」
「え? ……う、う……?」
『やめてやれ』
 
 今の話の流れでどうしてそうなったのかが理解できないのだろう。
 多分ノイン以外誰も理解はできない。
 そんな歪んだ話をしつつリグの部屋に入ると、速攻で自室に帰ろうとしたのに中でフィリックスが正座しておりその前にシドが腕を組んでいてノインは扉の前に硬直してしまう。
 
「……な、なにかあったの?」
 
 フィリックスがリグになにかをしたのだろうか?
 品行方正の具現化のような男が?
 リグの様子も少しおかしかったように思うし――今更だが。
 恐る恐る声をかけるとフィリックスが顔を上げる。
 
「リグ、ニップルピアスの準備が整った。ので、今シドにも確認してもらい了承ももらった」
「じゃあできるんだな?」
「ああ、おれの全身全霊をかけて必ずリグに痛みもなくニップルピアスをつけてみせる! 任せてくれ!」
「嬉しい……」
 
 と、嬉しそうに駆け寄ってフィリックスに抱き着くリグ。
 会話の内容を聞いて、ノインはゆっくりシドの方を見る。
 
(ああ……顔が死んでるなぁ)
 
 そんなシドの表情を、ノインも死んだような目で見上げていた。
 ――というわけらしいので上着を脱いだリグがソファーに座る。
 シドとノインはダイニングテーブルから椅子を拝借してきて、テーブルの前で器具のチェックを真剣に行うフィリックスを見た。
 
「なんでお前までいんの?」
「いやぁ、なんかここまできたら見守りたいというか……?」
 
 テーブルの上に綺麗な布に載せられた器具のなかで、ひとまず消毒から行うらしい。
 顔面蒼白で緊張しすぎのフィリックスは、体を小刻みに震わしながらソファーに座るリグの乳首を脱脂綿で丁寧に消毒していく。
 
「あと、これ、貼って。簡易麻酔薬だ。これで痛みがわからないと思う」
「こんなものまで用意してくれたのか。よく入手できたな……?」
「それはもう……シドに教わって裏の有名な店まで買いに行って色々神経すり減らしてきたんだ。手ぶらで帰って来れるわけがねぇ」
「え? ええと、あの……なんだかすまない……?」
 
 ちらり、とノインがシドを見る。
 最近フィリックスが留守でいないとは聞いていたけれど、シドの伝手でウォレスティー王国のユオグレイブの町とは違う大きな都市の裏路地にある、有名なピアス専門店に行っていたらしい。
 当然治安は最悪で、強姦、窃盗、薬物売買現場など元召喚警騎士のフィリックスは体が勝手に動いて取り締まりそうになったとか。
 だが、今のフィリックスは自由騎士団フリーナイツであって召喚警騎士団ではない。
 逮捕権限は召喚警騎士にしかないので、犯罪を見て見ぬふりするのが苦痛でならなかった――と。
 
「なるほどねぇー。ど真面目なフィリックスさんには地獄体験だったのね」
「本当にキツかった。世の中まだまだ普通に生活することもままならない人たちがいるんだと思うと、おれは……」
「フィー……」
 
 ふるふると震えて泣き出しそうになっているフィリックスの頭を、リグが抱き寄せる。
 鼻を啜り、落ち込みながらもリグの両乳首に麻酔シールを貼るフィリックス。
 そんなフィリックスの様子を、リグが目を細めて見守る。
 正直ノインとしてもあんなズビズビ鼻を鳴らしている人が、これから溺愛の恋人の乳首に穴を開けるなんてできるのかと心配でしかない。
 隣のリグを見ても無表情。
 どういう気持ちの表情なのだ、それは。
 
「……感覚は、どう? まだ触った感触とかある?」
「ん……もうあまり感じない」
「うん……あの、それで、一応最後の確認なんだけど、本当に開けるんだな?」
 
 床に座ったまま、フィリックスがリグを見上げて最終確認を行う。
 それを見たシドが姿勢を正したので、ノインもシドの顔を見上げた。
 先程の死んだような表情ではなく、なんとも渋い表情。
 
「フィーが開けてくれたら……もう、ダロアログに開けられた時の夢を見ない気がする。お願いだ」
「……っ……わかった。後ろから、やるな?」
「ん」
 
 ノインも聞いた、リグがダロアログにニップルピアスを開けられた時の話。
 あれがここまで発展してしまうのだから、余計なこと言ったような気がする。
 けれど、麻酔シールを外してからまた丁寧に消毒を行い、後ろに回り込んだフィリックスがニードルを右の乳首に当てる時の表情を見て罪悪感が滲む。
 本当に、心底「傷つけたくない」という苦悶の表情。
 そんなのは当たり前だ。
 フィリックス・ジードという騎士は、根っからの騎士。
 人を守る、人を救う、人を助ける――そういう人間なのだ。
 そんなフィリックスが、最愛の人の胸に穴を開ける、なんて。
 
「…………」
 
 ノインならできるだろうか?
 ノインもレイオンに「お前は生まれながらの騎士なんだろう」と頭を撫でられた。
 自分が他人の体に傷をつける。
 それを考えると身が震えた。
 どれほどの覚悟と勇気が必要だろう。
 いくら本人が望んだからと言っても、相手が大切な人なら傷つけるなんてつらい。
 考えただけで――
 
(それなのに……)
 
 後ろに回り込み、震える手を叱咤して一思いにニードルを突き刺したフィリックスを見上げるリグの表情のなんという幸せそうなことだろう。
 目を細めて、唇に柔らかな笑みまで浮かべて、緊張で汗だくの恋人を愛おしいと言わんばかりに見上げている。
 左側にもニードルを刺して、しっかりと固定したあとフィリックスがまた、丁寧消毒を繰り返す。
 
「血は、出てないみたいだけど……はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……!」
「だ、大丈夫か?」
「い、痛くない? 痛くないか? 大丈夫か? リグ、違和感はあると思うけど……とりあえずバイキン入らないようにガーゼ貼っておくから……うえぇ……」
「フィーの方が大丈夫か……!?」
 
 あまりの緊張から、吐き気までしてきたらしい。
 いや、それもあるのだろうけれど、フィリックスとしてはやはり恋人の体に傷をつけてしまったことがストレスになっているのだろう。
 心底参ってしまっている顔色に、リグが手を伸ばして頭を抱き寄せる。
 
「負担をかけて、我儘を言って……すまなかった。けれど、その……ありがとう。痛みも違和感も今のところない」
「……そ、そうか。よ、よかっ、た……は、はぁ……で、でも、ニップルピアスは一年くらいでようやく穴が安定するらしいから、毎日しっかり消毒しないといけないんだ。おれがきちんとお手入れするから、痛かったら言ってくれよ……!?」
 
 青い顔のまま、フィリックスがリグに縋るように言う。
 そんなに時間がかかるのかぁ、とノインもハラハラ見ていると、リグが見たこともないほど嬉しそうに微笑んだ。
 
「一年……フィーがお手入れしてくれるのか?」
「え? するよ? え?」
「ふふふ……うん。嬉しい……お手入れして」
「それはもちろん! 責任を取ってしっかりやらせてもらう!」
 
 半泣きのフィリックスと、幸せそうに笑うリグの温度差がひどすぎる。
 そう思うのに、ノインの口からこぼれたのは「いいなぁ、ニップルピアス……」という言葉だった。
 ドン引きのガラティーンの声が聞こえた気がしたが、一年間も責任を持ってお世話してもらえるなんて最高ではないか。
 ちらり、と隣のシドを見るとこちらも見たことがないような表情で二人を見ていた。
 ノインと同じくリグの気持ちがよくよく伝わってきたのだろう。
 口元を覆って、心底安堵したように息を吐き出した。
 
「フィリックス・ジード」
「え?」
「お前に感謝する」
「……え?」
 
 最初は口元を覆っていた手が、目元を覆っている。
 フィリックスからは見えないが、ノインからは泣きそうな表情が垣間見えた。
 
『この世界には、命を物のように思う人間がいるんだな』
 
 ダロアログ・エゼドという、命を物のように壊すことになんの抵抗もない人間がいる反面、フィリックス・ジードのように人を傷つけることをこんなに怖がる人間もいる。
 人を守り、救い、助けるために戦える強さはあるが、故意に傷つけることを恐ろしいと思う優しい人間。
 ずっと傷つけられてきたからこそ、フィリックスのような人間は“救い”なんだろう。
 とても、大事にしてくれる人。
 人を救い守る人が、震えながらもトラウマの上書きに付き合ってくれる。
 同じことをされているのに、これほどに違うという証明をしてくれたこと。
 愛情と信頼感じられて、幸せなのだ。
 
「なんで……? なにが……?」
「よかったねぇ、フィリックスさん。頑張った甲斐があったねえ」
「……なにが……? なんで……?」
 
 そんなこともわからないほど一生懸命に、真正面から向き合ってくれる人。
 二人にとっての救いなのだろう。



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