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空虚の殻の奥
【2】
しおりを挟む『速っ……!? ……詠唱もなしにたったこれだけでこんなに強い結界を張るなんて……!?』
『え、そうなんですか?』
『……っ、それに、何、これ、ぼくの妖力が……っ、直接じゃないのに……削り取られるみたいに……! ……重い……っ』
『?』
一晴には分からないが、明らかに紅静子が弱っている。
紅静子を一晴から引き離すいくつかの方法でトリシェが一晴の体に憑依する、というのがあった。
しかしそれは一晴の意識を奪い、体を奪い、彼の人生の時間を奪う。
光の神様はそれを好ましくは思わず、他の方法を、と言った。
だがこれがその方法の効果。
(……眠い……?)
少し苦しげな紅静子の横で一晴も少し変化を感じた。
眠気にも似た感覚に襲われたのだ。
ふわふわと心地が良く、暖かくて瞼を開けていられない……体……はないが意識が重い。
そんな中、辛うじて見たのはもう一度右足を浮かせて、地面を踏みつけた自分の体の姿。
先程とは異なる光の波は、鋭い剣山のようになって木偶の体を穴だらけに変えた。
そんな光景を目の当たりにしているのに、眠くて眠くて堪らない。
「ま、こんなものか。ありがとう一晴くん、返すよ」
ハッとした。
気がつくと駐車場の入り口付近に佇んでいる。
肩にはあの青い髪のぬいぐるみ。
「…………あ……?」
『片付けておいたよ。さあ、帰ろうか』
「は、はい……」
淡々と言われて、逆にこちらは困惑だ。
紅静子の気配が感じられない。
眠っている……と思った。
(いまいち実感に欠けていましたが……本当に……神様だったのですね……)
ゴクリと唾を飲み込みながら、支払機へ足を向ける。
無事料金を清算できてホッと一息つく。
なんだか、まだ夢を見ているようだ。
不思議な浮遊感が残っている。
財布を握りしめ、まだふらつく気のする足で車に乗り込みハンドルに腕と頭を乗せて長く長く息を吐き出す。
『……大丈夫?』
「は、はい。……少し……混乱しているのだと思います……。なんというか……一昨日からこんなことの連続ですから……」
『それもそうだね~』
思えば祖父の屋敷に向かう途中、伽藍とトリシェを拾って以降こんなことばかりだ。
しかし、恐らく伽藍とトリシェが居なければ、祖父の屋敷で一晴は死んでいる。
妖刀に乗っ取られて、どこかで人を殺していたのだと思う。
だがそれと命を狙われるのは感じるストレスが全く違った。
まして、あの木偶とやらの背後が全く見えないと……。
『不安になるのは分かるよ。今まで普通に生きてたんだもんね。……でも、現実は現実として受け止めないと、この先生きていくのが難しくなるよ。木偶については明日にでも彗くんに聞いてみるといい』
「……はい」
『……ああ……それにしても疲れた~。俺って攻撃系の魔法とことん苦手だからああいう事するとめっちゃ疲れちゃうんだよね。しばらく寝ていい? 三日くらい』
「…………!? は!?」
『ふああぁ……もうむりー、おやすみー』
「え! ちょ、ちょっと!?」
すやぁ。
……膝の上に落ちて来たトリシェから聞こえるのは安らかな寝息。
「……………………マジですか……」
***
「木偶……ですか……」
翌朝。
ベルト通しにカラビナでトリシェを吊るし、一晴は上司の部屋を訪ねていた。
眠ると言っていたので眠っているのだろうが、喋って動かないとただのぬいぐるみだ。
紅静子もトリシェが一晴に憑依した事で影響を受けたのか、同じく弱って眠っているようだし。
「何かご存じですか? トリシェ殿もお疲れで眠られてしまったようですし」
「ああ、まあ、トリシェさんはそうですね。その方、基本的に自発的に攻撃するのではなく相手の力を跳ね返すカウンターが必殺技なので。その器では魔力蓄積量もたかが知れていますし、元々『光属性』は攻撃には長けていないのです」
「はあ……?」
「それから木偶ですが、心当たりはありません。妖刀を欲しがる者が存在した事に驚きですしね……。直接触れなければ乗っ取られる事はありませんが、それなら別に普通の刀でもいいでしょうに……」
「そ、そうですか……」
キョロ……。
月に出された朝食を食べながら、室内を見回す。
実は昨夜帰ったら伽藍は部屋にいなかった。
彗に確認したら「レッスンでへばってしまったので今夜も僕の部屋に泊めますね」……との事。
だから朝早く、トリシェのこともあって彗の部屋に来たのだ。
あわよくば伽藍に会いたいな~と。
「伽藍なら筋肉痛で寝込んでいるぞ」
「え!?」
「月が昨日、モデルのレッスンを伽藍さんにしてあげたそうなんですが……まさかケルベロスが筋肉痛になるなんて……」
「ははは、戦闘でこんな筋肉使わないとかほざいていたからそのせいだろう。なぁに、若いんだから今日一日休めば明日には動けるようになるだろう。そしたら次はウォーキングだな」
「お、鬼ですかな……」
「……それで、トリシェさんが眠っていて妖刀は大丈夫なんですか?」
「妖刀も眠っている……ような気がするのです。……その、私の体をトリシェ殿にお貸しした時に妖力が削り取られるようだ、と言っていて……それ以来静かなのです」
「なる程……トリシェさんは『光属性』の神の中でも最高位。間接的にその神気に触れたなら妖刀も堪ったものではないでしょう」
「妖刀が私の中から剥がれた、訳ではないんですよね?」
「一晴の中から妖刀が剥がれたのなら妖刀本体が姿を現わすはずですよ」
本体、というのは刀の事か。
確かに一晴の身に溶けて消えて以降見ない。
あれが剥がれて初めて解放されるという事。
「……しかし、正直トリシェ殿がすごい神様というのは半信半疑でした」
「……あの方いまいち威厳的なものを感じさせませんからね。けれど、あの方の神としての実力は『ヒト』が存在するあらゆる世界で最上位です。本当にすごい神様なんですよ」
「……その、地面に足をついただけで結界を張ったり木偶というのを倒したり、紅静子は『詠唱もなしに』と驚いていました」
「ん~……本来あまり詠唱は必要ないんですよね。人間のように魔力蓄積量の少ない生き物は詠唱を行なって周囲の自然に含まれる原始の力を集める事で魔法を使うんですけど、この世界はそもそも自然に含まれる原始の力が極端に少ないらしくて異世界から来た魔法に慣れた人は魔法が使えなくなるらしいですよ。逆に体内の魔力蓄積量が多いと原始の力を集める必要がないので詠唱は必要ないんです。例えば伽藍さんはケルベロスなので体内魔力蓄積量が人間の数億倍と言われていますから、彼らは詠唱なしに魔法を使えるという訳ですね」
「あ、このサラダ美味しいですね月さん」
「そうだろう? 屋上の畑から今朝収穫したレタスだ」
屋上に畑があるのか。
この時初めてその事実を知った一晴。
「それで、今日の予定は?」
「今日はCMの撮影ですな」
「そういえば一晴と月に春の特番ドラマのオファーが来ていましたよ。人気乙女向けアプリゲームの実写だそうです。原作のファンが納得できる顔と演技力とダンスパフォーマンス力と歌唱力があるイケメン役者は少ないですからね」
「……どんなゲームですか……」
「イケメン王子育成ゲームだそうですよ。一晴は高校、アイドル科だったんでしょう? ぴったりですよね」
「それは……ミュージカルにも出てみたかったので歌唱力やダンスを本格的に学んでみたくて…………いえ、そもそも王子育成ゲームなのになんで歌やダンスが必要なんですか!?」
「……彗、俺は歌も踊りも演技もできないんだが……」
「そうだ、トリシェさんに僕の神気を触れさせましょう。僕の手の上にトリシェさんを乗せてみてくれません?」
「なんですか、さっき話しを途中から聞いてなかった意趣返しですが!?」
そんな話を突然変える上司に戸惑いながらもカラビナからトリシェを外して、差し出された彗の手のひらに乗せる。
彗には「そのまま手を離さないで」と言われたので、トリシェを彗と一晴で挟むように持つ。
ふわり。
彗の手から光が滲み、トリシェの中へと入っていく。
『……………………んん……?』
するとどうでしょう。
青い頭が起き上がったではないですか。
(……神様摩訶不思議ですな……)
とりあえず疲れが取れて目が覚めてくださったようだ。
「おはようございます、トリシェさん」
『……おはよ~、明人くん……ふあぁ、今何時……っいうか、俺なんでキミの家にいるんだっけ……?』
「トリシェさん、彗です。今の僕の名前……」
『あ、そっか。長らく明人くんだったからつい……。…………………………。……一晴くんは!?』
「おはようございます、トリシェ殿。昨晩はありがとうございました」
『あ…………ああ、無事だったのね……良かった良かった』
手のひらの上でジタバタする小さなぬいぐるみ。
一晴の無事はトリシェのおかげ。
そう考えると心から「ありがとう」と言えた。
それに何よりこんなに安堵してもらえるなんて。
「妖刀を狙った木偶に襲われかけたそうですね」
『木偶? ああ、そうそう、変な木偶四体に囲まれて襲われそうになったんだよね。木偶は鈍いから、臨戦態勢になる前になんとかできたんだけど……。彗くん、キミ何か心当たりある?』
「それが全くなくて……。そもそも妖刀が狙われる理由の方がわからなくありません?」
『妖刀を欲する理由か……正直ない事もない』
「え!?」
「何かあるんですか?」
彗にも思いつかない“妖刀が狙われる理由”。
トリシェを手元に戻す。
丸い顎に丸い手をくっ付ける仕草が可愛くて若干イラっとする。
『妖刀の『呪い』に興味あるとか、妖力を悪用したいとか、そんなんじゃない? 単なる変人刀剣コレクターって線も捨てきれないけど』
「……そんな者が木偶まで使いますか?」
『人間の欲望は果てしないからね。キミだって知ってるでしょ』
「それは……」
パクっ。
月が我関せずでトマトを口にする。
一晴も、月の淹れたコーヒーを一口含んだ。
欲望に関して人間が一番薄汚い自覚はある。
こんな仕事をしていると、余計。
俳優は、役者は、人間を真似る仕事だから。
欲望があるから物語は生まれるし、動く。
『なんにしても起こしてくれたことは感謝するよ。キミの神気は心地いいからね~』
「あ、いいえ。トリシェさんの神気に触れると僕も少し回復しますから……」
「おお、それはいいな。一晴ではなく彗がこのぬいぐるみを持ち歩けば良いのではないか?」
『そうだね、一晴くんの件が片付いたらね。それで、一晴くんは今日も仕事?』
「はい。今日はCM撮影のみですから……それと、伽藍さんなんですが筋肉痛で起きられなくなっているそうです。トリシェ殿、伽藍さんを治してくださいませんか?」
一晴が筋肉痛になった時、トリシェが痛みを和らげてくれた。
あれがなければ長時間の運転は無理だったと思う。
しかしトリシェは勢いよく一晴を見上げる。
あ、呆れてるな……と、楽しげな表情(のぬいぐるみ)の中身の感情が読み取れるようになった。
『はぁ~~? ケルベロスのクセに筋肉痛って何!? ケルベロスって筋肉痛になるの!?』
「それは僕も思いました。……すみません、今の僕では治癒術も使えなくて……」
『いや、キミの貴重な魔力を使ってもらわなくても大丈夫。というか……そんなことされたら多分、伽藍が支水に殺しにされる。あの一族その辺りの手加減マジでないから』
「あ……ああ……そうですね……」
『全く戦闘種族が聞いて呆れるなぁ。いくら体が弱いからって筋肉痛は酷いわ~。ちょっと様子見てきていい?』
「参りましょう!」
とりあえず伽藍に会えれば一晴はなんでもいい。
四つある客室の二番目の部屋に泊まっているというので、ウキウキ尋ねる。
ベッドに人の姿のままうつ伏せる伽藍がいた。
……今日はちゃんと人の形を保っていた……が、屍のようだ。
『からん』
トリシェの声が優しい。
さっきまであんなに冷たいことを言っていたのに。
負けてはいられない。
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