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初めての異世界料理【中編】
しおりを挟む裏口から厨房に戻り、厨房から食堂へ。
玄関ホールで叫ぶと、二階からドタドタ慌てた足音が聞こえてきた。
「どうした、ユウキ!」
「お前のかーちゃん外にいたぞ」
「あ、ああ……」
リュカとカウンターから野菜の箱を回収し、食堂へ向かう。
厨房に箱を置き、厨房の隅にあった裏口から二人で庭へと出た。
その時、ふと洗濯干し場とは逆の方向に、寮と比べて少し小さい一階建ての建物があるのに気付く。
「あれは?」
「ああ、大浴場だ。小隊副隊長以下はあそこで体を洗うんだよ」
「へぇ~、こっちの世界にもやっぱみんなで入る風呂はあるんだな?」
「あるとも。以前は城の使用人が掃除に来ていたんだが、最近は最初の風呂のグループが毎日場所を手分けして掃除しているから……」
「ええっ! た、大変じゃあないか!? みるからにあんなデカイ……」
「大変なんだが、メイリア一人ではとても行き届かないからな」
「っ! メイリアさん、一人で全部切り盛りしてるんですかっ!? ここを!?」
「うふふふふ」
つい、大きな声で聞き返してしまった。
リュカは困った笑顔。
当のメイリアは上品に笑う。
しかし、一国の騎士団の寮をたった一人で……それもあんな初老の痩せた女性が、とは。
「……食糧難で多くの使用人は実家に帰り、生産の方に回っているんだ。金があっても食べ物がなければ買えない。……騎士団の方でもかなり人手が生産に流れた。騎士経験のある者ならば、ある程度魔物と戦える。農村地帯で畑を耕しながら村の護衛をした方が、食べていけるだろう?」
「…………!」
「あとは聖殿と王族のお世話をする、血筋の良い貴族の出の者たちしか城には残っていない。こんなになるまで『聖女召喚』は失敗続きで……」
ふと、リュカが言葉を飲む。
推し量る事は少し難しい。
彼は寂しげに微笑んでいたからだ。
「…………ようやく来てくださった聖女様なんだよ……」
「……………………」
風が通り過ぎて、リュカに注ぐ木漏れ日もまた揺れた。
娘の事を案じ、想っているのは、別におかしな事ではない。
しかし、本当に悠来が思っている以上に……この国は困窮している。
考えたくはないが、騎士が農村地帯へ畑を耕し、魔物から村を守る為に騎士団からいなくなるほどという事は——。
(人が……たくさん……死んでる、のか……)
生唾を飲み込む。
あまりにも考えたくない。
しかしリュカのあの表情の裏側に抱えられたものは、決して軽くはないだろう。
この世界に来る直前の事を思い出す。
気が付いたら眼前に迫っていた車。
虚無のような瞳の運転手。
あのままなら、間違いなく死んでいる。
だから、召喚された事は恐らく『救われた』と思うべきなのだろう。
それと娘が危険な目に遭うかもしれないという心配事は、やはり別物ではあるが……。
「さあ、暗い話はおしまいにしましょう。それよりも、お帰りなさいリュカ。今日はとっても早かったわねぇ」
「ではなく」
のほほんとした声と笑顔。
その姿に肩と眉を落とすリュカの、その表情は複雑そうな息子そのもの。
キリリとしているリュカが、極々普通の青年に戻った瞬間を見たようだ。
「お友達? とても優しくて良い方ね」
「え?」
「お洗濯を干すのを手伝ってくださったのよ」
「い、いえいえ! あの程度!」
「あらあらまあまあ。謙遜しなくてもよろしくてよ?」
じとり、とリュカに睨まれる。
勝手な事をして、という顔だ。
慌てて首と手を左右に振る。
「こほん! ……メイリア、彼は聖女様のお父様なんだが、聖女様の世界の料理を作りたいんだそうだ。聖女様はまだ幼くてらっしゃるから、故郷の味が恋しいのだと思う。手伝ってやってほしい」
「あ、大丈夫ですかね。えーと、か、構わないでしょうか? その、厨房をお借りしても」
「そう、娘さんの為なのね……。ええもちろんですわ。わたくしで良ければいくらでもお手伝いします。リュカ、貴方は仕事に戻りなさいな」
「俺は彼の護衛だ。……厨房を使っている間は寮の仕事をしているよ。なにかやる事はあるか?」
「自分の仕事をなさい」
「…………」
にっこり。
大変穏やかだが、声色が有無を言わさぬものだった。
それこそ、大の男が頰を引きつらせ、とても小さな声で「……ハイ……」と返事をするぐらい。
(……母ちゃんを思い出すなぁ)
悠来の母も強かった。
特に、父の前では。
母のこの強さは一体なんなのだろう?
父と息子は母という存在に永遠に勝てない。
遺伝子にそう組み込まれているような気がする。
「……で、では、その、俺は自室で書類の整理をしてくる」
「そうなさい。報告書に目を通していないのでしょう? 魔物の目撃情報もあるのですから、しっかりと漏らす事なく頭に叩き込むのですよ」
「はい……」
「ええと、ユウキ様だったかしら? それで、わたくしはなにをお手伝いしたら良いかしら?」
「は……はい、えーと……」
すごすごと厨房を通り、食堂から出ていくリュカの背中を見送ってから微笑む女性……メイリアを振り返る。
なにを手伝ってほしい、と聞かれると……。
「料理を作りたいんですが、俺のいた世界とこの世界では食材がだいぶ違うようなんです。なので、まずは素材について色々学びたいんですが……今日のところはサラダ……野菜について教えて頂けませんか?」
「……あらあらまあまあ」
頰に手を当てて、微笑むメイリア。
それに、なんともペースを崩される。
「そうなの~」
と、頰に手を当てたまま大変穏やかに優しく言ってくれたが、そのあとストレートに「それは困ったわね」と付け加えられてしまった。
更に「わたくしはあなた方の世界のお料理は分からないしぃ」と言われてしまうと、まあ、その通りだ。
確かにいきなり異世界の料理の話をされてもこちらの人は困るだろう。
なので慌てて「今日は知ってる料理でも良いので……」と付け加える。
メイリアはにこやかに頷いた。
「まあ、でも出来る限りやってみましょう。ええと、わたくしがユウキ様の指示でお料理を作れば良いのかしらね? それなら」
「え、い、いえ! 俺も作ります! 娘の為なので!」
「ふふふ、そうねぇ。お父さんですもの、当然よねぇ。ええ、良いわ、分かりました。でも無理は禁物よ? 良い?」
「え? あ、はい!」
「そちらの世界とは厨房も違うでしょうから、一緒に頑張ってみましょう」
「はい。ありがとうございます……!」
「良いのよ。世界が違っても、やっぱり我が子が可愛い親心は同じよねぇ」
「……そうですね」
なんだかそう言われて、心が温まる。
どこか安堵にも似た気持ち。
とても不思議な感覚だった。
(……そうか……この世界の人も、親なんだ。親だし、子どもなんだな。この人はリュカのお母さん。リュカはこの人の子ども……。俺と真美、俺と父ちゃん母ちゃんと同じ。同じ人間……か)
それが分かって、心の中でなにかがカチリとはまった気がした。
そう、この世界の人たちも……『人間』なのだ。
文化や歴史、聖霊による魔法のような力を持っていても。
それが今、心のなかに染み込むように理解出来た。
「じゃあなにから始めようかしら。食材もやっぱりだいぶ違うの?」
「はい、そうですね……。見た事のあるものは……ないです。それに、料理も……」
「そう。食文化の違いは確かにストレスになってしまいそうねぇ……。でも、食材が違うのでは同じものは難しいかもしれないわ~」
「そ、そうですよね……えっと、なのでまずはサラダを作ろうかと……」
「サラダ?」
「えーと、葉物野菜をちぎってドレッシングで食べるアレです」
野菜の回の時に必ず出る。
普通に『サラダ』と認識していたがこの世界では別の名前の料理なのだろうか。
慌てて特徴を言うと、メイリアは「ああ、フェタスの事ね」と笑顔で頷いた。
「フェタスというんですか」
「そうよ。葉物野菜を水で洗って、リードというドレッシングをかけて食べるの。ワンタという葉物野菜は基本的にちぎろうとすると暴れるから、まずはお湯で湯がかなくてはダメね」
「はい?」
なんて?
途中までは理解出来たが、最後の方は思いも寄らなくて聞き返した。
暴れる?
なにが?
「え? ユウキ様の世界のワンタは暴れないのかしら?」
「え? いや、野菜の話、ですよね?」
「そうよ。野菜の話よ?」
「え?」
「え?」
「「え? ……………………」」
顔を見合わせた。
そして、一拍の間。
「…………この世界の野菜は、生きてるんですか?」
「ええと、そうねぇ、それに近い感じ? かしら。野菜も家畜のように食べられたくはないんじゃない? 生きてるんだもの~。全力で抵抗してくるわよ~?」
「……!?」
「ユウキ様の世界は違うの?」
「あ、ユウキで結構です……」
「そう? じゃあユウキちゃんの世界は違うのかしら?」
ユウキちゃん……。
エ、と思ったが、相手……メイリアを見た時に……スン……と冷静な自分が『無理』と何かを瞬時に諦めた。
「はい……!」
あまりの混乱で一瞬なにかよく分からない事を言った気もするが、問題はそこではない。
野菜が、生きている。
しかも、料理しようとすると暴れる……らしい。
しかし、それならば先ほどの城の厨房の怒号と恐ろしいまでの圧の理由が分かる気がした。
「野菜は普通、暴れません!」
「あらあらまあまあ……じゃあこの世界ではとっても大変かもしれないわね~。どうなさる? 今日は野菜の倒し方だけ覚えて、お料理は次回にするかしら?」
「……た、倒し方……!?」
調理の仕方、ではなく倒し方ときたものである。
恐る恐るリュカが持ってきた箱の中の野菜を見た。
……見る限り、大変おとなしそうな……普通の野菜にしか見えないが……。
「え、ええと、これが、あ、暴れるんですか?」
「そうよ。今は命の危機を感じていないからおとなしいけれど……」
「………………」
「きっと収穫してくる時も大変だったと思うわ。ゴゴロというお芋なんて結構固いし集団で襲ってくるから、毎年けが人が出るのよ。テルト……ほら、そこの青い丸い野菜、あれはヘタから果汁を噴き出して攻撃してくるのよ」
「っ!」
指さされた先にあるのは、トマトの形をした真っ青な野菜だ。
あんな色の中身が、噴射してくる。
想像しただけでゾッとした。
「…………あ、ええと……。…………。今日は、その、ちょ、調理の仕方だけ……お、教えてください……」
「そうねぇ、その方が良いわねぇ。この世界では、今日初めて料理するのでしょう?」
「はい」
「じゃあ今日はわたくしが野菜の下処理するわね。見て覚えて、明日チャレンジしてみましょう」
「よ、よろしくお願いします!」
まさかこの世界の野菜がそれほど危険なものだとは……。
早くも前途多難な予感しかしない。
「まずワンタは丸ごと沸騰したお湯に入れるわ」
『ギャァィァアァィァ』
「…………っ」
優しい笑顔で沸騰したお湯の鍋に紫のレタスのような野菜をぶち込んだメイリア。
すぐさま蓋をすると、中から断末魔のようなものが聞こえる。
気のせいだと思いたい。
「次にテルトは汁を出される前に真っ二つにするわ。こんな風にね」
『ぎゃ』
「…………」
まな板の上に載せられた青いトマトは一瞬で真っ二つ。
悲鳴のようなものが聞こえた気がする。
気のせいに違いない。
「メーリー、火をありがとう。もう良いわよ」
「……火が……!?」
「火の聖霊術よ。ユウキちゃんは聖霊とはもう契約したかしら?」
コンロのような石の上に鍋を載せたら火が点いた。
そこまでは「こっちにもガスコンロが?」と思っていたがメイリアはなにかの名前を呼んだ。
そして驚いた事にこれもまた『聖霊術』らしい。
その上「もう契約したかしら?」と聞かれると思わず、固まってしまう。
「……ユウキちゃん?」
「あ、い、いや……俺はあの……聖霊が見えないので……」
「あら、そうなの? 珍しいのね……? 霊力があれば大抵の人は見えるのだけど」
「そうなんですか?」
「ええ。この世界では一般的よ。平民には見えない人も多いそうだけど……。貴族の者は特に強い霊力を持っていると言われていて、必ず一人一体の聖霊と契約しているもの」
「そう、なんですか……」
この世界の人は見える。
では、見えない自分はおかしいのだろうか?
聖女として召喚された真美は、聖霊の中で一番偉い聖霊王とやらと契約したと言っていた。
当然、真美も聖霊は見えるのだろう。
「まあ、良い行いをしていれば見えなくとも祈りを捧げて願いを口にすれば、力を貸してくれるわ。ユウキちゃんは聖女様のお父さんなのだから、聖霊たちも『なんでも言え』と言わんばかりの顔をしてるわよ」
「え?」
「大丈夫よ。さあ、料理を続けましょう。お昼ご飯に間に合わなくなってしまうわ」
「あ! そ、そうですね!」
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