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初めての異世界料理【前編】

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「うぅ~~ん」

 読み書きを教わるようになって一週間。
 娘、真美と共に本日も部屋で本と睨めっこしている。
 文字は日本語とも、英語とも違う。
 なだらかなラインではあるが、一つ一つの単語が独立している。
 そこは日本語と同じだが、なに分、文法が英語のようなのだ。

「難しい」
「お父さん、頑張って」
「うんんん~。真美はすごいなぁ、もう文書が書けるようになったのか?」
「うん、覚えると簡単だよ」

 天才なんじゃないだろうか。
 真顔で娘の新たな才能に驚愕と賞賛を送った。
 父は全然ダメダメである。

「……でも、ご飯はあんまり美味しくないよね……わたし、お父さんのご飯食べたい……」
「っ!」
「ねぇ、ダメ?」
「……ダ……ダメなもんかぁ! よーぅし! お父さんがうんと美味しいものを作ってやるぞ!」
「やったあ! 真美お父さんのご飯大好き~!」

 がばんちょ、と抱き着かれる。
 一体いつまでこうして抱き着いてもらえるかは分からないが、顔はにやけた。
 娘は可愛い。
 世界一可愛い。
 確かにこの世界の料理は可もなく不可もない味。
 見た目もそこまで酷くはないが、悠来たちがいた世界に比べれば本当に『微妙』だ。
 とてもシンプルで、飾り付けなどもなく、彩もほぼ一色。
 肉なら肉しか出てこないし、野菜なら野菜しか出てこない。
 極端なのだ、とても。

「よし! お父さん厨房借りてくるな! 昼飯には俺たちの世界の飯にしようじゃないか!」
「ホントぉ!?」
「ただ、この世界の材料にもよる。そういうのを見てから作るから……とりあえずやるだけやってみるよ。あんまり期待はしてくれるなよ?」
「えー」
「はは、もちろん頑張るぞ」
「うん!」

 娘にそんな事を言われては父としてやらないでか、というやつだ。
 メイドに相談して、厨房に案内される道すがら一人、あの可愛らしい娘のおねだり姿に笑みがこぼれる。
 最初は疲れや慣れない環境の変化に少し元気がなかったが、ようやく以前の真美に戻ってきた。
 とはいえ、やはり引き続き気を付けて見ておかねばならないだろう。
 一人百面相する不審な悠来に、メイドがやや笑顔を引きつらせながら「こちらが厨房ですよ」と声をかけてくれた……その先で——。

「なっ」
「まだ十食分しか出来てないだと!? 昼までに間に合わせる気あんのかテメェら!」
「「「おす!」」」
「皿ァ出せ皿ァ! 出来たやつから運べぇ! スペース足りなくなんだろーがぁぁ!」
「「「おっす!」」」
「夕飯の支度も始めろ下っぱどもォ! 皮剥きは外だっつってんだろーがぶっ飛ばすぞ!」
「「「お、おっすぅ~!」」」

 ……死地を見た。
 飛び交う怒号。
 転ばない程度に駆け回る見習いらしきシェフ。
 殺気悶々の、想像していたよりも狭い厨房。
 恐る恐るメイドさんの方を見て厨房の中を指差すと、へにょ、と笑われる。
 この中に入って行く事は、どう考えても無理。
 それを分かった上で連れてきたのだろうか。

「聖女様のお父様のお願いならば、多分窯の一箇所くらいお借り出来ると思いますが……」
「いや、そこまで神経太くないし傲慢でもないから! こんな忙しそうな所邪魔出来ないです!」
「そ、そうですか。そう仰って頂けると助かります。この時間帯、城の厨房は昼食の準備で戦場のようでして……。なにしろ十人ほどでここで数百人分の昼食を作っているので、こう、人も足りませんし場所も手狭で……」
「うっ」

 それを言われると、身を引く他ない。
 人様の仕事の邪魔をしたいわけではないのだ。
 しかし、真美には大見得を切ってしまった。

「他に、空いている厨房って、ないですかね?」
「そうですね……騎士団寮の方なら空いていると思いますよ。昼間は騎士たちも城の食堂で食事をするので。寮は朝と夜しか使ってないんです」
「なるほど……。そちらを借りられませんか? あと、いくつか食材を頂きたいんですけど……可能でしょうか?」
「ご用意します。寮の方へは……」
「ユウキ! 野菜を畑からもらってき……?」

 たぞ……、と続ける予定だったリュカ。
 手にはレタスのような紫の葉物野菜、トマトの形をしている真っ青な実、赤い色をしたきゅうり風のなにか。

「…………」

 サラダくらいなら余裕で作れる、と思っていた悠来も、原材料を見たら自信がなくなった。
 野菜の概念がトラックに轢き殺されたような気持ちだ。
 思えばサラダはコンビニやレストラン、家で作るものも、きちんと皿に盛られた完成品。
 サラダなんて葉物野菜をちぎれば作れると安易に考えていたが、そもそも、ここは異世界。
 元の世界とは野菜の種類が全く異なる。
 これまでは野菜が出てくると、そのカラフルさで食欲が奪われていた。
 しかし、味そのものは野菜。
 それに火が通っているものが多かった。

「す、すごい色の野菜だな……」
「? そうか? この世界ではこれが普通だが……」
「そ、そうか。やはり材料がだいぶ違うんだなぁ……うーん。ちゃんと一度食べて味を確認してからの方がいいな、こりゃ」
「ジェーロン団長、実は城の厨房ではなく騎士団寮の厨房をお借り出来ないかと、今ユウキ様とお話ししていたところなのですが……」
「騎士団寮の? ああ、なるほど…………」

 と、厨房を見たリュカはすぐに状況を察してくれたようだ。
 入り口の近くでこの怒号。
 異世界の人間でなくとも、そこへ飛び込むのは相当の覚悟と勇気が必要だ。

「構いませんよ。今の時間は管理人のメイリアしかいないはずですから」
「メイリアさん?」
「ああ。…………恥ずかしながら、俺の母なんだ。父も騎士していたんだが、亡くなった後も『騎士団の者は皆家族も同然だ』と言って世話を焼いてくれている。分からない事は彼女に聞いてくれて構わない。騎士団寮の事はメイリアが一番詳しいと思う」
「そうなのか! 家族みんなが騎士団関係者ってすごいな~」

 そうしてメイドと別れ、リュカに案内されて一階の廊下を進み、渡り廊下を進む。
 十日にも満たないのに、やけに久しぶりに来た感覚。
 森に囲まれた騎士団の詰所と、訓練場。
 そこでは何人もの騎士が軽装で訓練をしていた。
 それを通り過ぎ、石畳の道を進むと木々に囲まれた五階建ての大きな建物が見えてくる。
 赤い屋根とクリーム色の壁。
 壁には蔦が針巡り、ほどよく森と一体化している。
 その隣には屋根と壁のある渡り廊下が見えた。
 別館らしい三階建ての建物。
 色合いは同じだが、横の建物に比べれば少し小さい。
 黒い鉄の門と鉄格子の柵に囲まれ、中には緑の茂った庭がある。
 ほんのりとした甘い香りは花かなにかだろうか?

「お? あれ畑か?」
「ああ、今拡げようと思って計画を立てている。……農民たちに頼りきりでは、彼らの食べる物が足りなくなってしまうからな……」
「…………」

 柵の奥、森のあたりに見えたものを指差すとそんな答えが返ってくる。
 そしてその悲しげな声と表情に……この国の状況が詰まっている気がした。
 困窮している、とは聞いていたが、騎士団が寮の側に畑を作らなくてはならないほどだとは誰が想像するだろう。
 その上、ここからでも見えるあの畑を更に拡げる予定とは。

「食べ物が足りないのか?」
「……厄気は土を腐らせるのだ。聖女様の浄化のお力がなければ、これからも作物を育たせる事は難しいだろう」
「っ!」
「『ハルバンド』付近の農村地帯は……壊滅している。国の食糧の三割を生産していた土地だ。……侵食が進めば生産量は更に減るだろう。魔物による被害も著しい。食糧はいくらあっても困らないし、まあ……訓練がてら、こういう事もしている、という事だな」

 鍬を振る動作は、剣に通ずるものがある。
 と、呟くリュカから目を背けた。
 飽食の国に生まれて生きてきた悠来には、その状況が上手く想像出来ない。
 しかし、自分たちが『美味くも不味くもない』と文句を言っていたその食糧は、とても……恐らくとても大切なものだったに違いないのだ。
 それなのに気楽に『サラダぐらい簡単だろう』と考えていた自分はなんとも……『傲慢』だったのかもしれない。

(勉強不足だな。……自分でそんなんじゃないって言っておきながら……やろうとしてる事は傲慢じゃないか)

 知らなかったから仕方ないと逃げるのは簡単だ。
 だが、この世界について知ろうとしている人間のやる事ではなかったかもしれない。
 自分は無知なのだという事を、もっと肝に銘じなくては、と思った。

「なあ」
「?」
「……厄気と、魔女と……なんだっけ? 王様がいた時の事、えーと、召喚された時に聞いた話……もう一度教えてもらえるか? あの時は、かなり混乱してて……」
「ああ、そうだったな。あの話も途中だったか」

 あの時は真美を守る事で、周りを皆敵だと認識していた。
 だから話の内容も上手く思い出せない。
 我ながら随分冷静さを欠いていたものだ、と思う。
 門を潜り、リュカが箱を片手に持ち直し扉を開け、お礼を行って寮の中に入る。
 木の香りと、緑の香り。
 見れば玄関を入ってすぐに観葉植物が置いてある。

「……後でも構わないか?」
「ああ」
「先にメイリアを探してくる。食堂で待っててくれ」
「食堂?」
「そこの部屋だ」

 と、食堂を指さされた。
 玄関入り口に入ってすぐ、右手に受付カウンターのようなものがあり、その奥の観音開きの扉の奥が食堂らしい。
 玄関真っ正面には階段。
 その脇にはドアの付いた小部屋がある。
 リュカがトイレはあそこだ、と付け加えてカウンターに野菜の箱を置くと左の方へと向かう。
 恐らくあの先は、別館のような建物に続く渡り廊下だろう。
 その渡り廊下の奥、玄関正面にある階段の横にも部屋があるが……場所的に考えて応接間か、管理人の部屋だろうと食堂の方を向く。
 観音開きの扉の片方を開けて、食堂に入るとふわりと太陽の香りがした。
 角部屋らしく、右と正面はほぼガラス張り。
 窓枠はあるが燦々と陽の光が入ってくる。
 ふらりと右側の窓に近付いて表を覗くと、草花がたくさん植えられていた。
 そのまま窓に沿って歩く。
 入り口正面の窓枠の外には、大量の洗濯物がはためいている。

「!」

 窓縁に指を置くとゾリ……と砂埃が指についた。
 見ると窓も少し汚れている。
 掃除が行き届いていないんだな、程度に思ったが、はためく洗濯物の合間に灰色の髪を団子にしたか細い女性の背中が見えてハッとした。
 慌てて窓を一箇所開ける。

「あ、すみませーん」
「!」

 振り返ったのは初老の女性だ。
 頰の痩けた顔。
 濃いグリーンの瞳の優しい顔立ち。
 悠来を見ると、にこり、と微笑んで作業の手を止めて歩み寄ってきた。

「あらあらまあまあ、お客様? 今お茶をお淹れしましょうねぇ」
「お構いなく! 初めまして、悠来と申します。……厨房をお借りしたいんですが……」
「? あらまあ、珍しいお名前ね? 厨房を? ええ、構いませんわよ。よろしければ、お手伝いしましょうか?」
「……あ、えーと……」

 はためく洗濯物。
 その下にはカゴに入ったシーツらしきものが見える。

「手伝いますよ。二人でやればすぐ終わりますし! ね!」
「あらあらまあまあ……お客様に気を遣われてしまったわ。ふふふ、それじゃあお願いしちゃおうかしら」
「はい! 任せてください!」

 上品な奥様、という印象の女性だが、すたすたと洗濯物干し場に戻り、シーツを籠から持ち上げると竿に干していく。
 恐らくあの女性がメイリアだろう。
 彼女の後に付いていき、籠からシーツを取り出し空いているところに干していく。
 今日は天気も良いのでよく乾く事だろう。
 男が寝るシングルベッドのシーツは濡れていればなおの事重い。
 あんな細い体で毎日こんな重労働をしているのだろうか?

「はあ、本当にあっという間に終わってしまったわ~」
「やっぱり白いシーツがはためいてるのを見るのは気持ちいいですね~」
「本当よねぇ~。えーと、それでユウキさん、だったかしら? 厨房を使いたい……でしたっけ?」
「はい」
「もちろん構わないわよ」
「ありがとうございます……あ、そうだ! おーいリュカーー!」

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