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五章 『里帰り』編

その、顔を【前編】

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「…………っ」
「?」

 貴族たちが公帝陛下への挨拶を目論み始めたタイミングで、『探知』の魔法に強い『害意』を感じだ。
 それともう一つ……。

「オリバーさん? 今度はどうしたんですか?」
「厄呪魔具の気配だ」
「えっ」

 エルフィーが不思議そうに見上げてくる。
 それに対して簡潔に答え、会場を見回した。
 一人、不信とも思える仮面の男が歩いてくる。
 迷いなく真っ直ぐ、しっかりとした足取り。
 金刺繍が施された、ダークブラウンのジャケット。
 口許には笑み。

(…………っ……!)

 その男を、オリバーは知っていた。
 無論、会った事はない。
 会うつもりも予定もない……なかった。
 だが男の方からオリバーの目の前に現れたのだ。

(ス、スレリエル卿……!? なぜここに──!)

『ワイルド・ピンキー』のラスボス、ミシェラ・スレリエル。
 しかもあの仮面は厄呪魔具だ。
 起動はしていないが間違いない。
 いや、分かりやすいものでなくとも、あの男は厄呪魔具の使い手。
 複数の厄呪魔具を扱える。

「ごめん」

 エルフィーに断りを入れて、速足で公帝の前へと出る。
 オリバーの突然の行動に、公帝の横に控えていた第五騎士団団長のハルエル・イディンテッドと近衛騎士団団長のジェイル・ハグレードが一歩前へ出た。
 だが、オリバーは公帝に向かって背を向けている。
 その様子から、ハルエルとジェイルは顔を見合わせてジェイルが元の位置へと戻った。
 代わりにハルエルが階段をゆっくり降りて、オリバーの視線の先を確認する。
 近づいてくるのはまたも仮面の不審者……いや、紳士。

「また仮面? 仮面舞踏会じゃないんだぜ? ……!」

 ハルエルが愚痴りながら止めようとしたのを、オリバーが片手を上げて制する。
 それに思わず足を止めるハルエル。
 空気が異常だ。
 彼にもだんだん、オリバーがそこに立っている理由が理解出来てきたらしい。

「失礼、公帝陛下にご挨拶をと思ったのですが……」
「お名前は?」

 オリバーが冷えた声で問う。
 紳士は口許を弧にして頭を下げる。

「ジェイムズ・シルバンと申します」

 偽名だ。
 目を細め、オリバーは頭を下げた男を見つめた。
 そこでその名を否定したところで、この男が開けてしまった穴は塞がらないだろう。

(やってくれる……!)

 それは主に妹が『主役』のお茶会を台無しにしようという、その魂胆に対しての怒りだ。
 保護者席の貴族たちは、これを皮切りにして公帝に擦り寄ろうと庭への出入り口付近に集まりつつある。
 それを察知したハルエルがオリバーから、出入り口付近へと目を向けて部下に目で指示を飛ばす。
 最悪、整列させて御するつもりだろう。
 だがそうなれば、今度こそこのお茶会はもう「子どもが主役の場」とは言えなくなる。
 親たちが自重してくれれば良かったが、そんなに我慢強い親はいないらしい。

(それよりも……)

 だがそれよりも、オリバーにとってはもう一つ複雑な事情があった。
 今この場でこの男の前に出る事、そのものだ。
 ラノベのストーリーでは、スレリエル卿が『ペンドラゴ帝国』の皇帝一族にかけた呪いをあの公帝にもかける。
 それは、物語が始まる前の出来事だった。
 タイミング的に考えても、接触したのはこの時期が怪しい。
 あの呪いはゆっくりと健康を害していき、じわじわと死に至らしめるもの。
 そして、標的の一番近い血筋の者に呪いは移り、その者をまたじわじわと呪い殺す。
 その期間は一年から三年。
 対象の健康状態や、若さなどによって変わる。
 公帝は見るからに不健康。
 来年から始まる『ワイルド・ピンキー』のストーリーを思えば……一年で公帝が崩御する未来もあながち……と思う。
 そして、それをもたらすのがこの男。
 そんな男が今、まさに公帝に近づこうとしている。

(これがきっかけで国は内乱に包まれる。人がたくさん死ぬ。たくさん悲しむ人が出る……! 俺は……っ!)

 それはストーリーだ。
 物語の出来事だ。
 だが、オリバーはこの世界で生を受け、今を生きている。

(戦争なんて俺もいやだ)

 ストーリー?
 知った事ではない!
 ならばやるべき事は一つ。

「ミスターシルバン、厄呪魔具をお持ちですね?」
「「!?」」

 騎士たちが目の色を変える。
 空気がピン、と張り詰めた。

「……ええ、スキルにより、目が他人のステータスを勝手に盗み見てしまうのです。それを厄呪魔具で抑え込んでいるのですよ」
「……気持ちは分かります。俺も『魅了』と『誘惑』で周囲に影響を及ぼしてしまうので、厄呪魔具が手放せません」
「おや、それはそれは。お互い苦労しますね」
「でも」

 男は笑う。
 笑みを深くするほどの余裕。
 それが、気に入らない。

「他にもお持ちですよね?」
「さて、なんの事でしょうか」
「どちらにしても厄呪魔具を身につけたまま、陛下に近づくのはいかがなものかと思います。陛下はそのお立場ゆえ、常に警戒しなければならない方なのですよ。当然! 厄呪魔具や厄呪武具対策もされておられるでしょうが!」

 ギク。
 後ろを振り返らずとも、騎士たちと公帝自身が居心地の悪そうな顔をしたのが分かる。
 気をつけろ。
 今日は仕方ないけど、この二分後あたりからもう厄呪魔具、厄呪武具対策しろ。
 そんな意味合いも込めて後ろを睨みつける。
 主に対象は宮廷魔法使い兼第五騎士団団長のハルエルを。

「……持つ者が必要もなく近づかないのも、そのお心を穏やかにするのに一役買うかと思います」
「……確かに。私が浅慮でございました。申し訳ございません、陛下」
「……っ!」

 頭を下げた相手へ、公帝が答えようとした時……オリバーが公帝を睨むように見上げた。
「応えるな」という意味だ。

「陛下、厄呪魔具は『言葉を交わした相手』を呪う場合があります。迂闊にお返事されませんよう、ご注意ください。私めにもお言葉は不要!」
「え、あ……」
「陛下、彼の言う通りに」
「お口にチャックです!」
「わ、分かった」

 それでいい。
 また背を向けて自称ミスターシルバンへと向き直る。
 男は微笑みを浮かべたまま、ゆっくり顔をあげてオリバーを見つめた。

(関わりたくなかったな)

 心の底からそう思う。
 そして男は背を向けて立ち去る。
 だが大変なのはここからだろう。
 ミスターシルバンが開けた穴から、案の定貴族たちが次々溢れ変える。

「陛下へのご挨拶をお許し頂けるかしら?」
「陛下、どうぞわたくし共にも、ご挨拶の機会をお与えください」
「どうか、陛下、ご挨拶をさせてくださいませ」
「え、な、え?」

 困惑する公帝。
 よもや本気でこうなる事を予測出来なかったというのだろうか?
 ちらりと見上げた騎士たちは、「やっぱり~」と言わんばかりの顔。
 これは、公帝のわがままか一存で決まった事のようだ。
 騎士たちは引き止めたのだが聞いてもらえなかったと見える。
 それでもハルエルが事前に部下に示し合わせていたおかげで勢いは思っていたほどでもない。
 だが、やはり、親が押し寄せてきたせいで茶会の空気は異様になりつつある。

(困った親たちだな。まあいいや、次は……アレだな……)

 先程から強い害意を感じていた。
 親たちの波を避け、保護者席への出入り口へと向かう。
 どんどんその凄まじい害意はこちらへ近づいていた。

「……!」

 顔を見た。
 そう、顔があった。

 ──。

「に……逃げ、逃げてください!」

 エルフィーの声が、保護者席の中で響く。
 え、と振り返った後方の貴族たちが見たのは不気味な笑みを浮かべたメイドの姿。

「お退きくださいごみくずども。邪魔でございましてよ」

 なんて、とても貴族に対する言葉遣いではないセリフ。
 それにカッと怒りを表すよりも早く、窓ガラスをオリバーが破り、中へと駆けつけた。

「ひひっ!」
「……!」
「きゃああああああぁ!」

 メイドが笑い、後ろにいた貴族女性の数人を伸びた爪で引き裂く。
 幸いオリバーがすぐに治癒魔法をかけたおかげでドレスが裂けた程度に見える。
 だが、一秒でも遅ければ彼女らは死んでいた。
 そう、複数の女性が、今の一撃で間違いなく死んでいたのだ。
 その証拠に、ホールの白い床には夥しい血痕が飛び散って残っている。
 収納魔法から取り出した槍でそのメイドの腕を突き刺し、半捻りしてから貫通させ、細いその身ごと壁に叩きつけた。

「ひいい!」
「ぎゃあぁ!」
「仮面の男が暴れ始めた! メイドが串刺しにされたぞ!」
「ま、待って! あのメイドおかしいわよ!」
「皆さん! 下がってください!」

 ハルエルが飛び込んでくる。
 他の騎士たちが貴族を保護しようと、保護者席に入ってきたのを見て、オリバーは叫んだ。

「ハルエル団長! エルフィーを!」
「! わ、分かった! それより『ソレ』はなんだ!?」
「俺にも……いや……分かりたくない!」
「冷たいわね」

 ガッ。……と、槍をメイドが掴む。
 茶色い髪と紫の瞳。
 そこそこ美しい顔立ちは、見覚えがあった。
 だが、絶対に認めたくない。
 認められない。

「なんで君がこんなところに……それも、『魔物』になっているんだ、タック!」
「ふふふ、知りたい? ……もう用無しだからよ!」
「っ!」

 ゴッ!
 反対の腕が、巨大化してオリバーを側面から殴りつけた。
 咄嗟に『防御壁』を二重張りし、浮遊で衝撃を緩和、防御力上昇強化を使い無傷だが……転がり出たのは茶会の庭だ。

「おおにいさま!」
「師匠!? なにが起き……!」
「フェルト! ウェルゲム! 参加者の子どもたちを安全なところへ避難させ──」
「でええぇもおおぉ!」
「!」

 槍で爪を、腕を受け止める。
 身体強化していなければ受け止められずにぐちゃぐちゃになっていた威力。
 子どもたちが悲鳴を上げて逃げ出す。
 これはまずい、右往左往して逃げていたら迷子になるし、このまるで周りを気にかけない戦い方をする『なにか』は容易に子どもたちを巻き添えで殺すだろう。

「キミに! キミに! キミィにぃ! また! 出会えた! 素晴らしい! 奇跡じゃないかなぁ、これえええぇ! ねぇ! ねぇ! キミもそう思うよねええぇ!」
「くっ」

 顔を近づけてくる『ソレ』は、確かにタックだ。
『エンジーナの町』でかつて、違法奴隷を買い漁っていた騎士。
 クローレンスにより捕縛されて裁判にかけられ有罪となった、と後の報告の手紙で知ってはいた。
 その後の罰はオリバーには伝えられなかったが……それがなぜ!

(ダメだ、俺が引きつけるしかない)

 だが、ソレの背中からボコボコと不気味な音がする。
 ボキッと骨でも折れるかのような音がとどめに聞こえたと思えば、腕が、増えた。
 顔はどんどんタックとは呼べない姿になる。
 人型の魔物。
 そんな様子だ。
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