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一章 少年期編
『ロガンの森』【後編】
しおりを挟む「トロールが作ったのかな?」
「ん? なにがだ?」
「あの岩穴。下の土台になる大きめの石は比較的きれいな四角形。バランスが取れた岩を重ねてあるし……隙間は小さな石で詰めてある」
「…………言われてみると……いや、だが、トロールにそんな知能は──……まさか……!」
「…………っ」
父の顔色が変わった。
魔物とは、基本的にどんな種にも『下級種』『通常種』『上級種』と区分される。
トロールの場合は『下級種』がリトルトロール。
『通常種』がトロール。
『上級種』に……さらに巨大なビックトロール、知能のある……マスタートロール。
マスタートロールは三メートル程度。
通常種と変わらない大きさだが高い知性があり、マスタートロールの群れはマジシャントロールやソードトロールなど武装したトロールが従っている。
これらの武装したトロールは、マスタートロールに従うトロールだけ。
「父さん! 森に来てるみんなに伝えよう!」
「すぐに戻るぞ!」
「うん!」
踵を返す。
集合地点まで戻るために走りながら、父は呼び笛を鳴らす。
緊急時はこの呼び笛を使い、集合地点に戻る取り決めだ。
そう、緊急だ。
(マスタートロールはAランクイエロー! トロールの群れの数によっては、他の町の冒険者もかき集めなければいけない!)
同じくAランクの冒険者が五人でようやくAランクの魔物を一体倒せる──。
そう言われているのだ。
杞憂であるならいい。
だが、もしもマスタートロールがいるのであれば……。
「クソ、頼むからマスタートロールなんざいないでくれよ……!」
「っ」
あまりにも、Aランクの魔物は危険だ。
なにしろAランクはかのドラゴンと同じランク。
ドラゴン──伝説の魔物。
(ドラゴンは、Aランク+……カラーはレッド。完全無比の『禍い』……!)
オリバーの記憶の中……前世では、様々なラノベで容易く倒される存在だった。
だが、この世界では最強無敵の存在だ。
剣も魔法も完全無効化し、何千何万のAランク冒険者が束になってもダメージを与えられないと言われている。
ドラゴンと戦えるのは世界に四つしかない『霊器』のみ……そう、言われていた。
『霊器』を扱える者がいない現在の世界。
もしドラゴンに遭遇すれば、ただ……人々は蹂躙されるのみ。
だが、それと比較してもマスタートロールは十分危険!
「うわああああぁぁ!」
悲鳴だ。
しかも、それを皮切りに何人もの悲鳴が続く。
「まさか!」
遅かった!
と、皆が集まり始めた集合地点に現れた数体のトロールに目を見開く。
武装している──!
「くそ! オリバー! お前はここで待て! 絶対に動くな、っ……オリバー!?」
体が勝手に飛び出していた。
振り上げられたボロボロの剣。
あれはソードトロール。
尻餅をついた冒険者志望の少年たち。
(誰かが……)
恐怖に歪む顔。
泣きじゃくる姿。
前世の記憶が、揺さぶられた。
──妹が、泣く姿。
なにも悪い事などしていないのに、友人だと思っていた者たちに笑われる。
立ち向かう勇気のなかった妹は、部屋に引きこもって出てこなくなった。
共働きの両親は、妹の話を聞く時間がない。
なら、俺が……。
そして、妹の話を聞きながら、ゲームをしたり漫画を読んだり。
ゲームや漫画やラノベを買うために家事を手伝って、お小遣いを増やしてもらって……そして──。
(不幸になるのは……嫌だ!)
剣を抜く。
父の話を思い出しながら、手を伸ばす。
「リーフゴーレム!」
森の中なら、リーフゴーレムを十体作れる。
葉っぱで出来たリーフゴーレムが、トロールたちの足を掴む。
一瞬動きを止めたトロールだが、剣を振り下ろせば一瞬でゴーレムは散ってしまう。
だが、そんな事は想定内。
「浮遊!」
「ギィ……!?」
リーフゴーレムたちが倒された瞬間を狙い、トロールの片足を地面から浮かす。
武器を振り下ろしていたソードトロールは、バランスを崩した。
同じく自分の足にもジャンプした瞬間浮遊をかける。
真上に。
しかし距離が足りない。
なのでソードトロールの剣を持つ手首を斬りつける。
指が微かに離れたのを、見逃さない。
柄をブーツ裏で蹴りつけ、風魔法で飛んだ体を捻りその場で固定。
「ライト・グラビティア!」
風で書類が飛ばないように固定する生活魔法。
自分の体全体にその魔法をかける。
ソードトロールの剣の柄の先端に足をかけたまま、重くするという事は──。
「!」
ボロボロとはいえソードトロール持っていた剣先が、ソードトロール自身へ向けられたという状況。
そこへ、重りを付加して落とす。
倒せるとは思わない。
(!)
直前に父の言葉を思い出した。
刃物を、鋭利にする『研磨』の魔法。
あれを咄嗟にソードトロールの見に使った。
「ギャーーーー!」
それこそ【無敵の幸運】効果だろう。
眉間のど真ん中に突き刺さる。
〈クリティカルヒット!〉と文字で見えたようだ。
「!」
『鑑定』で見た、ソードトロールのHPが0になった。
しかし、一体倒しただけだ。
振り返る。
父がようやく追いついてきて、冒険者志望の三人の少年の肩を抱き寄せた。
「オリバー! お前! 無茶するな!」
「父さん、それよりあれ!」
自分の剣を持ち直し、他のトロールが冒険者たちと戦っている方を指差す。
腰を抜かした冒険者志望者たちは、とても立てる状態ではない。
「っ! オリバー、お前はこの子たちを……、……!」
「!」
ズズ……と、なにか、妙に小さなトロールが森から顔を出す。
人間にとても近い顔と体つき。
ただし、頭が大きい。
足のバランスがどことなく悪いが、左右に武装したトロールが固めている。
「…………」
そのトロールが、マスタートロールなのだろう。
戦闘能力は高くなさそうだが、こちらを見た瞬間……目が合うと背筋がゾゾゾと粟立った。
寒気。鳥肌。本能的に『絶対に戦いたくない』と感じる。
『…………』
「……っ……」
それは、父を見た。
そして突然目を閉じて、頷くような仕草。
父は立ち上がってオリバーの前へと立つ。
「俺たちは木を切りに来た。確かにお前たちを討伐しようとは思ったが、そちらが干渉しないならこちらも不干渉を約束しよう」
「父さん……?」
「…………、……そうか、分かった。そうしよう」
父がそう頷くと、あのトロールもまた頷いて「ゲギィ、ゲァ、ゴゥ……」と武装していたトロールへ語りかけるように声を出す。
言語による指示?
知性のないと言われているトロールたちが、言語でコミュニケーションを取っている?
(これがマスタートロール……Aランクの、魔物……!)
***
あのあと、父は冒険者たち全員の無事の確認を行い、町に帰った。
そして、そこで聞いた話では父とあのマスタートロールは思念で会話を行ったのだという。
トロールたちは森で静かに暮らしたい。
元々あまり戦いを好む種類ではないからだろう。
こちらから襲わなければ、ほとんどのトロールは戦わないのだ。
だから父は『森の手入れ』以外、森に立ち入る事を禁止する。
その代わり、そちらもこちらへの手出しは無用にして欲しい、とマスタートロールに条件を出したのだ。
そして、マスタートロールはそれを受け入れてくれた。
「というわけで今後、ロガンの森には立ち入り禁止だ。マスタートロールがいるという事は周知させてくれ。一応皇都にも連絡はするが、武装したトロールの数を考えると一ヶ月そこらでどうにかなるものじゃない。こちらから手出ししなければ、向こうも手は出さないと言っているしな」
「おいおい……ディッシュさん、魔物の言う事なんか信じるのかよ?」
「そういうわけじゃない。だが、どうにも出来ないのは事実だ。現状戦力でマスタートロールに統括されているトロールの群を掃討するのは、不可能だ! こちらもかなりの被害を覚悟しなければならん」
「…………」
それは、おそらくあの場にいた冒険者が皆感じた事だろう。
黙り込み、首を横に振る。
その様子に、今日森に行かなかった者たちも頷いた。
「オリ坊が一体倒したって話はマジなのか?」
「あれはたまたま運良く、眉間に剣が刺さったんだ……」
実力で倒したわけではない。
そう、きっと【無敵の幸運】の力だ。
今思い出すととんでもない無茶をしたと思う。
父も帰り道、ずっと怒っていた。
ちらりと見上げると、凄まじく険しい表情。
その表情に、冒険者たちまで『失言』を察する。
「ああ、あれは本当に運が良かった。そうでなければ倒せる相手じゃない」
「そ、そうか。そういう事なら確かに運が良かったな……」
「う、うん」
みんながあからさまにオリバーへ哀れみの眼差しを向ける。
そう、間違いなくこのあと叱られるだろう。
父の圧が、増す。
「ともかく、皇都のギルド本部に連絡して討伐に必要な人数を集める。少なくともAランク冒険者が五十人は必要な事態だ! 絶対にロガンの森にはでは出すな!? 約束を違えたとなればトロールの群れが町まで来るかもしれん。そうなった時、責任が取れるなら話は別だがな!」
「「「…………」」」
そんな事を言われれば皆俯いたり、目を背けたりする。
当然だ、そんな事になったら、責任なんて取れる奴はいない。
解散し、ギルドのホールが珍しくすっからかんになる。
立っているのは見送った父ディッシュとオリバー。
受付カウンターに、母アルフィー。
「オリバー」
とても低い声。
恐る恐る、見上げる。
「…………」
その時の──……父のその表情を、なんと表せばいいのだろうか。
膝をついた父は、オリバーの肩に手を載せる。
とても大きな、熱い手。
泣きそうとはまたどことなく違う。
辛そうで、悲しそうで、唇が震える。
(……俺は……)
前世の家族は、共働きの両親と妹。
自分は家族をとても大切に思っていた。
しかし、自分は両親よりも先に死んだ。
自分がもしも、見送る立場ならどれほど悲しいだろう。
事切れる寸前、とても悲しい気持ちをした。
撮影されて、笑われて……。
あの動画をもしも、家族が見ていたら?
(……俺……)
あれは事故だ。
仕方なかった。
でも、今日の行いは……無謀な真似だ。
胸が苦しくなる。
気がつけば迫り上がるものを抑えきれない。
「っ……ごめんなさい……」
「二度とやるな」
そう言って父は、抱き締めた。
母がカウンターから出て来て、オリバーの肩に優しく手を置く。
母の、その浮かべた笑顔は決して優しく穏やかなものではない。
「か……」
「ねえ、オリバーはどうして冒険者になりたいの?」
「え?」
「私ね、思うのだけれど……オリバーは町から出なくてもいいんじゃないかしら? 今回の事で分かったと思うけれど、町の外は危険な魔物が溢れてる。魔物だけじゃない。人間だって……自分の利益のために他人を犠牲にする事を厭わない者もいるわ。相手が弱ければ、弱いほど自分を強いと錯覚する人もいる」
「……母さん?」
母の笑顔は消えていった。
父も、神妙な表情で母を見る。
母からは真剣な……そして、切実な瞳が向けられていた。
「オリバー、冒険者になんかならないで。町にいて。貴方はまだ子ども。もっと色々な可能性、未来を探っていいと思うの。……お母さんは……貴方が危険な目に遭うのに、冒険者になるのに──……反対よ」
「っ……!」
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