冬の兎は晴の日に虎と跳ねる。【センチネルバース】

古森きり

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華城晴虎(1)

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「君はなにが正しいと思いますか?」
 
 そんな問いかけに、あの日からずっと考えている。
 考えるのが苦手で人の意見に左右されてばかり。
 優柔不断で、頭のいい間違えることのない明人にただ、ついて行けばいいと思っていた。
 けれど明人はずっと俺に問いかけている。
 
「晴虎くん、ちゃんと自分で考える癖をつけなさい。君は苦手だからと考えることを放棄しがちですけど、僕がこの先もずっと一緒にいられるわけではないんですからね」
「なんでそんなこと言うの。俺、明人のこと絶対守るよ」
 
 そう返した時、明人は笑った。
 とても綺麗に、微笑んだ。
 
「僕は君に守られるほど弱くないし、人は死ぬ時は死ぬんですよ。僕は明日死んでもいいように、世界に基盤を作っているんですけどね?」
「……なんでそんなこと……そんな……なんで……」
 
 なんでこんなに強いのだろう。
 だって、この時の明人と俺は十五歳だった。
 明人は自分が明日死んでも大丈夫なように、自分に縋ってくる人間たちを一人残らず助けられるように道筋を作っていく。
 明人は「あと五年で、僕がいなくても今ほど人が死なない世界にしましょうね」と言う。
 五年後、実際にそうなった。
 
「明人」
 
 九つの頃に出会った明人は、日に日に美しく成長していく。
 幼少期から美しく、年齢不相応な落ち着きと色香。
 変態に好かれやすくて、実際四歳の頃に近所の大学生に誘拐、監禁されて性的なことをされたらしい。
 目の前で俺の実の父が明人の肌にむしゃぶりついたのも見た。
 本当に気持ちが悪かった。
 明人が性的なことに嫌悪感を抱くのもわかるし、俺自身も父が明人の肌を撫で回す姿が気持ち悪くてトラウマになっている。
 俺と明人は同じで、初めての友達同士で親友で、同じ罪を犯した共犯者で、俺は明人が叶えられない“人殺し”。
 明人が殺したくて堪らなかった明人の兄貴――ジョルジュ。
 明人の異父兄。
 実の父親が始祖吸血鬼で、一時期東日本を手中に収めんとした純血種。
 産まれた金髪赤目のジョルジュは異父方の祖母がイギリス人だったこともあり、覚醒遺伝子で親には似ていないのだ、と言い聞かされて育てられた。
 明人が十三歳の夏、ジョルジュは始祖吸血鬼に覚醒して人を食った。
 明人は俺と出会った時から将来ジョルジュが人を食わなければ生きて行けなくなってもいいように、人と吸血鬼が共生していけるように環境を整えていたのを見てきたから――それが整う前にジョルジュが人を食ったと聞いた時は悲しかったんだ。
 でも、明人の方がずっと悔しかったし、悲しかったのを見てる。
 ジョルジュは自分を産んだおばさんのことも、育ててくれたおじさんのことも半殺しにして逃げたから。
 明人が笑顔の下に隠して育てていた憎悪に、俺は気づいていた。
 だから、命を奪えない明人の代わりにジョルジュは俺が殺すんだ。
 それが俺と明人の抱えた目標。
 言葉にせずとも明人の目の奥にずっと燻っている。
 ジョルジュを殺してやろう、俺が。
 そう思ったのに、あの日、俺はジョルジュに明人を殺されてしまった。
 明人の言う通りになってるんだ、全部。
 
「ジョルジュ、なんで」
 
 死体になってしまった明人を抱えて泣いているジョルジュに、心の底から聞いたんだ。
 なんで?
 なんで泣いてるの?
 お前が殺したんじゃないか。
 お前のために世界を変えてくれた明人を。
 裏切って、明人の命より大切な家族を植物人間状態にして、明人まで殺してしまって、なんでお前が泣いているの?
 お前に泣く権利があると思ってるのか?
 お前が外に出るのが苦手な明人を連れ出したから、四歳の明人は誘拐、監禁されて強姦されたのに?
 お前がいたから明人は。
 人を憎むような人じゃなかったのに、お前が人を食ってから明人の目にはお前への憎悪がずっと燻るようになったのに?
 お前が。お前が。お前が。
 
「晴虎くん。君は、なにが正しいと思いますか?」
 
 何度も聞かれた明人の質問に、俺は今も明確に答えを返せない。
 わかんない。わかんないよ。
 考えるのは苦手だし、なにが正しかったのかもわからない。
 俺は明人の指示に従って動いて明人を守れず殺されたから、明人が間違えたの?
 違う。明人は俺とジョルジュを戦わせないようにしてた。
 だから引き離したんだ、わざと。
 俺はまんまと引き離されて、明人を失った。
 なにが正しかったんだろう。
 あの時どうしたらよかったんだろう?
 明人が守りたかった世界に明人はもういないし、明人のいない世界で俺なにを守りたいのだろう?
 正直ジョルジュは殺したいほど憎いと思えない。
 ジョルジュを殺したいほど憎んでいたのは明人だから。
 俺は明人のではないから。
 ジョルジュは明人を殺したのに。
 俺から明人を取り上げたのはジョルジュなのに。
 俺はジョルジュを憎いと思えない。
 もうどうでもいい、って思ってる。
 空っぽになっている。
 それでも生きているし、明人が守りたかったものを守れればそれでいいのかな、と思って戦ってきた。
 
(――あ、美味しい……)
 
 本当にただ生きているだけだったのに、ある日とても久しぶりにそんなことを感じた。
 サンドイッチ。
 夜勤に行く前に受付の女の人に声をかけられて、預かったからと手渡された。
 一応誰から、というのは聞いた。
 昨日助けたサラリーマンの人から、お礼だって。
 
(律儀)
 
 名前なんだっけ。
 よなぎ、ふゆとさん?
 レイタントの人。珍しい症状の人。
 明日のご飯って言ったのに、夕方にはもう作って受付に預けてくれたらしい。
 
「夜凪さんからの差し入れ? 早くね? お前が頼んだの明日の朝飯だよな?」
「ん」
 
 烏丸が覗き込んでくる。
 本当に、それな。
 というか、助けたのは俺だけじゃなくて烏丸もなのに、なんで俺にだけお礼? 変な人。でも――
 
「すごく美味しい」
「へー、よかったじゃん」
「うん。明人の作ったものに似てる」
「え? あ、ふ、ふーん。そうなんだ……」
 
 ああ、しまったな。
 余計なことを言ってしまった。
 明人が死んでもう二年経つ。
 怪物討伐専門株式会社[花ノ宮]は、明人が作った会社。
 明人が「自分が死んだあとも昔よりも人が死なない世界のために」作った会社。
 センチネルやパーシャル、ガイドが生きやすくするために。
 人間と異種が共生できる未来を模索するために。
 あの会社にいるのは、この二年で入社してきた人を除けばみんな明人の思想に共感して入社した人ばかり。
 それでも、明人の存在はあまりにも大きくて、その死は誰もが抱えきれないもので――今も名前を出すと顔を背けられる。
 
「ごちそうさまでした」
 
 明人は料理が好きだった。
 おじさん、料理上手かったけど、そんなおじさんに美味しい手料理を振る舞いたくて研究したって言ってた。
 明人のお父さんとお母さんはどっちもセンチネル。
 味覚が鋭くて味の濃い料理は苦手。
 その代わり、食べる人が「美味しく食べられますように」と強い想いが込められた料理は味というよりも込められた想いが美味に感じる。
 俺もセンチネルになってからその味覚の違いに衝撃を受けた。
 今まで美味しかったものが、味が濃すぎて美味しくない。
 その代わり、明人が「美味しく食べて、毎日元気に」と思いを込めて作ってくれたものがものすごく美味しく感じた。
 初めて食べた時泣いちゃった。
 センチネルになってよかったと思ったほど。
 おじさんとおばさんは、毎日こんなに美味しいものを食べていたのか。
 今はもう、病院で点滴で、食べられないけど……。
 そんなことを思いながら頬張ってた。
 明人の料理みたいに……俺に美味しく食べてほしい、ありがとう、再会できて嬉しい――みたいな気持ちが流れ込んでくる。
 
「……?」
「なに首傾げてんだ?」
「んん……なんでもない」
 
 再会できて嬉しい?
 なんだ? この感情。変なの……。
 首を傾げつつ、夜勤を終えて帰宅すると約束通り朝のサンドイッチも作ってくれて受付に預けられていた。
 本当に律儀な人。
 そのサンドイッチも美味しかった。
 俺のことを思いながら、俺に美味しく食べてもらえるように思いが強く込められていて久しぶりにちょっと泣いた。
 ああ、懐かしい。
 明人の料理みたいだ。
 こんなに気持ちを込めて作られた料理、二年ぶり。
 だから夜凪さんが引っ越す時は手を貸すと言ったし、夜凪さんがジャンパーを返すついでにお弁当くれた時も泣いちゃった。
 突然出て行った時は驚いたけど。
 そのまま夜勤だったので出かけたけれど、呼び出しで駆けつけたホテルにいたのは夜凪さんだし、夜凪さんの近くに男の人が死んでいるし、夜凪さんのお母さんはもう――
 
『晴虎くん』
 
 野生化して、肉体にまで影響が出ている。
 夜凪さんの隣で亡くなっている男性がこの女性のボンド契約者なら、彼女はもう治る術がない。
 ボンド契約は双方、特定の人物しか受けられなくなる“専属契約”だ。
 明人の声が響く。
 
『君はなにが正しいと思いますか?』
 
 杭を打ち込む。
 この女性を殺す。
 もうそれしか救う方法がない。
 でも大丈夫、俺はそういうの慣れているし。
 でも、少しだけ――夜凪さんのご飯がもう美味しく食べられないのは悲しいな、なんて自分勝手なことを考えてしまった。
 
 
 
「「あ」」
 
 本部に帰ってからいつもの時間潰し――エレベーターホールから夜景を眺めてたら夜凪さんが現れた。
 肩には兎。
 あれ、これ、もしかしなくても……?
 
「スピリットアニマル」
「あ、う、うん。起きたら……お腹の上にいた」
 
 お腹の上に。
 まあ、スピリットアニマルって実態があるわけじゃないしなぁ。
 
「……あ。感覚は……?」
「え?」
「レイタントからセンチネルか、パーシャルになった人間は、感覚が急に発達して、ビビる」
 
 俺がそうだった。
 十三歳の時――あれは、ジョルジュが明人の両親――ジョルジュ自身の両親でもある――に殺されそうになって返り討ちにした時。
 覚醒したジョルジュを“育てた者の責任として”討伐するつもりだった明人の両親はジョルジュに返り討ちにされたんだ。
 そのまま明人に「吸血鬼になったジョルジュを殺してほしい」と言い残して植物人間になってしまった。
 それを聞いた時、俺はセンチネルになった。
 感覚がいきなり変わって、でも、俯く明人を見て言い出せなかったのを覚えている。
 
「ああ、なるほど。……そういうのはない、かな。今のところ」
「じゃあ……ガイド……?」
「なのかな?」
 
 ベンチに座っていた夜凪さんの前に来て、しゃがむ。
 跪いて、視線を合わせるために少し屈んだ。
 ガイドはみんな、センチネルとパーシャルに関わらなくても生きていける人種。
 それなのに、どうしてだろうか。
 この人もそうなんだろうな、と思う。
 
「どうして普通に話してくれるの」
「え?」
「俺……あなたの、お母さんを……。だから殴られても、仕方ない。責められても、詰られても……」
「あ……ああ、それは……その……」
 
 どうして今まで通りに接してくるのか。
 俺が殺した人は夜凪さんのお母さん。
 肉親を殺した相手にどうして普通に接するの。
 明人ですら、瞳の奥に憎しみを宿したのに。
 俯く俺の頰を、夜凪さんの両手が包む。
 ――あ……まずい。
 
「あ――」
「っ、う」
 
 傾いた夜凪さんの体を抱き留める。
 それなのに、俺の頰から手が外れない。
 心の中に触れられるこの感覚は――ガイドの……!
 
 ――つらい、苦しい、ごめんなさい、また助けられなかった、殺してしまった、許してほしい、許さないでほしい、守れない、また、死んでしまう、死んでしまった――
 
「うっ……ううっ、ひっ……く」
「っ――く……は、離れて……」
「やだ……ヤダ……! ヤダ!!」
 
 見られている。
 触れられている。
 引き摺れ出される。
 明人ほどじゃないけれど、俺も大概感情感覚が鈍い。
 鈍いから、センチネルの感覚で二十四時間毎日流れ込む情報処理が覚醒前くらいに適度に処理できるのだ。
 俺が他の精神具現化能力者エンボディメントやセンチネル、パーシャルよりもケアをさほど必要としないのはそれが理由。
 明人にも「ケアのし甲斐のない子ですねぇ」と笑われた。
 明人の方こそ、生まれつき視覚情報をすべて記憶してしまうフィジカルギフテッド持ちだったくせに。
 ガイドでありながら先天性のパーシャルでもあった。
 生きるために、考えることを緩やかに辞めていった俺と自分で自分の“ケア”をしてこなければならなかった明人。
 明人。
 明人……。
 
『鈍くても君は優しい子だから、傷ついているんですよ。痛みに鈍いだけ。でも手当てしないと、蓄積してしまうんだから。ちゃんとケアは受けなさい。ほら……痛いの痛いの飛んでいけ~』
 
 痛くないのに、痛い。苦しい。
 涙も出ないのに、明人が微笑んでくれたら俺は大丈夫なのに。
 俺の代わりに、夜凪さんが泣き始めてしまった。
 
「うああぁん……うああああっ!」
「…………」
 
 その時にようやく自覚した。
 あ、俺……痛かったんだ。
 

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