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保護対象
しおりを挟む最初の印象は“普通”だった。
しかし、玄関を開けた途端晴虎がわかりやすく眉を顰めて唇を噛んだ。
センチネルの彼には、冬兎が感じ得ないものを感じ取っているのだと思う。
無意識に晴虎の手を握っていた。
大きくてがっちりした手。
晴虎が驚いて冬兎を見下ろす。
「え」
「え?」
手を、持ち上げられた。
冬兎は繋いだ記憶がない。
でも、繋いでいる。
なんとも言えない顔になる二人。
「ま、まあ、あの……行きましょう」
「は、はい」
キスがしたい。
セックスもしたい。
恋人同士に――
(いや! それは今は考えない! あとであとで!)
両思いになれた、と心が浮足立つけれど、今は任務の最中。
晴虎の足取りは迷いがなく、虎のスピリットアニマルが先行して屋敷の奥へと歩いていく。
中心部らしい踊り場に出ると、そこは四角形に螺旋階段が伸びていた。
上と、下へ。
「確か、息子さんがいるのは……」
「地下です。匂いがひどい。掃除や洗濯はされているのでしょうが……この匂い……」
「どんな匂いなんですか?」
階段の前までくると、晴虎はさらに不機嫌な表情になる。
不機嫌、というより、完全に嫌悪感を露わにした表情。
「性交の匂いですね。実の親子で……粘膜接触ケアを……したのか」
「……え……」
やんわりとした言い方だが、粘膜接触とは――セックスのことだ。
一気に込み上がってきた吐き気を、繋いでいない方の左手で口を覆うことで抑え込む。
「親子なのに……?」
「センチネルとパーシャルにとってガイドは命綱にので……本当に時々近親でそこまで進んでしまう場合もあるんです。センチネルとパーシャルにとって近親者だから、というセーブは……ゾーンの時の苦痛を和らげるためならあまり利かない、ですね……」
「そう……なんですか……」
それほどまでにゾーンの苦しみは耐え難い。
晴虎は大丈夫なのか、と聞くと「明人のことを思い出すと、割と耐えられなくもなく」という返答。
ただちゃんと「まあ、俺の耐え方は異質なので」と続く。
それはそうだろうなあ、と思う。
共感能力で共有した晴虎の苦痛は、少なくとも冬兎には耐え難い苦しみだった。
あれを一人で抱えてやり過ごしていたというのだから、晴虎の精神力は凄まじい。
「でもそれはセンチネルやパーシャルの立場から言えることなので、ガイドにとっては……迷惑な話だと思います。ガイドはセンチネルやパーシャルがいなくたって、生きていける。本当は俺たちを助けなくても、日常を送るのになんの問題もない。それでも苦しんでいるからと手を差し伸べてくれた。そういう人たちの優しさを踏み躙るのは、同じセンチネルとして許せない」
「晴虎くん……」
それは多分、明人がガイドだったから。
花ノ宮明人――『異端のガイド』とまで呼ばれるようなガイドに群がるセンチネル系能力者は、数知れずだっただろう。
彼の優しさに漬け込もうとした者すら、慈悲深く手を差し出す人。
それを容易く助けるから、花ノ宮明人は信仰対象になるのだ。
晴虎は一度体の力を抜くかのように深く、溜息を吐いた。
「行きます」
「はい」
顔つきがわずかに変わる。
階段を下り、先行する虎が迷わず左の廊下を進む。
とある扉の中へと消えていく。
スピリットアニマルは物質ではないので、建物の中も通過してしまう。
扉には施錠されているので、晴虎があっさり蹴破った。
「階段、ですね」
「この下です。ああ、もうひどい匂い……」
「大丈夫ですか?」
手を握る。
少しだけ荒れた精神が沈静化していくのを感じた。
冬兎が感じたのだから、晴虎も感じたのだろう。
視線が交じり合う。
照れ、と顔を背ける。
「後ろからついてきてください。暗いので足元に気をつけてくださいね」
「は、はい」
手を重ね合いながら、階段を下る。
突き当たりには壁。
右側に広がる大きな座敷牢。
座敷牢には複数の鎖が四方から伸び、痩せた少年が轡を噛まされて横たわっている。
少年は白い浴衣を着崩しており、降りてきた冬兎と晴虎を見て力なく目を見開いた。
「そんな……」
見たところ十代後半の男の子。
痩せ細ってはいないが、疲弊はしている様子。
ゆるゆると立ち上がって格子に近づいてくる。
「あ、う……あ……」
「相馬楓くん?」
晴虎が聞くと、少年はコクコクと頷く。
両親ではない人間が入ってきたことで、不安と期待で瞳を揺らしている。
格子にたどり着く前に、鎖に引き摺られて倒れ込む。
「あ」
「壊します」
座敷牢の扉にある錠前を素手で破壊する。
晴虎のそれにちょっと驚いたけれど、彼の能力は身体強化。
難なく扉を開けて中に入り、まるで板チョコを割るようにバキッと枷を破る。
冬兎だけでなく少年も「え?」という驚きの表情。
まあ、そういう顔にもなるだろう。
「怪物討伐専門株式会社[花ノ宮]実働部隊所属、華城晴虎といいます。あちらは我が社で保護しているガイドの夜凪さん。相馬楓くん、君のことは泉鴉郷都自警団の園山さんから保護してほしい旨の依頼を受けました。あなたは十八歳以下の未成年ですが、十五歳以上なのでご本人の意思を尊重したいと思います。――保護しても構いませんね?」
本人の意思を尊重する、といいつつ決定事項を伝えるような言い方。
晴虎が少年の轡をはずしてやる。
少年はふらりと俯いてから、しばらくの沈黙。
「と……父さんと、母さんは……」
「ご両親は納得されてない。でも、君の意思の方が優先。このままでは君は死ぬ。体は死ななくても、心は死ぬ。だから君は自分の将来を最優先で決めてほしい」
保護を受け入れるか、受け入れないか。
受け入れない、の場合は園山のところへ連れて行き、預ける。
受け入れる、の場合は[花ノ宮]の本部へ。
冬兎と同じく部屋を与えられ、カウンセリングを受けながら心身の回復を優先される。
冬兎も座敷牢の中に入って、晴虎の後ろに座った。
晴虎が警戒していたほどの悲惨な光景ではなかったけれど、両親に粘膜接触によるケアを強要されていたのならそれはもう近親による強姦だ。
この少年はガイドに目覚めた、ただそれだけで肉親に犯された。
(僕も一歩間違っていたら――)
冬兎の母は、父に執着していた。
母もまた、父をあの広い家に閉じ込めて外との接触を極力絶たせ、閉じ込めていたのだ。
それがセンチネルの、ガイドへの執着。
自分の生命の維持のために、癒しの存在であるガイドを死に物狂いで囲っておこうとする。
それが自分の子どもなら尚更なんだろう。
「一緒に行きましょう」
手を伸ばす。
しかし、冬兎の手に怯えた少年が手を振り上げて威嚇してきた。
当たり前だろう、彼はもっとも信頼するべき親に裏切られたのだから。
『声が出ない』
「!」
涙が溢れる少年の顔を見ていたら、そんな声が聞こえた。
あたりを見回すと、子馬が少年に寄り添っている。
おそらくこの少年のスピリットアニマル。
子馬はジッと冬兎の方を見ている。
涙を流す少年は俯いたままなのに――
「もしかして、声が出ないの?」
「っ」
「そっか……。でも、僕には君のスピリットアニマルから声が聞こえたよ。……やめてほしくて、でも言えなかったんだね。そうだよね……わかるよ。僕も母さんに父さんを閉じ込めていじめるのをやめてって、結局最期まで言えなかった。言ったところでやめてもらえなかったってわかっていたけど、それでも……言えばよかったと今も後悔している。僕は結局、父さんを見捨てたまま別れてしまったから」
「…………」
そこまで話すと、少年がゆるゆると顔を上げる。
子馬のスピリットアニマルが『見捨てたくない』と告げた。
「うん、それもわかるよ。だって自分のお父さんとお母さんだもんね。見捨てたくないよね。……でも、君が離れないと君のお父さんとお母さんは罪を重ね続けることになる。そんなの誰も幸せになれないよ」
「…………」
『捕まっちゃうの? 父さん、母さん』
「そうだね。……ケアのためも、合意のない性行為は……親子では尚更……」
晴虎が不思議そうに冬兎を見ている。
それに気づいてここまでの会話を掻い摘んで晴虎に説明した。
「テレパスの能力」
「テレパス?」
「テレパシー。馬のスピリットアニマルの能力とは思えない。蝙蝠や鯨やイルカのスピリットアニマルの人に多い。俺には聞こえないけど、感情を読み取る能力の兎のスピリットアニマルを持つ冬兎さんには聴こえる……ってことは、一時的なものかも」
「そうなんですか……」
「ちゃんとカウンセリングを受けた方がいいです。スピリットアニマルが本来持ち得ない能力を使うってことは、精神がひどいストレスでひしゃげている証です。子馬の脚も――」
「あ」
そう言われて、初めて横たわっている子馬の脚を見た。
本物の馬なら殺処分されているだろう、そのぐらいひどい捻れた子馬の脚。
四本すべての足がネジのように捻れているので、子馬は建てないのだろう。
スピリットアニマルに、すべて出ている。
彼の精神状態は一人では立てない状態。
「行こう。ちゃんと治してもらおう。君のスピリットアニマルも可哀想だよ」
「…………」
こくり、と縦に頷く。
それを『保護了承』と受け取り、晴虎も頷き合う。
晴虎が少年を背負い、屋敷をあとにした。
「今夜は病院に預けて、体調を確認します。体調に問題がなければ明日朝イチで中央無都、本部に連れて行きましょう。……すみません、冬兎さん。予定では明後日まで滞在予定なんですけど……」
「大丈夫ですよ! お土産はもう発送予約してますし」
「あ、そうですね」
今日の昼に本部におまんじゅうや温泉卵を送ってもらうよう手続き済み。
ギリギリまでのんびりする予定だったけれど、それなら明日本部に一緒に帰りたい。
「えっと……楓くん? の、声は僕にしか聴こえないみたいなので……一緒に帰りますよ」
「まだうちの正社員じゃないのに、ご協力ありがとうございます」
「いえいえ。……あの、僕は……晴虎さんの……ガイドなので」
少しだけ目を見開かれる。
けれど、すぐに嬉しそうに微笑まれた。
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