冬の兎は晴の日に虎と跳ねる。【センチネルバース】

古森きり

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VS下級吸血鬼

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 その夜、午後八時。
 住民はもう外を出歩けない時間だ。
 そんな時間帯に外に出るのは妖や怪物を討伐する者たちだけ。
 
「かなり回復したじゃん」
「ま、まあ……冬兎さんが頑張ってくれたので」
「ぼ、僕はそんな……!」
 
 むしろ晴虎にキスをしてしまって、良かったのだろうか、とか役得、とか思ってしまう。
 謙遜したけれど晴虎の横に立つスピリットアニマルの虎は子虎から動物園で見るような大きさになっている。
 あくびをしている姿は可愛らしいけれど、大きくなったことで威圧感がすごくなった。
 そんな中、「やほー」と手を振りながら衣緒が歩いてくる。
 
「おつおつ~。――例の子の居場所の察しがついたよ。まだ確認してないから、辰巳さんに確認してほしいかも」
「ん、いいぜ。どのあたりだ?」
「ご自宅の地下」
「地下ね。じゃあその間の護衛よろしこ」
「「了解~」」
 
 と、壁に寄りかかる辰巳。
 拳銃に弾を装填する衣緒。
 なにをするのだろう、と思っていると晴虎が振り返る。
 
「あの、冬兎さんは旅館の部屋に帰ってていいですよ? 本当に。このあと下級吸血鬼と戦うと思うんで」
「え、あの、でも……精神具現化能力を使うんですよね?」
「使うけど、昼間のケアのおかげで安定してるし……今までも使ってなんともなかったし……」
「いてもらった方がゾーンに入った時の危険性がダダ下がりするから、こっちとしては助かるんだけどねー。冬兎はまだ正式な実働部隊員どころか、うちの会社の社員ってわけでもないでしょ?」
「あ」
 
 いつも一緒にいたので忘れていた。
 冬兎はまだ、[花ノ宮]に入社したわけではない。
 ただ[花ノ宮]に保護してもらっているだけの、一般人。
 部外者なのだ、自分は。
 
「わ、わかりました。戻ります」
「あ、送って行くから少し待ってほしいです。あの、夜なので」
「は、はひ」
 
 しばらく待っていると、辰巳のスピリットアニマルが足元に現れた。
 スゥ、と目を開いた辰巳が「確認できたぜ」と頷く。
 それを確認してから晴虎が冬兎へ「宿に送ります」と微笑む。
 フードをかぶって、前髪で顔を隠しているのに口元だけでも胸が撃ち抜かれたかのような衝撃。
 
(僕、もしかしてどんどん晴虎さんのこと好きになってる……?)
 
 自覚してからひどいような気がする。
 一歩、踏み出した時「すみません」と第三者の声がして振り返った。
 
「討伐会社[花ノ宮]さんの討伐部隊の方々ですか?」
「え? あ、ああ、そうです、けど……」
「園山さんから聞いてます。我々が不甲斐なくて申し訳ありません」
 
 晴虎が答えると男女は頭を下げる。
 男は槍を手に持ち、女は長い銃を肩に背負っていた。
 この町の自警団のセンチネルとパーシャルは夫婦だと聞いている。
 
「もしかして、相馬のご夫婦?」
「はい。自分は夫の鼓太郎と申します」
「妻の利沙と申します」
「ボクは猪俣、こちらはガイドの辰巳。うちの会社のエースで華城。そのガイドの夜凪といいます」
「「え」」
 
 衣緒がしれっと冬兎まで紹介してしまう。
 晴虎がわかりやすくムッとした表情をする。
 それに対して衣緒がニパッと笑って――
 
「夜凪はまだ見習いなので今夜は宿の部屋に戻そうと思っていたんです。少しお待ちいただいてもよろしいですか?」
「まあ、ガイドなんですか? あとでケアをお願いしてもいいかしら? 最近園山さんとマッチングがうまくできなくて」
「昔はこんなことなかったんですけどね。やっぱり若い人じゃないとダメなんですかねー。なーんて、あはは!」
「それでなくとも夫以外の男と接触するのに抵抗があるのに、園山さんももう六十代でしょう? 抵抗感が、ね?」
「あー、確かに加齢臭とか気になりますよねー」
「そうなんですよ!」
 
 と、話を合わせる衣緒。
 それを聞いて、思わず冬兎と辰巳は顔を見合わせる。
 男のガイドの運命を責められている気がするのだが。
 
(でも、なんだろう。この違和感……)
 
 冬兎の家族のような違和感とは、まだ別種の違和感。
 それに、時折夫の方から舐め回すような視線を感じる。
 
「冬兎さん、一人になるより俺が護衛するので同行してもらってもいいですか?」
「え? あ、は、はい」
 
 急に晴虎から鼓太郎から隠されるように包まれて囁かれる。
 顔が近い。
 そのことでドキドキとまた勝手にときめいてしまう。
 そんな場合ではないのに。
 
「それで、下級吸血鬼を討伐するのに、なにか策などあるのですか?」
「劣化と下級は薔薇の精油を混ぜたガイドの血で誘き寄せることができます。今回の依頼で吸血鬼が出ると聞いていたので――辰巳」
「へいよー」
 
 と、言ってポシェットから小瓶と注射器を取り出す辰巳。
 座り込んで、自分の腕に注射器を当てて血をわずかに抜いて止血シールを貼る。
 小瓶に血を入れて、衣緒と晴虎へ頷く。
 
「準備オーケー。戦闘に適したとこ行こ」
「あ、あの……なんで“ガイドの血”なんですか?」
 
 ガイドの血、と指定されているのがわからなくて聞いてみた。
 すると衣緒に「さー? 大昔は“処女”の血が好まれてたけど、今の時代は女吸血鬼も増えて、ガイドがいいみたい」と説明される。
 理由は不明だが、ガイドがセンチネルやパーシャルに必要とされるためなのではないか、と言われてるらしい。
 竜血鬼、折宮六花や吸血鬼の王アーサー・ル・ヴァンパイラが花ノ宮明人を盟主や花嫁にと望んだ話も彼が“異端のガイド”などと呼ばれる“ガイド”だったからではないか、とも。
 ともかく人間にはわからないが、吸血鬼はガイドの血が好き。
 
「まあ、冬兎の血の方が辰巳の血より美味しそうだけどねー」
「うっせーな! ほら、行くぞ」
「あいたぁ! もう! 本当乱暴者ぉー!」
 
 本当に容赦なく長い足で衣緒のお尻を蹴り飛ばす辰巳。
 だんだんこの二人が相性よく見えてくるのが不思議だ。
 そんなことを思いながら、町の外の方に移動する。
 鴉天狗の住む山の麓に来ると、衣緒が「この辺でいいかな?」と相馬夫妻に確認してこの場所に決まった。
 ある程度の広さがあり、戦闘が続けば鴉天狗も来る。
 腹虎がスピリットアニマルの虎を精神具現化能力でパイルバンカーに具現化させた。
 初めて見た時よりも大きい。
 
「な、なんだから立派になっています?」
「え? ああ、冬兎さんのケアで回復したので。でも、一番調子いい時の半分くらいの大きさなので……」
「え? そ、それで……?」
「はい。まあ……でも、一番調子いいと壊しすぎちゃうから……このくらいで……」
「お前最大出力出した時ビル一棟粉砕倒壊したもんな」
「花ノ宮さんがそれでも笑って許しちゃうのがもう……ねぇ?」
「………………」
 
 居心地悪そうにフードの端を引っ張る晴虎。
 ビルを倒壊? と聞くと恥ずかしそうに「俺の具現化武器は、加減ができないんです」と言う。
 それでついた通り名が『破壊神』『破壊魔』。
 身体強化の能力により、それでなくとも強い力がさらに強くなり林檎の粉砕どころかカボチャも片手で粉砕するらしい。
 力の加減がわからなくなりそうで、あらゆるものを丁寧に使うようにしているそうだ。
 だから冬兎は、そんな真面目で優しいところも好きだと思う。
 
「あの、晴虎さん……あの例の子はどうするんですか?」
「下級吸血鬼を始末してから、ご夫妻に話を聞きます。ちゃんと話して相談してくれるのなら、それに応じて提案を示す予定です」
「なるほど……」
「でも……多分……」
「え?」
 
 くい、と冬兎が晴虎のトレーナーの裾を引っ張ると、わざわざ腰をかがめてヒソヒソ話につき合ってくれる。優しい。
 顔が近いのがやはり緊張するけれど、足手纏いにならないためにもちゃんと今後の方針を聞いておきたいと思った。
 気が早いかもしれないけれど。
 
「準備オーケー。精油垂らすぜ」
「了解ー。まあ、ソッコーで始末できるしね」
「ん」
 
 自信満々だ。
 そう思っていると、晴虎のパイルバンカーが杭をキリキリと捩じ込まれる。
 腰を落とし、いつでも攻撃に移れるよう構えた。
 辰巳が小瓶の血を垂らし、その上に薔薇の精油を垂らす。
 衣緒が辰巳と冬兎を連れて、木の影へと隠れる。
 相馬夫妻も木の影に隠れて銃を向けていた。
 
「来るぜ。三時の方向」
「了解」
 
 辰巳が呟く。
 木の影から銃を向ける衣緒。
 晴虎もそちらの方を向く。
 さすがセンチネル、あの距離でも辰巳の声が聞こえたのか。
 
(ここからでも聴こえる聴力……)
 
 それがセンチネルが常に感じている世界。
 すごいスピードで、なにか黒いものが森から出てきた。
 冬兎にはなにか黒いもの。
 だが、衣緒が木の影から出て銃弾を撃ち込む。
 怯んだ黒いものは地面に落ちた。
 落ちた瞬間、落ちた場所へ晴虎がパイルバンカーを叩き込んだ。
 
『いぎゃぁぁぁあああぁぁぁ!?』
 
 悲痛な悲鳴とともに、銀の杭が人の子ほどの大きさの吸血鬼の背中に突き刺さったまま固定される。
 蝙蝠の翼が生え、耳まで裂けた口。
 そこから生えた牙、地面を引っ掻く鋭い爪。
 あれが下級吸血鬼。
 
「か、下級吸血鬼ってでっかいんですね……」
「中級か上級の吸血鬼に血を与えられた人間だからね、そりゃあ劣化から進化すればでかくもなるさ。純血の吸血鬼は二メートル越えがデフォだし」
「そんなに大きいんですか」
 
 吸血鬼は人類を捕食する、人間にとって三大害種とも言うべき天敵の一つ。
 不老不死の怪物と言われているが、殺す方法はいくつか存在する。
 一般的に知られているのは陽光。
 銀製のものと心臓に杭。
 一説にはにんにくや十字架も恐れるという話があるが、日本ではいわしの頭が効くらしい。
 この国に入ると“鬼”の一種として扱われるためだ。
 逆ににんにくが苦手なのは人狼。
 臭いがきついものはだいたい苦手らしいが、人狼にとって特ににんにくが強烈という。
 
「よし、そのまま朝まで拘束しておくぞ」
「さすが華城先輩! 一撃で仕留めるとは~」
「衣緒のサポートも完璧だったよ。気を抜かずに止めを刺そう」
「了解」
 
 ガチャン、と空の薬莢を袋に入れて、対吸血鬼用崩怪弾を詰める。
 安全装置も外して、下級吸血鬼の頭に銃口を向ける衣緒。
 
「す、すごい。私と鼓太郎じゃ影を追うことしかできなかったのに……」
「吸血鬼を誘き出すのにはガイドの血と薔薇の精油――は、結構有名ですけど」
 
 と、衣緒が駆け寄ってきた相馬夫妻に微笑んで告げる。
 対怪物を生業とする者にとっては、常識のレベルと呟く辰巳。
 その様子に、なんとも言えない表情の相馬夫妻。
 
「そんな意地悪を言わないでください。泉鴉郷都にはもう高齢の園山さんしかいないんですよ。いくらガイドでも、吸血鬼が好むのは三十代以下のガイドの血というのもまた常識じゃありませんか」
「――そうですね」
 
 ニパ、と衣緒が笑って鼓太郎に同意を示す。
 そうなんだ、と冬兎としては知らないことばかり。
 勉強することがたくさんあると手帳を取り出してメモを取る。
 辰巳に「なにそれ」と聞かれたので「あ、手帳です。もしかしたら勉強することもあるかと思って」と答えると「真面目すぎだろ。まだ入社もしてねぇのに」と呆れられた。
 それは本当にその通り。
 
「でも、あの……晴虎さんのガイドになりたい、ので」
「……! へー」
 
 仕事を覚えるにはメモだ。
 少なくとも冬兎はメモして覚えるタイプ。
 それに、この手帳の中にあるのは花ノ宮明人の名刺。
 二十歳の誕生日に父から贈られた高価なボールペン。
 初任給で買った、明人の名刺を大事に入れられるこだわりの手帳カバー。
 だからこの手帳は手放せない、大切なものが詰まっている。
 
「でも暗くて書けなくね?」
「えーと……は、はい」
 
 ペンも落としたくないので、しっかり手帳に挟んでズボンのポケットの中に戻す。
 旅館の部屋に帰ってから、メモをすることにしよう。


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