冬の兎は晴の日に虎と跳ねる。【センチネルバース】

古森きり

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カウンセリング(2)

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「で、他に不安な要素は?」
「えーと……アパートが……」
「ああ、それはこっちで人手頼んでおくわ。明日か明後日に行けるようにな」
「はい。あの……あと……」
「うん」
 
 震える手でスマートフォンを見せる。
 着信履歴を見せて、これなんですが、と呟く。
 着信履歴には母の連絡。
 
「今から、折り返したいと思うんですが……一緒にいてもらっても、いいでしょうか」
「ああ、いいぜ」
「あ、ありがとうございます」
 
 ひとまず安堵して震える手で電話をかける。
 数回の呼び出し音。
 ガチャ、という音に肩が跳ねる。
 
「あ……母さ……」
『久しぶりね。折り返し遅かったけど?』
「す――すみません」
『まあいいわ。もうすぐあなたの誕生日でしょう? 和人さんが誕生日は一緒に過ごしたいって。恋人ができたなら連れてきなさい』
 
 は……と、硬直する。
 冬兎の誕生日は、一昨日だ。
 息がまた苦しくなる。
 父はともかく、母は自分の誕生日も覚えていないのか、と。
 
「え……あ……ええと……恋人などは、いないですが、その……」
『あなた、もう二十四になったのでしょう? いい加減身を固めなさい。恋人もいないのなら、見合いもセッティングします。早く孫の顔を和人さんに見せてあげて。あなたが家を出てから、元気がないの』
「えっと、は、はい……すみません……」
 
 年齢まで間違えている。
 自分の息子のことなのに、本当に、この人は――と、何度目かわからない失望。
 
『じゃあ、お見合いと誕生日の件考えておきなさい。メールでもいいからできるだけ早く返事をして』
「……はい」
 
 ピッと電話が切れる。
 どっと疲弊した冬兎に、華之寺が重ねた手に少し力を込めた。
 心がゆっくりと穏やかになる。
 あの疲弊感が引いていく。
 
「あ……す、すみません」
「いや。レイタントは現時点でガイドから見るとミュートと同じだ。この程度のことしかできない。それよりも大丈夫か?」
「は、はい。……誕生日は一昨日だし、二十五になったんですけど……ね」
「お、おお……ヤベェ母親だな」
 
 そう言って肩を軽く叩かれる。
 元気を出すように、という意味。
 もう十分、ガイドの共感能力で心が穏やかになっているから、笑みを返す。
 
「ガイドってすごいんですね。手に触れているだけなのに、こんなに心が軽くなる」
「んー、まあ。でも、やっぱりミュート相手だとガイドの能力は一割って感じだな。華城と俺のマッチング数値もクソだから、華城相手にもこの程度だけど」
「そう、なんですか……」
 
 逆に言うと、センチネル系能力者はガイドは必須。
 過剰に世界から与えられる情報に苦しむセンチネル系能力者。
 実際ガイドに“共感”してもらったのは、本当に嬉しかった。
 自分のつらい感情に共感してもらえるというのは、こんなに幸福感と安堵感で満たされるものなのか、と。
 
「じゃ、今日はこの辺で。アパートの荷物撤去については人員確保したら部屋の方に連絡する――か、もしくはスマホの方に連絡するか?」
「あ、えーと、か、構わないのですか?」
「社内従業員専用のSNSもあるんだ。ショップにはないから、パソコンからアプリをダウンロードしてくれ」
「えっ、あ、いいんですか?」
「ああ」
 
 と、言ってパソコンにスマートフォンを繋いでアプリをダウンロードしてくれる。
 ダウンロードしてから華之寺の連絡先を入れてくれた。
 
「あとはまあ、烏丸や華城あたりにも連絡先聞いてみたらいいんじゃね? あとは槙と辰巳かね。実働部隊組は世話好きだからなー」
「え、あ、は、はあ……」
「ああ、あとこのアプリの『お届け便』項目使うと、自室前の宅配ボックスにスーパーから買ったモンが届いて引き篭もるのには最高に便利だぜ」
「そんなことまでできるんですか……!?」
 
 アプリについての説明を受けつつ、カウンセリングは終了。
 こんな便利なものがあるならもっと早く知りたかった感はある。
 が、華之寺曰く烏丸と華城は「あいつら意外と機械音痴なんだよな」とのこと。
 ただ、レイタントはやはり警戒しすぎるくらいがちょうどいい。
 本部と四神ビルには魔除けの他に、“折宮六花”の部屋があるらしい。
 竜血鬼の居住地に侵入することは、あらゆる妖・怪物には許されないこと。
 それはイコール、自らを捧げにいくことに等しい。
 では、このビルに住んだり働く者は?
 そう聞くと、花ノ宮明人との契約で“人間は対象外”となっているという。
 
「えっと、じゃあ、もしかして“竜血鬼”が本部ビルに……いるんですか?」
「いるな。たまにショッピングモールで買い物してるし食堂で飯食ってる」
「……え……普通に……?」
「普通にいる。たまに見かける」
 
 マジか、と変な汗が出た。
 世界最強の“あらゆる種の王”、竜血鬼ロッカ。
 それが普通に、いる。
 
「人間には本当に友好的だから大丈夫だと思う」
「花ノ宮さんと契約しているから、ですか? でも……花ノ宮さんは二年前に――」
「折宮六花――竜血鬼曰く『そんなこたは折り込み済みで了承している』らしい。花ノ宮は自分が死んだあとのことも考えて、竜血鬼と契約を交わしていたんだと。普通に考えて不老不死の竜血鬼と寿命のある人間の契約だから、確かにまあ、そこまでは考えていたんだろうけれど」
「そんな……そこまで……」
 
 自分よりも年下の彼が、人類の未来のためにそこまで考えていたとは。
 
(自分の死後のことまで考えられるなんて……)
 
 なんとなくで生きている自分と、人類全体の未来のことまで考えている人。
 比べることもおこがましいほどに、人間としてのなにもかもが違う。
 
「比べるなよ」
「え」
「比べても無駄だからよ、アレは。花ノ宮自身も言ってた。『生まれた時から役割が決まっている』って。アレは自分が生まれながらになにをするのかを自覚していたらしいからな。あんなのやっぱ普通じゃねぇんだよ」
「…………」
 
 お辞儀をして、部屋に戻る。
 ベッドにダイブして、息を吐き出した。
 自分の腹の奥に燻っていたものがほんの少しだけ、スッキリしたような気がする。
 目を閉じて、母の電話を思い返す。
 こちらもどうにか考えなければ。
 きっと父の様子がよくないのだろう。
 どんなに一人が平気で、引きこもっている人間も年単位で外と隔離されていたらさすがに病む。
 父のことを案じて入るものの、どうすることもできない。
 もう母のケアは父しかできないし、父は母のケアしかできないのだ。
 それが“ボンド”という専属契約。
 両親はもう、物理的に引き離すことのできない呪いにかかってしまった。
 二人を引き離すには――どちらかの死のみ。
 
(父さん、元気かな)
 
 どうすることもできない現実に、腕で目元を覆う。
 けれど、父のことを思いながら華之寺に言われたことも思い出していた。
 どんな自分になりたいのか。
 今なら、なりたい自分を思い描くこともできる。
 どんな自分に――なりたいのだろう?
 
(花ノ宮さんみたいなガイドになりたい)
 
 父のようなガイドになりたいとは思えない。
 怖い。
 けれど、人を助けるガイドには憧れがある。
 前へ出て戦う自分は想像できないけれど、戦う人を支えるガイドにはなりたいような。
 烏丸のような。華之寺のような。花ノ宮明人のような――
 
「っ!」
 
 ピピピ……ピピピ……と、電話が鳴る。
 壁の固定電話に近づいて受話器を取った。
 
『華之寺だが、人員確保完了した。明日の十時から行ける。駅地下の駐車場に集合でオーケーか?』
「わざわざありがとうございます! 大丈夫ですっ」
『ん。あー、あと、次のカウンセリングだけど、明後日の十五時に予約を入れておきたいけど大丈夫か?』
「は、はい。もちろん」
『じゃあ、予約入れておく。ちなみに明日のメンバーだけど華城と烏丸と槙と辰巳、犬飼ってヤツが行く。あ、犬飼は大型免許持ってるから、そいつがトラック出してくれることになってるから』
「大型……!」
 
 それはすごい。
 トラックを運転できる人がいるのは大きい。
 固定電話に向かってペコペコと頭を下げ、お礼を何度も口にしてから電話を切った。
 はあ、と息を吐く。
 スマートフォンで確認した時間は午後三時。
 
「夕飯作ろうかな……」
 
 かなり早いけれど、もっと料理を練習して食べてほしい。
 
(そういえばこうしてゆっくり献立考えながら料理作るの……久しぶりだな)
 
 小学校、中学校、高校の頃、父と毎日夕飯を作った。
 父との時間は濃密で、母が帰ってくるまでは実家の時間はとても穏やかに流れていたと思う。
 それを思い出すと、やはり父の身がとても心配になる。
 父は大丈夫だろうか。
 実家に電話してみるか、とスマートフォンを取り出すけれど――家の電話はすべて録音される。
 録音は母に聞かれ、父が接触した人間はチェックされるのだ。
 もし、母の気に障るような内容なら父に危害が加えられるし、なにが母の気に障るかはその日の気分によるところが大きい。
 なにもしない方が父の安全のためにはいい、と思ってしまう。
 
(でも、まさか誕生日も年齢も覚えられていなかったとは)
 
 ほんの少し悲しみを覚えながら、フライパンをコンロに置いた。


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