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誘拐事件翌日
しおりを挟む翌日、シルヴィオ様がにっこにっこ、大変上機嫌で現れた。
上級クラスは皆、昨日攫われたミーシャ様のところへ群がり口々にお見舞いの言葉を述べていく。
「本当にご無事で良かったですわ」
「ええ、本当に」
「今日は騎士の方々もおりますし、ミーシャ様もお元気そうで安心しました」
「は、はい、ありがとうございます」
「レイシャ様も、お姉様がご無事でなによりでございますわ」
「ええ、ええ! ありがとうございます! 本当に、お姉様が攫われたと聞いた時は生きた心地が致しませんでしたわ~」
「…………」
昨日の今日という事もあり、騎士が学園側や校門の前、各教室の前を固めている。
そんな厳戒態勢に『休みにすればいい』と文句を言う者もいた。
実際、ジーニア様やイクレスタ様はお休みされている。
まあ、ジーニア様は昨日も寝坊した挙句にあの事態だったのでそのままお休みになったらしいけれど。
どこまでも残念というか……。
いや、彼の話は置いておこう。
セイドリック、メルティ様、レディ・ウィール様含めた女性の垣根。
その中に入っていけない私。
恐ろしきはレイシャ様の、あの変わり身の早さと言うべきか。
すでに手は打っているのか、猫なで声で姉にべったりくっついている。
姉のミーシャ様は妹の方を見る事はなく、目を泳がせ、顔もどこか青白い。
さて、あとの事はメルヴィン様とシルヴィオ様次第。
ええ、もちろん。まだやる事がある。
後始末だ。
とはいえ、この場はあまり安全とは言えない。
なぜなら……。
「セイドリック、昨日の話だけれど」
「あとで! あとでお願いします! ほら、シルヴィオ様もいらっしゃいましたし!」
「おはよう、セイドリック殿、エルスティー。メルヴィンはまだ? 早く始めたいのになー?」
……ぜ、前門の目が笑っていないエルスティー様!
後門の舌舐めずりするシルヴィオ様!
こ、怖いー!
昨日の賊たちとの戦いの方が遥かにマシなんですけどー⁉︎
「あ、メルヴィン様よ!」
「おはようございます、メルヴィン様!」
「おはようございます!」
「お、おはよう。ミーシャ嬢とレイシャ嬢は来ているか?」
来た。
メルヴィン様が教卓のある方の扉から入ってくる。
そして、その扉の奥にはしょんぼりしたエーヴァンデル公爵様と、一人のメイド。
その姿に、レイシャ様が度肝を抜かれたような顔をした。
あらあら~。
「っ、レイシャ嬢! レイシャ様……! 助けてください!」
「お、おやめ! なにを言っているの⁉︎ お、お前は誰⁉︎ わたくし知らないわよ!」
「そんな、あんまりにございます!」
相当のメルヴィン様やシルヴィオ様、エルスティー様の脅しが効いたのか、レイシャ様を見付けたメイドが騎士を押しのけて教室に入ってくる。
顔面蒼白。
必死な形相。
形振り構わなくなったメイドは、レイシャ様に縋り付く。
ざわつく教室内。
私は彼女のあまりの必死な姿に恐る恐る、左右を見た。
左に満面の笑みを浮かべたシルヴィオ様。
右に愉悦に身を震わせるエルスティー様。
メルヴィン様はドン引きした表情なので、あのメイドを昨日『事情聴取』したのはこのお二人なのだな、と察した。
か、可哀想に……。
その辺りお任せしたけれど、私も同席すれば良かったかしら?
でも、立場的にいる意味が……。
セイドリックをいつまでも教室で不安な気持ちにさせている事もできなかったし。
そんな事を考えている間にメイドはボロボロと涙を溢れさせ、ガタガタ震えながらレイシャ様に『私はレイシャ様がお望みだから、下働きの者を間者にして賊へ連絡をしたのに!』と叫ぶ。
「……ど、どんな事を言ったのですか……?」
「「さあ~?」」
「…………」
明らかに彼女の怯え方は異様だ。
取り乱し、これまでレイシャ様があのメイドに行わせた様々な悪行を洗いざらいぶちまけていく。
昨日の事件はレイシャ様が姉に『森へ行けばメルヴィン様が助けに来てくれる』とそそのかした事。
あのメイドに『柄の悪い者たちに姉が森へ行く事を教えてやればいい』と言った事。
そして父親である公爵へ、浮気をバラされたくなければ姉を助けない事を強要していた、など。
想像以上に頭を抱える事態だ。
「え、えぇい、おやめ! なにを根拠に! 違いますわメルヴィン様! この女の戯言です! どうか信じませんよう……」
「それだけではございませんわ! 努力して上級クラスを勝ち取ったローゼントン子爵家と他国の男爵家のご令嬢を買収して、このクラスにレイシャ様とミーシャ様の座席を確保したのもわたくしです! 買収のお金を出したのは旦那様です!」
「っ~~~!」
……なるほど。
あの双子がこのクラスにいたのはこの国の子爵家の令嬢と、他国の男爵家令嬢から『在籍する権利』を買い取ったから。
そんな事できるものなの?
と、思わないでもないけれど、下級クラスで学ぶのを恥だと思い、理由を付けて国内の学校へ転向する他国の貴族は少なくない。
子爵や男爵家ともなれば、それなりにまとまった額が入るのは旨味が大きいという事だろう。
まあ、子爵家の方はこの先無事に生きていく為に公爵家の不興を買う事を恐れて……という気もするけれど。
「で、出まかせばかり言わないで! 証拠などありはしないでしょう! 目障りだわ! そこの騎士! この無礼な嘘つき女をつまみ出しなさいよ!」
「きゃあ!」
レイシャ様がメイドの肩を突き飛ばし、床に倒す。
これにまた、周りの貴族がざわざわと距離を取り始めた。
当たり前だ。
こんなところで暴力など……!
公爵令嬢としてあるまじき暴挙!
「大丈夫? ひどい主人に付いてしまったね……」
「シ、シルヴィオ様ぁぁ!」
「⁉︎」
カツ、カツ、とタイミングを見計らっていたシルヴィオ様が倒れたメイドに歩み寄る。
柔らかく、優しい笑顔。
手を差し出して、引っ張り起こす。
するとメイドは泣きながらシルヴィオ様の腕の中に……え、ええ⁉︎
「……うわぁ、近年稀に見ぬ裏切り……」
「ど、どういう事ですか⁉︎」
「一緒に悪者になるって言ったのに、あいつ絶対あのあと一人だけ接触して好感度上げてきやがった」
「………………」
エルスティー様の目が遠い!
一体昨日なにがあったというの⁉︎
とりあえずシルヴィオ様が相当ゲスなのは察したけれど。
怖い! 他国の王太子怖い!
私絶対あんな風には振る舞えないわ!
セイドリックにも見習って欲しくない~!
「うん? なになに? 他にもなにか言いたい事があるの?」
と、笑顔のままメイドに語りかけるシルヴィオ様。
メイドは一瞬驚いた顔をして見上げたが、すぐに必死な顔になって「はい!」と返事をした。
なるほど、あのメイドにとってシルヴィオ様は『アメ』なのね。
私の横で不満な顔をしているエルスティー様は『ムチ』。
昨日なにがあったのかは今、聞く事はできないけれど多分そんな感じかしら。
お、恐ろしいお方……。
「旦那様は若いメイドが入るとすぐに手を付けるんです! メイド長とは十年以上不倫関係で……」
「お、おおい⁉︎」
「レイシャお嬢様はそれをネタにお父様である公爵様を脅しておりました!」
「な、なんて事を言うの! そんな事をないわよ!」
「公爵様は王家に任された井戸掘り工事用の予算を着服し、週一で外の酒場で女遊びに使い込み……」
「やめ、ちが! そ、そんな事はしておらぬ! やめぬかー!」
「それを補填する為に学のない領地の民から安値で野菜や穀物を買い取り、高値で販売しております!」
「ぎゃーーーー!」
……教室の外で見守っていた、というよりは火の粉が降りかからないようコソコソしていた公爵も、慌てて飛び込んでくる事態。
教室内の生徒はドン引き。
それでも、メイドがシルヴィオ様にくっついているから手が出せない公爵とレイシャ様。
頭を抱えたと思ったら両手でメイドを宥めるように宙を撫で、首をブンブン横に振り、最後にまた盛大に頭を抱えた。
まあ、出るわ出るわ……。
「……他には?」
「はい! レイシャお嬢様は婚約者がおありのご令息に、婚約者令嬢の悪い噂を吹聴し、婚約破棄させる『遊び』を繰り返し行ったり、お美しいご令嬢を見付けると嫌味や嫌がらせを繰り返し、陰湿なイジメで社交場に二度と出てこれないようにしたり、使用人を殴る蹴る、物を投げ付ける暴言を浴びせるなど、こちらの人権などないもののように扱い、自分の思い通りになるように明確な指示は出さず圧力をかけてきます! 昨日のミーシャお嬢様の件だって、レイシャお嬢様はわたくしに『お姉様が悪者に攫われたら大変ね!』と言いながら笑っておられました。これはミーシャお嬢様を暗に賊に襲わせよという指示です! とにかく、レイシャお嬢様は性格が悪魔のようで……!」
と、止まらないわねぇ……!
「も、もう、違……もうやめなさい! 全部嘘よ! わたくしはそんな事、一度もした事ないわよ!」
「そ、それこそ嘘よ!」
「っ⁉︎」
止まらないメイドの……告発というかもうあれは愚痴ね。
それを止めようと叫んだレイシャ様。
だが、それを遮るようにミーシャ様が一歩前に出た。
同じ顔の令嬢が、鏡のように対峙する。
「わ、わたくしも、貴女にいじめられるのが怖くてずっと言いなりだった。やりたくない事も、言いたくない事もしましたわ。でも、昨日貴女に殺されかけてから気付いたの! もう貴女の言いなりにはならないわ! わたくしは貴女の操り人形をやめます!」
「な、なにを……っ」
「ここにいる皆の中にも、いるわよね⁉︎ この子にいじめられた者が!」
「……そ、そうですわ!」
「ええ、レイシャ様はわたくしの友人をいじめて、社交場に出られないようにしましたの! 婚約者にも婚約破棄させられて、彼女は今でも一日中部屋に閉じこもって泣いています!」
「わたくしの友人もですわ! 公爵家の権威を振りかざしてそれはもう毎日好き放題に……」
「な、なんですってぇ!」
あーあ、日頃の行いって大切ね……。
どんどん溜まっていた鬱憤が吐き出される場になっていく。
……けれど、なんだか……。
「絶対“乗っかってるだけ”の令嬢もおりますね」
「そりゃあいるだろう。足の引っ張り合いが常の世界だもの。まあ、自分で蒔いた種に違いはないけれどね」
「……そ、それは、まあ、そうなのですけれど……」
「?」
直接被害を被ったわけではない令嬢たちの笑みが、少し前のレイシャ嬢と重なる。
ああ、嫌だなぁ。
ああいう人たちって、どうしてもいるのよね。
別に貴女たちの為の舞台でもないのに、あの鬼の首でも取ったかのような顔。
ーーー醜い……。
「も、もうおやめください!」
「!」
…………!
セイドリックがレイシャ様の前に両手を広げて立つ。
驚いた。
私だけではない。
教室全体がセイドリック……『セシル』の行いに目を見開き、固まった。
庇われた当事者、レイシャ様も。
「こ、この場は……この場はレイシャ様を責める場では、ありません! 確かに行いは良くなかったかもしれません。咎められて然るべきなのかもしれません! ……ですが、今、この場ではないはずです! 皆様のお顔、とても怖い事になっています! 一度落ち着いてください!」
……セイドリック……。
っ、なんて勇敢なの。
あの場に、彼女を庇うように立つなんて!
あまりの凛々しさに涙が出る。
す、素敵よセイドリック! それでこそロンディニアの王太子だわ!
レイシャ様を責め立てていた令嬢たちが顔を見合わせ、そしてばつが悪そうに俯く。
そこへ、メルティ様が近付いた。
「そ、そうね……確かにあたくしもレイシャと仲良くしてもらった時は、その、少し怖かった。でも、この場でレイシャを寄ってたかって責めるのは間違ってるのだわ。あとの事はお兄様たちにお任せしましょう。もう、授業も始まる時間ですし……」
「メルティ様……」
メルティ様も少し、元気がない。
彼女もレイシャ様と親しくしていたものね。
目を合わせようとせず、少し伏せ気味。
涙を浮かべたレイシャ様を、メルヴィン様が教室の外へと促す。
それに続くようにミーシャ様と公爵も出て行き、シルヴィオ様がメイドを連れて出て行った。
別室で話の続きをするのだろう。
多少のすり合わせは行われるかもしれないが、これだけの騒ぎだもの……あまりにもかけ離れた話になれば、必ず文句が出る。
公爵の女癖は、まあ、ギリギリ目を瞑るとしても、国費を横領していた話は問題だ。
その辺りもこの国の事情。
メルヴィン様の采配に注目ね。
「ま、余興としては面白かったね」
「またそのような事を……」
「しかし改めて、女は怖いねぇ。あっさり手のひらを返して裏切るんだもの。だから嫌なんだよね~」
「…………」
そこは否定できない。
私もそう思ったもの。
「なんにしても、あの双子のご令嬢に関してはひと段落、でしょうかね」
「そうだね。ねえ、セイドリック」
「なんですか?」
席に着こうと、一歩踏み出した時だ。
振り返ったらエルスティー様の顔が鼻先に付きそうなほど、近くに!
驚いて後退りする。
そ、そ、そ、そ、そんなに近付ける必要なくない⁉︎
なななななななんなの⁉︎
「デートしようよ。城下町、案内してあげる。まだ行った事ないだろう?」
「…………デ……」
デェト……。
消えそうな声が出た。
デ、デート、だと?
デートだとぉ⁉︎
ま、町は確かに気になるけれど!
でも、デートって!
「それとも僕の邸で邸デートする?」
「し、しませんよ⁉︎」
「だめ、どっちか」
「ヒェ⁉︎ ……そ、そんな事を言われましても……っ」
「では来週の休みに町へ行こう。十時頃に迎えに行くからね?」
「え⁉︎ ちょ、あっ」
「今回頑張ったんだから、少しくらいご褒美があってもいいよね~。じゃ」
「~~~~」
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