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ザグレの王太子様
しおりを挟む翌日は休み。
怒涛の一週間で、さすがの私も疲れました。
とはいえ刺繍やダンスの女性パートは定期的におさらいしておかないと、セシルに戻った時に勘を取り戻すのに苦労してしまう。
ダンスは男性パートの練習もしなければ。
いずれ夜会でセイドリックとして踊る事になるのだもの。
他国の姫や令嬢に、恥をかかせるわけにはいかないわ。
私の可愛い弟の顔に泥を塗る事にもなる。
それは絶対避けねば!
「さあ、今日も頑張るわよ!」
気合いを入れて、すっかり着方を覚えた紳士服に袖を通す。
異母姉たちの嫌がらせで、私はかなり早い段階から世話役のメイドを外された。
自分の服を自分で着替えるくらいわけないの。
そこへ、コンコンと扉が鳴る。
「セイドリック様、起きてらっしゃいますか?」
「ええ、今行きます。姉様は起きていますか?」
「これからお声がけに行きます。食堂でお待ちください」
「分りました」
イフの声。
朝食の準備はできている、という意味。
髪をひとまとめにして、頭の上の方で固定する。
いわゆるポニーテール。
学園に行く時は毛先を結んで肩に流しておくけれど、今日は休みだもの、楽な格好でいいわよね。
「姫さーーーっ、ではなくセイドリック様!」
「あらマルタ、どうしたんですか? そんなに慌てて」
一階の食堂まで来ると、ドシドシと廊下が音を立てる。
玄関方面から走ってくる恰幅の良い女性は、ザグレ滞在中、この邸のメイド長に任じられたマルタ。
血相を変えて……なにかトラブルかしら?
「来客でございます!」
「は、はあ?」
思わずズボンのポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。
朝! 七時!
ら、らっ、来客~⁉︎
「ど、どなた? 私も何も聞いていないわ」
「エ、エルスティー・ランドルフ様と名乗っておられました。銀緑の髪と、翡翠の瞳の大変お美しい方で……、ひっ⁉︎」
「………………」
私はさぞ、良い顔で笑っていたのだろう。
マルタが肩を跳ね上げる。
あ の お と こ ~ !
常識というものがないの⁉︎
まあいいわ!
私は左手を振り上げる。
「すぐに来客用のお食事も準備して! 私たちの分は後回しで構いません! 我が国の威信にかけて、全力であの非常識男をもてなしてくれます!」
「ひえ! は、はいぃ!」
「メイドを二人、食堂に配置! もう一人はイフにこの事を伝えて! 出迎えには私が出ます! 食器はリーゼブ工房のものを! 我が国の金属加工や陶器にも素晴らしいものがあると思い知らせるのです! 生花があればそれも準備して! あの子にはドレスを! スピード勝負よ!」
「はいいぃ!」
おのれ! エルスティー・ランドルフ!
私の貴重な休日を!
一体何の用⁉︎
くだらない用事だったらご飯だけ食べさせてとっととお帰り頂くわよ⁉︎
「おはようごさまいます!」
「おはよー」
腕を組み、不機嫌を一切隠さずに言い放った朝の挨拶。
この男には全く伝わっていないようね⁉︎
いえ、分かってて無視!
さすがだわ!
「……あら?」
どう追い返してやろうか、と息巻いていた私の視線は、エルスティー様の後ろに佇む青年へ照準を変更した。
紫紺の髪の美青年。
いえ、まあ、エルスティー様も美青年ですけれどね?
交流会にいた、かしら?
こんなに長身で、非常に冷淡な美貌の方なら目立ちそうなものだけれど……。
「ああ。……うふふ……」
うふふ?
「僕の幼馴染! メルヴィン・イーク・ザグレだよ!」
「…………」
恐ろしく眉の寄る青年。
えーと。
え?
今なんて言いました?
「え、えええ! こ、これはとんだ失礼を! 初めまして、私はーーーわ、私はセイドリック・スカーレット・ロンディニアです」
あ、危ない。
驚きすぎて本来の名前を名乗りそうになったわ。
「初めまして。しかし、畏まる必要はない。あなた方もまた王族。自分の事は呼び捨てで構わないし、敬語も不要だ」
「い、いえ、そのような事は……!」
ザ、ザ、ザ、ザグレの王太子様!
なんて事!
エルスティー様、本当にザグレの王太子様とお友達だったというの⁉︎
い、意外すぎる!
それになぜ王太子様が私たちの邸に⁉︎
ま、まさかジーニア様の存在があまりにも目に余るとクレームに⁉︎
でも、そんなの私たちに言われても!
も、もしくはセイドリックがあまりにも可愛いから婚約の申し込み⁉︎
……あら? でもセイドリックは今『セシル』よね?
『セシル』にはジーニア様という婚約者が……。
でもセイドリックは男の子……。
え? ん? ちょっとどういう事かよく分からなくなってーーー。
「はっ! そ、それよりも早く邸の中へ!」
「そだねー、立ち話もあれだしぃ。さあ、行きましょう、メルヴィン!」
「くっ」
グイグイとエルスティー様がメルヴィン様を私たちの邸へと引きずり込む。
食堂に案内して、席に座らせた。
「ちょ、朝食はお済みですか? まだでしたらご一緒にいかがでしょう?」
「いいね! 僕お腹すいたよ! ねえ、メルヴィン!」
「…………。まあ、自分も朝食はまだだ。頂けるのなら頼みたい」
「ええ、もちろんです。我が国のお料理がお口に合えば良いのですが」
ちらりと入り口に佇む使用人にアイコンタクトする。
セイドリックはまだ?
いえ、女性の格好は身支度に時間を要する。
致し方ない、私が時間を稼ぐしかない。
「ところで、本日はなんのご用だったんでしょうか。まさか朝食を食べにきただけではありませんでしょう? エルスティー様?」
「もちろん。セシル姫に聞きたい事があったんだ」
「姉に? 私は聞かぬ方が良いお話ですか? でしたら退席致しますが……」
『私』に?
なんだろう?
ザグレの殿方二人が、他国の王家の者を早朝から尋ねなければならない用事だなんて……ただ事ではないわね。
できれば同席したい。
「いや、さすがに姫君と男二人だけにされるのは……」
ですわよね。
エルスティー様と違って王太子様はまともな方でよかったわ……!
「お、お待たせ致しました! おは、おはようございます、セ、セシル・スカーレット・ロンディニアでございます!」
ほぁ……。
イ、イフ! なんという気合いの入れ具合なの⁉︎
編み込まれた髪。
最高級の黄色い絹のリボン。
恐らくお茶会用のドレスだわ、一番いいやつ!
フリルがふんだんに使われているポロシャツ。
花柄刺繍の入ったボレロ。
オレンジと黄色の布が重なったスカート。
刺繍入りのソックス、黄色いメリー・ジェーン。
見事に着こなしているっ!
な、なんて可憐なの……! かわいいっ!
「か、可愛い! とてもよく似合っています!セ、っセシル姉様!」
あ、危ない。
興奮し過ぎて『セイドリック』と呼んでしまうところだった。
だってそのくらい可愛いんですものー。
「わお! ほんと、とっても可憐だね」
「あ、ありがとうございます」
「ですよね! エルスティー様、見る目ございますね!」
「え? う、うん?」
とっても可愛いわ、セイドリック!
エルスティー様から見ても可愛いのなら、もう姫としてなんら問題のない可愛さという事なのでは!
そう! 私の役目抜きで! 可愛い!
「あ、あの、それで、本日はどのような……」
「失礼致します。前菜をお持ちしました」
イフ、ナイスだわ。
セイドリック、まずは席に座りなさい。
そういう意味でイフが椅子を引く。
ちゃんとその意味に気が付いたセイドリックが、少し照れた顔で席に着いた。
メイドたちが用意したサラダ。
エルスティー様たちは妙な表情をした。
何?
「これは野菜じゃないか? え? ロンディニアでは平民の物を食べるのかい?」
「まあ、ザグレではサラダをお食べにならないのですか?」
「サラダにはお腹の中をお掃除する役割があるそうですよ。我が国では朝昼晩、まずサラダを食べるのです。それが長生きの秘訣だと伝わっています」
「長生き? 長寿になるというのか? この様な葉物で?」
「はい、ドレッシングをかけてありますので、美味しく頂けるのですよ~」
嘘だと思うなら試すといいわ。
我が異母姉たちは野菜を食べず、肉ばかり食べるから化粧でも隠れきれない肌荒れ、コルセットがはち切れそうなほどの肥満。
私たちの母は、田舎の貧乏貴族だったから野菜をよく食べ、よく働く人。
母の教えで私たちは野菜は必ず食べるようになったの。
お父様も昔はとても太っていたらしいけれど、お母様の食生活に付き合って野菜を毎食最初に食べ始めたら、見る見る痩せていった。
そう! 効果はお父様で立証済み!
一国の国王のお墨付きなのです!
二人は不安げだけれど、恐る恐るフォークでサラダを口に運ぶ。
その感想は…………。
「ん? んん……! うん、美味しいな⁉︎」
「ああ、肉とは全く違う食感だ。シャキシャキとしているのに、喉を通る時に洗われるような感覚がある。冷たいのに美味い……」
「うんうん! あまり噛まなくても飲み込めるね」
「ザグレのお食事はお肉中心で、冷たいものが多かったですよね」
夜会や舞踏会で出される料理は、どうしても放置されて冷めてしまう。
肉料理ならば尚更。
私たちのお母様は、そんな夜会や舞踏会の料理にもテコ入れした。
野菜の料理を増やし、夜会の行われる邸やダンスホールの庭でまさかの炊き出し。
その場で料理して、欲しいと言われる分だけ出す。
田舎の男爵令嬢にすぎなかった母は、そうしてお父様の胃袋と心を手に入れた。
……改めて、うちのお母様は規格外だわ……。
「スープでございます」
「「あ、温かいスープ⁉︎」」
やはり驚かれてしまった。
これは、この後出てくるパンが焼きたてなのにも驚かれそうね…………。
「驚きが満ちていた!」
朝食を終えた後の、エルスティー様の第一声。
なんとも目がキラッキラ。
そ、そんなに面白かったのかしら。
「温かいスープは体の奥から身を温めてくれるし、焼きたてのパンはあんなに柔らかいものなのだな……。まさか手でちぎる事ができるとは……!」
と、メルヴィン様も興奮したように振り返る。
ザグレのパンは冷めてから食べるから少し固いのだ。
私も入学式の後の交流会で食べて驚いたわ。
「この国のパンは、硬ければ硬いほどよいとされているからね」
「え? そうなのですか?」
「ああ、硬くて細長いザッパという名前のパンがあるんだが……それを真っ二つに叩き折る勝負があるくらいだよ!」
「「…………」」
ど、どういう事……?
「エルス、ちゃんと説明しろ。ええと、男同士の決闘で使われるんだ。単純な力勝負だが、その後に相手が割ったザッパを食べ終えられた方が勝つ」
「「わ、わあ……」」
そ、そんな決闘方法があるの?
女の私にはとても無理そう……。
変な文化があるのねぇ、ザグレって。
「伝統的な決闘方法なのだよ。婚約者のいる女性に惚れた王族が、相手の婚約者があまりにもだったから思い付いたそうだ。パン折るところまではできても、ザッパを食べ終えるのは顎の力が必要だからね!」
「アホらしいですね」
「そうかな、僕は愉快だと思うんだけれど!」
「愉快といえば愉快ですが……」
やはり愉快なのではないですか。
変な方ね。
っと、話がすっかり変な方向に進んでしまったわ。
「あの、それでお二人のご用件とは?」
食事のおかげで忘れそうになったけれど、お茶をイフが淹れて差し出すとようやく人心地ついた気がする。
つまり、本来の要件を聞き出す準備は整った。
今ならゆっくり、そして冷静に話に応じられる。
お腹が空いていると頭が回らない。
他国の王族の、一番頭が回らない時間に来るとなるとかなりの無茶を要求される恐れがある。
イフはそれを警戒して朝食という先手を打ったのだろう。
さすが、うちの執事はできるわね。
ソーサーに置かれたカップを持ち上げて一口飲む。
目だけで二人を見ると、メルヴィン様が顳顬を押さえる。
うわあ、なんて厳しいお顔……嫌な予感しかしないわ。
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