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1巻

1-2

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 ――ノア・グランデ。
 確かに俺は城でこの男を見かけたことがある。
 銀の髪と青眼、整った顔立ち。見る者はまず、その整いすぎた造作によって近寄り難い空気を醸し出す男に、を覚えるだろう。
 少なくとも、俺はそうだった。なのに……
 手際よく貼り紙を作成するノアの横顔を見ながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
 作成が終わった後は、二手に分かれて俺は店の前とΩ型地区の前に、ノアはギルドの方へと駆けていく。急ぐ必要はない、と言ったはずなのにあっという間にノアは戻ってきた。

「シオン様! お客様を連れて参りました!」
「うおお、よ、よくやった?」
「お役に立てたなら光栄です!」

 さらについでと言いながら、女性の冒険者客十人ほどをゲットして帰ってきやがった。
 俺は宿泊希望という女性客に、防衛の結界がついた鍵を渡す。部屋の鍵をかければ、その鍵を持っている人間以外の魔法や鍵開けの道具を拒む仕組みだ。一応こういう場所だから、女の人には安心して過ごしてほしいと思って、国王にねだった産物である。

「え、これ結界展開できるの? すごい」
「同じ料金でいいの、本当に?」
「はい。この宿はΩ型地区内にありますので、女性の気持ちを最優先に考えた設計です。生理用品や生理薬も販売しておりますので、ご入用の際はあちらの売店をご利用くださいね」
「マジ?」
「神じゃん」

 だろー?
 普通の宿屋は女性の生理用品や生理薬なんて販売してないからなぁ。Ω型の冒険者がほとんどいないように、肉体性が女性の冒険者もそんなに多くはない。だから、なんとなく彼女たちが来やすい場所を提供したかったのだ。

「生理薬って頭痛とかだるさとかにも効くの?」
「はい。娼館で使われているものを五十種類ほど取り揃えてございます。ご自分の体調や体質にあったものをお選びいただけるかと」
「「「神じゃん」」」
「今後ともごひいに」

 にっこり微笑むと、その女性たちが大きく頷く。

「もう次回もここに決定。予約取っておきたいくらいだわ」
「それなそれなー」

 顧客ゲット。よしよし、と思いながら視界の端でニコニコしているノアが、勝手に宿の説明を始める。主に風呂とか食堂、酒場のこと。
 どのみち説明するつもりだからいいんだけど……馴染みすぎでは⁉
 俺と視線が合い、ノアの笑顔がさらに全開になる。その時だった。

「お、ここが新しい酒場かぁ。隣に宿があるのは助かるな」
「しかも娼館もすぐ側なんだろう? ギルドから遠いのはネックだが……飲んで遊ぶにはなかなかいい場所じゃないか」

 お、男の客も来たか。
 あまりよろしい見た目ではない。横目でうちの従業員を見ると、男たちはいやらしい笑みを浮かべている。即座に目配せすると、従業員の一人、ディズが頷いてくれた。彼女は母親が娼館で亡くなって以来、厄介者扱いされていた。娼館でも働いていたが、この機会にうちで働いてくれることになったのだ。

「いらっしゃいませ! どうぞこちらへ」
「酒場は夕方からなんですけど、食堂は空いてますんで」

 俺も声をかけてみる。すると男たちは俺の方には視線を向けないまま、ディズの腰に手を回そうとした。

「お、なかなか可愛いじゃ……」
「触るな」

 ディズがべしっと客の手を叩く。こういうところがあるから、娼館では働けなかったんだけどな、うん。強気なディズの態度に男たちが気色ばむ。

「な、なんだと! 俺たちは客だぞ⁉」

 それにまったく動じず、ディズはすっと人差し指を男たちに向けた。

「娼館で嫌われる客の特徴その1、臭い」
「「⁉」」
「娼館で嫌われる客の特徴その2、横柄で傲慢で乱暴」
「え、あ……」
「ちょ、ちょ……」
「娼館で嫌われる客の特徴その3、ケチ」
「お客さんはその1とその2に当てはまってますねー! まずはお風呂に入ってきてはいかがでしょう! 宿にお泊まりいただければ、お風呂は無料! お風呂だけのご利用の場合は、銀貨一枚になりまーす!」

 畳みかけるように別の従業員が勧めると、男の冒険者二人はポカンとした顔で「あ、はい」と答える。
 あまり「臭い」とか、言われることないもんな、人間。しばらくはああして、ディズに『娼館での礼儀』を冒険者たちに叩き込んでもらう。ここは娼館ではないが、ディズに指摘された点が改善すれば娼館での対応も変わるだろう。
 もちろん日々魔物と戦い、風呂にもなかなか入れないという冒険者にそこまで求めるのは酷というものだが――身だしなみと態度を整えるだけでも扱いがワンランク上がるのは、長年娼婦たちの愚痴を聞いていた経験で把握済みだ。
 それから一時間ほど経ち、男たちが清潔になり緩み切った顔でディズに話しかけているのを見て俺は小さく溜息を吐いた。初日から暴力沙汰にならなくてよかった。
 いや、しかしまだ気は抜けない。
 開店したばかりなんだ、不慣れなこともあって、どんなポカをやらかすか分かったもんじゃない。
 ノアも、Ω型に気を遣っているように見えるけれどα型には違いない。
 他の従業員を見下そうとした瞬間に追い出してやる。
 気を引き締めていこう! せめて初日ぐらいはきっちり乗り越えるぜ!
 そう、意気込んだのだが。

「行ってらっしゃいませ」
「行ってきまーす」
「ごちそうさまでしたー」
「ありがとうございました!」

 ――ノアの働きぶりが完璧すぎる。
 他の従業員のサポートも、酔ったお客の対応も、なにもかもがスマートだ。
 くっ、これがα型か。地味に腹が立つ。
 時間が経ち、夕方になってから宿の受付で部屋の鍵を戻そうとした時だ。
 真後ろにノアがいた。腰を抱かれて、背中が密着する。

「シオン様」
「なっ」

 耳元で囁かれて、一瞬で体が熱を持つ。
 なんだこれ! なんだ? 甘い、でもくどくない、新緑のような優しい匂い。
 ノアからだろうか? 思わず吸い込んでしまったそれにどくりと心臓が鳴る。ノアを見上げると、彼は初めて見る厳しい表情で外を見つめていた。

「少し隠れていてください。妙な者たちが玄関からこちらを窺っております」
「えっ」
「黒のフードを深くかぶっていて、冒険者には見えません。フードの縁に黒の糸で鎌の刺繍がされています」
「……『漆黒の鎌』、か?」
「ご存じでしたか」
「まあ、な」

 漆黒の鎌、というのはこの王都を中心に暗躍している犯罪集団のことだ。ちゃちな悪事から、貴族たちの陰謀にも関わっている場合まであるとかないとか。
 騎士団とは当然永遠のライバルが如く、イタチごっこを繰り返しているらしいが、そんな奴らが陽の出ている間に外にいるのは珍しい。そもそもなんでうちの店に?
 ノアには隠れるように言われたが、店主として最低限確認はしたいじゃん?
 抱き寄せられた体をよじり、こっそり入口の方を覗く。
 すると確かに黒いフードを頭からかぶった奴が三人、入り口の外に立っていた。いかにも怪しいそいつらを眺めていると、そのうちの一人と目が合ったような気がして慌ててノアの体の陰に隠れる。
 いや、なんだこの体格差。俺の体がすっぽり隠れてしまう。ムカつく。
 にしても、さっき目が合った奴、なんか笑ってなかったか? こっわ‼
 向けられた視線を思い出し、ぶるりと体が震える。するとノアが心配そうにこちらを向いた。

「シオン様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だ! 多分偽物だろ。それか『漆黒の鎌』に憧れてる奴らかも。昼間に分かりやすく出歩いてるような奴らじゃないと思うし」
「ふむ。どちらにしても視線に敵意が感じられますので、シオン様はこのまま……」
「わ、分かった」

 鍵を整理するふりをして、ノアが背中で俺をすっぽり覆うようにたたずむ。
 もう、ホントデカいな。こう、体格から違うとへこむというか、自分がΩ型だと自覚せざるを得ないというか。

「お前はホント、立派なα型なんだな」
「お褒めいただき光栄です。ですが、愛しいΩ型の愛が得られぬα型など、息をするだけの虫となんら変わりありません」
「へ?」

 皮肉のつもりで言ったけど、そ、そこまで言う?
 振り返って見上げると、そこにはなんとも甘い表情のノアがいた。銀髪に夕日が反射していてどことなく色っぽくすら見える。思わず目を見開いた。なんか、俺今、すごくとんでもないものを見ているような。唾を飲むと、ノアはハッとしたような表情で俺の体から身を離した。

「名残惜しいですが、奴らの気配も消えましたので……」
「あ、お、おおう」

 なんだ? ノアの体が離れると、先ほど漂っていた香りが薄くなる。同時に妙に寒く感じた。
 なんで、俺、今、寂しい……って。
 いやいや! 気のせいだろう! 首を振ると、ノアは淡く笑みを浮かべてからそっと俺の髪に触れた。

「少し調べておきます。貴方を傷つける可能性のあるものは、放置できませんから」
「え、あ、お、おう? でも、別にそんな……」
「シオン様は、もう少しご自分の魅力と価値をご理解ください。王位継承権を放棄なされたと言いましても、シオン様の母君が『王のつがい』である事実は変えようもないのです」

 その言葉に、どきりとした。ノアが自ら望んでいたと言っても、やはりそういう公式の理由があったからこそ、こいつはこんなところに来ることになったのだろう。
 その言葉にまた胸が少しだけうずく。変な感じ……
 ノアの目を見られずにうつむくと、なにを勘違いしたのかノアはその指先をさらに俺の髪に潜らせた。ぞくぞくとしたなにかが背筋を走り、思わず顔を上げる。するとノアはうっとりとした笑みを浮かべていた。

「……やはりとてもいい匂いがします」
「!」

 それから、すん、と髪の匂いを、がれた? い、いやいやいやいや! いい匂い? いい匂いなら、ノアの方が――いやいやいやいや! なに言ってんだよ、俺も!

「や、やめろばかっ」
「はっ! これは、失礼いたしました! あまりにも魅惑的な香りで、つい!」
「……っ」
「あ、もちろん匂いだけではなく、容姿もお声も性格も、シオン様は素敵ですよ」
「なっ!」

 突然なんだ! まっすぐ俺の目を見ながら言われた言葉に思いっきり後ずさって、腰を棚に打ちつける。痛い。けど、それどころじゃねぇ!

「お、お前が俺のなにを知ってんだよ!」
「突然来た私をすぐに受け入れてくださったり、Ω型地区でも行き場のない者の行く先を作ったりしておられるではないですか。彼らから聞きました」

 彼ら、と言いながらノアが視線を後ろに向ける。そこにはせっせと働くディズや他の従業員の姿があった。そのほとんどがΩ型の人間だ。

「え……。あ、あいつらが自分から話したのか?」
「はい。ここで従業員用の部屋をいただいてから、シオン様のことを色々教えていただきましたよ。こんな自分たちにも『居場所と働くところを与えてくれた人』だと。とても感謝しておられました」
「っ……」

 あ、あいつら……。そんなこと俺には言ったことないくせに。
 ちょっと悔しい気持ちで口を開く。

「このΩ型地区は、行き場のない人間がたどり着くところでもある」
「……はい」
「自分ではどうしようもない理由で働き口がない奴らだって、ホントはなんとか働きたいって思ってる。俺もそうだったし、できることなら地区外みたいな『普通の』生活をしたいって、そういう憧れがあるんだ。難しいけど、その憧れに近づける努力くらいしたってバチは当たらないだろ?」

 そうであれ。そうであれよ。
 ただ普通の生活がしたい。その願いがおかしいなんて、誰も否定しないでほしい。
 ここにいる奴らが、Ω型地区外の人間の真似事をしてバチが当たるなんて、そんなこと、あっちゃならない。自らの体を売ることが当然とされ、それどころか自分ではどうしようもない体の構造を利用してもてあそばれることを否定して、何が悪い。
 もし、ノアが俺の言葉を少しでも哀れんだり、さげすんだりしたらそのまま追い出してやろう。そう思って見上げる。しかし、ノアの目には一切予想していた感情はなかった。

「素晴らしい志と実行力だと思います。だから陛下は、シオン様を支援したいと思われたのでしょう。私もシオン様を支持いたします」
「お前……」
「外からでは、Ω型地区内のことは何も分かりませんでした。陛下のお側にいる者や騎士団の一部でさえこの場所を掃き溜めのように思っている者も多い。しかし、こうしてシオン様の元に訪れて、私はこの場所が温かく、美しい場所であると知りました」

 変わらない青の瞳が俺を映す。そこにはただただ真摯な光が宿っていて、俺は言葉に詰まる。

「シオン様のなさろうとしていることは、王都、ひいてはこの国のためになるはずだ、と国王陛下が仰っていました。だから私はここにいます。無論、私情も込みです。騎士として貴方の志に感銘を受け、私が貴方を求める衝動があって、今私は貴方の目の前にいるのです」
「っ」
「まだ信じていただけませんか? ならば、やはりシオン様のお眼鏡にかなうよう、しっかり働かせていただきます」
「あ、う、お、おう……」

 正気かよ? あまりにもなんというか、熱烈すぎる。
 黙り込んだ俺に、ノアはまた優しく微笑んで仕事場へと戻っていった。


 ――それから二ヵ月と少し、ノアは毎日キビキビ働いてくれた。
 この店を知るお客さんが増えて忙しさを増したり、母が発情期で王城に行ったりしている間にも、ひたすらただの宿屋の店員として一生懸命働いていた。時折、自分の働きを見てほしい、褒めてほしいと言わんばかりの笑みを浮かべるが、それ以上俺に迫ってくることはない。
 正直、こういう接客業も肉体労働も、国の英雄様には初めてだろうから苦戦すると思っていた。
 けどまあ、なんと器用なことか。
 奴は人当たりもいいし、体力も力もある。
 それどころか計算の勉強もきちんとやってきたのか、計算板も必要としない。
 字も、単純なものしか書けない俺よりずっと綺麗だ。
 腹が立つけど、有能すぎる。うちの酒場宿には、不釣り合いなくらい。いや、最初からこの男はここには不釣り合いな男だった。α型で国の英雄だし。

「おわっ」
「シオン様!」
「あ、あんがと……」
「いいえ」

 濡れた床ですっ転びかけると、ノアが支えて助けてくれる。
 誰だ、カウンターホールの床掃除で水をぶち撒け、雑にモップでこすって放置していったのは。
 どいつもこいつも、掃除を何度教えてもダメだなぁ! ノア以外!
 脳内で八つ当たりをしてから、今の自分の状況を振り返る。

「いや、おかしくね?」
「はい?」
「な、なんでいちいち抱き締めてんだよ、お前……」

 毎度床が濡れていてけたり、ワイン瓶の詰まった箱だと気づかずに持ち上げて、勢い余ってけかけたり、階段を上ってたらディズにおどかされて落っこちかけたりの俺も大概だし、その都度助けてもらえるのは、ものすごく助かるけど!
 なんで助けるついでにいつも俺のことを抱き締めるんだ、こいつは。
 振り返りざまに問うと、ノアはとろけるような笑みを浮かべた。

「隙あらばシオン様を抱き締めたいからです。いけませんか?」
「いっ!」

 顔が熱くなる。さらに抱き締められると、こいつの匂いが俺につく。
 こいつ、マジ、こいつ、マジ……こいつぅ! 分かってて、やって……⁉

「お、お前ええええええっ」
「ふふふ……床は私が掃除し直しておきます。シオン様は上で一休みしてきてください。酒場が始まる時間まで、ゆっくりなさってくださいね」
「っ!」

 ほんの少し名残惜しそうに微笑まれ、ノアの腕の中から解放される。
 でも、今、俺も……名残惜しいと感じてしまった。だから、だ。

「シオン様?」
「あ、いや……えーと……。そうは言ってもボチボチ酒場の開店時間も近いから、そ、掃除終わったら、買い物行く。……お前荷物持ち、する?」
「はい!」

 わ、我ながらほだされるの早くねぇ?
 いくら犬っぽくてなんだか憎めないとはいえ、相手はα型でこの国の英雄だぞ。
 しかしそんな脳内の思考も、満開の笑顔になったノアに流されてしまう。

「掃除、サクッと終わらせます!」
「あ、いや、お前は宿の備品、在庫確認してこいよ。掃除は俺がしておく。足りないもの確認してくれたら今日まとめて買っちまうから」
「はいっ!」

 なんていい返事をして、鼻歌混じりに宿の備品在庫をチェックしに行くノア。
 本来ならここは俺が掃除する必要はない。しかし俺がすっ転ぶほど危険地帯なので整えておかないと。客を俺の二の舞にするわけにはいかない。
 放置されていたモップを手に取って、とっとと床を走り回る。

「こんにちはぁ~、オーナーちゃぁん」
「あ、どーも」

 そんな時に、酒瓶片手に魔女帽子を整えて宿に入ってきたのはごひいにしてくれている冒険者だった。女魔法使いの――えーと、名前なんだったっけ。まあ、いいか。
 手を止めて頭を下げると、彼女は勢いよく身体を伸ばした。胸の谷間が丸見えだし、ふとももも丸出しでかがんだら下着が見えそうな装備。彼女が動くと白い肌が見えそうになって慌てて目を逸らす。

「あーもー、王都近郊は魔物が多くてね~。ソロだとキッツいったら」
「ソロで稼いでんの⁉ そりゃ厳しいよ。冒険者ギルドでパーティメンバーの募集でもした方がいいんじゃねぇ?」
「やぁよ。声かけてくるのみんな、鼻の下が伸びてるんだもの」
「……防具変えたら?」

 思わずそう言ってしまった。女魔法使い特有の防具だろうけど、ちょっと狙いすぎというか……マントが長いからといっても、そもそも防御力あるんだろうか、それ。
 ちょっと心配になりながらそう聞くと、彼女は肩を落とした。

「これねぇ、弟の手作りなのぉ。今はサイズパツパツになっちゃったんだけどぉ」
「身内が作ったのか」

 なるほど、そりゃ捨てられない。そう言われてみると、彼女の服装にいくつか手直しをした跡を見つけた。直せる範囲は丁寧に直して使ってきたのだろう。
 俺の言葉に彼女は頷いた。

「弟は生まれつき『スキル持ち』でねぇ、あの子が縫ったものには魔法効果が付与されるの。アタシの服にも、物理防御力アップの効果があるのよぉ」
「へえ~、珍しいな!」

『スキル持ち』――それは、魔法とは別の力『スキル』を生まれながらに持つ人間のことだ。
 スキルと呼ばれるその力は、誰でも持ってるものじゃないし、Ω型の冒険者は百パーセント『スキル持ち』だ。まさしく選ばれし者ってやつだよな。ノアでさえ『スキル』は持ってない。本当に、生まれつきの特別なものなのだ。
 これ以上の装備が使えないなら仕方ないだろう、となんとなくしみじみとしていると、彼女は豊満な肉体を揺らし、あっけらかんと笑った。

「ま、これを使い続けてるのにはアタシがこういうえっちな格好が好きっていうのもあるんだけど」
「え」
「でも自分の肉体美を褒められたいだけで、スケベな目で見られたいわけじゃないのよねぇ。アタシの肉体って芸術品でしょ? っていう」
「あ、そ、そう……」

 なるほど? 言わんとすることは理解した。もう勝手にしてくれ……
 しんみりしていた気持ちを返してほしい、と思いながら再びモップを手に取ると、女性冒険者は俺の肩をつついた。

「ねっ、それよりさぁ、アタシ、他の国から来てるからよく知らないんだけどぉ、ノア様って具体的に何をやった人なの?」
「は?」
「だってさぁ、お客さんもノア様見て『英雄だ』って言うけど、何をして英雄って呼ばれてるのか分かんなくて」

 なんでよく知らないのに様付けで呼んでるんだよ。
 でも聞かれた内容を知っているのに答えないのも、宿屋の主人としてはよろしくないか。
 俺は再びモップを置いて、彼女に聞く。

「スタンピードはさすがに知ってるよな?」
「うん、魔物の大発生のことでしょ?」
「そう。基本的に人間一人でどうにかできるものじゃない。それをノアは二度も抑え込んだんだ。一度目、は騎士団の一部隊をひきいて、殲滅せんめつした。二度目は王国付近に現れた王国の守護竜グラノドンの卵を盗んだ者たちを成敗し、卵を奪われ怒り狂ったグラノドンを鎮めて卵を返却し、国を救った」
「ほ、ほえー……、え、グラノドンっていうのは……?」

 王国には国を守護するグラノドンと呼ばれる竜がいる。
 尾を含めると二十メートル近い巨体。黒い鱗を持つ飛竜種だ。
 グラノドンは、強いα型との闘いを好む。そもそもこの王国の王がα型でなければならないのは、即位の時に守護竜グラノドンと闘う必要があるからだ。
 守護竜グラノドンと闘った結果、実力を認められればこの国の国王になる資格を得る。そしてグラノドンは戦友ともの国を守る。
 そういう習わしがあるので、グラノドンは魔物の一種ではあるが、王国の守護竜として国民から愛されている。しかし、卵を盗まれ、我を失ったグラノドンの姿は天災そのもの。
 それにノア・グランデは騎士団をひきいて立ち向かい、たった一人でグラノドンを抑え込み、鎮めて卵を無事にグラノドンへ返却した。さらには王家の人間さながらにグラノドンに認められたのだ。
 つまり、彼は王都のみならず国と国の守護竜を守った。α型ってところを差し引いても、とんでもない偉業だろう。
 五年ほど前の話だ。王都を凱旋するノアの姿を俺も遠目で見たが、白銀の鎧をまとい、市街の人々に手を振る姿はまさに英雄だった。
 そこまで語ると、女性冒険者は感心したように軽く口笛を吹く。

「やっばぁいー! ホンモノの英雄様じゃーん!」
「だからそうなんだって。英雄だよ、本当に……」

 国王以外でグラノドンから認められた唯一のα型。この国だけでなく、他国にもその名をとどろかせた。そんなとんでもない英雄が――

「シオン様~! 不足していた宿の備品のメモを取ってまいりました~! お買い物に行きましょう~!」
「あ、うん」

 これだよ。信じられんわ、ほんと。守護竜グラノドンと戦ったα型よ? 英雄様よ? これ。
 備品のメモを取ってまいりました~、じゃ、ねーよ。
 え? という視線がノアに向けられている。輝かしい白銀の鎧は部屋にしまい込み、今のノアは俺と同じ白シャツとエプロン姿だ。しかもさっき俺が語ったような勇猛さは見る影もなく、完全に大型犬がしっぽを振っているようなてんしんらんまんな笑顔を浮かべている。
 城でたまに見かけたノアは、いかにも立派な騎士って感じでほんの少し……すこーしだけ、強そうで羨ましいな、とか、思っていた俺が馬鹿らしくなる。
 国をスタンピードから守った騎士。そんな彼に、俺だってα型は嫌いだけど、王都に住む一市民として、それなりに感謝の念ってのもあった。それにそこまでの戦果を挙げた騎士なら嫁は選び放題だろうし、なんなら王女の誰かを望んでもいいんじゃね? くらいに思ってたのに、ノアが選んだのはまさかの俺。
 もはや可哀想にすら思えてきた。
 男のΩ型なんて硬いし、ひょろいし、触り心地も悪いだろう。
 グラノドンにも認められたのだ。王女をめとれば王家に連なることもできたのに、王位継承権を放棄した俺なんか選んでさ。なんの得もないのに、地位も名誉も捨てて酒場宿の従業員仕事を毎日いい笑顔でこなして、額の汗を拭って……
 それでも格好いい、と言える姿なのだから小憎らしいけれど。
 女性冒険者の方に目を向けると、彼女はにこりと微笑んで「酒場で飲める?」と聞いてきた。残念、酒場はまだ開いてない、と言うと部屋の予約だけして風呂に向かった。……酒を飲んだ直後の風呂はあんまり体によくないと思うんだが、大丈夫だろうか。まあ、他の客もいるし従業員も巡回してるし大丈夫か?
 それを見届けてから、俺はノアに向き直り、首を傾げた。

「あ、そうだ。お前がいるなら地区外で買い物してもいいかな」
「え? 地区外、ですか?」

 俺の言葉にノアが若干表情を変える。
 うむ、言いたいことは分かるぞ。
 Ω型地区には娼館が集まっているから、食べ物や娼婦たちへのプレゼントになる装飾品や家具に至るまで意外と店が揃っている。それに貴族街とも隣接しているから贅沢品であっても手に入りやすい。
 つまり、本来地区外で買い物をする必要がないのだ。なにを買うにせよ取り寄せれば夕方には届くだろう。
 だが、あえて買いに行く。そこにはとある事情があるのだけど……まあ、店についてから伝えればいいだろう。


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