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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ 国を救った英雄
「いやっほー! これで自由だーーー!」
両手を掲げて城を飛び出す。
やっと、これで! 俺は自由! 長かった……ホンッッットーっに! 長かった!
Ω型の母から生まれて十八年。実は父親がこの国の国王陛下でしたと言われて十三年。
それから第五王子として、欲しくもない第五位の王位継承権を押しつけられ、国王の正妃と第二王妃、およびその娘や息子たちからも疎まれ憎まれ蔑まれることになった。
いじめに嫌がらせ、嫌味と暗殺未遂が日常の日々を母と共に耐えて耐えて耐えて耐えて……耐え抜いて!
今日――俺の十八歳の誕生日に王位継承権を放棄して、晴れて自由の身だ!
俺と母さんを放置するくせに会うとべたべたしてくる父とも、陰険極まりない正妃たちともこれでさよならだ。
晴れ晴れとした気持ちで、扉を開く。今日からはここが俺の家だ。
「ただいま~! 母さん!」
「お帰り、シオン。お父さんには会った? 元気だった?」
「会ってない。知らない。興味もない! そうじゃなくて、ちゃんと王位継承権、放棄できた!」
「あら、よかったじゃない。これで毎週お城に行く必要はなくなったわね」
「うん!」
水瓶に水を入れながらそう答えた小柄で清楚な女性が、俺の母エニスだ。
淡い茶色の髪を首の後ろで一括りにして柔らかく微笑む姿は、とても俺のような十八の息子がいるようには見えないほど若々しい。
俺もいつか、母のように年齢不詳と呼ばれるようになるんだろうか?
濡れたようにも見える黒い髪は父の影響らしいが、俺の顔立ちと紫色の目は母譲りだ。両親ともに老けた様子がないし、その可能性はあるのかもしれない。水瓶の中に映る自分の姿を見てそんなことを思っていると、水面が揺れた。
「よいしょ」
「いや、俺が持つよ、って、母さん、水瓶に入れる水は使う分だけにしろって……重いんだから」
「あら、ありがとう。やっぱりΩ型でもシオンは男の子だから力持ちねぇ」
「まあ、このくらいはね」
そう言って胸を張るが『Ω型でも』という言葉にちょっとへこむ。
この世界には肉体性の他にもう一つ、本能性と呼ばれる性別がある。
本能性は男女二種類しかない肉体性とは違い、三種類。
もっとも一般的なβ型。
カリスマ性と強靭な肉体、常人以上の保有魔力量、多彩な才能に恵まれるα型。
三ヵ月に一度強い発情フェロモンを発して、嗅いだ者を無差別に発情させるという厄介極まりない発情期があり、肉体性に関係なく妊娠出産が可能なΩ型。
その本能性においてもう一つ特殊なのが番の存在だ。番とは、発情期中のΩ型のうなじにα型が噛みつくことで成立する、理不尽で一方的な主従契約のこと。
それが自分の身に降りかかるなんて冗談じゃねーよ。
三ヵ月に一度の発情期だって地味に命懸けだし、働くのにも支障が出る。そもそも発情期に出るフェロモンだって好きで出してるわけじゃねーのに「誘ってんだろ」とか決めつけられて、知らねーおっさんに触られたことがある。マジ、クソ。
ロクなもんじゃない、Ω型なんて。
ちなみに母は、この国の王、ルイス・エーテンヴァーに見初められた、『王の番』だ。
本来なら母さんのような『王の番』は正妃に迎えられ、寵妃としてなに不自由ない暮らしが約束される――……はずだった。
しかし母が出会った頃、既に国王は隣国から妃を娶っていた。
その妃を正妃とするのは、隣国への義理立てである。
母はその事情を理解した上で、父との結婚を受け入れ、平民出身に妃は務まらないからと市井に残ったまま俺を育てた。
週に一度の面会以外は、正妃たちからの妨害もあって父には会えない。王の番が入るべき離宮にも入れない。
母のすごいところは、そんな状況で国王からの護衛もなにもかもすべて断ったところだろうか。
王位継承権絡み以外でも危ない目には遭ったことはもちろんゼロではない。
とはいえ俺達のいる地区はΩ型しか住めない地区で、比較的巡回兵も多いし、高い塀に囲われて隔離されているから、まあ、まあというところだ。
「それにしても、あの人も気合を入れてくれたものねぇ」
「……まぁね」
母が見上げたのは親父が用意した俺の店だ。
王位継承権を放棄し、二度と王室に関わらないと決めた俺に、親父が『どうしてもなにかさせてほしい』としつこく懇願するものだから、俺は「自分の店が欲しい」と言った。
ずっと憧れていた、冒険者のための酒場宿。
冒険者を相手に商売しようと思った理由は単純だ。冒険者が集まる場所がΩ型の街にあれば、その場所の治安が多少なりともよくなる。
本当は、自分が冒険者になりたかった。
自由にこの世界を見て回りたかった。魔物と戦って、誰も立ち入ったことのない場所を調べて、レア素材を手に入れて人の役に立って、認められて――
でも俺はΩ型だ。
定期的に訪れる発情期があるから遠出は難しいし、肉体性が男であってもΩ型は小柄で力がないことが多い。
どう頑張ったって、Ω型である自分は冒険者にはなれないから……せめて、この夢を叶えたかったのだ。
まさかここまでしてくるとは思わなかったけど。
俺も母の視線に合わせて、ぎっちぎちに食料が詰まった棚と磨き上げられたカウンターを眺める。
「マジで店の中の備品も食品も必要なもん、ぜーーーんぶ揃えてくれちゃってさぁ」
「ふふふ。せめてもの、なのでしょうね。それに店が軌道に乗るまでの五年間はお金を融資してくれるんでしょう?」
「うん。でも……なんかなぁ」
「この辺りの治安向上費用、ってことでありがたくもらっておけばいいわよ」
「うん……」
従業員はΩ型地区で職にあぶれてる奴らを適当に誘おうって、軽く考えてたけど、結構な規模の建物を建てられてしまった。
まさかの三階建てだ。従業員の部屋まであるし、十人は雇わないときつそうだな。
呑気に言う母に頷きながらそんなことを考えていた時だった。
「失礼いたします」
「はい!」
声と共に、こんこん、と玄関扉がノックされる。
開けっ放しだった観音開きの扉だ。それでもわざわざノックするなんて、随分真面目な奴だな。約束していた薬屋の新人か?
そう思って振り返り、素っ頓狂な声が漏れた。
「は?」
だってあり得ない。
俺の目の前に立っていたのは、こんな場所にいるべき人間ではなかった。
俺でも――いや、この王都で、その男の顔と名前を知らない者はいないだろうほどの人物。
「な、なんであんたが⁉」
「私のことを、知っていてくださったのですか?」
「いや、そりゃあ、だって有名人だから……」
「身に余る光栄です」
目の前で銀色の髪がふわりと揺れて、男は正式な騎士の礼を俺に向けた。ついで男の青の瞳が俺を映す。その眩さに思わず目を瞠ったが――大袈裟すぎんだろ! いや、それよりも。
「なんでこの国の英雄がお供もつけずこんな場所――Ω型地区にいるんだよ!」
目の前に立っていたのはノア・グランデ。この国の英雄だ。
俺も何度か王城内でこの男を見たことがある。スタンピードという魔物の大発生を二度も抑え込み、王都や街を守り、とある偉業すら成し遂げた男。
加えて銀髪青眼の整った容姿を持ち、今や騎士団の次期団長と名高く、この国最強の剣聖で国中の女とΩ型が憧れるα型! なんでそんな奴が、歓楽街の真横のΩ型地区にいるんだ⁉
するとノア・グランデは優雅な笑みを口元に浮かべて言った。
「騎士団は辞めました」
「……なんて?」
「騎士団は辞めました。本日から王命によりシオン様とエニス様の護衛、兼、こちらの酒場宿の従業員として働かせていただきたいのです。どうぞよろしくお願いします」
丁重に頭を下げた国の英雄。
でもうん、待って? なんて? 今、この男なんて言った?
「え? や、や、や、やめ、やめ、辞め……?」
「はい、騎士団は昨日付で辞めました!」
聞き間違いではなかったようだ。
いや、なにサラッと辞めてんの?
次期騎士団長で、剣聖で、この国の英雄が――騎士団を、辞めた?
辞めて、え? うちの従業員? 俺と母さんの護衛?
「はあああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――⁉」
今こいつなんて言った⁉ この国の英雄が? ここで働く? 騎士を辞めて……へ? 護衛兼従業員って……! く、国の大損害じゃねぇかあぁぁ⁉
「そ、そんなの!」
「私自身が望んでいることです。それに、先ほども申しました通り、王命でもあります」
その言葉に思わず顔が引きつる。王命、ということは主犯は国王、つまり俺の親父じゃねーか。なに考えてんだあのアホ⁉
この国の英雄であり剣聖を、こんなΩ型地区にある冒険者の酒場宿なんかで働かせようだなんて国防を蔑ろにしていると言われても仕方ないぞ。
それにこんな誰でも知ってる有名人を店で働かせるとか、悪目立ちするに決まってるだろう!
「わ、悪いんだけど……」
断ろうと思ったが、言葉が続かない。王命は断れるものではない。仮に断れたとしても、それによってこの男の立場が悪くなりそうだ。
α型の野郎なんか嫌いだけど、ノア・グランデは王都を守った英雄だ。つまり、間接的には街ごと俺たちを守ってくれたということになる。直接話したのは初めてだが、城で王族を守るいけ好かない専属騎士と違って、騎士と聞いて想像するいかにもな『騎士』って感じだったし……
考え込んでいると、背中にきらきらと光を浴びたノア・グランデはにっこりと微笑んだ。
「シオン殿下――いえ、今はオーナーでしたね。……オーナー、私は貴方を一目見た時から運命を感じていました。だから以前、国王陛下から褒美を尋ねられた時に、貴方と話す機会をねだったのです」
「え⁉」
「ですがその機会をいただく前に貴方が王位継承権を放棄し、今後は平民として暮らしていくと聞いたので、私を貴方のお側に置いてほしいと陛下にお頼みしました」
「はっ⁉」
なんて⁉ いやいや待て待て! ちょっと情報が多すぎる。
整理させろ。この国の英雄ノア・グランデが今俺の目の前にいるのは王命だ。
だけど、ノア・グランデ自身が元々俺に興味があった?
「そ、それは、まさか、俺がΩ型って知って――?」
「どうでしょう? 以前城からお帰りになるお姿をお見かけしただけですが、その時に、こうビビビッと来まして。それから登城する機会がある度、シオン殿下のお姿を探すようになり――なので、本能的にシオン殿下を『運命の番』だと感じていた、とは思いますが……」
「っ……」
ノア・グランデは身振り手振りで説明してくるが、俺は頭にはてなマークを浮かべていた。
だってこいつはこの国の英雄だ。
確かに有名なα型だけど、俺に運命? なに言ってんの?
「……あんた『運命の番』とか信じるタイプだったんだ……?」
「はい! すごく信じるタイプです! 夢占いとかも参考にしちゃうタイプです!」
意外と乙女趣味なのか。いや、俺もそこそこ長く歓楽街近くで生きてきたから、乙女趣味も占いも否定する気はないけど。
でも、それと『運命の番』は話が少し違う。
『運命の番』とはα型とΩ型にのみ成立する『番契約』の伝説だ。特別で――世界にたった一人しかいない、出会ったらすぐ分かる究極の相手。
そもそも番契約はΩ型にとって一種の賭けに等しい。α型が発情期のΩ型のうなじを噛むと契約が成立し、番になる。
するとΩ型は発情期がきても、それまでのように『誰でも発情期と分かる匂い』を発しなくなる。番のみが、己の番の発情期を感じ取れるようになるのだ。
だが、その契約はα型からしか解除できない。その上解除されればΩ型は死ぬ。なんでも番契約はΩ型の体の在り方を変えてしまうため、その契約が解除されると、Ω型の精神と体は本当にぶっ壊れてしまうらしい。
例えば強姦されてこちらの理性が飛んでいる間に、勝手に番契約をされ、遊び半分で契約を解除されることで毎年Ω型の数人が死亡している。
この国はこうして塀に覆われた中でΩ型が暮らしてるから、他の国や街よりはまだ死亡者が少ないけど、それでもだ。
そんな一生に一度の命懸けの賭けみたいなものの中で、『運命の番』――生まれながらに定められた、魂の相手が存在するなんて俺は信じない。
目の前の男に抱いていた尊敬だとか感謝の気持ちが、薄れていくのを感じる。そんな噂紛いに踊らされるような男だとは思っていなかった。
そんな夢物語を信じてΩ型の人生振り回そうって?
Ω型に興味あるって、つまりヤりたいだけだろう? 気持ち悪い。
俺を淫乱なΩ型と罵る正妃や王子たちの姿がよぎり、そんな本音が思わず滑り落ちる。
「ふうん。でもあんたみたいなα型がΩ型地区側にいるのは困るんだけど。強いα型はΩ型の発情期を誘発するっていうしさぁ。この地区の中には、番のいないΩ型も多いし。それともあんたはΩ型のことは、なんとも思ってないタイプの人なの?」
だとしたら、国の英雄が聞いて呆れる。
そりゃ強いα型はΩ型には憧れで、人気で、一種の夢だ。
だが、そういう質の悪いα型なら、いかに英雄といえどお断りだろう。
少なくとも俺はお断りだ。
運命? ちゃんちゃらおかしい。
自分の命を他人に握られるのが、どれだけ危険で曖昧で恐ろしいか……。α型のこいつには到底分からないだろう。そう思ったのだが。
「そのようなα型がいるのは存じております。でも私はそのようなα型に成り下がるつもりはありません。ですから」
ノアは俺の言葉を聞くと、胸に手を当てたまま膝をついた。
図体のでかい男が俺の目の前で跪く姿はまさしく、騎士そのもの。
「シオン様に信じていただけるよう、まずは私の働きをご覧ください。足りないところはご指摘いただければ直します! 必ず貴方の番に相応しい男になってみせますので!」
「っ……」
な、な、な、なっ……!
あまりにもストレートな言葉にくらくらする。
「ほほほ本気かよ! お、お前騎士団の出世頭だろ⁉ 酒場宿の従業員になってまで、俺なんかを番に望むとか! 俺はもう王子でもなんでもないんだぞ!」
「関係ありません! 私が望むのは貴方の心です!」
「~~~~~っ!」
青い瞳の輝きに押されて黙り込むと、ふふふ、と笑う母さんが俺の肩を叩いた。
ああ、ああ、言わずとも、分かるわ。
これは、なにを言っても無駄だ。
『運命の番』なんて信じない。それを信じているこいつもあまり信じる気にはなれない。
でも、そう言って跳ね除けるには、あまりにノアが眩しかった。
「…………分かったよ……でも、従業員としてであって『運命の番』どうこうはまだ信じた訳じゃないからな!」
「はい! それで充分です! ありがとうございます!」
なんかとんでもないことになってしまった。
俺は溜息をついて、ノアをドアの内側に招いた。
「まずは、じゃあ……メニュー表書いてくれるか? 俺、字があんまりうまくないんだ」
「もちろんです!」
木板と木炭のペンを手渡す。
あれ? でも、そういえばノア・グランデって平民出身じゃなかったっけ?
平民出身で成り上がり、英雄と呼ばれるようになったからこそ、人気が高いのだ。
カウンターのテーブルで酒や料理名と値段をスラスラ書いていくその手元を覗き込む。
めちゃくちゃ読みやすい、綺麗な字。
やっぱり平民出身なんていうのはただの噂で、貴族の生まれなんじゃないか? そう思いつつ揶揄含みで聞くと笑顔が返ってきた。
「読みやすい字だな」
「先輩や上官に反省文や書類仕事を代筆する機会を多くいただき、たくさん練習いたしました!」
「……あ、そぉ……」
押しつけられただけの仕事を喜々としてこなすノアの姿がなんとなく思い浮かぶ。
それは、さぞや同僚や上官は裏で苦虫を嚙み潰した顔をしていたことだろう。
だが、この嫌がらせもものともしない精神は、ちょっとだけ好感が持てた。
第1章 再就職した英雄と雇用主
さて思わぬ従業員を雇うこととなって数日、俺の冒険者酒場宿は無事開店日を迎えた。
一階、玄関を入ってすぐのところに宿の受付カウンター。
受付カウンターの横に、二階部屋への階段。
二階は端の方から一人部屋が六部屋、二人部屋が四部屋、三階は三人部屋が四部屋、四人部屋が二部屋、六人部屋が二部屋。隣接するように二階の渡り廊下から別棟に入ると従業員の部屋。
別棟一階には食堂と大浴場があり、本棟の玄関左にある間口をくぐれば酒場だ。
酒場は宿屋に隣接する形で、外からも入れるようになっている。
席は十席。注文の度に料金をいただく。料理はつまみのみで、飯が食いたければ別棟一階の食堂を利用してもらう。食堂も酒場と同じく注文の度に支払いをしてもらう方式とした。
大風呂は宿利用者のみ無料開放。風呂のみを希望する場合は別料金となる。なお、従業員には別棟二階に従業員用の風呂があるので、好きな時間に入ることが可能、ということにした。
ついでに言うと――
「助かるよ、シオン」
「気持ちよかった~」
「いいっていいって。今までΩ型地区に公共の風呂ってなかったもんなー」
Ω型地区の住人には従業員用の風呂をひっそり無料開放している。
まあ、一応時間は昼間のみにしてるけど。泊まり込みの従業員部屋には風呂とトイレがついているから、ノアには自室の風呂を利用してもらうことになった。あまりにも目立つので。
当のノアはとんでもなく張りきった様子で、すでに店の前で立っている。
キラキラとした目しやがって。店のエプロン与えただけなのに、そんな喜ぶ? 見ろ、あまり子どもみたいにワクワクしてるから、ノアを見て従業員どもがにやにやしている。
「まさか国の英雄が同じ屋根の下とはね~。口説いていい?」
「いいんじゃねぇの。国の英雄がお前のこと相手にするかは分かんねーけど」
「なにそれ~、オーナーってばヨッユ~~~」
「そういう意味じゃねーよ‼」
うちの従業員たちは基本的にこの地区に住むΩ型ばかりだ。
男も女もいるが、比較的女の方が多く、今は娼館からも何人か手伝いに来てくれている。それはひとえに、俺と母が世話になった人に女性が多いからだ。
突然Ω型地区を訪れた俺と母を、彼女たちは笑って助けてくれた。泣きながら王城から帰ってくる俺と母を何度も抱きしめてくれた。
そんな彼女たちも、仕事を終えて泣いていることがある。
Ω型は三ヵ月に一度発情期があるから、定職に就くことがまず難しい。
ならどんな仕事ができるのか、というと、Ω型地区は王国の歓楽街――いわゆる娼館通りに隣接していて王国内でのΩ型は身体を売ることが当然とされている。
実際のところ、それが楽っていうのもあるらしい。
特に発情期中は、客を途切れさせなければ体の充足感が得られる。発情期用の抑制剤はあるものの、所詮対症療法なのでなんの解決にもならないのだ。
ちなみに客を取らないなら、Ω型地区の中心にある『塔』――発情期のΩ型専用の場所に行って隔離部屋で閉じこもり、張り型と共に過ごすのが一般的だ。
俺も初めて発情期になった頃から世話になっている。
でも、いずれ張り型では体が満足できなくなるそうだ。俺はまだ若いし、『本物』を知らないから我慢ができている、らしい。そういったことも含めて、自らの体を売って生活しているΩ型は多い。
そんならそれで『本物』なんか知りたくねぇ、と思う。
なんにしてもだ。歓楽街に程近いここの宿は、冒険者たちの癒しになるだろうし、娼館のお姉さんたちに宣伝を手伝ってもらえる。
身を売って、必死に生きながらも俺たちに手を差し伸べるほどの優しい彼女たちが、少しでも心休まる場所になればいい。
「…………」
わいわい騒いでいる従業員たちの姿を見て、ひっそりと思い出す。
冒険者になりたい。世界を見て回りたい。小さい頃俺はそんな風に思っていた。
昔から負けず嫌いだったから、剣の練習もした。
けど剣を振れば振るほど、そういう体ではないと思い知った。
鍛練すればできるようになると信じていた俺は、Ω型地区に遊びに来た冒険者たちに剣を教わり、魔法を教わった。それでもあまりに上達しなかった。その時に言われたのだ。
『Ω型の冒険者は本当に少ない。でもそれは仕方ないことだ。今最前線で活躍しているΩ型の冒険者は、Ω型だから強い人たちだ。でもΩ型みんながみんな、あの人たちみたいに強くはならない。あの人たちは特別なんだ』
Ω型だから強い人たちがいる。
それは小さい頃のわずかな希望だった。
でも、だんだんとそれは諦めるための言葉に変わった。
生まれつき高い能力を持ち神に愛されたΩ型の冒険者たちは、俺のようなごくごく普通のΩ型とは、はなから体のつくりが違う。
俺は――冒険者にはなれないΩ型だった。
早い段階でそれを悟ったおかげで、俺は生まれ育ったこの場所で生きていく決意ができたから、まだ運がいい。
そう思ってずっと、冒険者と関われる仕事に就くことを目指してきた。俺とそしてΩ型地区の人たちにも益となる、この地区に今までなくてあったほうがいいもの。
考えた末にたどり着いたのが、冒険者のための酒場宿だ。
Ω型の人口はα型よりも少なく、現在Ω型地区にいるのは百人にも満たない。
母さんが陛下の『王の番』になったおかげで、俺が生まれる少し前に、ようやくΩ型地区に病院が建てられた。それで性病の治療薬を誰でも買えるようにはなったから昔よりずっといい環境になっているらしい。
それでも三ヵ月に一度の発情期が来ると、番のいないΩ型の人間は『塔』と呼ばれる建物の中に隔離されるか、開き直って春をひさぐかを選ぶことになる。三ヵ月に一度とはいえ、隔離される期間を自分では選べないのは大変厄介だ。
そんなΩ型として生まれたせいで行き場を失った人間が、ここ――Ω型地区の娼館通りに多く集まる。β型やα型のような生き方が絶望的な俺たちにとっては、そういう場所がどうしても楽、って話。でも、それを望んでいない人間だっているはずだ。
だから満足はできない。俺はもっとこの地区を住みよい街にしたい。
冒険者がもっと気軽に立ち寄れて、なんなら泊まるところがあれば……そう思って、ここを開いたのだ。とはいえまさか国で一番有名な英雄騎士が従業員になるとは思っていなかったけど。
俺は娼館の綺麗なお姉さま方に囲まれるノアを見つめた。
するとすぐにノアの視線がこちらを向き、周りに軽く礼をしてから俺のところに走り寄る。
「シオン様」
「うっ……な、なんだ」
「本日から開店、なのですよね?」
「そ、そうだけど。どうかしたのか?」
「……お客様への告知や宣伝や呼び込みはなさったのでしょうか。その、開店から誰一人冒険者のお客様が来られないので、気になったのですが……」
やってない!
すうっと血の気の引く感覚に、思わず頭を抱える。
「まさか宣伝をお忘れ……」
「忘れてたっ」
勢いよく顔を上げると、思いのほか近い位置にノアの顔があって慌てる。
ノアは全く気にした様子もなく、俺の肩をその大きな手で掴んで、大通りを指した。
「す、すぐに宣伝に向かいましょう! とはいえあまりやりすぎますと地区外の商売敵に睨まれますから、Ω型地区の入り口で行うとよいかもしれません」
「……っ! そ、そうだなっ」
ノアの言葉に内心舌を巻いた。
ここに住むΩ型、そして娼婦の姉さんたちのためにも、これ以上Ω型地区の印象を悪化させるような喧嘩腰の商売はできない。幸い冒険者の中には娼館目当てでこの通りに来る奴も多いし、入り口で宣伝すれば多少の客は見込めるだろう。
α型のノアがそんなところまで気にかけてくれるとは思わなかった。俺が大きく頷くと、ノアはわずかに微笑みを浮かべて続けた。
「あとは冒険者ギルドに貼り紙を貼らせてもらいましょう。貼り紙程度なら地区外の宿屋や酒場も目くじらを立てることはないはずです。ギルドへの貼り紙はどこもやっていますからね。この建物にも看板を設置してもいいと思います。あ、ギルドへの貼り紙は私が参りましょう。シオン様はΩ型地区の皆様に顔が利くと思いますから、地区内の宣伝はシオン様が自ら行われた方がよろしいかと」
「分かった、任せる」
「はい!」
気のせいか? 幻覚か? こいつの頭に犬の耳と背後に全力でフルフル動く尻尾が見える。やばい、俺疲れてんのかな?
「じゃあまずは宣伝用の貼り紙を作りましょう!」
「そ、そうだな」
しかしやはり国を救った英雄が目の前にいることに違和感が半端ない。
あと、ノア・グランデという男のイメージがどんどん崩れていく。
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