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3章
黄色いもふもふとお寝坊さん 2
しおりを挟む「ホンッッッットにごめん! ごめん! わざとじゃないんだ! 通報しないでください!」
「わ、わかってます。寝言でキィルーの名前を呟いていましたし……」
土下座である。
確かにお巡りさんがとんだ大失態だ。
この世界の成人年齢は十八歳。
涼ももうすぐその年齢ではあるが、暦も違うのでいつ十八歳になるのかと言われるとなんとも言えない。
なので、フィリックスは未成年の女の子を同意もなくベッドに引きずり込み、抱き締めてしまった――という文字に起こすとお巡りさんとしても成人男性としてもアウトすぎるやらかしをやらかした状況。
何度も謝りながら額を床に打ちつけるので、血が滲み始めている。
「ちょ、ちょっと、本当に大丈夫です。びっくりしただけなので! おかき、フィリックスさんのおでこを治してあげて」
「ぽんぽこーん」
「そんな! そこまでしてもらうわけには!」
「いえ、あの、本当に、き、気にしませんから……」
それは思い切り嘘だ。
難しいに決まっている。
フィリックスのことは安心して接することのできる、大人だと思っていた。
しかしさすがにあんなことをされては、大人というよりは「男の人だったのだ」と思ってしまう。
そんな当たり前のことを、認識することもなく平然と、相手は警騎士だから、この世界のお巡りさんだからと安心し切って部屋に入るのが普通になっていた。
ここは独身男性の、一人部屋。
忙しすぎて彼女もいない、男の部屋だ。
そう思えば急に顔が熱くなる。
こういうのを“迂闊”というのだ。
「っ……なにか、お詫びを……あ! そうだ、明後日! 休み時間を長めに取って、ケーキパーラーカブラギの新作ケーキを食べに行こう! 奢るから!」
「え……ケーキパーラー、カブラギの……新作、ケーキ……!?」
衝撃が走る。
ケーキパーラーカブラギとは――飲食店街のケーキ屋で不動を誇る最高級ケーキ店。
パティシエールカブラギという、【鬼仙国シルクアース】出身の仙女が作る芸術的なケーキが頂点に君臨する、甘味好きなら一度は食べてみたい大人気店。
「で、でも、ケーキパーラーカブラギさんは予約を取れないことでも有名ですよ。そんな、明後日だなんて……どうやって……」
「えーと、正式にはお持ち帰りで……?」
「お持ち帰り!? そんなの無理ですよ、予約しても一ヶ月待ちが普通なんですよ!? 今日予約しても買えませんよ!」
「いや、その……カブラギさんとは知り合いなんだ」
「!?」
「彼女流入でこの世界に来た人なんだけど、おれがキィルーに出会ったのは彼女がこの町に来たばかりの頃、途方に暮れていた彼女のケーキを褒めたからなんだ。話すと長くなるんだけど……」
フィリックスの話を聞くと、出会ったばかりの頃のキィルーも流入してきた召喚魔で盗みばかり働く悪猿だったという。
同じく流入召喚魔のカブラギは、仙女としての力を失い途方に暮れているところ、この世界の英雄アスカが「食べたい」と言って開発が始まったばかりのケーキを食べて天啓を受けた。
自分でももっと美味しいケーキを作りたい、と試行錯誤始めたカブラギは『甘露の森』の果物に目をつける。
しかし、カブラギが苦労して収穫した果物を、掻っ攫う悪猿。
当時魔力があり、適性検査を受けたばかりのフィリックスは「自分には召喚警騎士になる才能がある!」と怖いもの知らずに正義感の赴くまま困っていたカブラギに声をかけ、悪猿と取っ組み合いの喧嘩をした。
なんとその喧嘩で、お互いをわかり合い、相棒となったという。
カブラギはそれを見届けて立派なパティシエールになることを二人に誓い、フィリックスとキィルーも立派な召喚警騎士になることをカブラギに誓った。
「えええっ、そんなに前から知り合い……!」
「うん、まあ。それで、一応新作のケーキはいつも食べさせてもらえるんだ。お願いしてリョウちゃんとおあげとおかきの分も追加で作ってもらえるよう、頼んでおくよ。だから大丈夫」
「っ、じゃ、じゃあ……本当に……ケーキパーラーカブラギの、新作ケーキが……?」
後退りする涼。
あの、高級人気店の、新作ケーキを――食べられる。
店内ではないとはいえ、予約一ヶ月待ちで新作が食べられるのは次の新作が出た頃と言われている、あのケーキパーラーカブラギの。
「……だ、だめ、かな?」
「た、食べたいです……」
「よかった。じゃあ連絡しておくよ。明後日受け取りに行く日だから、一緒に食べよう。……他の人に見られると困るし、その、俺の部屋でも大丈夫かな?」
「それもそうですね。わかりました、何時頃ですか?」
「三時頃でどう?」
「わかりました!」
不動の人気店の、新作ケーキ。
フィリックスの言う「他の人」とはミルアやスフレ、召喚警騎士団の貴族たちのことである。
うっかり見られでもしたら、とても落ち着いて食べることなど叶わないだろう。
「わぁ~、憧れのケーキパーラーカブラギの新作ケーキ……本当に食べられるんですね……!」
「うん、約束するよ」
「ウキィ! ウキキッキキッ!」
「あ、ああ、そうだな。着替えて出勤するとするか」
キィルーがテーブルの上に乗って、両手を上げる。
早く着替えて出勤しろ、と言っているのだ。
今日は思いの外早く起きられたし、寝坊が筋金入りのフィリックスを起こすのに一、二時間は余裕でかかると早めに起こしに来たので時間は余裕だ。
「お弁当、朝の分食べて行きますか?」
「そうか、そんな時間があるのか。じゃあそうしようかな。リョウちゃんは、すごく早起きしてお弁当作ってくれたんだな」
「ふふ、昨日の時点でほとんど作っておいたから、詰めるだけですよ。あ、コーヒー淹れますね」
「あ、もしかして今話題の?」
「はい! 栗の渋皮入りです」
勝手知ったる他人の家。
フィリックスが身支度を整えている間にコーヒーを淹れる。
栗の渋皮入りコーヒーは最近ユオグレイブの町で、話題沸騰中なのだ。
北のスラムで皮を剥いでもらい、そのままそこで加工も行ってもらう。
レイオンが出資して小さな店舗を拵えたおかげで、飲食店街のバイヤーが仕入れに訪れるようになった。
少しずつ、スラム街の治安もよくなるかもしれない。
本来ならばスラム街の治安改善は貴族や町長の仕事だ。
レイオンが自身の懐を開けてまで行うべきことではない。
しかし、そこはさすがに英雄の師。
惜しむこともなく、最近は「商売に必要だろう」と冒険者を雇って計算も教えに行っている。
そのおかげで栗の渋皮入りコーヒーは安定生産ができるようになってきており、こうして涼にも手に入るようになった。
浴室の洗面台から出てきたフィリックスはそのまま脱衣室で制服に着替えて、部屋に戻ってくる。
電子レンジで温めたお弁当と、淹れたてのコーヒーをテーブルに置くと瞳を輝かせて「わあ! あったかい朝食マジで久しぶりすぎる!」と満面の笑顔。
そんなに喜ばれると、作った甲斐がある。
テーブルの前に座ったフィリックスがキィルーとともに「いただきます!」とお弁当を食べ始めるのを眺めて、涼もニコニコ嬉しくなってしまう。
「ん~! 美味しい~!」
「ウキキ、ウキッ」
「この玉子焼き本当に美味しいよ!」
「よかったです。さすがに毎回は飽きるかな、と思って今日は出汁巻玉子にしてみましたけど、甘いのとどっちがお好きですか?」
「どっちも好き! っていうかリョウちゃんが作ってくれるお弁当なんでも美味しい。毎日でも食べたい」
毎日、と言われてふと、先程のベッドに引きずり込まれた時のことを思い出してしまう。
涼が黙ったことにフィリックスも顔を上げて、ハッとした。
「いや! あの! へ、変な意味は! ありませんので!」
「は、はい! あの、ちゃんとわかってますので!」
謎にお互い敬語になる。
なんとも言えない、奇妙な空気。
そのあとは無言が続く。
「ごちそう様でした」
「あ、はい。お粗末様です」
数分後、空になったお弁当箱が差し出された。
本当にいつも綺麗に食べてくれる。
ついはにかむと、フィリックスが目を細めて微笑む。
「本当に美味しいんだよね、リョウちゃんの作るご飯」
「あ、ありがとうございます」
「ウキっ!」
「キィルーも全部食べてくれてありがとう」
自分も全部食べたよ、と両手でからのお弁当箱を持ち上げるドヤ顔のキィルー。
可愛い。
朝ご飯分のお弁当を回収し、昼ご飯分のお弁当をフィリックスに持たせる。
「久しぶりに遅刻とは無縁の時間に出勤できる……今日も起こしてくれて、本当にありがとうね」
「いえいえ、気をつけて行ってきてくださいね」
と、言うと玄関の前で立ち止まるフィリックス。
少しだけ困った顔。
首を傾げる涼。
「フィリックスさん?」
「あ、あのさ、ちょっとだけ、我儘を言ってもいいかな……?」
「え?」
照れくさそうに振り返って、頬を掻くフィリックスがそんなことを言い出す。
フィリックスの肩にキィルーが飛び乗り、涼の肩におあげとおかきが左右に乗る。
「おれが先に出るから、その……リョウちゃんに『行ってらっしゃい』って言ってほしい……なー……な、なーんて……」
と、言われてハッとする。
一人暮らしの、男の人。
元の世界で、涼も似たようなものだった。
両親は基本的に家に帰ってこない。
どこかに浮気相手との、愛の巣があるのだと思う。
あの広い家は、世間体のためだけの涼の家。
誰かに行ってらっしゃいと言われたのは、中学の最初の頃までだろうか。
当然、お帰り、も。
それがどれほど寂しいことなのか、涼は知っている。
「……いいですよ」
「え、いいの!? 自分で言うのもなんだけど、結構変なこと頼んだと思うんだけど……」
「はい。言われてみたい気持ち、わかりますから――」
「――っ」
目を見開かれた。
そしてすぐに、赤い顔でなんとも言えない表情をされる。
嬉しいような、恥ずかしそうな。
背を向けたフィリックスが玄関のドアを開けるので、立ち止まって息を吸う。
「行ってらっしゃい」
息が止まる。
玄関を出たフィリックスの背中が、停止したような。
(もし、私も誰かに『行ってらっしゃい』って言ってもらえたら――同じ気持ちになるだろうな)
最近はリータに「気をつけてね」と送り出されることも増えたけれど、それでもやっぱり「行ってらっしゃい」はどこか憧れがある。
ゆっくり、振り返るフィリックスが「行ってきます」と呟く。
ほんの少しだけ泣きそうな表情に、微笑みかける。
「ありがとう」
「いえ」
「なんか、『お帰り』も言ってもらいたくなるなぁ」
「わかります……でもそれはちょっと時間が合わないと難しいですねー」
「ははは、だよねー」
と言ってフィリックスの部屋から出る。
フィリックスが鍵をかけなければならないので、涼がいつまでも部屋の中にいるわけにはいかない。
「忘れ物はないですか?」
「うん、財布もお弁当も持ったし、大丈夫。本当にありがとうね」
「いえいえ。それじゃあ、また明日もお弁当作ってきますね」
「うん、よろしくお願いします!」
アパート前までフィリックスたちを見送って、涼は息を吸って吐く。
さあ、次はいよいよ冒険者教会で冒険者に登録だ。
「よし! ……その前にお弁当箱を食堂に置いてこようか」
「コン!」
「ぽこー」
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