9 / 112
1章
再会とファーストキス
しおりを挟む「よお、姉ちゃん。待たせたなぁ!」
「え?」
店のショーウィンドウにはかからないよう、端の方にいたせいなのか。
黒い服、サングラスをかけた男がニヤニヤと笑いながら近づいて来た。
ひゅ、と喉が鳴る。
「こっち来いや」
「あ、い、嫌……」
「い・い・か・ら・来・い・や」
「っ……」
手首を掴まれ、無理やり引っ張られた。
そのまま細い道を連れ回され、気怠さが強くなっていく。
まずい。
この男、おそらく洞窟の中にいた黒いマントの仲間だ。
声に聞き覚えがある。
「おらぁ!」
「きゃあっ!」
倉庫街に連れ込まれ、一つの倉庫の中へと放り込まれる。
ドアを閉められて倒れたまま髪を掴まれて奥へ奥へと引き摺られた。
「い、痛い……痛……!」
「おい! この女縛り上げとけ! アニキに連絡してこいや!」
「タックさん、勝手なことしていいんですか? 若は手を引くと言ってましたよ」
「ウッセー! 舐められたままで引き下がれっかっつーんじゃ!」
倉庫の中には十人ほどの黒いスーツの男たちがタバコを噴かし、カードゲームで遊んでいたりしている。
落ち着き払った彼らへ、涼を連れて来た男――タックは癇癪を起こした子どものように叫ぶ。
話から察するに独断のようだ。
「この女をダロアログに売りつけて、追加料金がっぽりもらえりゃアニキも機嫌直すだろ!」
「し、しかし……」
「口答えすんじゃぁねえ! 早くしろ!」
「は、はい」
仲間の一人がロープを持って、涼に近づく。
しっかり縛り上げられると、地面に転がされる。
スマートフォンのような通信端末で、あの“アニキ”とやらに連絡を取り始めた。
しかし通信機の向こうからは「なにやってんだバカ! 勝手な真似すんじゃねー!」という怒声。
タックはそれについて、必死で弁明している。
喋りながら涼の周りをうろうろと歩くので、会話の内容が筒抜けに聞こえてしまう。
(ん?)
その時、見上げていた倉庫の天窓に人の影が見えた。
気のせいではなく、逆光で見えづらいなか人が落ちて来た。
ギョッとする。
白い――マント。
「不用心だと思わなかったのか?」
「てめっ!?」
「ここは俺が教えた隠れ家だぜッ!」
「うがぁああああ!」
涼の側にいた男がナイフを取り出して涼を持ち上げるより先に、タックの首を掴んで着地した白いマントの男が放り投げる方が早かった。
近くにいた男ごとタックが壁際にあった木箱を破壊して沈む。
なんという怪力。
タックも190センチはある、かなり筋肉質な男だ。
それを軽々壁まで八メートル近く放り投げるとは。
「痛っ……て、テメェ~!」
「アッシュは舎弟の躾がなってないな。甘やかしすぎじゃないのか? 人に甘い甘いという割に、テメェは身内に甘いじゃねえか。ククク」
「ア、アニキをバカにすんじゃねぇ!」
ガラガラ木箱の破片を押し除けて、出て来たタック。
涼の側にいた男がクッション代わりになったのだろう、存外ピンピンしている。
「その“アニキ”は俺を敵に回すことがどんなに馬鹿馬鹿しいことなのか、ちゃんと教えてくれなかったのか? 俺はな、俺より弱いやつには三回チャンスを与える。お前には二回目の忠告だ。次が最後になる。今手を引けば二回目のカウントは取り消そう。……消えな、雑魚」
「ふざっけんな! 誰が!」
『よせ! シド! ソイツは俺が躾ておく! 手ぇ出すんじゃねぇ!』
倉庫奥にいた男たちの側に落ちている通信端末から、灰色の髪の若い男の声が聞こえてくる。
こちらの声も彼方に届いているようだ。
それを聞いた白いマントの男が「あははは」と笑い出す。
「マジかよ、お前。アニキに無断で勝手に動いて失敗して、そのケツまでアニキに拭いてもらうのかぁ? なに、お前裏の世界に来て一週間目かなんかなの?」
「ぐっ! ぐっうううう! ぶ、ぶっ殺す!」
「はぁ……。下っ端からやり直しな」
溜息を吐いたあと、襲いくる巨漢に身を屈めてその腹へ向けて拳を叩き込んだ。
それは涼が、あの召喚された日に大男から食らった腹へのパンチより強力だった。
再び壁に積み上がった木箱へと吹き飛ばされ、粉砕して白目を剥いて気絶したタック。
それをした白マントは、涼しい顔で姿勢を正した。
「おい、テメェらアッシュにソイツ二度と俺の前にツラ見せるなっつっとけ。次俺の邪魔をするようなら殺すぞ」
「は、はい」
おそらく本当に脅しではない。
であれば、忠告を三回もすることはないだろう。
転がされたまま見上げていた涼を振り返ると、白マントの男は涼を地面からヒョイと持ち上げる。
「わ」
「口を閉じておけ」
「は、はい」
俵のように肩に担がれて、そう言われたら口をきゅっと一本に噤む。
目まで閉じたが、浮遊感と顔面に当たる風、腹に受ける振動を考えるに正解だったように思う。
十秒ほど動いたあと「もういいぞ」と言われて目を開けた。
「わ……」
そこは、倉庫の屋根。
倉庫街が見渡せる場所。
この倉庫街を覆うように飲食店街が建ち並んでいるようだ。
驚いている間に、涼を拘束していたロープが切られた。
「あ、ありがとうございます」
「礼はいい。それよりなぜ魔力が安定していない?」
「え? ええと……わ、私、魔力はないと言われました、けど……」
「魔力がない?」
目許しか出ていない白いマントの男。
隙間からわずかに揺れる金の髪と、白緑の美しい瞳。
その目にじっと見つめられると居心地が悪い。
「ああ、召喚の儀式の最中に別な契約を結んだせいで、お前の魔力ごと封じてしまったのか」
「……?」
「そのままでは生活に支障が出るだろ」
「え、あ――」
その通りなので、「はい」と言おうと顔を上げた。
彼がなにを言っているのかよくわからないけれど、気怠さや眩暈で病院からようやく出られたのは召喚から一週間後。
他の召喚者たちに比べて、完全なる出遅れ。
だから、困ってはいたのだ。
だが、見上げた瞬間口を塞がれて一瞬なにが起きたのかわからない。
あたたかくて、柔らかくて、ほんの少し甘い。
白緑の目に映る自分の黒い瞳。
唇と顔が離れる。
「――?」
「焼け石に水だな」
なにが起きたのか。
頭がまだ混乱している。
理解が追いつかない。
(え? いま……キス……? まさか、された? 私……)
勉強漬けと、お互いにすっかり興味を失った両親を見ているので涼には恋愛の経験はない。
異性とつき合うのも、当然キスも。
夢を見ていたわけではないが、あまりにも唐突にファーストキスを失って意味がわからなくなっている。
「~~~~っ」
口を押さえて、男を見上げる。
ようやく口許の布地を外したその顔は端正に整っていた。
この世界の人間は美形が多いと思っていたけれど、おそらくとびきり完璧な配置をしている。
倉庫上の強目の風にフードが外れると、肩より少し伸びた手入れされていない金髪が散らばった。
金髪碧眼の、美男子だ。
「とりあえず生活に必要な魔力だけは確保しておくか。――エルセイドの家名にて盟約を交わせし異界の者よ、その力を今こそ示せ――稲荷狐・治化狸」
『コーン!』
『ぽーん!』
「!?」
腰のポシェットから赤い石を取り出したと思ったら、魔法陣を足下に描き呪文を唱えてなにか出した。
五十センチほどの、小さな狐と狸。
二匹とも和柄の風呂敷を首に巻いている。
「道に迷い、倉庫街の裏道で出会ったということにしろ」
「え? あ、あの」
「治化狸は人の体調を整える能力がある。常に側に置いておけ。稲荷狐はこれで六尾の大妖だ。魔力が使えないのなら護衛として連れ歩け」
「あ、あの……えっと……」
歩み寄って来た狸が、涼の腰をぽんほんと叩く。
混乱が残ったままだというのに、ずっと続いていた気怠さがスーと消えていきまた驚いた。
「あ、体が……楽……」
「……それとも、お前このまま俺と来るか?」
「え?」
腕を組み、目を細める男。
そもそも、この男はいったい何者なのだろうか。
なぜ――。
「ど、どうして、あの、そもそも……私を、助けてくれたんですか? ……た、助けて、くれるんです、か?」
もしかしたら、召喚されたあの日も助けてくれたのかもしれない。
さっきも。
そして今も。
明確に涼を、助けてくれている。
「もしかして――あなたが私をこの世界に、召喚した、あの時の……声の……」
ハロウィンのあの夜に、涼へ「誰も殺したくない」と助けを求めて来た男の人の声。
けれど、彼の声とは別のような気がする。
似ては、いるのだが。
「俺と共に来るのなら教える」
「……っ」
「だがダロアログに手を貸すのなら殺す。あのクズはまだお前のことに気がついていないようだが、アッシュ以外にも『赤い靴跡』の実働部隊はいくつもある。勘づかれれば明確に狙われるだろう」
「え!? あの、待ってください!? なんで私が狙われなきゃいけないんですか!?」
「無知は時に罪だが、時には身を守る。俺と来るのならすべてに答えるし、守ってやれる。だが、俺はお尋ね者で日陰者だ。この世界に来たばかりのお前に俺の道を共に歩めと言うのは酷であるとわかっている。だから、無理強いはしない」
「ぁ……」
フードを被り、目許を残して顔を覆う布をフードに取りつける。
顔を隠していたのは、お尋ね者だから。
そして、その世界に涼を無理に巻き込むつもりはないと言う。
「関わらずに、日の光の下で生きることもできるかもしれない。お前次第だ」
「……」
「で、どうする。俺と来るか。戻るか」
「――も、どり、たい、です」
腰が抜けたままだ。
この男と共に行く道とは、先程の男たちのようなものに関わるということ。
思い出すだけでまた震えてしまう。
それでも、助けてくれたこの男には感謝している。
キスは――さすがに色々思うところはあるけれど。
「まあ、それが無難だな。先程言ったが稲荷狐と治化狸は道に迷ったところで偶然会った、と言え。この町の召喚警騎士団ならそれで納得する」
「そ、そうなんですか……?」
「下りるぞ。そろそろ立てるか?」
「う……」
ぺたりと座り込んだままの涼の腰を、治化狸がまたぽこぽこと軽く叩く。
すると、体がまた軽くなった。
もしかして、と立ち上がると、抜けていた腰は跡形もない。
「わあ、すごい」
「抱えるぞ」
「え」
ガシ、と腰を抱かれて硬直する。
下りるとは、まさか――。
「口を閉じていろ」
「っーーーー!」
そのまま倉庫の屋根から地上に飛び降りた。
平然と降り立つが、いったいどうなっているのだろうか。
上から稲荷狐と治化狸もころんころんと落ちてきて、涼の肩に乗る。
重さはまったく感じない。
男が涼の腰から手を離し、スタスタと歩き始める。
「来い」
「は、はい。……あ、あの……そういえば、名前……」
「そのうち耳に入る」
町の賑わいが近づいてくる。
それは恩人との別れ。
立ち止まった白マントの男が涼を振り返り、あごでしゃくる。
「助けてくれて、ありがとうございます」
改めて、頭を下げるが男はなにも言わずに倉庫街の方へと戻っていく。
振り返ってその背中が見えなくなるまで見ていた。
名前は教えてもらえなかったが、彼を表す名を今日、いくつか聞いている。
シド・エルセイド。
「コンコン」
「ポコーン」
「あ、う、うん。表通りに戻ろう」
きっと忘れられない名前だ。
確信を持っていえる。
0
お気に入りに追加
47
あなたにおすすめの小説

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。



かつて私のお母様に婚約破棄を突き付けた国王陛下が倅と婚約して後ろ盾になれと脅してきました
お好み焼き
恋愛
私のお母様は学生時代に婚約破棄されました。当時王太子だった現国王陛下にです。その国王陛下が「リザベリーナ嬢。余の倅と婚約して後ろ盾になれ。これは王命である」と私に圧をかけてきました。

【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています


働かなくていいなんて最高!貴族夫人の自由気ままな生活
ゆる
恋愛
前世では、仕事に追われる日々を送り、恋愛とは無縁のまま亡くなった私。
「今度こそ、のんびり優雅に暮らしたい!」
そう願って転生した先は、なんと貴族令嬢!
そして迎えた結婚式――そこで前世の記憶が蘇る。
「ちょっと待って、前世で恋人もできなかった私が結婚!?!??」
しかも相手は名門貴族の旦那様。
「君は何もしなくていい。すべて自由に過ごせばいい」と言われ、夢の“働かなくていい貴族夫人ライフ”を満喫するつもりだったのに――。
◆メイドの待遇改善を提案したら、旦那様が即採用!
◆夫の仕事を手伝ったら、持ち前の簿記と珠算スキルで屋敷の経理が超効率化!
◆商人たちに簿記を教えていたら、商業界で話題になりギルドの顧問に!?
「あれ? なんで私、働いてるの!?!??」
そんな中、旦那様から突然の告白――
「実は、君を妻にしたのは政略結婚のためではない。ずっと、君を想い続けていた」
えっ、旦那様、まさかの溺愛系でした!?
「自由を与えることでそばにいてもらう」つもりだった旦那様と、
「働かない貴族夫人」になりたかったはずの私。
お互いの本当の気持ちに気づいたとき、
気づけば 最強夫婦 になっていました――!
のんびり暮らすつもりが、商業界のキーパーソンになってしまった貴族夫人の、成長と溺愛の物語!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる