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初恋の人が自罰的だったので溺愛することにした

兄の言葉

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(大変可愛かった)
 
 それはもう大変に。
 隣に眠っているリグの肩を軽く揺すって、声をかける。
 耳元で、たっぷりと甘さを加えた声で。
 
「リグ、今日はデートの日だよ」
「ん、う……」
「おはよう」
「おは、よう……」
 
 寝起きのリグが可愛過ぎて顔のにやけが止まらない。
 口元を覆い隠すが全然ダメだと思う。
 のっそりと起き上がったリグが、フィリックスの右の人差し指を掴む。
 
「キス……」
「っ……うん、しようか」
「ん……」
 
 ねだられるままに唇を塞ぐ。
 舌先を入れて、角度を変えながら昨日の余韻のまま唾液を与えていく。
 甘えてくるリグが本当に、可愛い。
 彼が自分のことを、嫉妬を覚える程度には想ってくれているのがわかったのであらゆる仕草が可愛く見えてきた。
 
(そういえば、ねだってくれるのも堂々としてきたよな……)
 
 あの顔色を窺うような感じはなくなり、してもらいたいと非常に素直に言ってくる。
 
(もう、最高に可愛い~~~~! なんでも言うこと聞いてあげたい~!)
 
 許されている感じが、とても、堪らない。
 彼が甘えてもいい相手、と思ってくれているのはそれだけ彼のパーソナルスペースに入れてもらえたような気がする。
 きっと彼がこんなに甘えてくるのはシド以外にリョウぐらいなものではないだろうか。
 しかし、リグも一応召喚主であり男。
 リョウ相手だと、甘えるというよりは甘やかしたい相手のように見える。
 基本的にリグは博愛だと思う。
 その中の特別。
 兄であるシドと、相棒であるリョウ。
 その枠に、フィリックスも入れてもらえたような気がした。
 
「今日……」
「うん?」
「出かける……」
「うん。そう。だから起きないと。体は大丈夫?」
 
 無理はさせていないと思うのだが、後ろから抱き締められて奥を突かれるのが「気持ちいいし、振り返るとフィーがいるから」とお気に召したらしくて後ろからの体位を色々試してしまった。
 一昨日は五回だが、昨日は八回ほど回数を更新してしまったのもあり、声が少し掠れている。
 支えて起こそうとしたら、案の定「? 腰から下に力が入らない……?」と首を傾げるリグ。
 
「ど……どうしよう」
「治癒魔法をかけるから、大丈夫。朝食を頼んでも大丈夫だろうか」
「もちろん!」
 
 ベッドにリグを戻し、簡単な食事を作る。
 リグの部屋のキッチンがすっかり馴染んできたように思う。
 一人暮らしが長いので、料理は最低限できる。
 腰から下に治癒をかけていたリグが服を着て立ち上がったのを見て、ひとまずは安心した。
 
「やはり無理をさせてたな。ごめん」
「フィーが気にすることはない。僕が頼んだことだから……」
 
 と、言って俯いてしまった。
 手を取ってテーブルの方へ連れて行こうとしたら、ずいぶん顔色を悪くしている。
 
「どうしたの」
 
 少しただごとではない気がして、顔を覗き込む。
 深刻な表情。
 
「……甘えすぎ、のような気が、して」
「なんだ。おれはリグに甘えられる方が嬉しいな。もっと甘えてほしいくらいだ」
「でも……僕は――道具なのに」
「っ」
 
 やはりまだ、その意識は残っているのか。
 彼に人間としての意志を持ってほしい。
 いや、それでもゆっくりと人間らしさは現れているだろう。
 道具であるという意識を取り払うことが難しいのか。
 
「おれはリグに道具っていう意識は、もう持っててほしくない」
「……シドに」
「ん?」
「言われたことがある……から」
 
 ――『お前が自らで在り方を決めて誤った方向に転がれば、お前の場合災いにしかならない。自分で自分の在り方を定めるよりは、世界をより正しく導こうというものたちに委ねた方がましだろう』
 
(っていう、アレか……)
 
 実際リグは[異界の愛し子]である以外にも、国家に認められた召喚魔法師よりも知識があり、異界の召喚魔が使う魔法を習得していたり、八つの属性適性を持っていたり、魔力量が破格だったりと狙われる理由に事欠かない。
 そんなリグが自分を『道具』と言って自分の能力を委ねるのは、幼い頃のシドに言われたことを忠実に守っているから。
 ダロアログに「お前は道具」「性処理道具」などと言われて育ってきたのもあるようだが、やはり大元はシドのその言葉。
 自分でなにかをすると、失敗した時の反動が世界破滅規模になりかねないから――らしい。
 
「でも、リグはちゃんと善悪がわかっているだろう?」
「多分、そうではないと思う。シドが僕を人質にされてダロアログを殺すに殺せなかったように、僕も昔シドがまだダロアログより弱かった頃はシドを殺すとダロアログに脅されて、それで言いなりになっていたから……それでだと思う」
「――!」
 
 十五歳になったぐらいで、シドの方がダロアログよりも強くなった。
 勝てなくなったから、リグに暗示をかけて人質にしていた。
 だがその前までは、シドの方が人質になっていたのだ。
 ダロアログはリグに、自分を守るために盗みや投げられた石を投げ返すような優しい兄の命を盾に、性行為と魔石道具作り、魔力搾取を強要。
 その間に徹底的に「道具」「性処理道具」と洗脳されて、逃げる気力も奪われてしまったリグが、強くなって殺さなくなったシドの人質にされた。
 ダロアログがリグに作らせるものを見て、シドはリグにセーブをかけさせるため「世界をより正しく導けるものたちに己を委ねろ」と言い含めたのだ。
 
「実際その通りだと今も思う。ダロアログが僕に作るよう命じたものの中には兵器もあった」
「兵器?」
「シドが潰したと言っていたけれど、ダロアログが裏組織に高値で売っていたらしい。それを見てシドが僕にそう言ったんだ。少なくともダロアログは、正しく導いてくれる存在ではない。僕を使うのに、所有者であるシドの許可の有無を考えるようになった。そうすると、自ずと自分が作るもので被害者は出なくなったように思う」
 
 確かにそんな話は聞いたことがない。
 だが裏組織の連中の均衡を崩すようなものが出回れば、世界は混沌としていっただろう。
 
(なるほど……正しく導いてくれる存在、か)
 
 だが、今はもうダロアログはいない。
 彼を道具扱いする人間はいないのだ。
 
「僕は僕の意思などない方がいい。その方が世界は今のままでいられる」
「リグを道具扱いするやつはもういないよ」
「そうではない。この場にいないだけで、僕を……僕とリョウを利用しようとする者はたくさんいる。そして僕は、目の前に見知らぬ誰かがいたら多分……知らなくても、傷つけられるくらいなら言うことを聞くと言うと思う。困っているから助けてほしいと言われたら、君は助ける人間だろう? 僕も本当はそうありたかった。でも僕は、僕の意思でそれをすると間違えてしまう」
「…………」
「そうして僕が作るものは、目の前の誰かよりももっとたくさんの人を殺すかもしれない。助けたくて作っても、手助けしても、それだけで……。だから僕はシドの『否』と言ったものは、それに従う。僕は、間違えたら災いになるから。自分で考えて動かない方がいいんだ。……間違えたら、取り返しがつかないから」
 
 たった一つ、誰かに助けを求められたから、応えるつもりで作ったものが、千や万の人を殺すかもしれない。
 その責任を、シドはリグに取らせたくはないのだろう。
 それでなくとも自分たちはハロルド・エルセイドの子どもとして、世界から敵視されている。
 助けた者が平然と「ハロルド・エルセイドの息子だから」と言い逃れをした時、世界は誰もリグを信じない。
 簡単に罪を被せてしまえる、とても万能で便利な道具。
 世界が喉から手が出るほど欲しがる。
 だってこいつは、どんな罪を被せてもいいのだ。
 だって大罪人ハロルド・エルセイドの息子だから。
 けれど残念、こいつは自分を道具だと思っている。
 道具は所持者が命令しなければ動かない。
 免罪符としては弱いかもしれないが、そんな免罪符でもないよりはずっといい――。
 
「でも、最近は……フィーに甘えすぎていて……もらいすぎていて……なんか、ダメだな、と」
「リグは今までなにももらってなかったようなもんなんだから……いいんだよ」
「そもそも、僕がもらう立場なのはおかしいと思う」
「そんなことないよ。道具だって手入れをするたまろ? おれはリグを道具だなんて思ったことないけどさ、大切にされてもいいんだ」
 
 まだどこか、納得はしていなさそうだったけれど、小さく「そう」と頷いてくれた。
 あとは朝食をとり、後片付けをしてから玄関ホールへと向かう。
 ミルアとオリーブ以外、全員揃っていた。
 
「まあ、そんな気はしてたけどな」
「起こしてきたんスけどねぇ……。っていうかオレはフィリックス先輩も時間通りに来てるのがちょっと驚きっス」
「ああ、おれの場合ガチで過労が原因だったから」
「あ……アー……」
 
 それは主に召喚警騎士時代の寝起きの悪さを言っているのだろう。
 スフレとオリーブには仮眠室から引き摺り出してもらうのに、いつも協力してもらっていたので。
 
「あー、でもフィリックスさんの寝起きが本部に来て二週間でよくなったのは本当びっくりしたよね! 日に日に生活習慣が整っていって、ユオグレイブの町にいた頃どんだけ、って思った!」
「うぐっ……でも、それはほら……えーと……おれのせいじゃない!」
「いや、普通に働きすぎじゃない?」
「う」
 
 それは本当に否定ができない。
 事実過労ではあった。
 貴族の召喚警騎士に仕事を丸投げされて、けれど自分の夢のために努力するのは嫌ではなかったから。
 
「そいつ、待ってないとダメなのか?」
「起こしに行ってくるよ……」
 
 ミルアに興味がないシドの冷たい、淡々とした言葉にフィリックスが溜息を吐いてミルアを起こしに向かう。
 だが、起こしに行こうとした方向からオリーブがダッシュで玄関ホールに現れた。
 オリーブの後ろには眠そうなミルア。
 
「おはようございます!」
「おはよぉー」
「おはよう。珍しいな、お前が寝坊って」
「あー、なんか気圧かなぁ? 山の上って酸素も薄いし~」
「そっか。下山できそうか?」
「もちろん~! 買い物楽しみにしてたしぃ!」
 
 あっそぅ、と困った顔でミルアの頭をポン、と撫でるべく手を伸ばしかけて、やめた。
 昨日、腕にルーナが絡みついてきただけでリグが暴走したのだ。
 出がけにやられては予定が狂いかねない。
 と、フィリックスは思っていたのだが――。
 
「じゃあ、全員揃ったし行きましょ!」
「っ!? ル、ルーナさん、やめてくれないか」
「ええ? いいじゃないですかぁ」
 
 甘ったるい声と仕草、表情でまた腕に腕を絡めてくるルーナ。
 ギョッとして振り払おうとするが、さすがに女性を乱暴に突き飛ばすことはできない。
 恐る恐る後ろを振り返ると、困ってる表情のリョウと目を背けているリグ。
 エーラに声をかけられて絶対零度の目で見下ろしているシド。
 
(色仕掛けか? でも、なんでおれ?)
 
 狙いがリグならリグに行けばいい。
 もちろんシドもリグも女性に靡くとは思えない。
 というより、二人の顔貌と体を見れば女に苦労するわけがないのだ。
 リョウはノインとおあげとおかきが側にいるので、コージュは一切手が出せないのだろう。
 
「ねぇ、新人さんたちさぁ……」
「「「!?」」」
 
 けれど、意外にも一番剣呑な空気と一際低い声を出したのはノインだった。
 いつも笑顔の彼が無表情。
 普段使い用の剣の柄に手を置いて、目を細める。
 
「昨日みたいなことがあったのに、同じことするのってどういう神経? 面倒臭いの嫌いなんだよね、ボク。一応、せっかくのお休み中だしさぁ」
「ひっ」
「は、はい、すみません」
「「「……?」」」
 
 若干理不尽に感じるノインの発言。
 ルーナが離れたのは助かるが、ノインがこんなに機嫌が悪いのを初めて見た。
 
「ど、どうしたん? ノインくん。珍しいね?」
「え? そう? なんかムカついて?」
「ノインくんが機嫌悪いの怖いっス……」
「思春期だもの、そういう気分になることもあるんじゃない?」
「「「あ~~~」」」
 
 などとリョウが言えば皆が納得。
 忘れがちだが、ノインはまだ十五歳になったばかり。
 普段大人びているからといっても、思春期には敵わない。
 なんならこの年頃は反抗期もある。
 騎士として振る舞っているが、ミルアやスフレが来てユオグレイブの町で親しんだメンツが揃い、甘えたい気持ちが出てきたのだろう。
 ふと、フィリックスはシドを振り返る。
 シドがノインに、ルーナたちが『海龍の牙』の構成員と教えたか知りたかった。
 だが、シドは眉を寄せている。
 
(え? ノインに話してないのか?)
(話であるけど、アイツこんなあからさまに敵意向けるか?)
(そう言われると確かに……?)
 
 なんて、視線だけでそんな会話をできるくらいにはなんとなくシドが言っていることがわかる。
 つまり、ノインの様子がちょっとおかしい?
 
「もー、時間なくなるから早く行こ」
「は?」
 
 と、言ってノインが腕を掴んだ相手はシド。
 シドではないが全員が頭の上に「なんで?」と疑問符を浮かべた。
 
「早く帰ってきて手合わせしよ!」
「あー……まあ、早く帰ってこれたらな……」
「やだ! 早く帰ってきて手合わせしよう! 休暇終わっちゃう!」
「早く帰ってこれたらな」
 
((((ああ、そういう))))
 
 恐ろしい話だが、この世界で唯一シドと対等に斬り合える存在がノインだ。
 自由騎士団フリーナイツ最強の剣士、剣聖。
 シドが剣聖と呼ばれているのは実力もさることながら、[異界の愛し子]であるリグを守るという建前の意味が大きい。
 剣聖レイオンの直弟子として魔力のない体質でありながら実績もあるノインは、正当な剣聖といえる。
 二人とも、もうお互いとしか“自分の稽古”ができないのだ。
 だからノインはシドとの手合わせをよくせがんでいるし、シドもそれに応じる時は機嫌がいい。
 そんな二人の手合わせ稽古を、まともに見られるのは二級と三級の騎士だけ。
 四級以下は、もうなにをしているのかわからないという。
 もちろん、召喚魔法と魔剣まで使えばシドの方がどうしても強いだろうけれど。
 
「今度は絶対ボクが勝つんだから」
「はいはい」



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