ママは私を見なかったよね。

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※自殺など一部過激な表現あり








あなたのかつて孕んだものは 今や愛にはなりえない
お望みのものは あなたが 産んで あなたが殺した 
残ったのものは無___。




ただ あなたは 
ママは 

私を見なかっただけ












それは、涼しい秋風がベランダの窓から吹いてくる、心地良い静かな夜の出来事だった。

私の部屋は2階にあって、妹と共同で使っていたために少し狭い部屋だった。
 3日後に中間試験を控えていたため机で作業していると、ベランダからガタガタと妙な物音が聞こえてくる。
(あぁ、これはたぶん......。)
物音の正体についてはなんとなく予想がついている。私は聞こえないふりをしていたが、しばらくして物音が鬱陶しくなってきたためにベランダへ様子を見に行くことにした。あいにく予想通りだった。そこには、1人の老けた女が立っていた。老けた、と言っても老体ではない。女はまだ50にもなっていない。女は、家事以外の時間はベッドに横になって過ごすような無気力な生活をしていた。そんな女の普段の暮らしが、女の表情と佇まいを老けさせていたのだ。そして女は、暗い赤と黄色が絡まり合った感じの、業務用のロープを手に持っていた。そこで何をしていたかは、あらかた予想がつく。あまり驚きはしない。いつかこうなることはわかっていた。
 私は女に、あたかも心配しているような、そして若干の怒りの混じったような強い口調で問いかけた。
「何してんの。吊ろうとしたの...?」
「うんー。でも痛かった、、、、、」
女は呑気にそう答えると私の狭い部屋に入ってきて、室内をウロウロし始めた。女は第一発見者である私に、慈しみの言葉を求めたのだろう。だが私はその期待には答えられそうにない。この女にかける同情の言葉が思いつかなかったのである。面倒な気持ちと、なにか言わなければいけないという義務感とが葛藤し、どうしようかと暫く悩んでいた。
(何も言葉が出てこない...というか、私が何か言わないといけないの?)
沈黙が続き、私が何も言葉を掛けてくれないと思ったのか女は無言で寝室に戻って行ってしまった。私も女に対する関心が失せ、作業に戻ろうとしたが、ふと思い止まった。内心面倒だったが、事が重大であることに私の脳の理解が後から追いついてくる。倫理的に考えてみたら、非常にマズイ自体が起こったことにようやく私は気付くことが出来た。義務教育の道徳の授業で培った道徳心が、「これはいけない」と強く警告してくる。「自殺はいけないこと」だという世間一般の常識を思い出し、ようやく止めようという気になってきた。身内が、実の母が、死のうとしているではないか。これは大問題だ、対処しなければ。

 女と向き合うために、私は直ぐに寝室へ向かった。まず、凶器を預かることにした。女はすんなりとロープを私に渡した。ロープを受け取ると「女は死のうとしていた」という事実をより実感出来た。それでも尚、かけてやる言葉が全く思いつかなかった。不測の事態への動揺のあまりに錯乱状態に陥ったからではない。私の心境は極めて冷静で、それがかえって危うい。しかしこれは、女と私の関係に原因がある。
何かいい言葉はないかと考え、思いついたのが我が二人の弟の存在だった。あなたが死んでしまったら弟達が悲しむからと、二度とこんなことはしないで欲しいと伝えた。もし死にきれなかった場合、脊髄を損傷していたらもっと大変な自体になることを危惧した私は、首を吊ろうとしたことに対しても、あたかも心配しているようにもう辞めるよう言った。



 さてどうしたものか。私の脳はまるで無能だった。自殺しようとした女に「それはいかんよ、生きていれば希望は見つかるものさ」的な綺麗な言葉をかけてやれるくらい出来た人間ではなかったようだ。以前、自殺しようとする人の心理学みたいな本を読んだことがあった。「一番は、話を親身になって聞いてあげることです。心に抱える痛みを聞いてくれる存在がいるだけでとても救いになるはずです」的なことが書かれていたことを思い出したのだが、女に寄り添う温かい存在になることに抵抗があったためか、すぐにはそういった対応が出来なかった。そんな己の未熟さを呪った。それよりも「実の母が死のうとしている」という事実にここまで何の悲しみも持たないのかと、かなり自分にショックを受けた。立派に育ててくれた恩義があるはずの、人生において重要な人物が死のうとしているというのに、未だに何も心が揺れない冷めた心を持つ自分に、その時は絶望のようなものを感じていた。そして激しく動揺した。


どうにか女との思い出を呼び覚まして私は何とか悲しもうとし、幼い頃のある記憶を引っ張り出した。
小学一年生の冬。インフルエンザにかかり寝室に1人、一週間ほど隔離されることになった時のことだ。3日目あたりで広い部屋に1人きりという孤独に耐えられず、夕飯を運んできた母の前で泣き出してしまった。母は寄り添い温かい言葉もかけてくれた。そして紙を取り出し、そこにカレンダーのようなものを4日分程書き出した。1日1マスに動物の顔のイラストを描く、スタンプカードのようなものを作ってくれた。私はその時、確かに愛情というものを感じ、温かくなったのだった。

そんな温かな記憶を思い出し、私は余計に罪悪感に襲われるだけだった。女は愛情を持って私に接してくれた時もあるのだ。どうして、何も言葉が出てこないのか。実の母のこの行動を悲しめないのか。罪悪感が極まって、とうとう私は泣き出してしまった。女は困惑しながらも、私を心配した。ますます申し訳ない気持ちになった。同時に、女を心から慈しむことなど出来ないのだと悟った。「母が自殺しようとした事実が悲しい」から泣いているのだと女は思い込んでいるのだろう。

「なんで死のうとしたの?」
「不眠が辛いから...。」
「そうなんだ。でも、生きていればいつか治る日が来るよね...。諦めるにはまだ早いんじゃない」
「そうだよね...。...不眠が治らなかったらどうしよう...。それが怖い」
女は不眠症だった。眠れないという莫大な不安、恐怖に怯えるさぞかし辛い思いをしていた。
(あぁ、そういうことか)
女は、本気で死のうと考えていないようだった。私に話を真剣に聞いてもらいたかっただけなのだ。言ってしまえば、私の同情を惹こうとしただけだ。この時私は、女の精神も普通でないことにようやく気づいた。

改めて女を見ていると、その仕草はまるで子供のようだった。なにか物欲しそうな目でこちらを見つめてきたり、手をもじもじとさせたり、パジャマの裾を引っ張ってみたり、話し方も幼くなっていた。そして、普段気にしていなかった様子も改めて考えてみると、最近は特に足音がほとんどしないようなのそりとゆっくりとした歩き方で、家中を用もなくフラフラと徘徊するようになったのだった。女の目論見は、私が女の話を真剣に聞かせる気にしたという時点で成功していた。それと同時に、このときようやく私の認識がかつての母はいまや精神不安定者、もしくはなんらかの精神異常をきたしているのだという正しい答えに理解が追いついたのだった。
 どうやら女は不眠の原因を、今年のお盆に食べたマンゴーのせいだと思い込んでいるらしかった。私は母と久しぶりに会話をしたが、母の言動は稚拙で、幼い子供のようだった。果たして昔からこんな人だっただろうか?

私はこの女を哀れだと思った。

女は私に、“母”としての自分を見せてきたのだろう。正直、本来の女がどういう人間なのか、私はよくわからなかった。私は“母”として振る舞っている時の女しか知らない。当然だが私が存在することによって、女は“母”という役になるのだ。女の本性を、父なら知っているだろうか。
私と女にもはや、親子の絆なんてものは無い。継ながりは、体に流れる血液と遺伝子を受け継いでいるという点のみではなかろうか。そんな、同じ血が流れているだけの赤の他人の相手に同情を求めた女は、助けを求める相手を見誤ったのだ。

 10数年以上、同じ屋根の下で女と暮らしてきた。絆というのは、一緒に時間を過ごすだけでは何も生まれない。第一、普段女とのコミュニケーションは一切無い。信頼関係は、お互いがお互いを大切に想い合って初めて生じるものであると私は考えている。それも、ほんのひとときとか一瞬ではなく、永続的に大切だと思えるようなものなのである。

この女は、親子間の”絆”というものは、はじめから内在しているものだと勘違いしている。
信頼関係など、日々の積み重ねでしか生まれ無いのに。



子供からみて、どんな親であっても親は絶対的な存在で、愛されたいと願うもの。私も、母に歩み寄ろうとしてきた。私は母を愛していたのだ。しかしそれは一方的なものに過ぎないと、幼き頃、感じることがあった。


 初めて母である女の愛に違和感を持ったのは、友達のマユミとマユミママが家に遊びに来た時のこと、幼い頃の記憶。マユミとは、それぞれのお母さんに手紙を渡そうというサプライズ計画をしたのだった。母にプレゼントを渡した時の私の心境は今でも覚えている。
マユミは、母親に反抗的な態度を幼いながらにとっていた。それはどうしてなのか、今なら想像はつく。
彼女には双子の妹がいた。妹は重い障害を持っているため寝たきりで、介護が必要だった。それでもマユミの両親から苦労の念を感じたことは無かったのであまり気にしてなかったが、今ようやく、かなり過酷なものだったと想像できる。そして、マユミは妹にばかり時間を使う母親に、寂しさというか、構ってほしいという子供ながらの純粋な思いから、反抗的な態度で気を引こうとしていたのだろう。後に私が中学生になった頃、その気持ちに気付いていたのだと、マユミママ本人が私に教えてくれた。それもそのはず、マユミとマユミママの間には確かな絆が存在していたことは、幼い私でも感じていた。プレゼントを渡した時、マユミママはとても嬉しそうに喜び、マユミを固く抱きしめていた。普段反抗的だったマユミも、嬉しそうに抱きしめられていた。その光景を見た私は温かい気持ちになったが、同時に、比べてしまったのだ。そして、羨ましいとも思った。私が渡した時、母はどんな反応をしたか今では覚えていない。ただ、「あんま嬉しく無いのかな」と感じたことは覚えている。そこで初めて、母に違和感を覚えた。



 私は幼い頃、よく母に喜んでもらおうと、母の日だったり誕生日だったりそうした記念日には手紙やら創作物やらを欠かせず贈っていた。母の反応は相変わらず気薄なものだったが、私が作ったガラクタをいつまでも大切に飾っていくれていることが嬉しかった。「お母さんいつもありがとう」という一文を添えると特に壁に飾ってくれる確率が上がるのだと気付いていたので、その一文は必ず入れるようにしていた。
 やがて高学年になって精神的に成長してくると、今度は母の職場での愚痴を親身に聞いてあげることも出来るようになった。今考えると職場に馴染めないのは母の性格にも原因はあったと思うが、その時は母を援護するように寄り添って話を聞けていた。子供ながらに、私は母に愛されたかったのである。愛されようとしていたのである。母は十分私を愛してくれていただろうか。




母は、習い事などの送迎をしたがらない人だった。
「私はタクシーじゃないんだからね。」
と言われたこともある。いつも機嫌が悪かったので、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。高学年になって、自転車で移動できるようなると、嫌そうな顔を見なくて済むことが嬉しかった。

母は、お小遣いを出したがらない人だった。
お小遣い、と言っても遊ぶためのものではない。習い事の書道の道具の、半紙やら墨汁やら筆やら、そういう消耗品を買うためのものだった。お金は渡してくれるのだが、母には嫌な顔をされた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。いつしか母が預かっているお年玉から見つからないようとっていくようになったが、全く気付かれなかった。

母は、家事が嫌いだった。まぁ、好きな人は少数だと思うが。幼い頃夕食を食べようとした時に、
「私がご飯作ってることを当たり前だと思わないで。」
と言われ、加えて「お母さんいつもご飯作ってくれてありがとう」を、強制的に妹と言わされたことが何回かある。



私は、4人の姉弟の中で「1番手間のかからない楽な子供だった」と言われるようになった。


中学時代は気を引きたくて、勉学を疎かにしたりもした。しかし、それは後に妹の株を上げる結果に終わり、私は「小学生の頃は優等生だったよね」「比べて今は頭が残念」という家族内の共通認識を作ってしまっただけになってしまったし、それが見下される要因にもなった。








どうやら母の教育方針は、“子供に干渉し過ぎない”ということらしかった。しかし、女のそれは明らかに度が行き過ぎていた。放任主義も行き過ぎると単なるほったらかしになる。自主性をつけるための放任主義だが、現に私は受動的で人付き合いが難しい人間となっている。



 母の無償の愛というやつに私はとうとう縁はなかった。否、愛は少なからずあっただろうか。これが、単純に母が愛情表現が乏しい不器用な人だということだったのなら良かったのだが、末っ子である我が弟に接するあの様子から、そんなことはなさそうだ。母は、末っ子である我が弟を溺愛していた。無論、弟を見ても羨ましいという念は起きない。無関心の対象と成り果てたのだから。

私と女は、そういう関係なのである。その程度なのである。女が死んで悲しいと、本気で思えないくらいには無関心なのである。未だに、女は私を娘としてしか見ておらず、親子の絆がまだそこにあると疑っていない。そんなものは初めから存在していなかった。女は私に理想の娘という偶像を求めたのである。都合が良すぎて、反吐が出そうになる。私は長年、女に愛を求めたが、それもまた理想の母という偶像に過ぎなかった。あまりにも理想の母像からかけ離れていたことに対し、私は無関心を装うことで平静を保つようになったが、いつしか本当に無関心になってしまっていたのだ。


女が首を吊ろうとした日の後、翌日までは私もかなり動揺していた。原因は、母が首を吊ろうとしたからではない。身内の人間が、首を吊って死のうとしたという衝撃的な事実、非日常が私を陶酔させただけであった。あまりのインパクトになかなか悩まされたし、父に伝える報告のためのメールも長文になってしまった。父は、メールを見て何を思ったのだろうか。一見すると取り乱した様子は感じられない、いつもと変わらず淡白な感じの文面だった。状況把握しようとしているらしかった。実の娘はダメでも夫である我が父なら、妻の行動に取り乱してくれることを私は少し期待してしまったのだが、父の心境はとうとうわからなかった。
そして、1日もすれば女の自殺未遂というインパクトにも慣れてしまうものである。始めの方は、女に献身的な態度で接することを務めたが、それも最初だけで、すぐ飽きてしまった。所詮女への思い入れは、その程度だったのだ。



 数日後、女はまた別のロープを持って私のところに来た。黄色いロープだった。首を吊りたくなってしまうので、隠してほしいと言われた。もはや衝撃も罪悪感さえも感じなかった。ロープをあとで仕舞おうと思った私は机にそれを置いた。暫くその机で、妹と談笑していた。テレビの会話に盛り上がっていた。そこに父も入ってきて、三人で談笑していた。すると女がゆらゆらと寝室から降りてきて、リビングを徘徊し、机のロープを持ち出して行こうとしたので、すぐに返して貰ったが、すでに女に寄り添いたいという感情など微塵もなかったし、起きなかった。




女の悩みの種である不眠は、有名なドクターとの出会いをきっかけに、徐々に回復していくだろう。女は無事、普段の生活を取り戻すことになるだろう。ただこの事件をきっかけに、それまで背けていた感情、女に対する私の無関心な気持ちが私の心に露わとなってしまった。






女は死ななかったが、母は死んだ。

随分前に、死んでいた。

母の死体があることに、ようやく私は気付いたのだった。
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