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(番外編)アルファとオメガとベータのお話

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「ユーリが来るそうだ」

 朝一番に早馬で届いた書簡を一読して、クラウスが、ひどく沈鬱な表情でそう言った。
 昔から目に入れても痛くないほど溺愛している弟の来訪の報せを受けて、なぜそんな顔になるのか? エミールは疑問に思いながら「はぁ」と曖昧に頷いた。

 ここクラウス邸にユリウスが来るのは特段珍しいことではない。
 というのも、ユリウスのつがいであるリヒトが、よく遊びに来るからだ。

 エミールは年下の可愛らしい友人を思い浮かべて、頬を緩めた。
 さらさらの銀糸の髪と、満月のような金の瞳を持った神秘的なオメガは、まるで物語に出てくる天使のように愛らしく、見ているだけで癒される。
 ユリウスもすこぶるつきの美形なので、彼がリヒトと寄り添っている様などはもはや宗教画の世界だ。

 出会ったときは幼かったユリウスも、いまはつがいを得るまでに成長した。彼ももう三十歳か。……ということはエミールも四十の声を聞く歳だ。
 オレも歳をとったよなぁと老成した感想とともに、子どもの頃には四十歳なんてすごくすごく大人に思えていたのに、いざなってみると大人になりきれていないなぁ、という思いも湧いてくる。

 変わらないのはこの男だ。エミールは正面で苦虫を噛み潰したような顔をしているつがいの顔を見つめた。
 出会ったときから大人びていたクラウス・ツヴァイテ・ミュラーは、精悍さにより磨きがかかって、成熟した魅力が加わわりつつも、老いとは無縁な印象であった。

 自分よりも五歳上だから、今年で四十五か。いつまで経っても格好いいなぁと思いながら、エミールはてのひらで男の頬を撫でた。
 クラウスが狼を彷彿させる蒼い目を細め、すり……と頬ずりをしてから、重い溜め息を吐き出した。

「エル、ファルケンを呼んでおいてくれ」
「え? ルーを? なんでですか?」

 ユリウスの手紙とファルケンになんの関係があるのか。まばたきをして問いかければ、ユリウスの流麗な文字が連なっている書面を目の前に広げられた。

「こ、これは……」

 エミールの背に冷たい汗が流れた。
 これはヤバい。なにがヤバいかというと、ファルケンの身がヤバい。いのちが危うい。

「ラス……オレのせいで……」
「いや、おまえは悪くない」
「でも、」

 言い募ろうとしたエミールを、クラウスがてのひらで制止する。

「おまえは悪くない。が、ユリウスの要請を断るわけにもいかない」

 重々しく伏せられた目に、苦渋の色が滲んでいる。
 エミールもつがいと同じ表情になり、そうですねと頷いた。

「そんなことをすれば、決闘を申し込まれてしまいますもんね」

 決闘。それは互いの名誉を懸けて一対一で剣を合わせることである。

 実の兄弟同士で決闘など、と笑われるかもしれないが、エミールはなにも大袈裟に言ったわけではない。ユリウスからの手紙に明記されているのだ。断れば決闘を申し込みますよ、と。
 しかしクラウス・ツヴァイテ・ミュラーは騎士団長である。『あの』ロンバードやファルケンをして、団長の強さは群を抜いている、と言わしめるほどに腕が立つ。だからユリウスと剣を合わせたところで、負けるのはユリウスなのだ……ふつうに考えれば。

 でも……とエミールはおのれのつがいへ視線を走らせた。
 頭痛をこらえるようにひたいを押さえているクラウスは、極度のブラコンであり、ユリウス愛が強い。強すぎるほどに強い。そんな彼が最愛の弟に剣を向ける真似ができるはずがなかったし、よしんばそのような事態になったとしても戦う前に敗けを宣言することは目に見えていた。
 天下の騎士団長を、決闘で敗れた男にするわけにはいかない。

「わかりました。ルーを呼びます」

 エミールは力なく頷いた。
 元はと言えば自分が蒔いた種である。エミールの騎士に敗北宣言をさせないためにも、ここは幼馴染に犠牲になってもらうしかなかった。


 ことの発端は、ユリウスのつがいである可愛い可愛いリヒトが、
「ユーリ様に内緒で市場にお買い物に行きたいです」
 とエミールを頼ってきたことだ。
 エミールはあまりに可愛いその『お願い』に屈して、クラウスに相談をした。その結果クラウスが『狼』を護衛に同行させることを条件に、許可を出してくれたのだった。

 しかし市場でリヒトがはぐれるというちょっとした事件が起こった。
 なんと彼は暴漢に連れ去られそうになっていたらしい。それを『鷹』が撃退した。そしてリヒトをエミールの元へと送り届けてくれた、という経緯があった。

 『鷹』……つまりファルケンのおかげでリヒトは無傷だったわけだが、問題はそのときファルケンが、リヒトの手を握ったことにある。
 はぐれないように手を引いただけなのだが、そうは思わなかったアルファが、ここに若干一名。

 それが、リヒトを溺愛しているユリウス・ドリッテ・ミュラーだ。

「おまえが『鷹』か」

 彼は麗しい尊顔に冷たい色を乗せ、宝石のような新緑色の双眸を細めて、目の前に立つファルケンへと甘い声を投げた。

「その節は僕のオメガが世話になったね」

 王弟殿下直々の言葉に、ファルケンは黙したまま軽く頭を下げる。ファルケンは今日も異国風の黒い包衣姿であった。彼はいつもエミールから逃げ回っているので、顔を見たのはなんだか久しぶりな気がする。
 逃げ隠れするほど、そんなに嫌なのだろうか? エミールに、スヴェンとの仲を根掘り葉掘り聞かれることが。 

 そんなことを思いながら幼馴染の神妙な顔つきを見ていると、ユリウスの横からひょこんと顔を出したリヒトが、
「あのときはありがとうございました」
 礼儀正しくそう言って、銀糸の髪を揺らしてお辞儀をした。ファルケン以上に深く頭を下げたリヒトの肩を、ユリウスがすかさず引き戻している。
 その後ろではリヒト付きの侍従、テオバルドが(うわぁ~、このひとまた軽々しく頭下げちゃったよ!)というこころの声が聞こえてきそうなほど頬を強張らせていた。
 けれど仕方ない。相手はリヒトだ。王族の仕来たりや身分云々などまったく意識していない彼だからこそ、こんなにも無垢でこんなにも可愛いのだ。

 そんなリヒトをこよなく愛しているユリウスが、リヒトに余計なしがらみを与えるわけがない。だからテオバルドも迂闊に主を窘めることができないのだ。

「リヒト、そうだ、オレと一緒にランチの準備をしませんか?」

 ユリウスの重圧に耐えきれず、エミールは咄嗟にそんな提案をした。
 リヒトの満月の瞳がくるりと動いて、「わぁ」と歓声が上がる。

「ユーリ様、エミール様のお手伝いをしてきてもいいですか?」
「もちろんだよ、僕のオメガ」

 ユリウスがリヒトのひたいに唇を寄せ、軽いキスとともに蕩けそうな笑顔でそう返した。それから、
「ああ、エミール殿。くれぐれもリヒトが怪我をするようなことはさせないように」
 と、相変わらずの過保護を発揮した。

 エミールは重々承知とばかりに頷きを返し、可愛いリヒトと手を繋いで早々にアルファたちの集う部屋から脱出することに成功したのだった。
 背中に恨みがましいファルケンの視線が突き刺さってきたけれど、心中で手を合わせながら気づかないふりを貫いた。
 





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