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(番外編)空飛ぶ鷹に影は落ちるか

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 昨夜の出来事を思い出して、頭を抱えた。
 我ながら最悪だ。腰は重怠いし、後ろには男根の余韻がまだ残っている。
 そういえば私のそこには、アルファの精液がしとどに注がれたはずだ。しかし白濁が垂れてくる気配はなかった。体液と汗でベトベトだった皮膚もさらりと乾いている。

 後始末まできちんとされている、ということに驚くよりも、体に触れられても目を覚まさなかった自分に驚いた。こんなことは初めてだ。どれだけ疲れていたのだろう。

「おい」

 また肩を掴まれた。

「心配は不要です。初めてでもあるまいし」
「いやだからアンタ、アルファに抱かれるのは初めてだろ」
「アルファもベータも変わりませんよ」

 これは嘘だった。
 さすがアルファ、と言うべきか、ファルケンとの行為はこれまでの経験とは比べ物にならなかった。男根の大きさも、根元が膨らむその形状も、中に注がれる精液の量も、すべてが違っていた。
 オメガならば難なく受けることができたのだろうか? あのアルファの熱量を。

 私の虚勢を見破っているかのように、金茶の瞳が軽く歪んだ。
 ふだんは黒い眼帯で覆われている右側は、いまは露出されている。右目の眉上から頬にかけて、傷痕が斜めに走っていた。どうせ見えないからか、瞼は閉じたままだ。

 上半身は裸で、アルファらしく雄々しい肉体を晒している彼の、肩の付近に赤い蚯蚓腫れが数本あった。
 私は自分の指先をちらと見た。短く切っている爪に、男の皮膚の名残はない。けれどたぶん、情事の最中に私がつけた傷なのだろう。
 私の目線に気づいたファルケンが、肩をてのひらで数度擦った。

「いま何時ですか?」
「ん? ああ、まだ六時前だ」

 半地下にあるファルケンのねぐら。窓の外は影になっていて、外の様子はあまりわからない。でも一晩をここで過ごしてしまったことを教えられ、舌打ちしたくなった。夜中のうちに王城へ戻る予定だったのに。 

「帰ります」
「まだ休んでいけよ。ふらついてるぞ」
「余計なお世話です」
「おまえがそんなだと、エルが心配するだろ」

 出た、エル。
 この男の基準はどこまでもエミール様だ。クラウス様が居る限り、彼の想いが報われることはないのに。

「エミール様の前で無様なことはしませんよ」

 私はファルケンに背を向け、勝手に洗面所を借りて顔を洗い、身支度を整えた。
 髪を整えているときに、ふと、そういえば髪色を変えるのを忘れていたと思い出す。エミール様と同じ色に染めてやろうかと思っていたのに、私の提案をファルケンは跳ねのけたのだ。

 エミール様の濃い蜂蜜色とは違う、薄い薄い金髪。自分の毛先を弄りながら、よく私相手にその気になったな、といまさらに思う。
 昨日はアダムを捕らえた直後でファルケンも高揚していて、私もその熱にてられた。だから発散させるために体を繋げた。私が誘わなければ、ファルケンはこの娼館の女を抱いたのかもしれない。

 私は鏡の前を離れ、水を飲んでいた男へ声をかけた。

「アダムの尋問はどうしますか」
「俺がする」
「わかりました。クラウス様への報告書もお願いします」
「それはアンタが書けよ」
「お断りします。エミール様の手首の怪我は、くれぐれもあなたの過失ということで」

 念を押すと、「まだ言うか」とファルケンがつぶやいた。
 それを無視して扉を開いた。

「おい」

 呼ばれて、目線を男へ向ける。

「なんです」
「アンタたちの体術、俺にも教えてくれ」
「は?」

 怪訝に眉を顰めると、ファルケンが眼帯を装着しながら気安い口調で続けた。

「『狼』の動きは興味深い。俺も習いたい」
「お断りします」
「なんでだよ」
「私にメリットがありません」
「俺が強くなればそのぶん、エルの安全が担保される」 

 ファルケンの言葉を、私は鼻で笑ってやった。

「エミール様にはすでに『狼』がついてます。あなたごとき、必要ありませんよ」
「じゃあ単純に教わりたい」
「それこそお断りです。めんどくさい」
「めんどくさい?」

 男が首を傾げた。
 私は服の飾りボタンをひとつ千切り取り、それを指先で弾いた。ファルケンに向かってヒュッと飛んだボタンは、最小限の動きで難なく躱された。
 私は「ほらね」と顎を動かし、床に転がったボタンを示した。

「なにがほらだよ」
「あなたにはすでに独自の動きが備わっている。『狼』の基礎とは違う動きが。それを一から矯正するのは面倒なんですよ」

 どの流派に限らず、体術とは基礎がすべてだ。
 ファルケンは『狼』の動きを興味深いと言ったが、この男の体術も中々に興味深い。粗削りだけど、無駄な動きがなく実践向きだ。しかし、我流にすぎる。
 ほとんど完成しているファルケン独自の動きは、いまさら矯正できるものでもないだろう。むしろ下手に手を加えない方がいい。

 あ~、と低い声を漏らしながら、ファルケンが頭を掻いた。

「そうだな。俺は狩りのために腕を磨いたようなものだしな」

 なるほど、狩猟で養った腕なのか、と私は得心がいった。この男の投擲の技術には目を見張るものがある。左右どちらの手でも、遠くの的を狙うことができるのだ。

 仕方ないか、とファルケンが嘆息した。
 この話は終わったと判断し、私は今度こそ部屋を出ようとした。しかし。

「教えてくれないなら、アンタから盗むわ」

 顔の右半分を眼帯で覆った男が、唇の端を引き上げて食えない笑みを浮かべた。

「は?」
「アンタの動き見て、勝手に盗む。それならいいんだろ?」
「できるものなら、ご自由に」

 不敵な笑いが不快で、私は後ろ手に思いきりドアを閉めた。
 歳下のくせに、どこまでも生意気な男だ。
 一朝一夕で『狼』の体術が盗めるわけがない。もう一度教えてくれと懇願してきたら思いきり嘲笑してやろうとこころに決めて、私は娼館を足早に後にした。


 このとき私は、まったく想像もしなかった。
 ファルケンがそのうちに『隠行』を体得することを。

 そしてなんとエミール様が、自分にも護身術を教えてほしいだなんて突飛なことを言い出して、そのお鉢が私に回ってくることを。

 まったく、ヴローム村の出身者はどうなっているのだろうか。頭の痛いことである。
  
 
 
 


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