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(番外編)空飛ぶ鷹に影は落ちるか
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しおりを挟む「驚くなよ」
一番最初に 例のオメガに引き合わされる前に、隣を歩くロンバードさんがそう耳打ちしてきた。
ロンバードさんと言えば我々『狼』も一目を置く存在で、我々の主、クラウス・ツヴァイテ・ミュラー様の右腕だ。
そんな男が「驚くな」なんて、いったいどんなオメガが来たのか……私はにわかに緊張を覚えたが、それを顔に出すことはせずに大柄なロンバードさんに遅れないよう足を運んだ。
王城の一室、案内されたその部屋で私を待っていたのが、エミール様だった。
なんだ、とすこし拍子抜けする。
そこに居たのは、ふつうの十五歳の少年だった。いや、ふつうというには顔立ちは整っている。濃い蜂蜜色の髪と、深い飴色の瞳。睫毛は長く、薄い唇は薔薇の蕾のようで、儚げな美貌と表現できなくもない。
しかし、驚くほどでもなかった。
なぜなら私は、クラウス様に仕えている関係で王族の方々を見る機会も多い。ミュラー家の方々は皆それぞれ美形揃いであったし、王城に出入りする貴族たちの中にも群を抜いた美貌の持ち主は居た。
私同様にうつくしいひとを見慣れているであろうロンバードさんが、なぜ「驚くな」なんて言ったのか、甚だ謎である。
私は内心首を傾げながらも、
「このたびお仕えすることになった、スヴェンにございます」
と不安げにこちらを見ていたエミール様に頭を下げた。
エミール様は私と視線を合わせて、にっこりと微笑まれた。
「オレはエミール。スヴェン、よろしくね」
なんとまぁ素朴な挨拶だろうか。
ロンバードさんの話では、二か月前の遠征の際に、野盗に襲われていたエミール様をクラウス様が保護されたとのことだったが……貴族たちとは明らかに違う親しみやすさのある彼の笑顔に、私はすこし毒気を抜かれた気分になった。
あまりに気安く握手を求められて呆気にとられる私の耳元で、エミール様が内緒話のようにこそっと言った。
「クラウス様の周りって大柄なひとが多いから、いったいどんなひとが来るんだろうって思ってたんだよ。スヴェンで良かった」
エミール様はちらとロンバードさんへ視線を向け、
「ほら、あんまり大きいと圧迫感がすごいだろ?」
と肩を竦めた。たしかに、ロンバードさんは圧迫感がある。しかし彼は気配を消すことにも長けているので、そこまで気にはならないのだが。
私が曖昧に首を傾げると、エミール様がしかめっつらになって、
「周りが大きいと見下ろされるばっかりで嫌になるんだよ」
早口にそうささやいた。
それから手を頭の上に置き、私とご自分の身長を確かめるように動かした。
「でもほら、スヴェンはオレと一緒ぐらいでしょ。背伸びせずに話ができる」
「背伸び?」
「小さく見られないように頑張ってるんだよ!」
物理的な背伸びのことか、とわかって吹き出しそうになった。
いけないいけない。私はあまりこの方と気安く接しないほうがいい。
私には侍従以外にも役割があるからだ。
王城や貴族社会に馴染みのないこのオメガには想像もつかないことだろう。自分に影武者がつけられるなんて。
私はいざというときのエミール様の身代わり……『影』の役割を背負っている。
いま、エミール様がなにげなく口にした身長も、その役割と無関係ではなかった。
有事の際にエミール様の身代わりが務められるよう、背格好は似通っていなくてはならない。さらに侍従としてお傍に居ることで、日ごろよりエミール様を観察し、仕草や癖を盗むのだ。
この『影』の役割は、クラウス様に命令されたものではなかった。
クラウス様が『狼』の隠れ里を訪れた際、運命のつがいを見つけたという話をされていた。そのときにぽつりと漏らしたのだ。
貴族社会に慣れていないエミールにとって、王城は安全ではない。『狼』には護衛の任に当たってほしい。そのうちに『影』も必要となるかもしれないが、そうならぬようにいまのうちから手を尽くす、と。
クラウス様はおかしな御方だ。『狼』をひととして扱う。
クラウス様は知っていたはずなのに。
我々『狼』の一族は元々、始まりのひとりから『ひと』ではなかった。
『狼』はとある島国の城で、主君の手足として仕えていた一族だ。『狼』の使う特殊な体術は、その主君に仕えるために編みだされたものだった。
しかし島国で内乱が起き、主君が殺されるに至った。『狼』に居場所はなくなった。
城を追われた『狼』は主君の亡骸を抱え、島国を脱した。そして流れ着いた大陸で、主君を弔った。そのときに主君の亡骸の上に植えたのが、魂寄りの木だと言われている。以降この魂寄りの木は、『狼』の墓ともなった。
我々一族は主君の木をまもりながらそこに里を築いた。
しかしある日突然、この領土は王のものであるとする触れが出された。どこからか侵攻してきた蛮族が、ここら一帯をおのれの国と定めたようだった。
当時の里長は王の元へと幾度も出向き、交渉を重ねた。王とはいえ国を興したばかりの取るに足らない存在である。『狼』であれば即座に王の首も取れた。
しかし『狼』は、まもるべき主君のためになら牙も剥けるが、肝心の主君を失ったいま、頭をもがれたも同然である。つまり事を構えるほどの覇気はなかった。
そこで折衷案として、国や王に対しては手や口を挟まないことを条件に、現在里を築いている場所だけは『狼』のもとして、不可侵を誓約してもらったのだ。
だが、王は代替わりする。そのたびに王らは『狼』に、里を離れておのれに仕えろと迫ってきた。
そんな折だった。大国サーリークに無謀にも戦を挑んだ王が、『狼』に助力を乞うてきたのは。
里長は今後一切の不干渉と国からの独立を条件に、参戦を決めた。王は『狼』との誓約を軽んじ、度々それを反故にするような人物であったため、今回の誓約もどこまでまもられるかは怪しかった。だから『狼』たちの戦意は乏しかった。
戦いはサーリーク王国の大勝で幕を閉じた。
そして『狼』は巡り合った。サーリークの王に。かつての主君のように、おのれらのいのちを懸けても惜しくないと思える主に。ようやく、巡り合ったのだ。
我々一族は新たなる主、ミュラー王家に仕えることとなった。
対外的には殲滅されたとする『狼』は、亡霊となり影から王家を支え続けた。
主の手足となり、主のために働くことを喜びとする。そんな価値観は現在に至るまで連綿と受け継がれている。
そんな我々にクラウス様は、亡霊をやめ、狼の面をとり、ただの人間として仕えろと仰る。おまえたちは私と対等なのだ、と仰る。
だからだろうか、クラウス様は『狼』に汚れ役をあまりさせたがらない。クラウス様さえ望めば、暗殺だろうか謀殺だろうが、我々はなんだってする覚悟があるのに。
『影』の仕事も、クラウス様は我々に命じたくはないようだった。
だから私は先んじて手を挙げた。
「そのお役目、私にぜひ」
クラウス様の蒼い蒼い瞳が、私に向けられた。
「『影』は要らぬ、とあなた様が判じるまでは、私のような者も必要かと」
頭を下げ、言葉を重ねると、クラウス様が重い溜め息を漏らされた。
この御方は確か私と同い年だ。しかし二十歳とは思えぬほどの貫禄と風格がすでに備わっている。それはこの御方が背負っている責任と、いのちが多いからだろう。
私のいのちもまた、クラウス様の肩に乗ることとなった。
しかし『狼』のいのちは軽い。『狼』は里の全員でひとりの『狼』であるから、仮に私が『影』の役目で死ぬこととなっても、次の『狼』が役目と同時に私のいのちも引き継ぐことになる。『狼』はそうやって受け継がれてゆく。だから私のいのちは、クラウス様の重荷にはならないはずだ。
クラウス様は端整な顔立ちをすこし歪め、長い沈黙の末に、私の申し出を了承してくれた。
斯くして王城へと上がることとなった私だが、その際にクラウス様から『若い男』という名を賜った。
わざとだ、とクラウス様は言った。
「おまえが『狼』をやめ、名乗りたい名ができたときに捨てやすい名にした」
いつでもべつの名を名乗って良い、と告げられ、私は首を横に振った。
名はなんでも良かった。名前は個人を識別するための記号に過ぎない。それよりも主から名を賜ったということの方に喜びがあった。
そう思っていた私だったが、エミール様が。
「スヴェン」
とあまりに気安く、当然のように私をそう呼んだから。
記号以上の音の響きがそこにあるような気がして、どことなく腹の奥がむずむずしてしまった。
エミール様への挨拶を終えたとき、クラウス様が入室してきた。彼はいつのものように黒い片マントを靡かせ、優雅な動作でエミール様に歩み寄ってゆく。
蒼い瞳がちらと私へ向けられた。私は無言で頭を下げた。クラウス様が軽く頷いた。『影』の役割のことはエミール様に悟られないようにと言いつかっている。そのことを眼差しだけで念押しされたのだとわかった。
この直後、私はロンバードさんの「驚くな」と言った意味を思い知ることとなる。
なんとクラウス様が、おもむろにエミール様へと跪いたのだ。
あの、誇り高い騎士が!
「エミール、愛している。私のオメガ」
そう言って、意気揚々と(私にはそう見えた)跪き、最敬礼まで披露しようとしている。
それをロンバードさんが羽交い締めにして、
「だからあんたはいい加減自分の立場ってもんをわきまえやがれって言ってんですけどねぇ!」
と吠えている。
エミール様はとオメガの方を見てみれば、なんだかものすごく嫌そうに顔をしかめてドン引きしていた。
「ちょっと、スヴェンたちの居る前でやめてくださいよ!」
「二人きりのときならいいのか」
「そういう問題じゃないって! もうっ……」
大きなため息を漏らしたエミール様が、しかめっ面のままで私にヒソヒソとささやいてきた。
「あのひと、隙あらば跪こうとするんですよ。王族なのに、変なひとだよね」
「…………」
私は絶句した。
そうか、このひとは騎士の最敬礼の意味を知らないのか……。
クラウス様のあまりに伝わっていない愛情表現がにわかに気の毒になってしまったけれど、私は寡黙な侍従を演じてひたすらに沈黙を貫いたのだった。
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