100 / 127
騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く
1
しおりを挟む
アマーリエの第二子誕生の報せは、エミールが『狼』の里を訪れてから数日後に齎された。
予定よりすこし早い出産だったという。
王城からの遣いがあり、屋敷のホールでクラウスへ向かって高らかに報告する声が、ちょうど中庭の散歩を終えて廊下を歩いていたエミールにも聞こえてきた。
アマーリエとは、怪我を負って以降会っていない。
彼女からは幾度か手紙が届いていたようだ。スヴェンによると、すこしでいいからエミールの顔が見たいという内容だったとのことだ。
エミールもアマーリエに会いたい気持ちはある。
だけどそれを上回る恐怖もあった。
アマーリエに会うということは、自分が喪ったものをまざまざと目の当たりにするということだ。
池のほとりの墓碑の下と、『狼』の里の魂寄りの木に、小さな骨の欠片を埋葬した。そのことで気持ちは一旦落ち着いたが、アマーリエに会うことができるほど気力が回復したわけではない。
でもいつかは会わなければならないだろう。
アマーリエのお腹から生まれた子どもに。
「エミール様」
スヴェンがそっとエミールの肩をさすった。
「中へ入りましょう」
侍従に促され、自室へと入る。扉が閉じると、外からの声は聞こえなくなった。
しばらくしてクラウスが戻ってきた。もう王城からの遣いは帰ったのか。
エミールの顔を見た途端、クラウスの眉がわずかに寄せられた。
「聞こえていたのか」
そう呟いたクラウスが、ソファに座るエミールの前に片膝をついた。
彼の手が、頬に触れた。指で目元を拭われる。その仕草で、エミールは自分が泣いていることを知った。
「大丈夫だ、エル」
抱きしめられて、男の背に縋る。
「オレ……どうすればいいですか」
クラウスの匂いを吸い込みながら、エミールは尋ねた。
祝いの席には、出なければならないだろう。でもその覚悟がない。怖い。自分がなにをするかわからないから怖い。
正気を失って暴れて、クラウスに噛みついたりしていたぐらいだ。
アマーリエの赤ちゃんを見て、またおかしくなって、危害を加えないという保証がない。それが怖い。
泣きながら訴えるエミールを、クラウスが力強く抱き留めていてくれる。
「おまえは自由だ、エル。おまえがしたくないことはしなくていい」
クラウスはそう言ったが、まさかそんなわけにはいかないとエミールは思った。
クラウスの立場で祝いの席に伴侶が欠席するなんて。
けれど、エミールの身に起こったことは、たぶん、王城の関係者は皆知っている。懐妊したことだって医師団を通じて報告されたのだ。想像妊娠だったにしろ流産だったにしろ、エミールのお腹にクラウスとの子どもが居ないことは、もう周知のことなのだろう。それと……子宮を失くして、今後もう二度と、クラウスの子を宿せなくなったことも。
体が震えた。
気鬱は治ったと思ったけれど、まだダメだった。
苦しくて、呼吸が浅くなる。
「エル、エミール。吸うな。吐くんだ」
息の仕方を教えてくれる声の通りに肺の空気を吐こうとしたが、上手くできなくて喉を掻きむしった。
両手をまとめて掴まれた。クラウスの胸に抱きこまれる形で顔を押し付けられ、トン、トン、と背をゆっくり叩かれる。
「大丈夫だ。おまえはちゃんと息ができている。吐いたら、吸う。それだけだ」
頬に当たるクラウスの胸部が、見本を見せるように大きく上下した。その動きに呼吸を合わせている内に、やがて息苦しさはなくなっていった。
スヴェンがチョコレートといい匂いのするお茶を持ってきてくれた。
クラウスがチョコレートを摘まみあげ、エミールの口へと運んでくる。甘味が口いっぱいに広がって、エミールはホッと肩の力を抜いた。その段でようやく、手首を掴んでいた手も離れた。
「王城へは私が行く。おまえはスヴェンとここに居てくれ」
「でも、オレ……」
「大丈夫だ」
「でも、アマルに……会わないと……」
アマーリエにお祝いを伝えたい。その気持ちは嘘じゃない。
「いますぐじゃなくていい。アマルだってそう言うだろう」
クラウスの慰めにエミールは小さく頷いた。
「うん……ごめん」
「なんの謝罪だ」
「オレ、また、ラスにだけ頑張らせてしまうから……」
子どもを喪ったのはエミールだけではない。クラウスもまた、同じ傷を抱えている。
それなのにクラウスは王城へ行き、自分は屋敷で留守番だ。なぜ自分はこんなに弱いのだろうか。
「エル。おまえは充分頑張っている。おまえの努力は、誰よりも私が知っている」
「オレは……オレのは、オレ自身の力じゃないよ。ラスとかスヴェンとか、『狼』たちが支えてくれたからだよ」
「そう言えるおまえだから、強いんだ」
そうだろうか。クラウスの言葉はエミールにはよくわからない。
強いのはクラウスの方だ。おかしくなったエミールを支え続けて、エミールのために騎士団の仕事を休んで、エミールの傷すらもおのれで背負おうとしている。
でも、クラウスがいくら強くても、傷つかないわけではないのに。
オレは甘えてばかりだ、とエミールは思った。
この男のために、エミールができることはなんだろう。それを最近、ずっと、考えている。
だけど本当は……わかっていた。
答えはもう、わかっていた。
エミールは、クラウスの顔を見つめた。蒼い瞳がやさしく自分を映していた。
「……いまから出かけるの?」
「そうだな。一度王城へ行ってくるが、すぐ戻る」
「うん……待ってる」
頷いたエミールの唇に、キスが降ってくる。
本当にすぐ戻るからな、となんども念押しして、クラウスは慌ただしく身支度を整えて王城へと出かけて行った。
それを見送ってからエミールは、スヴェンにひとつの頼みごとをした。
「スヴェン。お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「ファルケンに、会いたい」
ファルケン。エミールの家族も同然の男。彼はまだ一度も顔を見せてくれない。
ずっと、会いたい気持ちはあった。
それと同時に顔を見るのが怖いという気持ちもあった。
ファルケンがエミールの元へ来てくれないのも、同じ理由だろう。
たぶん、お互いに気にしている。
エミールは、自分の軽率な判断でファルケンを離したことを。
ファルケンは、エミールから離れてしまったことを。
お互いが負い目に思っている。
でも、ファルケンにしか頼めないことが、あった。
拒まれても、どうしても会いたい。
断られるだろうか、とスヴェンの顔を伺うと、侍従はあっさりと頷いた。
「『鷹』は呼べばすぐ来ますよ」
「え?」
「気づいておられないようだったので、敢えて言いませんでしたが……『鷹』はずっと、あなたの傍に居ました」
「え? え?」
エミールは部屋を見渡したが、それらしき姿はない。
「外です。さすがに室内に居たら匂いであなたに気づかれますから」
スヴェンが窓の外を指さした。エミールの部屋は屋敷の二階に位置する。スヴェンが示したのはバルコニーだ。
まさかと思いエミールは窓を開けた。誰も居ない。でも、ほのかに匂いがしている。ファルケンのアルファの匂いが。
「上手くなってますね」
スヴェンが軽く眉を上げてそう言った。
「え?」
「隠行です。あなたから隠れたいがために腕を磨いたようです」
以前から思っていたが、スヴェンはファルケンが相手だとことさら言葉に遠慮がなくなる気がする。
エミールは侍従の顔から視線をバルコニーに漂わせ、
「ルー?」
と小声で呼んでみた。
「バラすなよ、影野郎」
苦々しい声とともに、ファルケンの姿がフッとエミールの前に現われた。
予定よりすこし早い出産だったという。
王城からの遣いがあり、屋敷のホールでクラウスへ向かって高らかに報告する声が、ちょうど中庭の散歩を終えて廊下を歩いていたエミールにも聞こえてきた。
アマーリエとは、怪我を負って以降会っていない。
彼女からは幾度か手紙が届いていたようだ。スヴェンによると、すこしでいいからエミールの顔が見たいという内容だったとのことだ。
エミールもアマーリエに会いたい気持ちはある。
だけどそれを上回る恐怖もあった。
アマーリエに会うということは、自分が喪ったものをまざまざと目の当たりにするということだ。
池のほとりの墓碑の下と、『狼』の里の魂寄りの木に、小さな骨の欠片を埋葬した。そのことで気持ちは一旦落ち着いたが、アマーリエに会うことができるほど気力が回復したわけではない。
でもいつかは会わなければならないだろう。
アマーリエのお腹から生まれた子どもに。
「エミール様」
スヴェンがそっとエミールの肩をさすった。
「中へ入りましょう」
侍従に促され、自室へと入る。扉が閉じると、外からの声は聞こえなくなった。
しばらくしてクラウスが戻ってきた。もう王城からの遣いは帰ったのか。
エミールの顔を見た途端、クラウスの眉がわずかに寄せられた。
「聞こえていたのか」
そう呟いたクラウスが、ソファに座るエミールの前に片膝をついた。
彼の手が、頬に触れた。指で目元を拭われる。その仕草で、エミールは自分が泣いていることを知った。
「大丈夫だ、エル」
抱きしめられて、男の背に縋る。
「オレ……どうすればいいですか」
クラウスの匂いを吸い込みながら、エミールは尋ねた。
祝いの席には、出なければならないだろう。でもその覚悟がない。怖い。自分がなにをするかわからないから怖い。
正気を失って暴れて、クラウスに噛みついたりしていたぐらいだ。
アマーリエの赤ちゃんを見て、またおかしくなって、危害を加えないという保証がない。それが怖い。
泣きながら訴えるエミールを、クラウスが力強く抱き留めていてくれる。
「おまえは自由だ、エル。おまえがしたくないことはしなくていい」
クラウスはそう言ったが、まさかそんなわけにはいかないとエミールは思った。
クラウスの立場で祝いの席に伴侶が欠席するなんて。
けれど、エミールの身に起こったことは、たぶん、王城の関係者は皆知っている。懐妊したことだって医師団を通じて報告されたのだ。想像妊娠だったにしろ流産だったにしろ、エミールのお腹にクラウスとの子どもが居ないことは、もう周知のことなのだろう。それと……子宮を失くして、今後もう二度と、クラウスの子を宿せなくなったことも。
体が震えた。
気鬱は治ったと思ったけれど、まだダメだった。
苦しくて、呼吸が浅くなる。
「エル、エミール。吸うな。吐くんだ」
息の仕方を教えてくれる声の通りに肺の空気を吐こうとしたが、上手くできなくて喉を掻きむしった。
両手をまとめて掴まれた。クラウスの胸に抱きこまれる形で顔を押し付けられ、トン、トン、と背をゆっくり叩かれる。
「大丈夫だ。おまえはちゃんと息ができている。吐いたら、吸う。それだけだ」
頬に当たるクラウスの胸部が、見本を見せるように大きく上下した。その動きに呼吸を合わせている内に、やがて息苦しさはなくなっていった。
スヴェンがチョコレートといい匂いのするお茶を持ってきてくれた。
クラウスがチョコレートを摘まみあげ、エミールの口へと運んでくる。甘味が口いっぱいに広がって、エミールはホッと肩の力を抜いた。その段でようやく、手首を掴んでいた手も離れた。
「王城へは私が行く。おまえはスヴェンとここに居てくれ」
「でも、オレ……」
「大丈夫だ」
「でも、アマルに……会わないと……」
アマーリエにお祝いを伝えたい。その気持ちは嘘じゃない。
「いますぐじゃなくていい。アマルだってそう言うだろう」
クラウスの慰めにエミールは小さく頷いた。
「うん……ごめん」
「なんの謝罪だ」
「オレ、また、ラスにだけ頑張らせてしまうから……」
子どもを喪ったのはエミールだけではない。クラウスもまた、同じ傷を抱えている。
それなのにクラウスは王城へ行き、自分は屋敷で留守番だ。なぜ自分はこんなに弱いのだろうか。
「エル。おまえは充分頑張っている。おまえの努力は、誰よりも私が知っている」
「オレは……オレのは、オレ自身の力じゃないよ。ラスとかスヴェンとか、『狼』たちが支えてくれたからだよ」
「そう言えるおまえだから、強いんだ」
そうだろうか。クラウスの言葉はエミールにはよくわからない。
強いのはクラウスの方だ。おかしくなったエミールを支え続けて、エミールのために騎士団の仕事を休んで、エミールの傷すらもおのれで背負おうとしている。
でも、クラウスがいくら強くても、傷つかないわけではないのに。
オレは甘えてばかりだ、とエミールは思った。
この男のために、エミールができることはなんだろう。それを最近、ずっと、考えている。
だけど本当は……わかっていた。
答えはもう、わかっていた。
エミールは、クラウスの顔を見つめた。蒼い瞳がやさしく自分を映していた。
「……いまから出かけるの?」
「そうだな。一度王城へ行ってくるが、すぐ戻る」
「うん……待ってる」
頷いたエミールの唇に、キスが降ってくる。
本当にすぐ戻るからな、となんども念押しして、クラウスは慌ただしく身支度を整えて王城へと出かけて行った。
それを見送ってからエミールは、スヴェンにひとつの頼みごとをした。
「スヴェン。お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「ファルケンに、会いたい」
ファルケン。エミールの家族も同然の男。彼はまだ一度も顔を見せてくれない。
ずっと、会いたい気持ちはあった。
それと同時に顔を見るのが怖いという気持ちもあった。
ファルケンがエミールの元へ来てくれないのも、同じ理由だろう。
たぶん、お互いに気にしている。
エミールは、自分の軽率な判断でファルケンを離したことを。
ファルケンは、エミールから離れてしまったことを。
お互いが負い目に思っている。
でも、ファルケンにしか頼めないことが、あった。
拒まれても、どうしても会いたい。
断られるだろうか、とスヴェンの顔を伺うと、侍従はあっさりと頷いた。
「『鷹』は呼べばすぐ来ますよ」
「え?」
「気づいておられないようだったので、敢えて言いませんでしたが……『鷹』はずっと、あなたの傍に居ました」
「え? え?」
エミールは部屋を見渡したが、それらしき姿はない。
「外です。さすがに室内に居たら匂いであなたに気づかれますから」
スヴェンが窓の外を指さした。エミールの部屋は屋敷の二階に位置する。スヴェンが示したのはバルコニーだ。
まさかと思いエミールは窓を開けた。誰も居ない。でも、ほのかに匂いがしている。ファルケンのアルファの匂いが。
「上手くなってますね」
スヴェンが軽く眉を上げてそう言った。
「え?」
「隠行です。あなたから隠れたいがために腕を磨いたようです」
以前から思っていたが、スヴェンはファルケンが相手だとことさら言葉に遠慮がなくなる気がする。
エミールは侍従の顔から視線をバルコニーに漂わせ、
「ルー?」
と小声で呼んでみた。
「バラすなよ、影野郎」
苦々しい声とともに、ファルケンの姿がフッとエミールの前に現われた。
390
お気に入りに追加
785
あなたにおすすめの小説
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる