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狼と名もなき墓標
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わかった、とマリウスは頷いた。
「騎士団長のつがいの処遇については、一度国王陛下の沙汰を仰いでこよう」
昨年の革命派の一件を受け、国王シュラウドはマリウスを次期国王へと正式に指名している。そのため国政の一切については現在はマリウスが国王代理として担っていた。もちろん、最終的な責任はシュラウドにあったが、実務を取り仕切るのはマリウスであった。
だから今回の件も、国王の承認というのは形ばかりのものだ。マリウスさえ是と言えばそれは直ちに通るだろう。
そこを敢えて陛下の沙汰をと言ったのは、ほんのわずかでも時間を稼ぎたかったからだ。
誰が、なにを、どうしようとしているのか。見極めるにはまだ情報が混沌としすぎている。
マリウスの言葉に、議長が物言いたげに唇を動かした。
マリウスが片眉を上げ、
「なんだ?」
と問いかけると、彼はすこしの沈黙の後、
「我々は皆、あなた様の治める国が平和で盤石なものとなるよう、粉骨砕身お仕えする一心です」
改まった口調でそう言った。
マリウスは数拍、議長の目を見つめた。国王シュラウドを、そしていまは自分を支えてくれる扇の要のような存在だ。革命派がクラウスを使って叛逆を企てていたと知ったとき、この議長がひどくこころを痛めていたことを覚えている。
他の大臣や貴族の面々もだ。穏健派に位置する彼らは皆、ミュラー家の治世を支持し、平和を愛している。
「俺は、諸君らの忠誠を疑ってはおらぬ」
「ならば冷静な判断をお願いいたします」
議長が頭を下げた。
冷静な判断だと? マリウスは胸の中で呟いた。
マリウスに言わせれば、冷静でないのは議長を始め、いまここでエミールの造反について声を上げている貴族たちの方だ。
しかしいまここでその問答をしても無意味だろうということもわかっていた。
エミールの無実を訴えるには、多勢に無勢が過ぎた。
「俺が陛下へ話をつける間、証拠を集めておけ。エミールが造反を企てたとする証拠だ。それがなければ呼び出したところで尋問もなにもできんだろう」
「恐れながら、マリウス様。彼の者が造反を企ててないとする証拠もまた、現時点ではございません」
「……疑わしきは罰せよとでも言いたいか」
「そのための聴取の場が必要であると申し上げております」
「……わかった。その言葉、陛下へと伝えてこよう」
マリウスは腰を上げ、議会室を出た。
なんとも言えぬ気持ち悪さがあった。なんだ、この違和感は。
考えながら廊下を足早に歩いていると、不意にざわりと空気が動いた。
背後で護衛が剣を抜く気配がした。マリウスは咄嗟に右手を上げ、それを止めた。
周囲に誰も居ないことを確認してから、一番近くにあった部屋の扉を開いた。室内は薄暗かった。カーテンを開けても曇天が広がるばかりで、陰鬱な灰色の空を見てマリウスは溜め息をついた。
「王城内で許可なく姿隠しは使うなと、クラウスに言われていないのか」
マリウスが問いを向けた先では、白金髪の男が跪いている。エミールに付いている『狼』だ。確か、名はスヴェン。
自らを亡霊と称する『狼』の一族は、名前がないのがふつうだ。名があるということは、『狼』以外に与えられた役割があるということだろう。
マリウスはひたいを押さえ、低頭しているスヴェンへと苦い声を向けた。
「おまえの姿隠しのせいで俺の護衛だけでなく、他の連中もざわついているぞ」
王城内には、『狼』のように姿を隠せる護衛たちが、それぞれの主をまもるための配置についている。どの貴族がどんな私兵を抱えているか、それらは公にはされていない。
だが、王城内では護衛は護衛に徹し、他の諜報活動は行ってはならないという不文律がある。それゆえ、どこの護衛も無暗に姿を眩ませたりはしない。
しかしスヴェンが隠行で城内へと忍び込んだせいで、その気配を察した護衛たちに要らぬ緊張が走っている。彼がクラウスの配下でなければ厳罰ものだ。
スヴェンは素直に非を認め、深く謝罪をした。その後にこう続けた。
「私としてもこのような手段を取るしかなかったことが大変遺憾に思います。しかし、火急の用件であると伝えても、待てど暮らせどマリウス様への御目通りが適いませんでしたので、已む無く……」
マリウスは目を眇めた。
「……クラウスの名を出しても、謁見の要請が通らなかったのか?」
「左様にございます」
「それは妙だな」
平常であれば、考えられないことだ。
「わかった。この件は後で調査する。用件はなんだ」
本日の王城の人員配置はどうなっていたか。マリウスは頭の中で考えながら、スヴェンへと尋ねた。
スヴェンが「こちらを」と封書を差し出してくる。ミュラー家の紋章の入った封蝋があった。中を検めると、アマーリエがエミールに宛てた手紙だった。
一読したマリウスは、思わず低く唸った。
「恐れながらこちらの内容の真贋を確認するために、参りました」
スヴェンが顔を伏せたまま告げてくる。
なんだこれは、とマリウスは眉を寄せた。アマーリエには確かに、エミールに手紙を書けと命じた。しかし内容があまりに違いすぎる。
アマーリエが送ったのは、マリウスの指示があるまで迂闊に動くな、とするものだったはずだ。しかしスヴェンが持ってきた封書には、クラウスが騎士団諸共行方不明となった、その安否も不明であるとするもので、いたずらにエミールの不安を煽るような内容が綴られていた。
しかし、筆跡はアマーリエのもののように見える。急いで書いたのだろう、乱れた字の中にも、彼女の文字の癖があった。封蝋の紋章も確かにミュラー家のものだ。
「クラウス様の安否は、いかに」
「すこし待て」
短く問うてきたスヴェンへと、マリウスはてのひらを向けた。
思考が混乱している。ひとつひとつ事実確認を行いたいが、時間がない。議会に戻るのが遅くなればなるほど、議長を始め他の者たちが強引にエミールの招聘へ向けて動き出しそうだ。
おのれの知らぬ場所で物事が進んでしまうと、対応が後手に回る。場を仕切るのは王太子である自分、そう持っていかなければ、さらに全容が掴みにくくなってしまう。
「ここで待機していろ。アマルを呼んでおけ」
言葉の後半は自身の護衛に向けて、マリウスはひとまず父の元へと急いだ。
「騎士団長のつがいの処遇については、一度国王陛下の沙汰を仰いでこよう」
昨年の革命派の一件を受け、国王シュラウドはマリウスを次期国王へと正式に指名している。そのため国政の一切については現在はマリウスが国王代理として担っていた。もちろん、最終的な責任はシュラウドにあったが、実務を取り仕切るのはマリウスであった。
だから今回の件も、国王の承認というのは形ばかりのものだ。マリウスさえ是と言えばそれは直ちに通るだろう。
そこを敢えて陛下の沙汰をと言ったのは、ほんのわずかでも時間を稼ぎたかったからだ。
誰が、なにを、どうしようとしているのか。見極めるにはまだ情報が混沌としすぎている。
マリウスの言葉に、議長が物言いたげに唇を動かした。
マリウスが片眉を上げ、
「なんだ?」
と問いかけると、彼はすこしの沈黙の後、
「我々は皆、あなた様の治める国が平和で盤石なものとなるよう、粉骨砕身お仕えする一心です」
改まった口調でそう言った。
マリウスは数拍、議長の目を見つめた。国王シュラウドを、そしていまは自分を支えてくれる扇の要のような存在だ。革命派がクラウスを使って叛逆を企てていたと知ったとき、この議長がひどくこころを痛めていたことを覚えている。
他の大臣や貴族の面々もだ。穏健派に位置する彼らは皆、ミュラー家の治世を支持し、平和を愛している。
「俺は、諸君らの忠誠を疑ってはおらぬ」
「ならば冷静な判断をお願いいたします」
議長が頭を下げた。
冷静な判断だと? マリウスは胸の中で呟いた。
マリウスに言わせれば、冷静でないのは議長を始め、いまここでエミールの造反について声を上げている貴族たちの方だ。
しかしいまここでその問答をしても無意味だろうということもわかっていた。
エミールの無実を訴えるには、多勢に無勢が過ぎた。
「俺が陛下へ話をつける間、証拠を集めておけ。エミールが造反を企てたとする証拠だ。それがなければ呼び出したところで尋問もなにもできんだろう」
「恐れながら、マリウス様。彼の者が造反を企ててないとする証拠もまた、現時点ではございません」
「……疑わしきは罰せよとでも言いたいか」
「そのための聴取の場が必要であると申し上げております」
「……わかった。その言葉、陛下へと伝えてこよう」
マリウスは腰を上げ、議会室を出た。
なんとも言えぬ気持ち悪さがあった。なんだ、この違和感は。
考えながら廊下を足早に歩いていると、不意にざわりと空気が動いた。
背後で護衛が剣を抜く気配がした。マリウスは咄嗟に右手を上げ、それを止めた。
周囲に誰も居ないことを確認してから、一番近くにあった部屋の扉を開いた。室内は薄暗かった。カーテンを開けても曇天が広がるばかりで、陰鬱な灰色の空を見てマリウスは溜め息をついた。
「王城内で許可なく姿隠しは使うなと、クラウスに言われていないのか」
マリウスが問いを向けた先では、白金髪の男が跪いている。エミールに付いている『狼』だ。確か、名はスヴェン。
自らを亡霊と称する『狼』の一族は、名前がないのがふつうだ。名があるということは、『狼』以外に与えられた役割があるということだろう。
マリウスはひたいを押さえ、低頭しているスヴェンへと苦い声を向けた。
「おまえの姿隠しのせいで俺の護衛だけでなく、他の連中もざわついているぞ」
王城内には、『狼』のように姿を隠せる護衛たちが、それぞれの主をまもるための配置についている。どの貴族がどんな私兵を抱えているか、それらは公にはされていない。
だが、王城内では護衛は護衛に徹し、他の諜報活動は行ってはならないという不文律がある。それゆえ、どこの護衛も無暗に姿を眩ませたりはしない。
しかしスヴェンが隠行で城内へと忍び込んだせいで、その気配を察した護衛たちに要らぬ緊張が走っている。彼がクラウスの配下でなければ厳罰ものだ。
スヴェンは素直に非を認め、深く謝罪をした。その後にこう続けた。
「私としてもこのような手段を取るしかなかったことが大変遺憾に思います。しかし、火急の用件であると伝えても、待てど暮らせどマリウス様への御目通りが適いませんでしたので、已む無く……」
マリウスは目を眇めた。
「……クラウスの名を出しても、謁見の要請が通らなかったのか?」
「左様にございます」
「それは妙だな」
平常であれば、考えられないことだ。
「わかった。この件は後で調査する。用件はなんだ」
本日の王城の人員配置はどうなっていたか。マリウスは頭の中で考えながら、スヴェンへと尋ねた。
スヴェンが「こちらを」と封書を差し出してくる。ミュラー家の紋章の入った封蝋があった。中を検めると、アマーリエがエミールに宛てた手紙だった。
一読したマリウスは、思わず低く唸った。
「恐れながらこちらの内容の真贋を確認するために、参りました」
スヴェンが顔を伏せたまま告げてくる。
なんだこれは、とマリウスは眉を寄せた。アマーリエには確かに、エミールに手紙を書けと命じた。しかし内容があまりに違いすぎる。
アマーリエが送ったのは、マリウスの指示があるまで迂闊に動くな、とするものだったはずだ。しかしスヴェンが持ってきた封書には、クラウスが騎士団諸共行方不明となった、その安否も不明であるとするもので、いたずらにエミールの不安を煽るような内容が綴られていた。
しかし、筆跡はアマーリエのもののように見える。急いで書いたのだろう、乱れた字の中にも、彼女の文字の癖があった。封蝋の紋章も確かにミュラー家のものだ。
「クラウス様の安否は、いかに」
「すこし待て」
短く問うてきたスヴェンへと、マリウスはてのひらを向けた。
思考が混乱している。ひとつひとつ事実確認を行いたいが、時間がない。議会に戻るのが遅くなればなるほど、議長を始め他の者たちが強引にエミールの招聘へ向けて動き出しそうだ。
おのれの知らぬ場所で物事が進んでしまうと、対応が後手に回る。場を仕切るのは王太子である自分、そう持っていかなければ、さらに全容が掴みにくくなってしまう。
「ここで待機していろ。アマルを呼んでおけ」
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