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騎士の帰還

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 三年ぶりに見たアダムは、当時よりも痩せて疲れた顔をしていた。
 クラウスに保護されたエミールや子どもたちと違って、村人たちは三々五々に親戚や知人を頼って他の村に移っていったと聞いている。そこには相当な苦労があったのだろう。

 アダムは孤児院を巣立っていった卒院生たちをに王都での職を斡旋していたぐらいだから、もしかしたらあの野盗の襲撃の後、王都付近で暮らしていたのかもしれない。
 これまでなにをしていたのだろうか。他の村人の近況も知っているのだろうか。
 聞きたいことが色々あって、エミールは胸いっぱいになりながら「久しぶり」と言おうとした。
 それができなかったのは、あの穏やかだったアダムが血走った、凄まじい形相でこちらを睨んできたからだ。

「いい服を着ているな」

 彼の第一声がそれだった。
 しわがれた老人のような声音に驚いて、エミールは一歩後ずさった。

「なに……」
「ただの田舎の平民が、オメガってだけでいまや王家の紋章入りのか。世の中不公平だよなぁ」
「…………アダム?」

 エミールが物心ついたころより、アダムは孤児院を支えてくれる大人のひとりだった。幼いエミールからしたら背の高いひとは皆大人に見えたが、当時のアダムはいまのエミールとそう変わらない歳だったのかもしれない。
 顔を合わせると愛想良く笑って、エミールの頭を撫でてくれたのを覚えている。

 十八になったら孤児院を出なければならない。その規則に従って、ひとり、またひとりと院を去ってゆくのを見送ったエミールに、アダムは言ったものだ。

 おまえも十八になったら王都に連れて行ってあげるからな。
 王都は広く、ひとも多いからどんな仕事でもある、おまえはなにがしたい? やりたい仕事に就けるようにしてやろうな。俺に任せておけ。

 アダムに王都へと連れて行ってもらった卒院生たちは、皆しあわせに暮らしているという。王都がいかにすばらしいところか、エミールは度々アダムから教えられた。

 手紙をなんどか書こうとした。孤児院を出た兄や姉たちに。
 けれどそれを止めたのもアダムだった。

 あの子たちは新しい環境で頑張ってるんだ。里心がついたら可哀想だから、向こうから手紙が来るのを待ってような。

 アダムに説得され、エミールはペンを置いた。
 結局、王都へ行った誰からも、孤児院宛てに手紙が届くことはなかった。たぶん、王都が楽しすぎて院のことは忘れてしまったのだ。エミールはそう思っていた。

 腕に、アダムの指先が食い込んだ。痛みに呻いて男の手を振りほどこうとしたが、ますます強い力で掴まれた。

「アダム、痛い……」

 怯んだ声が漏れた。
 体が震えている。なんだこの圧迫感は。

 呼吸をしようと唇を開いた。入り込んできたのは、匂いだった。
 エミールを押しつぶそうとしてくる、怖い匂いだ。

 ふだんのエミールであれば、きっとアダムを突き飛ばすぐらいはできただろう。しかし暴力的なまでに襲い掛かってくる匂いに、本能が怯えてしまっている。

「アダム……アルファ……」

 切れ切れに、エミールは呻いた。
 アダムはアルファだったのか。そしてアルファの誘発香は、こんなふうにオメガを威圧できるものだったのか。
 二重の驚きにエミールは目を瞠った。

「おまえのせいだぞ、エミール」
「な、なに、が」
「おまえがことごとく俺の邪魔をするから……俺はもう終わりだ! くそっ! こんなことになるなら、とっととアイクを売ってりゃ良かった!」
「…………え?」

 本能的な恐怖に思考が上手く回らなくなってきたが、アイクの名にハッと意識を戻される。
 アイクを、売る? 売ると言ったのか?

「ま、って……よく、わからな、い」
「こうなったらおまえでいい! 来いっ!」

 乱暴に腕を引かれ、エミールはよろけた。萎えた足が言うことを聞かずに、踏ん張ることもできない。
 倒れそうになった体をアダムに抱きとめられた。怖い匂いが皮膚に張り付く。それが目に見えるようで、震えが強くなった。

 なんでオレはこんな、頼りなく、か弱い少女のように震えていることしかできないのだろう。
 情けなくなって、唇を噛んだ。

 私と一緒に闘ってくれ。クラウスにそう乞われ、ともに在ると誓ったのに。
 契約の期間はまだ数日残っているのに。
 なのになぜ、自分は震えているのか。

 クラウスのオメガとして、クラウスと闘うと、決めたのに。

 エミールは眉間に力を込め、口を開いた。
 アダムの体を覆う外套の上から、男の腕に思いきり噛みついた。

 ぎゃっ、と悲鳴を上げたアダムが、エミールを突き飛ばした。エミールは地面に転がった。咄嗟に手をついていたようで、手首に痛みが走る。てのひらを擦りむき、そこもヒリヒリと痛んだ。

 痛みのおかげで恐怖がすこし減った気がする。竦んでいた手足が動くようになった。
 アダムからすこしでも離れようと、背を向けて立ち上がる。施設の建物に逃げ込めばスヴェンが居る。エミールひとりで立ち向かうことができなくても、スヴェンと二人なら……ああでもあそこには子どもたちが居る。あの子たちに怖い思いはさせられない。アダムは建物の中までは追って来ないだろうか。

 思考が混乱して、どこに足を向けていいかわからなくなった。エミールの一瞬の躊躇をアダムは見逃さなかった。
 また腕をとられた。こんどは両腕をまとめて、背後で縛られる。縄なんていつ取り出したのか……。

 顎を掴まれた。ぐっと押さえられ、顔を逸らすこともできなくなる。

 アダムが憤怒の表情で、ひたいが触れるほど近くに顔を寄せてきた。

「ひどい真似をするな、エミール。おまえにはあんなに目をかけてやったのに。ほんのガキの頃から可愛がってやったろ? おまえは絶対にオメガになると思ってたからな。それなのに俺がおまえに近づこうとするたびに、ファルケンが邪魔しやがって」

 憎々しげに吐き捨てた男を、エミールは呆然と見つめた。
 なぜファルケンの名が出たのか。
 さっきからわからないことだらけだ。
 ひとつだけわかっていることは、この男から逃げなければならないということだけだった。

 そのとき、背後からなにかが飛んでくる音が聞こえた。
 ビュッ、と空を切って斜め上から顔の横を通ったなにかが、アダムの腕に刺さった。
  
 
 
 
    
   
 
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