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オメガとして
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クラウスに包まれている右手が、熱を持ったように熱かった。
てのひらに汗をかいている。
「闘うって、なに、と」
エミールのその問いに、クラウスは答えなかった。ただ、こちらをじっと見上げ、
「エミール。頼む。私の隣で、私をまもってくれ」
とほとんど懇願するように囁いた。
エミールは息を飲んだ。
なんてずるい男だろう。頭の片隅でそう思う。
エミールは頼られることに弱い。それをたぶん、クラウスもわかっている。ファルケンとのやりとりも見られていた。エル、頼む。そう言われて折れた場面に、クラウスも立ち会っていた。
ふつうに考えて、エミールごときがクラウスをまもれるはずがない。
けれど顔つきは真剣そのもので、冗談を言っているようには思えなかった。
それに、この匂い。クラウスから発されるアルファの香り。それがエミールに、おまえが必要だと訴えかけている。
ぶるり、と腰が震えた。
直情的なおのれの性格を、エミールは自覚している。もっとちゃんと考えて発言するようにしなければならない。頭ではわかっているのに、口から飛び出そうとする言葉はエミールの思考を裏切っていた。
「……わかりました」
承諾をしてしまってから、やはりすぐに後悔した。
でも、こんなに凛々しくうつくしい騎士にこんなふうに頼られて、手を払いのけられる人間が居るならば見てみたい。エミールはやけくそのようにもう一度「わかりました!」と言葉にした。
「あなたの傍に居ます」
「エミール!」
「でも! つがいにはなりません」
「エミール!」
同じ単語なのに喜色と悲哀の感情が混じるとここまで聞こえ方が違うのか、とクラウスが自分の名を呼ぶのを他人事のように聞き、思わず笑いそうになってしまう。
エミールは表情を引き締めて、年上の男を見下ろした。
片膝をつき、恭しくエミールの右手を両手に包んでいる騎士は、エミールの次の言葉を固唾を飲んで待っていた。
神々しい金髪と、宝石のような蒼い瞳。こんなに高貴な男がいち庶民の発言に一喜一憂する様がおかしかった。
「お試し期間を設けましょう」
「お試し期間?」
「はい。オレはまだあなたのことをほとんど知りません。あなただってそうだ。それに、運命だなんだってそんなものに踊らされるのはオレは嫌です。あなただっていまはオレのことを運命だって言ってますが、そのうち冷めるかもしれない」
「エミール!」
とんでもない、とばかりにクラウスが首を横に振った。
エミールは彼の手の中から右手を引き抜き、立ち上がった。
「先のことなんてわからないでしょう。だからお試しです。オレはあなたの傍で、あなたの……敵? そんなものが居るのかわかりませんが、それと闘います。つがいの件も、ちゃんと考えます。だからあなたも、本当にオレでいいのか確かめてください」
エミールの動きに合わせて、クラウスも腰を上げた。折り曲げていた膝を伸ばし、片マントをひらりと揺らしてエミールと向かい合う。
さっきまで見えていたつむじは高い位置にいってしまい、今度はエミールが見下ろされる形となった。
「オレは生まれてすぐに親に捨てられたような孤児で、田舎の村で育った教養の欠片もない平民で、この通り口も悪い。あなたの世界に、オレはきっと馴染まない」
「エミール、それは……」
「本当のことです。オレはあなたを試します。つがいになってあなたとずっと一緒に居たいと思えるかどうか、試します。だからあなたもオレを試してください。本当にオレを、つがいにしたいのかどうか」
「……期間は?」
クラウスが低く問うてきた。
エミールはすこし考え、三年、と答えた。
長すぎる、とクラウスの唇が声にならぬ声を上げた。でもエミールはそれぐらいがちょうどいいと思った。三年もあれば、きっと、互いがどんな決断をしたとしても納得できる。
しばらくエミールの瞳をじっと見つめていたクラウスが、やがてゆるゆると嘆息した。
「わかった。三年だな」
「はい」
「ではこれより三年間、きみは私のつがい候補だ」
「はい」
「これは、きみと私、二人だけの契約だ。左手を」
促されるままに、クラウスの差し出した右のてのひらの上に、おのれの左手を重ねた。
クラウスが目の高さまでそれを持ち上げ、
「軍神フォルスと、万物の神ヴォーダンの名のもとに、私はこの三年、エミールとともに在ると誓う」
と、まるで聖句を詠唱するかのように滑らかな声で告げた。
……あれ?
ちょっと待て。これではまるで……。
「エミール、きみも」
真面目な顔で目配せをされて、エミールは慌てて口を開いた。
「オレも誓います。えっと……三年間、クラウス様の傍に居ます」
こういうときの文言などろくに知らないエミールが、たどたどしく明言すると、クラウスがエミールの左手をおのれの口元へと引き寄せ、薬指の付け根の辺りに唇をつけた。
「ちょっと!」
咄嗟に抗議の声を上げたエミールだったが、クラウスはキスをするのが至極当然と言わんばかりの仕草で、ゆっくりと顔を上げた。
「知っているか。左手の薬指の血管は、心臓に直接繋がっているんだと。エミール、これで私の誓いは、きみの心臓に刻まれた」
話しながら、クラウスが彼の左手をエミールの方へと差し出してくる。
え? え? と戸惑いながらもエミールは反射的に彼の大きなてのひらを、右手で受け止めた。
同じようにすればいいのだろうか。
ぎくしゃくと彼の左手に唇を寄せ、筋張った硬い手の甲の、薬指の付け根に短いキスをした。
クラウスが満足げにひとつ頷いた。
エミールは解放された左手を胸元へと引き寄せ、ドキドキと鳴る胸をさする。
なんだろうこれは。
高貴なる身分の方々はこんなふうに契約を結ぶのだろうか。
こんな……こんな、まるで、結婚でもするような誓いとともに……。
薬指に、クラウスの唇の感触が残っている。それは彼も同じだったようで、クラウスもおのれの指の付け根をじっと見つめていた。
なんだかすごく恥ずかしいことをしたような気分になってくる。
照れ隠しで背中を向けようとしたら、伸びてきた両腕にぎゅうと抱きしめられた。
腕を突っぱって逃れようとしたが、あまりに強い力だったので驚いた。縋りついてくるかのような抱擁だった。
耳元でクラウスがなにかを囁いた。小さすぎて、聞き逃しそうになった。
「……王城では、誰の言うことも信じるな」
「え……わぷっ!」
掻き抱かれて、鼻先が黒衣の胸元に埋まる。息が止まりそうになって藻掻いていると、またクラウスの囁きが聞こえた。
「訂正する。王城では、ファルケン以外を信じるな」
ファルケン。不意に出てきた幼馴染の名に、エミールはまばたきをした。
ファルケン以外を信じるな?
きつい抱擁がふっとほどけた。
はふっと大きく息をすると、クラウスがエミールの乱れた髪を手櫛で整えてくれた。
「エミール」
「……はい」
「きみは私の婚約者となった。そのため、部屋を移る必要がある」
「婚約者っ?」
ぎょっとして声が裏返った。
そんなものになった覚えはない、と言い返そうとして、はたと思いとどまる。
そうか、『つがい候補』ということは婚約者も同然の立場になるのか。
もしかしてオレ、早まった真似をしたんじゃないか……?
起こったことは変えられぬ。
エミールは力なく項垂れつつも、それを受け入れた。
早速今後の打ち合わせを始めたクラウスの顔を見上げながら、エミールは先ほどの囁きの意味を考えた。
ファルケン以外を信じるな、ということは。
クラウスのことも疑え、という意味だろうか……?
てのひらに汗をかいている。
「闘うって、なに、と」
エミールのその問いに、クラウスは答えなかった。ただ、こちらをじっと見上げ、
「エミール。頼む。私の隣で、私をまもってくれ」
とほとんど懇願するように囁いた。
エミールは息を飲んだ。
なんてずるい男だろう。頭の片隅でそう思う。
エミールは頼られることに弱い。それをたぶん、クラウスもわかっている。ファルケンとのやりとりも見られていた。エル、頼む。そう言われて折れた場面に、クラウスも立ち会っていた。
ふつうに考えて、エミールごときがクラウスをまもれるはずがない。
けれど顔つきは真剣そのもので、冗談を言っているようには思えなかった。
それに、この匂い。クラウスから発されるアルファの香り。それがエミールに、おまえが必要だと訴えかけている。
ぶるり、と腰が震えた。
直情的なおのれの性格を、エミールは自覚している。もっとちゃんと考えて発言するようにしなければならない。頭ではわかっているのに、口から飛び出そうとする言葉はエミールの思考を裏切っていた。
「……わかりました」
承諾をしてしまってから、やはりすぐに後悔した。
でも、こんなに凛々しくうつくしい騎士にこんなふうに頼られて、手を払いのけられる人間が居るならば見てみたい。エミールはやけくそのようにもう一度「わかりました!」と言葉にした。
「あなたの傍に居ます」
「エミール!」
「でも! つがいにはなりません」
「エミール!」
同じ単語なのに喜色と悲哀の感情が混じるとここまで聞こえ方が違うのか、とクラウスが自分の名を呼ぶのを他人事のように聞き、思わず笑いそうになってしまう。
エミールは表情を引き締めて、年上の男を見下ろした。
片膝をつき、恭しくエミールの右手を両手に包んでいる騎士は、エミールの次の言葉を固唾を飲んで待っていた。
神々しい金髪と、宝石のような蒼い瞳。こんなに高貴な男がいち庶民の発言に一喜一憂する様がおかしかった。
「お試し期間を設けましょう」
「お試し期間?」
「はい。オレはまだあなたのことをほとんど知りません。あなただってそうだ。それに、運命だなんだってそんなものに踊らされるのはオレは嫌です。あなただっていまはオレのことを運命だって言ってますが、そのうち冷めるかもしれない」
「エミール!」
とんでもない、とばかりにクラウスが首を横に振った。
エミールは彼の手の中から右手を引き抜き、立ち上がった。
「先のことなんてわからないでしょう。だからお試しです。オレはあなたの傍で、あなたの……敵? そんなものが居るのかわかりませんが、それと闘います。つがいの件も、ちゃんと考えます。だからあなたも、本当にオレでいいのか確かめてください」
エミールの動きに合わせて、クラウスも腰を上げた。折り曲げていた膝を伸ばし、片マントをひらりと揺らしてエミールと向かい合う。
さっきまで見えていたつむじは高い位置にいってしまい、今度はエミールが見下ろされる形となった。
「オレは生まれてすぐに親に捨てられたような孤児で、田舎の村で育った教養の欠片もない平民で、この通り口も悪い。あなたの世界に、オレはきっと馴染まない」
「エミール、それは……」
「本当のことです。オレはあなたを試します。つがいになってあなたとずっと一緒に居たいと思えるかどうか、試します。だからあなたもオレを試してください。本当にオレを、つがいにしたいのかどうか」
「……期間は?」
クラウスが低く問うてきた。
エミールはすこし考え、三年、と答えた。
長すぎる、とクラウスの唇が声にならぬ声を上げた。でもエミールはそれぐらいがちょうどいいと思った。三年もあれば、きっと、互いがどんな決断をしたとしても納得できる。
しばらくエミールの瞳をじっと見つめていたクラウスが、やがてゆるゆると嘆息した。
「わかった。三年だな」
「はい」
「ではこれより三年間、きみは私のつがい候補だ」
「はい」
「これは、きみと私、二人だけの契約だ。左手を」
促されるままに、クラウスの差し出した右のてのひらの上に、おのれの左手を重ねた。
クラウスが目の高さまでそれを持ち上げ、
「軍神フォルスと、万物の神ヴォーダンの名のもとに、私はこの三年、エミールとともに在ると誓う」
と、まるで聖句を詠唱するかのように滑らかな声で告げた。
……あれ?
ちょっと待て。これではまるで……。
「エミール、きみも」
真面目な顔で目配せをされて、エミールは慌てて口を開いた。
「オレも誓います。えっと……三年間、クラウス様の傍に居ます」
こういうときの文言などろくに知らないエミールが、たどたどしく明言すると、クラウスがエミールの左手をおのれの口元へと引き寄せ、薬指の付け根の辺りに唇をつけた。
「ちょっと!」
咄嗟に抗議の声を上げたエミールだったが、クラウスはキスをするのが至極当然と言わんばかりの仕草で、ゆっくりと顔を上げた。
「知っているか。左手の薬指の血管は、心臓に直接繋がっているんだと。エミール、これで私の誓いは、きみの心臓に刻まれた」
話しながら、クラウスが彼の左手をエミールの方へと差し出してくる。
え? え? と戸惑いながらもエミールは反射的に彼の大きなてのひらを、右手で受け止めた。
同じようにすればいいのだろうか。
ぎくしゃくと彼の左手に唇を寄せ、筋張った硬い手の甲の、薬指の付け根に短いキスをした。
クラウスが満足げにひとつ頷いた。
エミールは解放された左手を胸元へと引き寄せ、ドキドキと鳴る胸をさする。
なんだろうこれは。
高貴なる身分の方々はこんなふうに契約を結ぶのだろうか。
こんな……こんな、まるで、結婚でもするような誓いとともに……。
薬指に、クラウスの唇の感触が残っている。それは彼も同じだったようで、クラウスもおのれの指の付け根をじっと見つめていた。
なんだかすごく恥ずかしいことをしたような気分になってくる。
照れ隠しで背中を向けようとしたら、伸びてきた両腕にぎゅうと抱きしめられた。
腕を突っぱって逃れようとしたが、あまりに強い力だったので驚いた。縋りついてくるかのような抱擁だった。
耳元でクラウスがなにかを囁いた。小さすぎて、聞き逃しそうになった。
「……王城では、誰の言うことも信じるな」
「え……わぷっ!」
掻き抱かれて、鼻先が黒衣の胸元に埋まる。息が止まりそうになって藻掻いていると、またクラウスの囁きが聞こえた。
「訂正する。王城では、ファルケン以外を信じるな」
ファルケン。不意に出てきた幼馴染の名に、エミールはまばたきをした。
ファルケン以外を信じるな?
きつい抱擁がふっとほどけた。
はふっと大きく息をすると、クラウスがエミールの乱れた髪を手櫛で整えてくれた。
「エミール」
「……はい」
「きみは私の婚約者となった。そのため、部屋を移る必要がある」
「婚約者っ?」
ぎょっとして声が裏返った。
そんなものになった覚えはない、と言い返そうとして、はたと思いとどまる。
そうか、『つがい候補』ということは婚約者も同然の立場になるのか。
もしかしてオレ、早まった真似をしたんじゃないか……?
起こったことは変えられぬ。
エミールは力なく項垂れつつも、それを受け入れた。
早速今後の打ち合わせを始めたクラウスの顔を見上げながら、エミールは先ほどの囁きの意味を考えた。
ファルケン以外を信じるな、ということは。
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