上 下
154 / 184
リヒト⑮

しおりを挟む
 エミール様とアマル様にオメガやアルファのことを教えてもらって、ユーリ様を引き留めてもいいというお言葉をもらって、その日の夜に僕はありったけの勇気を振り絞ってユーリ様に、
「行かないでください」
 とお願いして。

 そしたらユーリ様が僕の体のあちこちを触ってくれて、僕は射精というものを初めて体験した。

 おしっこじゃない、なにべつの、精液というものを出した後は、腰がなんだかず~んと重くなって、手足がビリビリ痺れたようになって、力も入りにくかったのだけど、僕はどうしてもユーリ様と体を繋げるということがしたくて、両手と両足でユーリ様にしがみついた。

 そして、もうひとりのオメガのひとにしていることを、僕にもしてほしい、と。ユーリ様にそう頼んだら。
 ユーリ様は僕を抱っこして、『あの部屋』の前まで連れて行ってくれた。

 ロンバードさんとテオバルドさんが、証人? として駆けつけてきてくれる。

 扉の前に立ったユーリ様の首に、僕は無意識に抱きついて身を寄せていた。この向こうに、もうひとりのオメガのひとが居る。
 緊張で手足が冷えた。

 ああ、でもユーリ様は、そんなひとは居ないと仰ったのだ。
 もうひとりのオメガなんて居ない、と。

 ユーリ様の手が、ドアノブの下でごそごそと動いた。
 ガチャリ、と鍵の開く音が、僕の耳に大きく響いた。

 こくり、と生唾を飲む僕に、ユーリ様が。

「リヒト、開けるよ?」
 と、しずかな口調で告げてきた。

「殿下」

 そのとき急にロンバードさんの太い声が割り込んできたから、僕はびっくりして「ひゃっ」と悲鳴を上げてしまった。
 僕の大袈裟な反応を、ユーリ様が喉奥で笑って、ロンバードさんを振り向いた。

「ロンバード。僕のオメガを驚かせるな」  

 勝手に驚いたのは僕なのに、ロンバードさんが叱られてしまった。
 申し訳なくて謝ろうとしたら、先にロンバードさんが唇の端で笑いながら、
「そりゃあ大変失礼しました」
 と僕に頭を下げてきた。

「ふてぶてしい謝罪だな」
「俺はがさつなんでね。それより殿下、これを」

 ロンバードさんが白いシャツを差しだしてくる。
 それを見て僕は、ユーリ様の上半身が裸のままだということに気づいた。そうか、ユーリ様の寝間着の上は、僕が着てしまっているからか。

 自分がユーリ様の服を着ている、ということをいまさらに意識して、僕はつい、ふんふんと服の匂いを嗅いだ。
 とってもいい匂い。ユーリ様の香りだ。

 でも、ユーリ様の首筋から香ってくる匂いは、なぜかどんどんと薄まっている気がする。
 僕の鼻が、鈍くなったのかしら?

 夢中になって匂いを嗅いでいたら、ユーリ様がふふっと笑い声をあげた。

「リヒト、首がくすぐったいよ」
「あ、ごめんなさい。さっきまでより、ユーリ様の匂いが薄い気がして」

 僕の気のせいかなと思ったけれど、ユーリ様はなんでもないことのように頷いて、
「ああ。抑制剤を飲んだからだね」
 そう言って僕の瞼にキスをくれた。

 ロンバードさんが顔をしかめて、ユーリ様の肩にシャツを掛けた。

「抑制剤? あんたまた……」
「説教なら兄上で間に合ってる」
「はぁ……しかしそのナリで抑制剤を飲んだってことは……失敗したんですか?」

 ぼそぼそとロンバードさんがユーリ様の耳元で囁いた。
 ユーリ様が眉を寄せて、ロンバードさんをじろりと睨んだ。

「この僕が失敗なんてするはずないだろう。……おい、その笑顔をやめろ」
「いやなに……あんたが手を出しあぐねるなんて珍しいなと思って」

 ロンバードさんが肩を震わせて笑った。
 失敗ってなんのことだろう、と僕が首を傾げているうちに、ロンバードさんの動きに合わせてユーリ様が腕を動かして、僕を抱っこしたままでシャツに手を通された。ユーリ様ってすごく器用だなぁと感心してしまう。

 シャツを羽織ったユーリ様が、改めてドアノブを掴んだ。

「ロンバード、テオバルド」
「はい」
「は、はいっ」
「先に言っておくが、本当はおまえたちをここには入れたくない」

 真面目な表情で、ユーリ様が口を開いた。

「おまえたちは証人だ。僕のオメガがいまから見聞きするものはすべて現実だと、証言するための証人だ」
「はぁ……殿下の意図は了解しましたが、あんた、ここには頑なに立ち入り禁じてたじゃないですか。本当にいいんですか?」
「リヒトの疑いを晴らすためだ。背に腹は代えられない」
「リヒト様の疑い?」

 ロンバードさんが軽く眉を上げて僕を見た。テオさんもつられたように僕の方を向いた。

「なんですか? その疑いって」

 テオさんが僕に問いかけてくる。
 僕はもごりと唇を動かした。

 どうしよう。言ってもいいのかな。
 迷っている間に、ユーリ様がさっさと答えてしまった。

「僕が、リヒト以外にオメガを囲ってるんじゃないかって心配してるんだよ」

 それを聞いた途端、ロンバードさんがお腹を抱えて笑いだした。

「はぁ? 殿下が? そりゃあ天地が引っくり返っても有り得ないことですが……くっ、ははっ、なんでまたそんな無用な心配を?」

 ロンバードさんに続いて、テオさんまで口を押えてぶふふっとおかしな笑い声を漏らした。

「ゆ、ユリウス殿下がもうひとりのオメガを囲うとかって……ないない! なんでまたそんな有り得ない話になってるんですか」

 二人がかりで笑われて、僕はなんだか恥ずかしくなってきた。
 ユーリ様のきれいな緑色の瞳が僕を映して、やわらかく細まる。

「だってさ、リヒト」
「……でも」

 でも、ユーリ様の体から、ユーリ様じゃない匂いがしていたのだ。あれはオメガの匂いだと、僕にはそう感じられた。

「でも、匂いがしてました。ユーリ様は夜にベッドを出て、この部屋で……」
「うん。だからリヒトの目で、この部屋を見てよ」

 ユーリ様が僕の唇を啄んで、今度こそドアノブを回した。

 ユーリ様が押し開けた扉の隙間から、ユーリ様の匂いと、もうひとりのオメガの匂いが流れてくる。

 ユーリ様が、
「火を」
 と言った。
 即座にロンバードさんが動き、卓上のガス灯に火をつけた。
 発光剤をしみ込ませたカバーをそこへ掛けると、部屋がパァっと明るく照らされた。

 ユーリ様が僕を床の上に降ろした。ふかふかの絨毯に足を取られてふらついた僕の肩を、ユーリ様が支えてくれる。

「おまえたちはそこを動くなよ」

 ユーリ様はまず、ロンバードさんとテオさんにそう声をかけて、お二人を入り口付近で待機させてから、それから僕に。

「僕の秘密の部屋へようこそ、リヒト」

 甘く蕩けそうなお声でそう言って、僕の右手を下からすくい、手の甲にちゅっとキスをした。

 僕は……僕は室内をぐるりと見渡して、ただただ目を丸くすることしかできなかった。 




しおりを挟む
感想 259

あなたにおすすめの小説

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

処理中です...